3回
2012/10 訪問
ラーメン
以前のレビューでも書いたが、第二次ラーメンブームから閉店までのドラマについて、やはり特に強い印象があるのは、遠のく客足を引き止めようと模索したのだろう「もやし乗せますか?」サービスだ。
当時店員にそう訊かれ耳を疑った。この伝説のラーメン屋『べんてん』がなんかおかしなことになっていると感じた。確かにその時期は列ばずに食べることができた。
「うーん、これは、大丈夫か」と実際にすごく心配になった。それ以前から味が若者が喜びそうな濃厚スープになったり、なんかブレていたというか、その当時はそれが『べんてん』の進化であると受け入れるほかなかった(僕の親しんだ『べんてん』の味ではなかったが実際に味は美味しかった)のだが、とにかく心配だった。
※あの味の変化はその後、蕨の『永太』の店主となる方の影響ではないかと推測している。
いずれにしても、この店が特別であることに変わりはない。
ちなみにこの日は昔ながらの味だった。魚介が香るこってりではないがガツンと来るボリューム満点の中華そば。そしてまたコップに注がれた水のぬるいことまずいこと。これで良いのだ。成増行かなきゃな。
2020/12/08 更新
2012/07 訪問
ラーメン
この店に行くことが僕の大学受験のモチベーションになっていた。高校時代から都内にラーメン巡りに来ていたがあえてこの地は避けていた。まだ良い、まだだ。と。僕の思いはこの馬場に常にあったわけ。
ラーメン巡りを始めた頃愛読していたラーメン本の表紙がこの『べんてん』だった。東池袋の『大勝軒』フリークだった兄からこの『べんてん』の話は聞いていた。そしてそのときには既にこの店のカリスマ性は僕の中で独り歩きしていた。
知らぬ間にこの店に行くために英語、現代文、政治経済の勉強をしている自分がいた。積まれた予備校のテキストの一番上にはラーメン本が常にあり、眠くなってはその本を開いてやる気復活、そんな日々だった。
そんなわけで受験に成功し、無事『べんてん』フリークになり、そしてラーメン巡りも加速していった。それでも常に一番思い入れのある店であり続けている。
どこが一番美味しいの?とか、一番好きな店はどこ?とか思慮の浅い質問を受けることがあるが、僕はいつも、
馬場の『べんてん』が一番思い入れある特別な店だ。
と答える。美味いとか好きとか、訊かれても困る。特別だとしか言えない。現時点で通算約1,200軒のラーメン屋を訪れたが、もうかれこれ15年間そう答え続けている。もう馬場にはない。閉店したときは泣いた。だが結局成増で再開している。成増で再開してからはまだ行っていない。一緒に行く約束をした人がいてなかなか都合が合わないのだ。
ここに初めて来たときはその量に驚いたものだ。並盛りで300g超で大盛りは1kg。魚介系が表に出る熱々のスープ。極太のパスタのようなツルツルの麺。食べても食べても減らない。
ここで食べるなら「ラーメン」だ。絶対に。つけ麺も美味しいが、つけ麺だったら他の店でも良い、ラーメンが唯一無二なのだ。
この店は出会った時期から閉店までの僕が関わり続けた期間、順風満帆でい続けていたとは言えない。ドラマがあった。途中ラーメンブームは終わりだなんて言われてた時期は客も疎らで、何とか生き続けようと工夫もしてた。味も変わったり戻ったり。そして最後は華々しく散った。
※ま、今は成増にあるのだけれども。
この店を「ええ店」認定したいのだが、これは馬場にあった頃のレビューであって、閉店した店は認定しない決まりなので、成増に行くまで認定宣言は待ちたいと思う。
このレビューを見たなら絶対成増に行って食べて来てくれ。頼む、この通りだ。理由は僕の思い入れの話じゃない、客観的に見ても東京のラーメンを語るなら絶対に外せない店だ。外した奴は阿保だ。馬鹿だ。唐変木だ。おたんこなすだ。おまえのかあちゃんでべそだ。
『がんこ総本家』が西早稲田にあった時代、東池袋『大勝軒』の山岸氏、西早稲田『がんこ総本家』の一条氏、高田馬場『べんてん』の田中氏、この3人こそこの地域の最重要人物だったろう。そしてこの3人が仲良さそうに酒を酌み交わしている写真がその西早稲田の『がんこ総本家』に飾られていた。大学1年の時にその写真を見て鳥肌が立ったのを今でも覚えている。
※現在の『元祖一条流がんこ西早稲田』がかつてのその店舗。写真は今もあるだろうか。
カートコバーンとリバーフェニックスとジョニーデップがわいわい楽しんでる写真見たら鳥肌立つだろう。若いときのスピルバーグとルーカスとコッポラでも良い、尾崎豊と吉川晃司と岡村靖幸でもなんでも良い。とにかくそういう感じだ。
以上だ。最後まで読んでくれてありがとう。
2020/12/08 更新
僕の中での最も特別のお店『べんてん』。閉店することをネットで知り、まずは身内やラーメン巡り仲間のN氏、友人らにこのニュースを伝えた。僕にとっては富岡製糸場の世界遺産登録(同時期のニュース)よりも重要な出来事だ。
僕自身は閉店前に必ず行くと心に決めたわけだし、このニュースを知っておいて身内に教えず自分だけ行くなんてことをしたら、一生恨まれる。自分がされたら一生恨む。
閉店のニュースを知った日の翌日、この日は6/19(木)で、僕は仕事を休んで訪れた。この日列び始めたのは11時半。11時55分にスープ切れの告知をしに店員が出てきた。着丼は15時くらい。3時間半くらい列んだわけだがなんてことない。『べんてん』の最後だからね。実際に列ぼうにも午前中早々に打ち切りで食べられずに発狂する人もいたという話も聞いた。
高校生だった僕にこの『べんてん』を教えてくれた兄もこの日訪れたらしいが会えなかった。もう打ち止めされた後でその日は諦め、その後もスケジュールが難しく最後に食べることは叶わなかったらしい。残念すぎる。弟は6/21(土)の朝に向かったが9時半の打ち止めに間に合わず、ラーメン巡りの仲間N氏も6/21(土)に行くつもりが寝坊してしまい、慌てて向かったは良いが9時半に間に合わず、そして最終日の前日6/27(金)にリベンジするため前日の夜中の1時(6/26(木)の25時)から列び無事に食べられたそうだ。11時6分に「10時37分に開店して今食べ終えたところです」というメールが来たので、9時間半列んだということになる。
※ネットで読める記事では「先頭にいた人は夜中2時半ごろから列んでいたらしい」という目撃情報があるが、それはこのN氏のことだ。奴が列び始めた1時は独りだったと、6時頃から一気に増えたと言っていた。ちなみに最終日は前日の夜中24時から行列があったらしい。先頭は21時から列んでいたという。
最後に食べるのはもちろん「ラーメン」。人によっては「つけめん」の人もいるだろうし、あるいは「油そば」の人もいるだろう。でも最後ならやはり「ラーメン」。
魚介と動物の熱々スープに沈む太麺ストレート。もうこれ以上説明は要らない。思い出しただけで涙が、、、いや、唾液が。一時期の濃厚スタイルとは違う、初めて食べたときと変わらないあの『べんてん』の魚介風味が前に出た「ラーメン」だった。
この日は久々に厨房で店主を見られて感動した。本当にお疲れ様でした。
その1年後『べんてん』の意志を継いだお弟子さんが早稲田で『としおか』を始め、2年後には成増で『べんてん』自体が復活した。その際も、まずはそのニュースを身内らに伝えたのだが、『としおか』も成増『べんてん』もまだ行けていない。