「京都府」で検索しました。
1~20 件を表示 / 全 69 件
「緒方」の料理は、単なる“美味しさ”を提示して終わるものではありません。一皿ごとに空気が変わり、会話のトーンが変わり、身体の内側に何かが静かに宿っていく。その変化が、自分でも気付かないうちに訪れる。そういう種類の料理です。先ほどご紹介した品々は、その入り口に過ぎません。 たとえば、焼かれた白子と椎茸の一皿。この一品に象徴されるのは、“熱”と“質感”の対話です。白子という繊細な食材は、過熱しすぎればすぐに身が崩れ、足りなければ青臭さが残る。それを絶妙な火加減で炙り、外にはこんがりとした香ばしさ、内には蕩けるような滑らかさを残す。その火入れの妙が、陶器の器の上で湯気とともに静かに主張してきます。さらに椎茸の含んだ水分と香りが、それを下から支えるように口の中で広がり、最後には柚子の酸が全体を束ねて消えていく。この一連の流れが、“料理”というよりもまるで“演奏”のようでした。料理人の技術とは、決して目立たないところでこそ問われる。そのことを、改めて強く実感させられる瞬間でした。 柚子釜に詰められた蟹のほぐし身もまた、シンプルでありながら圧倒的な完成度を誇る一品でした。一般的な蟹酢とはまったく異なるアプローチ。味付けは非常に控えめで、あくまでも主役は“蟹そのものの甘み”。そしてその器となる柑橘の皮は、ただの飾りではありません。皮の内側には、香りと微かな苦み、ほんのりとした酸が宿っていて、蟹の身にそれがじんわりと移っていく。その“香りのグラデーション”が、時間経過とともに変化していき、最初のひと口と最後のひと口では印象がまるで違うという驚きもありました。こういう一品が、強烈なインパクトを持たずとも、ずっと心に残ってしまうのです。 また、料理だけでなく“器”という存在も、この店の美意識を体現していました。それぞれの皿がまるで美術館の展示物のようで、どの器にも一切の妥協がありません。縁の立ち上がり、釉薬の色味、手触り、重み。そのすべてが料理と調和し、ときには引き立て、ときには競り合い、そして結果として調和している。それはまさに、料理と器の“呼吸”です。そこには単なる装飾ではない、千年の文化の積み重ねと、それを現代に再解釈する料理人の意志が感じられました。 さらに印象深かったのは、全体の構成の中に“抑揚”がしっかりと仕組まれていることです。淡い吸い物から入り、焦げ目のある餅で香ばしさを加え、濃厚な白子で一気に温度を上げ、爽やかな柑橘で抜け感を出す。この緩急の設計が、食べ手にストレスを感じさせず、常に「次は何が来るのか」という期待を持たせ続けてくれる。そしてその期待を、決して裏切らず、むしろ軽々と超えてくる。そんな料理の流れは、まるで上質な能や茶事のような構成美がありました。 緒方の料理を食べるということは、“自分の味覚の奥行き”と向き合うことでもあります。食べ手がただ受動的であるのではなく、能動的に料理と対話していく感覚。何が美味しかったのか。なぜそれが印象に残ったのか。そういった問いかけが自然と浮かび、それに対する答えを料理が返してくれる。その繰り返しの中で、食事はもはや“行為”ではなく、“体験”へと昇華していくのです。 京都には数多くの名店がありますが、緒方ほどに“静けさ”が料理の背後に立ち上がっている店は稀有です。その静けさは、決して空虚ではなく、確かな技と精神性、そして素材への敬意に満ちたもの。決して派手ではない。インスタ映えを狙うような装飾もない。それでも、いやだからこそ、心に残る。それは、“美味しい”のその先にある、“尊い”という感覚に近いのかもしれません。 緒方は、「食とは何か」「美しさとは何か」という、根源的な問いをそっと差し出してくる稀有な空間でした。また季節を変えて、あの静謐な空間と、丁寧に紡がれる皿たちに再び会いに行きたいと強く思わせてくれる。そんな場所でした。
2025/04訪問
1回
京都に位置する「仁修樓」は、その名声に相応しい素晴らしい体験を提供してくれる中華料理の名店です。「食べログゴールド」の称号を持ち、さらに百名店にも選ばれるだけの理由を、一皿一皿で感じることができました。今回、自身が特に印象に残った料理を写真に収め、それぞれに感想を述べさせていただきます。 店の看板料理ともいえる北京ダック。この料理は、目の前で丁寧に焼き上げられた鴨が堂々と姿を現し、その香ばしい皮の艶感だけでも期待が高まりました。一口食べると、外側はカリッと香ばしく、中のジューシーな鴨肉との絶妙なコントラストがたまりません。付け合わせのソースやクレープも素材の良さを引き立てており、伝統的でありながらも上品な味わいが際立っていました。 繊細なスープ料理。鮮やかな器に盛り付けられたスープは、見た目にも美しく、澄み渡るスープがその丁寧な仕込みを物語っています。一口すすると、コク深い味わいと、具材それぞれが持つ個性が調和し、口の中で華やかな風味が広がります。このスープは、単なる前菜ではなく、この店の料理哲学を体現した一皿でした。 炒飯も感動的な一品でした。一見シンプルに見える料理ですが、細かく刻まれた具材や、米一粒一粒にまで行き渡る風味は、熟練の技術が生み出すものです。香ばしさと軽やかさのバランスが素晴らしく、最後の一口まで飽きることなく楽しめました。 見た目に美しいだけでなく、それぞれの器に盛られた料理が一つひとつ違うストーリーを語りかけてくれます。新鮮な素材の旨味を最大限に引き出した味付けが特徴的で、どれも丁寧に作り込まれた完成度の高い一品でした。 「仁修樓」の店内は、高級感がありながらも居心地の良さを感じさせる雰囲気。スタッフのサービスも心地よく、料理が運ばれるタイミングや説明も洗練されています。京都という土地柄に相応しい、繊細かつ格式高い中華料理を堪能することができました。 総評として、「仁修樓」はまさに中華料理の芸術品とも言える一皿を提供してくれるお店です。次回もぜひ訪れてみたいと思わせる、心から満足できる食体験を提供してくれることでしょう。京都に訪れる際には、ぜひ皆さんにもこの素晴らしい料理を味わっていただきたいです。
2024/12訪問
1回
京都の街にしんしんと冷気が宿る晩秋、祇園の小道を歩き抜けた先に、凛と佇む一軒のイタリアン。その扉をくぐると、ここは「やまぐち」。和の余韻と伊の情熱が融合する異次元の空間です。食べる、という行為の本質がここでは根底から塗り替えられます。一皿一皿に宿るのは、料理という概念を超えた“物語”の連なりであり、味わいはもちろん、構成や質感、器との対話まで、五感すべてを動員せずにはいられない構成でした。 まず心を打ったのは、冒頭から度肝を抜かれるプレゼンテーション。ガラスの器に横たわるのは、一匹のアカザエビ。その鋭利な爪を伸ばし、まるでこちらに問いかけてくるような存在感。赤のソースが流麗に敷かれ、繊細なハーブが静かに香る。その美しさにまず息を呑みました。一口頬張ると、ぷりっと弾む甘みと磯の香りが舌の奥からこみ上げてきて、思わず目を閉じました。これは前菜ではなく、“詩”のような一品です。 続いて供されたのは、見る者を惑わせる一皿。半分に割られた無花果に、濃厚なミートソースと香ばしいナッツが覆いかぶさる。甘美な果実の中に、力強い肉の旨味が潜み、ひと口ごとに“甘”と“旨”が交互にささやき合う。口の中で高低差のある風味が展開し、五感がぐらりと揺れるほどの鮮烈な体験でした。 そこに続くのは、繊細を極めたグラスの中の黄金。冷たいコンソメジュレの中にふんだんに忍ばされたウニの群れ。崩す瞬間、ぷるんと震えるその姿にこちらの鼓動も思わず高鳴ります。スプーンでそっとすくい、唇に触れた瞬間、磯の香りが霧のように鼻腔を包み、奥底から静かに旨みが押し寄せてきます。まさに「静謐な贅沢」。 次の皿は、伝統と前衛が交差するような構成。左には山芋をベースにした塊に、黒いキャビアが盛られた冷前菜。その塩味とまろやかなねっとり感の対比がたまりません。右側には花びらのような紫のエディブルフラワーと白いソースが滴る海老のタルタル。歯ごたえ、香り、彩り。すべてが「美食」という言葉の定義を刷新してくれます。 いよいよメインの火入れ。極めてシンプルに、しかし大胆に仕上げられた牛肉のグリルは、潔く塩とわさび、醤油のみが添えられる構成。焦げ目から立ちのぼる香ばしさ、ナイフを入れた瞬間のしっとりとした断面。その肉が語るのは、技術ではなく“温度”と“信頼”。塩で一口、次にわさびで一口。素材そのものに正面から向き合う覚悟が、料理人の手から確かに伝わってきました。 そして、クライマックスは緑のスパゲッティ。茹で上げたてのパスタに絡むのは、シンプル極まりない青のソース。それがなぜか、異常なまでの香りの立ち方と旨味を内包していて、思わず「なんだこれは…」と声が漏れるほど。香草なのか、出汁なのか、説明できない深みに迷い込み、もう一度、もう一度とフォークが止まらない。これは“余白”の料理。何も語らないことで、逆にすべてを語ってしまう存在感です。 「やまぐち」は、ただ食事をする場所ではありません。記憶を塗り替える体験そのものです。京都という街の静寂、イタリアンというジャンルの躍動、その間を流れるように生まれたこの店は、一つ一つの皿がまるで手紙のようであり、出会った瞬間に「また会いたい」と思わせてくれる魔力を持っています。 本気で美味しいとはどういうことかを、脳だけでなく、心で再認識させられる。そんな夜でした。
2025/04訪問
1回
先日、京都の名店「くいしんぼー山中」に訪れました。クライアントの方との会食ということで、特別な時間を過ごしたいと考え選んだお店でしたが、期待を遥かに超える体験となりました。さすが百名店に名を連ねるだけのことはあり、ただ美味しいだけではなく、食の楽しさを五感で感じることができる素晴らしいひとときでした。 まずは店内の雰囲気ですが、木の温もりを感じる落ち着いた空間が広がっており、適度な緊張感と心地よさが共存していました。スタッフの方々の接客も非常に丁寧で、こちらが何も言わずとも絶妙なタイミングでサポートしてくれるホスピタリティの高さが印象的でした。 そして、肝心のステーキ。まずは見た目からして圧巻です。程よく焼き上げられた外側は美しいカラメル色をしており、一口ナイフを入れると、中からはまるで宝石のように輝くロゼ色の断面が現れました。この絶妙な火入れ加減こそが、このお店の技術の高さを物語っています。 口に運ぶと、まず感じるのは肉の旨味の濃さ。しっかりとした肉質ながらも、噛めば噛むほどに甘みとコクが溢れ出し、まるで肉そのものが持つポテンシャルの限界を引き出されたかのような完成度の高さに驚かされます。脂身はしつこさが一切なく、むしろ舌の上で優しく溶けていくような感覚。そこに特製のソースが絡み、さらに深みを加えてくれます。 付け合わせの野菜も秀逸でした。シンプルながらもそれぞれの素材が最大限に引き出されており、甘みの強いにんじんや、歯ごたえの残るさやえんどう、そしてホクホクとしたかぶが、ステーキとの相性をさらに高めてくれます。にんにくチップは香ばしさが加わり、肉の旨味を一層引き立ててくれました。 また、スープも驚くほどの完成度でした。優しい甘さと濃厚なコクが感じられ、一口飲むたびに身体の奥から温まるような感覚に包まれます。クルトンのサクサク感が食感にアクセントを加えており、最後の一滴まで楽しめる味わいでした。 一つひとつの料理が丁寧に作られており、それぞれがしっかりと主張しながらも全体の調和が取れている。このバランス感覚が「くいしんぼー山中」の凄さなのだと実感しました。ステーキというシンプルな料理だからこそ、誤魔化しがきかない。その中で、これほどまでに美味しいものを提供できるというのは、本物の実力があってこそ成せる技でしょう。 今回の訪問で、このお店がなぜ多くの人に愛され続けているのか、その理由がよく分かりました。京都に訪れた際には、またぜひ足を運びたい名店です。食を愛するすべての人に、ぜひ一度は訪れていただきたいお店として、自信を持っておすすめできます。
2025/03訪問
1回
鳥さきは京都を代表する焼き鳥の名店であり、洗練された空間で極上の焼き鳥を堪能できる特別な場所です。このお店は百名店にも選出され、さらにBRONZEを獲得するなど、その高いクオリティが証明されています。一歩店内に足を踏み入れると、洗練された木のぬくもりを感じる落ち着いた空間が広がり、特別なひとときを予感させます。 この店の魅力は、厳選された素材と匠の技術にあります。鶏肉は地元の新鮮なものが使用され、希少部位である白肝やせせり、ぼんじりといった部位が、丁寧な串打ちの技術で最高の状態に仕上げられます。それぞれの部位に適した切り方やサイズ、串への刺し方が細かく計算され、焼き加減を均一に保つ工夫がされています。 鳥さきの焼き鳥は、備長炭を使った炭火焼きが特徴であり、その香ばしさと旨味が格別です。例えば、レバーの串焼きは、外側は香ばしくパリッと焼き上げられ、内側はトロリとしたクリーミーな食感が広がります。この絶妙な火加減は職人技そのものであり、一串ごとに丁寧に仕上げられる焼き鳥の味わいに感動します。また、鶏皮の串焼きはカリカリとした食感とジューシーさが融合し、シンプルながらも奥深い味わいを堪能できます。 鳥さきでは焼き鳥だけでなく、一品料理やスープも絶品です。特に鶏の出汁を使用したお吸い物は、繊細な味わいと豊かな香りが特徴で、焼き鳥との相性が抜群です。さらに、タレの味付けも絶妙で、鶏肉本来の味を引き立てるバランスがとられています。タレ焼きの香ばしさと塩焼きのシンプルな旨味のどちらも楽しむことができ、一度に多彩な味覚を味わえるのがこのお店の醍醐味です。 また、提供される料理だけでなく、スタッフのおもてなしも素晴らしいものがあります。丁寧な接客と細やかな心遣いが感じられ、訪れるたびに心地よい時間を過ごすことができます。焼き鳥が提供されるタイミングも絶妙で、ひと串ごとに最適なタイミングで提供されるため、常に最高の状態で楽しむことができます。 このような鳥さきの魅力は、ただ食事をするだけではなく、特別な時間を体験できる点にあります。一品一品に込められた職人のこだわりや心遣いを感じながら、じっくりと料理を味わうことができるのがこのお店の最大の特徴です。訪れるたびに新たな感動があり、何度でも通いたくなる魅力に満ちています。 鳥さきは、京都での特別なひとときを彩る名店であり、焼き鳥の奥深さを堪能できる場所です。その味わい深い料理と心地よい空間で、心もお腹も満たされる贅沢な時間を過ごすことができるでしょう。このような特別な体験を求める方に、ぜひ訪れてほしいお店の一つです。
2025/02訪問
1回
京都・祇園の名店「鮨 忠保」は、その存在だけで京都の美食を象徴するようなお店です。百名店にも選出され、さらにミシュランの評価を受けたことがあるという経歴が、その実力を物語っています。このお店を訪れるたびに、食事そのものが芸術のように感じられる、特別なひとときを味わうことができます。 まず、目を引くのは店内の洗練された雰囲気。カウンター席を中心としたシンプルかつ高級感のある空間は、非日常を味わうのにふさわしい舞台です。そして、職人が目の前で一貫一貫丁寧に握る様子は、まるで舞台芸術を見るかのよう。鮨が完成するまでの過程を見ているだけで、期待感が高まります。 写真の大トロの握りは、脂が口の中でとろける感覚がたまりません。赤身と脂身の絶妙なバランスが特徴で、一口で至福の時間に引き込まれます。また、ウニの濃厚な甘みとクリーミーさは、他では味わえない特別なもので、まさに口福の極み。エビの握りもまた、食感と甘みが秀逸で、絶妙な茹で加減とシャリとのバランスが完璧です。 さらに、前菜として提供されるあん肝ポン酢も絶品。濃厚な味わいながら、ポン酢の酸味が後味を爽やかに引き締めます。食材一つ一つが選び抜かれており、シンプルながらも素材の旨味が最大限に引き出されています。 「鮨 忠保」の魅力は、ただ食材が素晴らしいだけではありません。料理人のこだわりが随所に感じられる点です。醤油のつけ方、シャリの温度、ネタの厚みや切り方までもが計算され尽くしており、全てが一体となって完成する一貫の美しさは感動的です。 そして、心温まる接客もこのお店の魅力の一つです。職人やスタッフが丁寧に対応してくれるため、初めて訪れる方でもリラックスして食事を楽しめます。京都ならではの温かみのあるおもてなしが心地よく、再訪したくなる気持ちにさせられます。 「鮨 忠保」での食事は、単なる食事ではなく、京都という土地の文化や伝統、そして日本料理の真髄に触れることができる特別な体験です。ミシュランの星を獲得するだけの理由がしっかりと感じられる名店で、訪れる価値は間違いなくあると言えるでしょう。京都を訪れる際は、ぜひ一度足を運んでみてください。
2025/02訪問
1回
食べログ すき焼き・しゃぶしゃぶ 百名店 2024 選出店
大宮、四条大宮、四条(京都市営)/すき焼き、しゃぶしゃぶ、ステーキ
モリタ屋 四条猪熊本店は、日本の伝統と最高級の味を堪能できる場所として、多くの人々から愛されている百名店の一つです。このお店は完全個室が用意されており、特別な時間を過ごしたい方に最適な空間を提供してくれます。四条猪熊という立地にありながら、外の喧騒を忘れさせる静寂な雰囲気が特徴です。 今回私がいただいたのは、モリタ屋の代名詞ともいえる極上のすき焼きです。まず、目の前に登場したのは、美しい霜降りの牛肉。見るだけでその上質さが伝わってくる肉は、まさに芸術作品ともいえる存在感でした。柔らかそうな肉質は口に入れる前から期待を膨らませ、その香りは料理が到着するまでの時間を更に特別なものにしてくれました。 そして、野菜や豆腐、春菊といったすき焼きには欠かせない具材が美しく盛り付けられ、どれも一つ一つが新鮮そのもの。秘伝の割下で軽く煮込まれると、全ての素材が見事に調和し、食材それぞれの持つ旨味が一層引き立ちます。特に牛肉のとろけるような食感と、甘辛いタレの相性は抜群で、一口食べるごとに幸せを感じられる贅沢なひと時でした。 また、コース料理では前菜やデザートも提供され、その一品一品が手間暇かけて作られているのがわかります。前菜の盛り合わせでは、季節を感じる美しい彩りと上品な味わいを楽しむことができました。特に、京野菜を使用した一品は、その鮮度と風味が忘れられないほど印象的でした。デザートは、涼やかな見た目と甘さ控えめな味わいで、すき焼きの後の口直しにぴったりでした。 個室での食事は、プライベートな空間で心地よい時間を過ごすことができ、特別感を演出してくれます。店員の方々の接客も素晴らしく、丁寧で気配りの行き届いた対応に感動しました。モリタ屋のサービスは、料理だけでなく、そのおもてなしの心が魅力の一つです。 このような最高の空間と料理を提供してくれるモリタ屋 四条猪熊本店は、特別な日のお祝いから日常の贅沢まで、どんなシーンにもぴったりな場所だと感じました。また訪れたいと思える、京都の美食文化を堪能できる素晴らしいお店です。
2025/01訪問
1回
今回訪れたのは、京都の名店「さえき」。食べログTOP5000にランクインする実力派の鮨店で、食通の間でも高い評価を受ける一軒です。特別な時間を過ごすために、期待を胸に訪れましたが、その期待を遥かに上回る素晴らしい体験となりました。 まず最初に心を奪われたのは まぐろの赤身。見てください、この漆黒の艶やかな輝き。まるで宝石のような存在感です。口に入れると、ねっとりとした舌触りとともに、凝縮された旨味がじんわりと広がります。酸味、甘み、そしてシャリとの一体感が完璧で、シンプルながら究極の完成度を誇る逸品でした。 次に感動したのが 車海老。この美しい縞模様、まるでアートのようです。噛んだ瞬間、プリッと弾ける弾力とともに、海老特有の甘みが口いっぱいに広がります。火入れの加減も絶妙で、素材の持つポテンシャルを極限まで引き出していました。海老の握りの概念が覆るような一貫でした。 そして、江戸前寿司の真髄とも言える 小肌。職人の技が光る繊細な包丁の入れ方、美しく輝く銀色の皮目、すべてが完璧でした。口に含むと、心地よい締め具合とほどよい酸味が絶妙に調和し、噛むごとに旨味の層が広がります。この店の実力を象徴する一貫でした。 さらに感動を与えてくれたのが 煮蛤。じっくりと煮含められた蛤は、柔らかさと弾力のバランスが絶妙。噛むほどに甘みが広がり、濃厚ながらも上品な余韻を残してくれます。タレの塩梅も見事で、蛤の旨味を最大限に引き出していました。 そして、個人的に意外性のあったのが イカ。一見シンプルな一貫ながら、驚くほど滑らかな舌触りと、シャリとの完璧な調和が際立っていました。細かく包丁が入れられており、口の中でほどけるような食感。塩と柑橘のアクセントが加わり、余韻まで楽しめる一品でした。 最後に供されたのは 穴子。このふわふわ感、見ただけで美味しいと確信しました。口に入れると、まるで雲のようにとろける柔らかさ。甘めのタレが絶妙に絡み、香ばしさと旨味が一体となる。この一貫で締めくくることにより、最後まで余韻に浸れる素晴らしいフィナーレでした。 どの握りも計算し尽くされた味わいで、一貫ごとに異なる表情を見せてくれました。単なる寿司を超え、一つの芸術作品を食べているような感覚。まさに京都の鮨文化の粋を極めた名店でした。次回も必ず再訪したい、そんな強い想いが残る素晴らしい体験でした。
2025/09訪問
1回
赤垣屋は、その魅力が一目で感じられる百名店として、訪れるたびに感動を与える料理の数々を楽しめる特別な場所です。まず目に飛び込んでくるのは、色鮮やかな料理の美しさ。それぞれの写真から伝わる温もりや香り、そして職人の技術に圧倒されます。一品一品がまるで芸術作品のように丁寧に仕上げられており、訪れた人々の五感を刺激します。 たっぷりと盛り付けられた春菊やえのき茸の新鮮さがその場の空気を変えるほどの存在感を放っています。湯気が立ち上る鍋の中には、見事に調和した野菜とスープが絶妙なバランスで収まっています。一口食べるだけで、素材の持つ自然の旨味とダシの繊細さが口いっぱいに広がります。この鍋料理は、寒い季節だけでなく、どんな時期にも心と体を温めてくれる一品です。 次に、見た目にも豪華なおでんをご紹介します。一見するとシンプルなおでんですが、その中には深い味わいが詰まっています。大根はじっくり煮込まれ、スープがしっかりと染み込んでおり、箸を入れるとふんわりと崩れる柔らかさ。卵の中はとろりとした黄身が美しく、口に入れると濃厚な旨味が広がります。そして牛すじのしっかりした味付けは、一度口にすると忘れられない濃厚な美味しさを体験させてくれます。 また、もう一つのおでん料理にはタコの柔らか煮も加えられています。プリっとした食感と、スープの絶妙な風味が一体となり、食べるごとに新たな感動を与えます。タコの歯ごたえが心地よく、添えられた青ねぎとの相性も抜群。辛子を少しつけていただくと、全体の味わいが引き締まり、さらに美味しさが増します。 最後に特筆すべきは、アスパラガスの牛肉巻きです。絶妙な焼き加減で仕上げられた牛肉がアスパラガスを包み込み、外側は香ばしく、中はジューシー。さっぱりとしたアスパラガスの風味と、濃厚な牛肉の旨味が見事に調和しており、付け合わせのマヨネーズや特製タレがさらなる味の深みを与えています。この一品は、一口食べるたびに笑顔がこぼれるような至福の時間を提供してくれます。 赤垣屋の料理は、ただお腹を満たすためのものではなく、訪れる人々に特別な体験を提供するためのものです。見た目の美しさ、香り、そして味わいが全て一体となり、誰もが幸せな気持ちになれる空間を作り出しています。この店は、料理だけでなく、その場の雰囲気やスタッフの温かいサービスにも感動させられる、心からお勧めしたい名店です。訪れるたびに新しい発見があり、何度でも通いたくなる理由がここには詰まっています。
2025/03訪問
1回
焼肉矢澤 京都は、ミート矢澤の精肉店が運営する名店で、焼肉好きにはたまらない一軒です。百名店に選ばれているだけあって、肉質、サービス、そして店舗の雰囲気まで、どれをとっても素晴らしいと感じました。 まず、一皿目に登場したのは、見事な霜降りが美しい和牛。肉の繊細な模様と脂の艶は、まるでアートのようで、目で楽しむだけでも贅沢な気分になります。特にヒレ肉は厚切りで提供され、口に入れるととろけるような食感。しっかりとした肉の旨味が広がり、これだけで「来て良かった」と思わせてくれます。ランプやトウガラシといった部位も丁寧にカットされ、それぞれの特徴を生かした味わいが堪能できました。 さらにユッケも絶品でした。鮮度の高い赤身に、コクのある卵黄が絡み合い、素材の良さを最大限に引き出していました。このシンプルながら奥深い味わいは、精肉店が運営する焼肉店だからこそ実現できるものだと感じました。 店内はシックで高級感のあるデザインながら、スタッフの方々の温かい接客が心地よい雰囲気を作り出していました。お肉の焼き加減や食べ方についても丁寧にアドバイスをいただけたので、初めて訪れる方でも安心して楽しめます。 焼肉矢澤 京都の特徴は、ただ「美味しいお肉を食べる」だけではなく、全体的な体験として満足感を提供してくれるところです。素材へのこだわり、提供の仕方、そしてスタッフのサービスまで、どれも一流でした。 また、メニューには希少部位も多く取り揃えられており、その一つ一つが特別な体験を与えてくれます。例えば、ミスジやサーロインは口の中でとろけるような脂の甘さが際立ち、ホルモンも新鮮で臭みがなく、しっかりとした味付けが絶妙でした。 焼肉矢澤 京都は、記念日や特別な日にもぴったりのお店です。美味しいお肉を味わいながら、優雅な時間を過ごすことができるこの場所は、まさに焼肉好きの聖地ともいえる存在です。次回の訪問が今から楽しみです。
2025/02訪問
1回
嵐山の美しい景色を目の前に、最高の朝食を楽しむ贅沢な時間を過ごしました。「ムニ キョウト」でのモーニングは、まさに心地よい一日のスタートを切るのに最適な体験でした。窓の外には雄大な山々と川が広がり、自然の息吹を感じながら食事ができる贅沢さに感動しました。 モーニングセットは見た目にも美しく、丁寧に作られた料理の数々が並びました。クロワッサンやパン・オ・ショコラなど、焼きたてのパンは香ばしい香りが広がり、サクッとした食感とバターの風味がたまらなく美味しかったです。また、添えられたジャムやバターも種類が豊富で、自分好みの組み合わせを楽しむことができました。 サラダは新鮮な野菜がふんだんに使われ、ドレッシングの味付けも絶妙で、朝からヘルシーな気分にさせてくれます。さらに、フルーツもカットされて添えられており、爽やかな甘さが朝の清々しい空気にぴったりでした。 また、飲み物の提供も行き届いており、紅茶やコーヒーはもちろんのこと、フルーツジュースも用意されていました。それぞれが一流ホテルらしい上質な味わいで、ゆっくりと飲み物を楽しみながら時間を過ごせるのが嬉しかったです。 特に印象的だったのは、食事中に眺めることができる景色です。大きな窓からは嵐山の川と山が一望でき、その美しさは言葉では言い尽くせません。川面に反射する朝の光や、風に揺れる木々の姿は、まるで絵画のような光景でした。 スタッフのサービスも非常に丁寧で、心地よい距離感を保ちながらも細やかな気配りが感じられました。お店全体の雰囲気も落ち着いており、リラックスして過ごせる空間でした。 「ムニ キョウト」での朝食は、味わいはもちろんのこと、その場の雰囲気や景色、スタッフのホスピタリティなど、すべてが完璧に調和した特別な時間を提供してくれました。また訪れたいと思わせる、心に残る朝のひとときでした。
2024/11訪問
1回
「ふふ 京都」での滞在はまさに贅沢な時間そのものでした。一歩足を踏み入れた瞬間から、上質な和モダンの空間が広がり、日常を忘れて心地よいリラックスを味わえました。まず目を引いたのは、エントランスの洗練された設計。自然光が柔らかく差し込む空間には、四季折々の植物が美しく配置され、静かで心和む雰囲気を醸し出していました。スタッフの丁寧で温かみのある接客も印象的で、到着の瞬間からおもてなしの心を感じました。 客室に入ると、そこには高級感と和の趣が融合した広々とした空間が広がっていました。木の温もりが感じられるインテリアや、心地よい間接照明がリラックスした空気を作り出しており、細部にまでこだわり抜かれた設計に感動しました。ベッドエリアは、上質なリネンと枕が完璧に整えられており、まるで雲の上で眠るような寝心地を提供してくれました。また、広々としたバスルームからは美しい庭園の景色が望め、湯船に浸かりながら心も体も癒される贅沢な時間を過ごすことができました。 朝食には、目にも鮮やかな京料理が用意されていました。木製の重箱に彩り豊かに詰められた一品一品は、まさに職人技の結晶と呼ぶにふさわしいものでした。特に感動したのは、地元の新鮮な野菜や魚を使用したお料理の数々。それぞれの素材が持つ本来の味わいを最大限に引き出しており、一口ごとに感動が広がりました。味噌汁の優しい味わいや、香り高い炊き立てのご飯が特に印象に残り、日本の伝統的な朝食の素晴らしさを再認識させられました。 さらに特筆すべきは、庭園の美しさです。滞在中には時間を忘れて庭園を眺めてしまうほど、その景色には引き込まれるものがありました。木々の緑や苔の美しいコントラスト、そして風に揺れる竹林の音が、まるで一幅の絵画のような情景を作り出していました。ふふ 京都の庭園は、京都の自然美と日本庭園の伝統を見事に表現しており、訪れる価値のある場所と言えます。 全体を通じて、ふふ 京都での滞在は、日常の喧騒から離れ、心からリラックスし、自分自身と向き合える贅沢な時間でした。スタッフのホスピタリティ、施設の美しさ、そして料理の素晴らしさが一体となり、忘れられない思い出となりました。また必ず訪れたいと思わせる魅力が詰まったこの宿は、京都の旅をさらに特別なものにしてくれることでしょう。
2024/12訪問
1回
京都にある老舗ラーメン店「第一旭 本家」に行ってきました。人気店であることは聞いていたものの、実際に訪れるとその人気ぶりがよく分かります。平日夜にも関わらず、店の外にはすでに長蛇の列。到着してから約1時間ほど待ちましたが、期待感がどんどん高まりました。 1時間ほど待った後、ようやく店内に案内されました。店内はコンパクトで、ラーメンに集中できるシンプルな内装です。調味料は、ラーメンのタレや一味唐辛子、胡椒などが用意されており、自分好みの味に調整できる点が嬉しいです。 今回は特製ラーメンではなく、シンプルな「普通のラーメン」を注文しました。待っている間、厨房ではテキパキとした動きでラーメンが作られており、手際の良さが目につきます。店内は比較的狭いため、カウンター席がメインですが、活気ある雰囲気が漂っています。 数分後、運ばれてきた普通のラーメンはシンプルながらも、どこか懐かしさを感じさせる見た目です。たっぷりのネギがトッピングされており、スープの表面には薄く油が浮かんでいます。一口スープを飲んでみると、豚骨醤油ベースの深い味わいが広がり、まさに王道の一杯。スープは濃厚ながらも、しつこさを感じさせず、程よいコクと塩加減が絶妙なバランスです。 麺は細めのストレート麺で、スープとしっかり絡んでいます。細麺の喉ごしが良く、スープの旨味をしっかりと引き立ててくれる一杯でした。また、チャーシューも柔らかく、口の中でほろほろと崩れる食感が印象的です。チャーシューの脂の甘みがスープとよく合っており、麺と一緒に食べるとさらに満足感が高まります。 今回は普通のラーメンを注文しましたが、トッピングやカスタマイズも可能で、例えば「油多め」「硬めん」など自分好みに調整できる点も、このお店の魅力の一つです。今回はデフォルトのラーメンをそのまま楽しみましたが、次回訪れる際にはカスタマイズしてみたいと思います。 また、第一旭の魅力はラーメンだけではなく、餃子などのサイドメニューも充実している点です。隣の席では餃子を追加注文している方が多く、焼きたての香りが食欲をそそりました。店内は狭いため、相席になることもありますが、それもまたこのお店ならではの醍醐味です。 価格帯も非常にリーズナブルで、このクオリティのラーメンをこの価格でいただけるのはコストパフォーマンスが高いと感じました。観光地である京都で、地元の方々にも愛され続けている理由がよく分かります。京都駅からも徒歩圏内で、観光の合間に立ち寄れるアクセスの良さもポイントです。 全体として、普通のラーメンというシンプルなメニューでありながら、しっかりとした味わいと満足感が得られる一杯でした。豚骨醤油のスープと細めん、そして柔らかいチャーシューのコンビネーションは、まさに王道であり、何度でも食べたくなるような味わいです。 1時間の待ち時間がある点は少しハードルが高いかもしれませんが、それでも並ぶ価値のあるラーメンです。特に観光シーズンや週末はさらに混雑する可能性が高いので、訪れる際には時間に余裕を持って行くのが良いかもしれません。 結論として、「第一旭 本家」のラーメンは、シンプルな「普通のラーメン」でも十分に満足できる味わいで、どんな方にもおすすめできる一杯です。次回は特製ラーメンやトッピングを追加して、さらなる味のバリエーションを楽しんでみたいと思います。待ち時間があることは念頭に置いておく必要がありますが、それさえ気にしなければ、京都でのラーメン体験としては外せないお店です。
2024/10訪問
1回
静寂と艶やかさが共鳴する京都・先斗町に佇む「藤わら」。格子戸をくぐり抜けると、京の空気がゆっくりと時をほどき、舌も心も覚醒していく準備が始まります。今宵は、ここでいただいた極上の鮨体験を、全力で綴らせていただきます。 まず口火を切るのは、まぐろ赤身の握り。見るからに張りのある漆黒の艶は、まるで夜の鴨川を照らす提灯のように妖艶です。一口含めば、シャリのほどけるテンポと、赤身の鉄分と旨味が複雑に重なり、静かに膨張するように舌を包み込みます。赤身の握りで、ここまでの感動を覚えたのは正直久しぶりです。シャリの酸味、塩梅、硬さ、すべてが緻密に計算されており、職人の哲学がにじみ出ているように感じました。 続いて登場したのは煮はまぐり。タレのとろみと貝のふくよかな旨味が、口内でまるで語り合うように溶け合い、その艶めかしさに思わずため息が漏れました。煮詰めの甘さは控えめで、貝そのものの滋味を引き立てる絶妙な塩梅。決して派手ではなく、しかし確実に心を震わせる一貫でした。 甘海老の握りにはキャビアが載せられ、濃厚な甘みの中にほんのり塩気が差し込みます。ねっとりとした身質とプチプチのコントラストが官能的で、口の中がしばし舞台となり、主役と脇役が交互に拍手を浴びているような印象を受けました。 光り物も秀逸でした。しまあじは、脂の乗り方が鋭すぎず鈍すぎず、まるで研ぎ澄まされた刃のよう。細かく包丁が入っており、口の中で驚くほどスムーズにほぐれます。酢〆は浅めでありながら、絶妙なアクセントとなっていて、しまあじ本来の旨味を押し上げる役割に徹していました。 中トロは、脂と赤身のバランスが極めて高いレベルで成立しており、舌の上で溶けていく際の温度感すら計算されているよう。口の中が一瞬、静止するかのような時間が訪れ、咀嚼が終わってもその記憶だけが甘く残り続けます。 お造りの皿も忘れられません。見た目の美しさもさることながら、切り方、厚み、温度管理までもが完璧で、それぞれの魚のテクスチャーを最大限に活かしておりました。鯖の締め加減は潔く、酸が一閃走る中で、脂のコクが後から追いかけてくる設計。まるで味覚にストーリーを持たせているような構成でした。 どの一貫を取っても、素材を尊重しつつ、それぞれに「藤わら」というフィルターが丁寧にかけられているのが感じられます。奇をてらわず、しかし職人としての気概と矜持が強く滲む握りの数々に、ただただ圧倒されました。 加えて、カウンター越しの所作も洗練されていて、無駄がない。手元の動きは滑らかで、目配せひとつにすら美学が宿っている。客への心配りも温かく、必要以上に干渉せず、しかし要所でしっかりと距離を詰めてくる。この塩梅がまた絶妙で、心地よく酔える空間を作り出していました。 さらに特筆すべきは、器や盛り付けの意匠。どの皿にも季節感と意図が込められており、食べる前にまず目で味わうという行為が成立しています。料理そのものが、空間と一体となって芸術品として成立しているようで、まるで茶道の一席のような感覚にも似た豊かさがありました。 最後に、藤わらは単なる「美味しい寿司屋」ではありません。ここには、京都という土地の静けさと奥行き、そして職人の真摯な矜持と創意が凝縮されています。握り一貫ごとに物語があり、季節があり、人生の一頁すら重なってくるような深みがあります。 鮨に感動するという体験は、ありふれているようで実は稀有です。しかし藤わらでは、それがごく自然に起こります。感動を呼び起こす鮨は、技術や素材だけでは作れません。人と人との「信頼」と「緊張感」が、目の前の一貫にどれだけ込められているか。その密度に気づいたとき、きっと誰もがこの店の虜になるのだと思います。 また必ず、あのカウンターに戻りたい。次はどんな物語を味わわせてくれるのか、すでに心は先斗町に向かい始めています。
2025/11訪問
1回
京都の風情漂う祇園の一角に位置する「京やきにく 弘 八坂邸」。まさに、京都の美意識が詰まった空間で、極上の焼肉体験を堪能できるお店です。入口をくぐった瞬間、京町屋の趣を感じさせる上品な佇まいが広がり、非日常的な雰囲気に包まれます。店内は落ち着いた照明が優しく灯り、焼肉店でありながら、どこか料亭のような上品な雰囲気が漂います。特別な日や、大切な人との食事にふさわしい空間が広がっています。 さて、今回注文したのは、厳選された黒毛和牛の焼肉コース。写真にもある通り、見た目からして美しいサシが入ったお肉が、芸術品のように並べられています。最初に運ばれてきたのは「和牛サーロインの焼きすき」。目の前でサッと炙ると、脂が溶け出し、香ばしい香りがふわっと広がります。焼き加減はミディアムレアが推奨されており、ひと口頬張ると、口の中でとろけるような食感が広がります。濃厚な卵黄に絡めていただくと、まるで極上のすき焼きを食べているかのような贅沢な味わいが楽しめます。 次にいただいたのは「京風しゃぶ焼き」。写真にもあるように、薄くスライスされた和牛を軽く火を通していただきます。噛むたびに、じゅわっと旨味が広がる肉質は、上質な和牛ならではの味わい。シャキシャキの野菜とともにいただくことで、さっぱりとした後味が楽しめます。特製のポン酢やゴマだれとの相性も抜群で、一口ごとに異なる味わいを堪能できます。 さらに、「特選カルビ」や「上ロース」などの焼肉メニューも充実。炭火でじっくり焼くことで、香ばしさが増し、肉本来の甘みが際立ちます。焼肉のたれも甘辛のバランスが絶妙で、ご飯との相性が抜群です。肉の焼き加減や味付けの提案もしてくれるため、焼肉初心者でも安心して楽しめます。 焼肉の合間に提供された「レモン冷麺」も絶品でした。写真の通り、透明感のあるスープに、レモンの爽やかな香りが漂います。細めの麺がスープとよく絡み、焼肉の脂をさっぱりと流してくれるような爽快な味わい。焼肉を堪能した後の締めにはぴったりの一品です。 そして、最後のデザート「柑橘のパンナコッタ」。オレンジの果肉とくるみがトッピングされ、濃厚なパンナコッタとの組み合わせが絶妙。甘さと酸味のバランスが完璧で、食後のデザートにふさわしい一品でした。 「京やきにく 弘 八坂邸」は、ただの焼肉店ではなく、和の美しさと職人技が融合した極上の食体験を提供してくれるお店です。高級感がありながらも、肩肘張らずに楽しめる雰囲気が魅力で、京都で最高級の焼肉を堪能したい方には、ぜひ訪れていただきたい名店です。
2025/08訪問
1回
食べログ カフェ WEST 百名店 2025 選出店
七条、東福寺、清水五条/カフェ、スイーツ、かき氷
店内に一歩足を踏み入れた瞬間から、静寂と和の気配に包まれる空間——それが「清水一芳園カフェ 京都本店」の魅力です。観光地の喧騒から少し離れた場所にありながら、ここではまるで時間がゆっくりと流れているかのような感覚を味わえます。そして、今回いただいたのは、その名を聞いただけで胸が高鳴る逸品——宇治抹茶かき氷。 まず視覚からして圧倒的な存在感。繊細に削られたグリーンの氷の上には、濃厚で艶やかな抹茶エスプーマが芸術的に渦を巻くように盛られており、まるで抹茶の山が器の中に静かにそびえているかのようです。その緻密な立体感と構造美に、ひと目で心を奪われました。見た目の華やかさと、どこか品格を感じさせる静けさが同居しているのです。 スプーンを入れると、その柔らかさと滑らかさに驚かされます。氷は細かくエアリーで、ふわっとした雪のような口溶け。そこに絡みつくように抹茶のエスプーマがまとい、口の中で淡く広がる苦味と深い香りが、まさに本物の宇治抹茶の真価を伝えてきます。苦味の奥にかすかに感じる甘みが、品のある大人の味わい。抹茶好きを自負する方でも満足できる完成度の高さに脱帽です。 横に添えられた白玉も見逃せません。ピンク色の器にふっくらと丸く並べられた白玉は、見た目にも可愛らしく、ひとつ口にすればそのもっちりとした食感と優しい甘さが口中に広がり、抹茶の風味と見事なコントラストを描きます。この白玉があることで、味の単調さが防がれ、最後まで飽きることなく楽しめるように計算されているのだと感じました。 提供される器やトレーにも、職人のこだわりが随所に感じられます。木の温もりを感じるトレー、上品な青磁の器、そして緻密に計算された盛り付けは、もはや甘味という枠を超えて、一種の“作品”と呼ぶにふさわしい仕上がりです。 店内の雰囲気もまた、この抹茶かき氷を引き立てる要素のひとつ。静かなジャズが流れる中、木のぬくもりを感じる落ち着いた空間は、観光の合間に立ち寄るだけでなく、この一杯のためだけに訪れる価値があると感じさせてくれます。スタッフの対応も丁寧で、程よい距離感を保ちながらも、こちらのペースに寄り添ってくれる気遣いが感じられました。 抹茶スイーツは日本各地に数あれど、「濃厚さ」と「繊細さ」をここまで両立させた一品にはなかなか出会えません。食べるという行為が、もはや五感で体験するアートに昇華している——そんな印象さえ覚えました。 京都で抹茶を味わうなら、清水一芳園カフェは絶対に外せない一軒です。季節ごとの限定メニューもあるとのことなので、次回は違う季節に再訪して、また新たな驚きを味わってみたいと思います。観光だけではない、京都の“本質的な贅沢”がここには確かにあります。抹茶を、ただの味ではなく「時間」として楽しむ——そんな深い体験ができる場所でした。
2025/08訪問
1回
京都の美食文化を象徴するような名店「陶然亭」。格式ある町家の風情が色濃く残るこの地に店を構え、ひと皿ごとに京料理の神髄を感じさせる名店です。今回、クライアントの方とともに訪れ、素晴らしい料理の数々を堪能しました。 供された刺身盛り合わせは、見た目の美しさだけでなく、その鮮度と味わいの深さが際立つ一品でした。トロのねっとりとした舌触り、鰆の香ばしい炙り、白身魚の繊細な甘みと旨みが口いっぱいに広がります。器にもこだわりが感じられ、まるで絵画のような一皿に仕上げられていました。 梅煮の鯛頭が登場。 じっくりと炊き込まれた鯛の頭は、箸を入れただけでほろほろと崩れ、染み込んだ出汁の旨みと梅の酸味が絶妙なバランスを奏でています。脂の乗った皮目と、骨の周りのゼラチン質の部分が特に絶品でした。 椀物の登場。 土瓶蒸しのように供された熱々の鍋は、松茸や鱧、銀杏がたっぷりと入った贅沢な逸品。湯気とともに立ち上る香りがたまらず、ひと口飲めば、上品で奥深い出汁の旨みが体の隅々にまで行き渡ります。鱧のふわふわとした食感と松茸の香りが見事に調和し、これぞ秋の京都ならではの味わいと感じました。 さらに、目を奪われたのがウニの素麺。 赤い器に華やかに盛られた一皿は、まるで芸術品のよう。たっぷりとのせられたウニと、散りばめられた食用花が視覚的にも楽しませてくれます。ひと口含むと、ウニの濃厚な甘みと素麺の繊細な口当たりが絶妙に絡み合い、昆布出汁の上品な風味が余韻として残ります。 締めの土鍋ご飯。 ふっくらと炊き上げられた白米の上には、香ばしく焼き上げた鱧、彩り豊かな枝豆やとうもろこし、赤唐辛子が美しく散りばめられています。甘辛いタレが絶妙なアクセントとなり、具材の旨みを最大限に引き出していました。土鍋の蓋を開けた瞬間に立ち上る香りだけで食欲がそそられ、何杯でも食べたくなるような一品でした。 最後のデザートは、見た目のインパクトが抜群。 透明な器に盛り付けられた一品は、まるで宝石のような輝きを放っていました。柑橘系のジュレと鮮やかな緑のあしらいが美しく、さっぱりとした甘みと爽やかな酸味が食後の余韻を最高の形で締めくくります。 どの料理も細部までこだわり抜かれ、まさに京都の食文化の粋を集めたような内容でした。器や盛り付けも素晴らしく、一皿ごとに感動を与えてくれる。料理のクオリティの高さはもちろん、店の雰囲気、接客の丁寧さも含めて、まさに特別な時間を過ごせる場所でした。 今回の訪問は、京都での食体験をさらに深める素晴らしい機会となりました。また必ず訪れたい、心からそう思わせる名店です。
2025/09訪問
1回
空蝉亭——とんかつの概念を覆す、唯一無二の逸品 とんかつと言えば、サクサクの衣に包まれたジューシーな豚肉というのが一般的なイメージ。しかし、空蝉亭のとんかつは、その固定概念を覆す衝撃的な一皿だった。ここでは、単なる揚げ物ではなく、一つの芸術品とも言えるとんかつが提供されている。そのクオリティの高さと唯一無二の味わいに、まるで別世界に迷い込んだような感覚に陥る。 目を奪われる美しき断面、絶妙な火入れの極致 まず、目に飛び込んでくるのは、とんかつの断面の美しさ。分厚くカットされた豚肉は、中心がほんのりとピンク色を帯びており、絶妙な火入れが施されているのが一目でわかる。衣は黄金色に輝き、細かく均一なパン粉がまとうその姿は、見ているだけで期待が高まる。 一口食べてみると、その驚きはさらに増す。衣はサクッと軽やかに砕け、続いて柔らかくしっとりとした肉が舌の上でほどけていく。余計な脂っこさは一切なく、肉本来の甘みと旨みが口いっぱいに広がる。塩だけでも十分に美味しいが、特製のソースを少しつけると、さらに奥深い味わいへと昇華する。 米の美味しさがとんかつをさらに引き立てる とんかつと共に提供されるご飯もまた、特筆すべき存在感を放っている。ふっくらと炊き上げられた白米は、粒立ちがよく、噛むたびに甘みが感じられる。とんかつの脂とこのご飯の相性は抜群で、シンプルながらも計算し尽くされた完璧な組み合わせとなっている。 旨味が凝縮された極上の豚汁 そして、空蝉亭で特に感動したのが豚汁だ。ただの汁物と侮るなかれ。一口飲むと、その深いコクに驚かされる。豚の旨味がしっかりと溶け出し、野菜の甘みと絶妙に絡み合っている。具材もたっぷりと入り、食べ応えも十分。これ一杯だけでも満足感が得られるほどの完成度の高さだった。 とんかつの新たな境地を体験できる一軒 空蝉亭のとんかつは、ただの揚げ物ではなく、まるで和のフレンチを食べているかのような繊細な仕上がり。その火入れの技術、衣の軽やかさ、肉の旨み、そしてご飯と豚汁との絶妙なバランス。その全てが一体となり、ここでしか味わえない唯一無二の食体験を生み出している。 京都でとんかつの概念を覆すような特別な一皿を味わいたいなら、間違いなく空蝉亭は外せない。とんかつ好きならずとも、一度は訪れてほしい名店である。
2025/08訪問
1回
キャピタル東洋亭 本店で味わう、至福の洋食体験 京都で洋食と言えば、まず名前が挙がるのが「キャピタル東洋亭 本店」。長年愛され続けている老舗洋食店であり、シンプルながらも計算し尽くされた料理の数々が楽しめる名店です。店内はクラシックな洋食レストランの雰囲気が漂い、落ち着いた空間で食事が楽しめます。 完璧な焼き加減のステーキ、香ばしい香りに心を奪われる まず目の前に運ばれてきたのは、見た目にも美しいグリルステーキ。表面にくっきりと浮かび上がる網目模様が、絶妙な火入れを物語っています。ナイフを入れると、中からはジューシーな肉汁がじんわりと溢れ出し、口に運ぶ前からその美味しさが確信できます。 ひと口頬張れば、肉の旨味が口いっぱいに広がり、噛むほどにジューシーな肉汁が溢れ出してきます。外は香ばしく、中はしっとり柔らかく仕上がっており、程よくのった脂が肉の甘みを引き立てています。付け合わせの野菜も、それぞれが絶妙な火入れで、素材本来の美味しさを存分に味わうことができます。 名物トマトサラダ、シンプルながら奥深い味わい 「キャピタル東洋亭 本店」と言えば、外せないのが名物の丸ごとトマトサラダ。見た目にもインパクトのある一皿で、まるごとトマトにかかるオリジナルドレッシングが美しい艶を放っています。フォークを入れると、しっかり冷やされたトマトがフレッシュな果肉を見せ、ジュワッとした果汁が口の中で広がります。 酸味と甘みのバランスが絶妙なトマトに、濃厚ながらもさっぱりとしたドレッシングが絡み、一口ごとにさわやかな味わいが広がる。トマトそのものの美味しさを引き出すシンプルな料理ながら、長年愛されてきた理由がよくわかる逸品です。 大満足の食後、プリンで締める至福の時間 そして最後に登場したのは、自家製のカスタードプリン。見た目からして美しく、艶やかなキャラメルソースがたっぷりとかかり、スプーンを入れるとしっかりとした弾力が感じられます。 口に運べば、濃厚な卵のコクと、ほろ苦いキャラメルソースのバランスが絶妙。甘さ控えめでありながら、深い味わいが余韻として残る、大人のためのプリンです。洋食の食後にふさわしい、優雅な締めくくりとなりました。 老舗ならではの技術と愛情が詰まった洋食 キャピタル東洋亭の料理は、どれもシンプルながら奥深く、丁寧な仕事が施されています。特に、グリルステーキの火入れの技術、トマトサラダのフレッシュな美味しさ、そしてプリンの完成度の高さには驚かされました。老舗ならではの確かな味わいと温かみのあるおもてなしが心地よく、何度でも訪れたくなる特別な洋食店でした。
2025/04訪問
1回
木の温もりが静かに響くカウンター。手元には余計な装飾はなく、ただ凛と並ぶ焼き締めの器と握りだけ。目の前の職人は語らない。ただ、わずかな所作で伝える。「きう」はそういう場所でした。京都という伝統の都の中にありながら、過剰な演出や儀式的な所作を削ぎ落とし、“握り”という表現にすべてを集約したような、そんな凄みを感じさせる一軒です。 今回のコースの中でも、特に深く記憶に刻まれた四貫がありました。それは単なる“ネタの良さ”というレベルをはるかに超えていて、「寿司とは何か」を問い直されるような、そんな体験でもありました。 まず一貫目。この日のまぐろの中トロに、すりおろした大根と自家製のぽん酢ジュレが乗せられていました。最初は「赤身に薬味?」と思ってしまいましたが、その不安は一瞬で吹き飛びました。舌にのせた瞬間、脂の旨味がじわっと広がり、それをぽん酢の柔らかい酸味と、大根おろしの瑞々しさがきれいに追いかけてくる。その重厚と清涼のコントラストが実に鮮やかで、まぐろが“刺すような濃厚さ”ではなく“余韻としての美味しさ”へと変化していきます。これはもはや寿司というより、一つの完成された「皿」としての美学でした。 二貫目は、金目鯛の昆布締めに、柚子の皮を合わせた特製の緑色のペーストがひとさじ乗っていました。見るからに鮮やかなそのペーストは、柑橘と青さの香りを纏っていて、ひと口で鼻へと抜ける清涼感が鮮烈でした。金目鯛は脂をきちんと落とし、昆布の旨味だけを残す仕立て。ねっとりと舌に絡むその食感に、上から被せるように香りの立つソースが加わり、まるで和と洋が密やかに溶け合うような余韻を残します。食べたあと、しばらく無言になってしまう。そんな握りでした。 続いての三貫目は、ひらまさ。身の質感からしてまったく異なる個体が選ばれていたのがわかります。透明感のある身質は、切り口からすでに美しい艶を放ち、咀嚼の中でほのかに甘みが湧き上がるタイプ。熟成の手がほんのわずかに入っているのか、ねっとりというより“しっとり”としたタッチが印象的でした。シャリの温度との相性が抜群で、ネタがシャリに吸い付くように口内で一体化していく感覚。ごくわずかな煮切りの甘さが後ろで控えめに支えていて、余計な言葉が必要ない、無音の美しさのような握りでした。 最後に供された四貫目は、透明な姿に驚いたイカ。しかもその上には、氷のようなシャリシャリとした何かが乗っている。この氷の正体は、熟成させたイカのエキスをジュレ状にして冷凍したものを、細かく削ってトッピングしたという、驚きのアプローチ。口に入れた瞬間、その氷がふわっと溶け、甘みと旨味の波がイカの身を通して広がっていきます。歯応えはあくまでソフトで、粘るような独特のテクスチャ。すべてのバランスがこの一貫のために計算されていることが伝わってきて、思わず背筋が伸びる思いでした。 「きう」という店の恐ろしさは、技術や素材に頼るだけではないところにあります。ひとつひとつの握りに“余白”がある。決して説明過多ではなく、食べ手に想像させ、語らせるような佇まい。その潔さが、逆にとてつもない説得力を生む。ネタの説明を延々とする寿司屋が多い中で、ここでは言葉は最小限、すべては“味”と“構成”の中に内包されている。だからこそ、食後に何倍も印象が膨らんでくるのです。 京都には名の知れた寿司屋がいくつもありますが、「きう」のように、ここまで“精神性”が込められている店は数えるほどしかありません。ネタの良し悪しだけではなく、それをどう見せるか、どう届けるか、どう記憶に残すか。そこまでの設計をしている寿司職人は、そう多くはないと思います。 この四貫に触れただけで、「寿司」の可能性がまた一段広がったような気がしました。料理という枠組みを超えて、感情や記憶に深く刺さる体験。それが「きう」で味わった握りの真価でした。季節が変われば、きっとまた違う表情を見せてくれるはず。次はどんな一貫に出会えるのか、それを想像するだけで、京都に向かう理由がまたひとつ増えました。