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夜の点数:3.5
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~¥999 / 1人
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『あれ!あれ!あれ!』⁉ 無い『旨ぁ~』の喚声が。無い無い『至福』の笑みが。無い無い無い『満足気』な囁きが。 お願いがあります! 「追伸【注文時と紹介時の『符丁』】について」だけはお読みください‼
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2025/01/14 更新
A 【本文】
お願いがあります!
本文は割愛しても、
「B 追伸【注文時と紹介時の『符丁』】について」だけはお読みください‼
1、①遂に猛暑も影を潜め、秋もその色を濃くし始めた10月24日。
「鰻」で釣り上げた妻と一緒に香川県に『麺探訪』です。
②(ア)丁度、仕事の都合で高松に居る息子を誘って、
何は扨措き「朝 うどん」を目指します。
行き先には多少迷いましたが息子と話をして、
超鉄板の超超有名な『がもう(蒲生)』さんへ行くことにしました。
高松市街地から国道11号線を西進し、
「坂出 山下うどん」さんの立て看板を左手に見て右折。
変わらぬ、雨跡が縦に入った紺色の下地に白色の
「讃岐 うどん」と「がもう」の文字が立木越に見えました。
(イ)処で、本当に本当にご無沙汰していますが、
「坂出 山下うどん」さんの
天麩羅名人のおばあちゃんはお元気にされているでしょうか。
③(ア)当方は、「讃岐うどんブーム」前より訪れており
訪問店舗先数は約90店の未熟者です。
当然に延べ訪問先数ではありません。
(イ)讃岐うどんブーム当時は、うどん店の数は約800軒とも云われ
(誰も正確には把握が出来ていなかった。若しくは把握する必要が無かったのかも知れませね)、
「香川では信号機の数より『うどん』店の方が多い」との笑い話が在った程です。
(ウ)地元の人々は、我々とは違い夫々にご愛顧のお店があり、
玉買いをして出汁は自家製が普通でした。
昔の話には成りますが、
農繁期には1家で20~30玉を買うなんての話もよく聞いたものです。
(エ)当方も多い時には、
月に2~3(2~3店舗/日)回の頻度で香川県にはお邪魔をしていました。
その中でも、訪問回数が1番多いのが『がもう』うどんさんです。
④(ア)其の『がもう』さんにお邪魔するのも、約5年振りとなるでしょうか、
本当に久方振りとなります。
何時もの様に、
釜の前ではご主人さんは麺を茹で、
天麩羅の陳列棚の後ろでは奥さんが会計を担当されています。
(イ)今では、
ご主人さんのすぐ横で息子さん(弟さん)が茹で上がった麺を1玉分づつ取り分けています。
暫くすると、今度は息子さんが茹で釜の前に立ち、若奥さんが取り分け担当です。
「ご結婚おめでとうございます」。
(気付か無かっただけで、間違っていたらすみません。)
言葉数が少なく、所作がたどたどしかった3代目(お兄さん)も、
今では堂々として麺を茹で乍ら
接客をされています。
「本当に長い間。『がもう』の『うどん』を食べては無かった」と痛感しました。
2、①仲間から「讃岐うどんブーム」の当時に、
「今度、『讃岐うどん』を食べに行くんだけど、お薦めは何処がいい」と尋ねられると。
先ずは「方面は何処なの」と聞き返し。
「琴平方面へ」と返事があれば。
「ならば、『宮武うどん』さんと『長田in香の香』さん。
そして、是非に少し足を延ばして、
三豊市高瀬町の『須崎食料品店』さんが良いと思うよ」と
答えると。
訝し気に「須崎食料品店?」の反応がありました。
②今では食べログで「がもう」さんと1・2位を争う迄の
評価を得る様になった「須崎食料品店」さんです。
然し乍ら、
当時はランクインはしておらず一般的には知名度はかなり低くかったと記憶をしています。
その「須崎食料品店」さんも、今では食べログで拝見すると
様変わりをしているご様子で、
ある意味では一寸心配はしています。
3、毎度の事乍ら前置きが長くは成りますが、
先述の琴平町『宮武うどん』さんと其のご主人である「宮武 一郎」氏について。
『讃岐うどん』を語る上では避けては通れなく、
今日の讃岐うどんの開祖・始祖・レジェンドですから。
良く知られた事柄ではあります。
ご存じの方は割愛してください。
①「宮武 一郎」氏は2代目で、
先代は「宮武 士郎」氏です。
初代が、1953年に「麺の玉売り」の製麺業を創業されました。
「うどん屋」と云う飲食業を始めたのは「宮武 一郎」氏が事業継承をされた後です。
②お若い方はご存じが無いかもしれませんが、
嘗て一世を風靡した料理対決のテレビ番組がありました。
三宅裕司さんと関口宏さんがMCを務められた
『どっちの料理ショー』です。
其の中の『讃岐ぶっかけうどんVS冷やし中華』の回に
登場したのが『宮武うどん』さんです。
『宮武うどん』さんは「ぶっかけうどん」のお店では無いにも拘わらず、
「讃岐うどん」の振興の為に出演してご尽力をされたと今でも思っています。
③「讃岐うどんブーム」の契機の1つとなった、
2006年公開の映画『UDON』に登場する「松井うどん」の
大将のモデルは、当然に「宮武 一郎」氏です。
④稀有な『御舌代(税込)』と書かれた最晩年のメニュー板には、
「だし かけうどん」の「小 ¥230」と
「しょうゆ かけうどん」の「小 ¥200」の文字がありました。
★そして「『ひやひや』・『ひやあつ』・『あつあつ』」の
符丁が刻まれてありました。
天麩羅は、開店当初からの「藤原屋」製で、
お薦めは「ゲソ天」でした。
⑤★(ア)「『ひやひや』・『ひやあつ』・『あつあつ』」とは、
「麺」と「だし」の温度状態を指し示す、
『宮武ファミリー(系)』のみで使用する
『注文時の符丁(隠語)』です。
是が常連客の言葉に由来していることも有名ですね。
(イ)讃岐うどんにも其々に系列と独立性があります。
お店の主人は当然に矜持を持って仕事をされいます。
間違った語用はしないで
「メニュー」・「注文の仕方」等に則して
作り手には敬意を払った注文の声を掛けてください。
叉、お店の紹介時にも注意をしてください。
今でも、誤記載のガイドブックはある様です。
⑥此方の「麺」は「モチモチ」でしたが「シコシコ」では無くて、
「優しく」て「体と心が休まる温か身」がありました。
「グリングリン」に捻じり込まれた、
ほんの少し太さが不揃いの麺でした。
⑦ご主人は、死ぬ程に多忙な時でも、足踏みの回数を1回でも減らすことなく、
純正の手打ち麺を造り続けたとお聞きしています。
機械打ちした麺は、「時間が経過すると断面が丸く」成ります。
それに対して、丹精を込めて打った麺は、「時間の経過と共に角は更に立っ」て来ます。
⑧(ア)多くのうどん職人の方々を育て、
そして教えを受けた方々は素材と手間暇と愛情の大切さを学び巣立って行かれ、
多くのお店が所謂「S級ランク」と評価される迄に成りました。
其の人達のことを指して『宮武ファミリー』と呼んでいます。
(イ)また、メニューには「釜揚げ」は在りません。
真実の程は知りませんが、
「『釜揚げ』は掟破り」で
破門になるとの噂を耳にしたことはあります。
⑨(ア)其の(元祖)『宮武うどん』さんが、
2009年6月4日、大将が66歳の時に閉店されました。
地元の新聞やテレビでも大々的に煽情的に報道がなさせました。
表向きの理由は健康上の理由が原因でした。
(イ)処が、「讃岐うどんブーム」中に於ける来訪者の違法・迷惑駐車が後を絶たず、
運命共同体でも在った近隣の皆さんに対する精神的なご苦労は如何許りであったであろうかと思いました。
何時かは終焉を迎えるとは云え、
心無き人々が其の時期を大きく早めてしまったのではないかと、
今でも悔やまれてなりません。
⑩円座町にある「宮武うどん」さんは、
「宮武ファミリー」さんで当然にご主人は宮武さんではありません。
宮武一郎 氏から、木製の看板までも譲り受けて、開店当初も店で直接に指導を受けたと聞いています。
当方も何度かお邪魔しました。
正直な感想は『宮武うどん』さんの其れではありませんでした。
宮武一郎 氏自身が開店後も親身にお世話していた程のお店ですから、
当方の味覚異常かもしれません。
然しながら、
料理には作り手の人柄・人生・果たして来た足跡が現れていると常々に思ています。
そして、
食べ手側も敬意を払って賞味し評価は下すべきであろうと思っています。
⑪現存する「宮武ファミリー」の超有名な「S級店舗」は、
満濃町の『山内 うどん』さんと飯野町の『純正手打ちうどん よしや』さんでしょうか。
既に多くの「宮武ファミリー」の超有名な「S級店舗」も閉店となり、
その報を聞く度に寂しさが募ります。
其の代表格は『あたりや』さんと『松岡』さんと仏生山町の『宮武うどん』さんでしょうか。
4、以下が、今回訪問時の超超有名な『がもう(蒲生)』うどんさんの評価となります。
訪問回数が1番多い『がもう』うどんさんへの約5年振りの訪問であることは念を押して措きます。
①何処からともなく、
感喜が極まった「旨ぁ~」の大声と
「人が見ているから、恥ずかしいから止めてよ」と
制止する小声が聞こえていたのが、
『がもう』うどんさんでした。
②無言ではあるが
「至福の笑みに溢れて」いる人達が其処彼処に座っていたのが、
『がもう』うどんさんでした。
③今回が偶々であったのかも知れません。
然しながら、
数え切れぬほどにお邪魔した内で1度も経験した事のない光景でした。
④帰宅後に、普段は見ることは無い『がもう』うどんさんについての食べログの「評価分布」を閲覧しました。
投稿数は「讃岐うどん」部門では最多の2,315人でした。
嘗ては目にしなかった、評価点を3.0点未満とした人が、
28人と極少数ではありますが居られた事には、
驚きとある種の納得感も隠せませんでした。
「囁き千里」でしょうか。
5、①注文は、試行錯誤の末に行き着いた何時もの通りです。
「麺」は『小 そのまま』と声を掛けてお願いをしました。
トッピングは、ジューシーに煮含められた「揚げ」を箸で取りました。
代金は「小 ¥180」と「揚げ ¥120」の¥300を支払いました。
嘗ては、
何処の家族経営形態のお店では、トッピング1品と麺の小で¥200以下が当たり前の時代も、
今では「麺 小」のみで¥200以下のお店は数える程に減少してしまいました。
その中に在っての「小 ¥180」には
感謝しても感謝を仕切れません。
「だし」は「温かい だし」を、「Ladle(お玉)」を用いて2杯注ぎ入れました。
※使用した後の「Ladle(お玉)」は、
「寸胴」の中へでは無く、『お玉置き』へ返しましょう!
「薬味」は「小口切りの葱」を少量添えました。
「唐辛子」は此方では振り掛けません。
②因みに、讃岐うどんのトッピングの鉄板・王道について。
当地では「キツネ」とは呼ばれない「揚げ」と。
そして、天麩羅では「竹輪」・「ゲソ(烏賊の足)」・「鶏」でしょうか。
「がもう」さんの特色と云えば『金時豆』でしょうか。
6、皆さんもご存じの通り。
「讃岐うどん」の中では『がもう』うどんさんは、
特筆すべき仕上がりの『麺』では無く、
また特筆すべき仕上がりの『だし』でもありません。
①『麺』は、
「モチモチ」としているが「シコシコ」と迄はしていない「優しくて食べ易く」、
然あれど、讃岐うどん特有の「歯触りと喉越し」を十分に堪能ができる
「心が温まり癒さ」れる『麺』です。
※(ア)是は、一晩寝かす「宵練り」では無くて
「朝練り」が大きく影響をしているとは思います。
※(イ)ついては、「釜玉うどん」等の「(生)醤油 うどん」向きではありません。
②『だし』は、
稍々黄みが掛かった美しい清廉な透明色です。
煮干しの香りと風味は控え目で塩辛さも抑え気味に、
醤油の香りと塩味と風味が下支えして、
上品な甘味を感じ、食欲をそそるべく、寄り添い合っています。
是又に「優しくて飲み易く」、
然あれど、讃岐うどん特有の「煮干しが主役」で
「カタクチイワシ」の香りと風味を十分に堪能ができ、
「心が温まり癒さ」れます。
※ついては、「天麩羅」と出汁との相性はベストマッチではありません。
③麺が断トツに主役の讃岐うどんの中に在っては、
何よりも、是等の『麺』と『だし』との取り合わせの妙は空前絶後でした。
④つまりは、
麺が出汁が「どうだから。この様に。美味しいのよね」と
云うレベルではありませんでした。
※誰もが、想わずに『旨ぁ~』の一言が口を突いて出ていました。
『至福の笑み』が彼方此方に溢れていました。
7、①今回の「麺」の仕上がりについて。
妻は以前と変わった風には思えないとの事でした。
元々、小麦の「香り」と「シコシコの歯応えと喉越し」感は少ない方でしたが、
麺を食べた瞬間の「旨い」と「優しく癒される」の感がありませんでした。
※②今回の「だし」の仕上がりについて。
(ア)妻共々に、思わずお互いの顔を見合わせてしまいました。
慣れ親しんだ『がもう』うどんさんの『だし』ではありませんでした。
見た目からして「醤油色」でした。
「醤油が、煮干し出汁を下支えし優しく上品に寄り沿う素振りさえありません。
喧嘩を吹っ掛けています」。
(イ)ご主人は窯の前で麺を茹でていたのに。
調合の間違い?
出汁は3代目の息子さん(お兄さん)に任切り?
世代交代(兄弟2人)による路線変更?
我々夫婦揃っての味覚と色覚異常?
等々。
もう何が何だか・何故だか分かりません。
パニックっています。
③今回の「麺」と「だし」の調和について。
触れる迄も無いと思います。
8、①今回の食べログへの投稿に関する思いについて。
「讃岐うどん」の庶民的食文化としての歴史とその魅力を一人でも多くの皆さんに知って頂きたいと思いました。
「讃岐うどん」の人気を大きく担っている『がもう うどん』さんを是非に訪ねて頂き、
その『旨ぁ~』を堪能してして頂きたいと思っていました。
既に投稿している店舗の時とは、全く違う高揚感なるモノを感じていました。
②「評価点」について。
(ア)今回の訪問前迄は、自分史上最高点の『4.50』点を付けるつもりでいました。
満点である「5.00」点に「0.50」点が不足するのは、
「宮武うどん」さんの様な長年に亘る「讃岐うどんの食文化に果たして来た貢献」と云う足跡の違いです。
(イ)本当に、本当に。迷い悩みました。
今回だけが異例中の異例では無いかと。
極々、「在り来たりの本場『讃岐うどん』」で、
人から聞かれた時には「推奨迄はしないが、訪れても損は無い」お店と云うことで、『3.50点』としました。
※但し、
「価格面からの加減点」は実施していません。
『讃岐うどん』は、基本的に安価な為です。
もしも「価格を考慮」するならば、『0.3点』を加点するでしょう。
(ウ)本当に、本当に。
皆さんのお役には立てない
「評価」と成っているのではないかとも危惧しています。
8、★①『がもう』うどんさんには、日を改めてお邪魔したいと思ってはいます。
今日は大変にお世話になりました。
②妻と2人で・子供と家族で・両親と親族で・仲間と一緒に
美味しく楽しい時間を『がもう うどん』さんで過ごさせて頂きました。
感謝を申し上げます。
③そしてそして、長年に亘る『麺探訪』では色々と勉強もさせて頂きました。
謹んで、お礼を申し上げます。
B 追伸【注文時と紹介時の『符丁』】について。
2024年12月28日付
1、①スマホでSNSを閲覧していました。
②「讃岐うどん がもう」さんが、
大きく、大きく、取り上げられていました。
2、①「讃岐うどん がもう」さんの
うどんの「食べ方」で、
「『ひやひや』や『ひやあつ』や『あつあつ』は、
『麺』と『出汁』の温度で・・・」
との趣旨を、
強調して
説明されていました。
②「如何にも、『うどん通』」ぽっくて、
見た人達も、
「俺も云ってやろう」
「私も云ってみた~い」
と、如何にも
脚光を浴びそうですよね。
★3、本文で触れましたが、
「『がもう』さんでは、使用はしないで下さい‼」。
「使えるお店は、そう多くはありません‼」。
4、「讃岐うどん がもう」さんは、
『宮武うどん』さん
⇒『宮武うどん系』さん
=『宮武ファミリー』さん
では、
『ありません‼』。
5、『麺の打ち方』1つを取り上げても
全く違います。
6、「讃岐うどん がもう」さん
と
『宮武ファミリー』さん
⇒『宮武 一郎』さん
に対する不敬となります。
7、①お店の方に尋ねましょう。
きっと、
親切丁寧に教えてくれる筈ですよ。
②※但し、
「上戸」の
「女将さん」や「大将さん」なら、
粋がって、使おうものなら、
小言が飛んでくるかも
知れませんが。
③1つ1つが良い
経験や勉強となり、
食文化についての造詣を
深めてくれるでしょう。
★8、礼節ある【注文の仕方と紹介方法】について。
①「温めて」又は「そのまま」又は「釜揚げ」と
麺の状態を伝えてください。
②「小」又は「大」又は「特大」と
玉数を伝えてください。
宜しく、お願いしますね‼
C 【Epilogue】2025年1月13日付
1、「明けましておめでとうございます」。
皆さまに於かれましては「素敵な食事」をされている事とお喜びを申し上げます。
2、処で、
①「『がもう』うどんさんには、日を改めてお邪魔したいと思ってはいます。」と
お伝えをしていました。
然しながら、近々には叶いそうにありません。
②其処で、次回の訪問時に、ご紹介する予定であった
「『がもう うどん』さんの歩み」について
紹介を致します。
③是もまた、良く知られてはいる事柄なので
ご存じの方には、要らぬお節介とは成るでしょうが。
3、①初代は「蒲生 善太郎」さん➡2代目は「蒲生 正」さん(現在の大将)➡3代目は若大将の「蒲生 和照」さん(「正」さんの長男)です。
②スタッフは、
2代目「蒲生 正」さんと「蒲生 諭志(サトシ)」(「正」さんの次男)さんが、「製麺」を担当。
3代目「蒲生 和照」さんが、「出汁」と「天麩羅」を担当。
其の配偶者を含めた方々で営まれている『家族経営形態』の
★『製麺所型』の『セミセルフ型』の『讃岐うどん』さんです。
4、創業は1959年(昭和34年)9月です。
①「善太郎」さんは、
戦前は近隣農家の麦刈り・田植え作業で、戦後は主に剪定技術で生計を立てていました。
叔父さんが剪定師だったそうです。
②「高松市鬼無町」は、江戸時代からの全国有数の盆栽の産地です。
香川県の松盆栽の全国シェアは約80%で、
国際的にも有名です。
③同級生であった、叙上の『坂出 山下うどん』さんの勧めがあり、
「製麺業(玉売り)」を始めました。
修業は「米崎」さんの処で、1年程されたそうです。
5、当時のうどん事情。
①何処の農家も「小麦」を栽培
⇓
大半を「家畜用飼料」として農協へ出荷
⇓
残りの1部を「製麺所」へ預ける
⇓
製麺所は「製粉所」へ小麦を売却(例えば、¥40)
⇓
「製粉料金」(例えば、¥10)が上乗せされた
「小麦粉」を仕入れ(例えば、¥50)
⇓
(小麦を預けた「農家」から)注文
⇓
「製麺所」は「うどん玉」を販売(例えば、¥60)
②つまりは、
(ア)小麦を預けた「農家」は
1玉¥20で、購入が出来ます。
(イ)「製麺所」は
「加工賃」である
(例えば、¥10)が儲け
となります。
③「台帳」には
「○○さんから『うどん玉 ○○分』を預かり」。
「△月△日に、○○さんへ『うどん玉 ○○分』を販売、残り『うどん玉 □□分』」。
の様になります。
④当時の法事には40人程度が集まりました。
食事で2玉、手土産で5玉で、
1回の法事で300玉程になったのでしょうか。
⑤食べ方は、
(ア)「生醤油」と「味の素」です。
(イ)其の後は、
「鎌田醤油(株)」さんの「濃縮うどん出汁」➡「自家製の出汁」
です。
⑥(ア)当時は、
村に1軒は「製麺所」があり、
其の数は1,000軒を超えていたとも聞き及んでいます。
(イ)「高度成長期」の流れの中で、若い働き手は安定した収入を求めて会社へ勤務します。
担い手の高齢化もあり、多くの小さな「製麺所」が姿を消して行きました。
6、①『がもう うどん』さんでは、
珍しくも、期間限定・同一価格で『そば』が食べられます。
②是は、
(ア)初代「善太郎」さんが打たれていた「蕎麦」、
「製麺所」の名残では無いかと
当方は思っています。
(イ)「蕎麦粉」が無くなると、「小麦粉」を混ぜ合わせて作られていたそうです。
「混ぜ蕎麦」として有名であったとか。
作り手も買い手も、何とも大らかな事かと思ったのを覚えています。
7、2代目「蒲生 正」さんについて。
①1981年(昭和56年)に、脱サラをして1年間『がもう うどん』で修業しました。
②1982年(昭和56年)に、高松市円座町に『釜市うどん』を開店します。
オープン当初から、流行り繁盛しました。
③(ア)1994年(平成6年)に、初代の高齢化により、
『釜市うどん』を閉店して、
『がもう うどん』さんを継承して、2代目を襲名しました。
(イ)現在の『がもう うどん』さんの真の意味での、
礎と名声を築かれました。
④脱サラ後に、其の儘に実家のうどん屋を継承をしなかったのは、
1軒のうどん店では、2世帯が生計を立てて行くには厳しい時代背景が有ったと
思っています。
8、蛇足。
『しっぽく(卓袱) うどん』と『打ち込み うどん』について。
①是また、誤った注文や紹介がされては、
困るので、説明をして措きます。
②何れも、香川県を代表する『郷土の鍋料理』です。
③『打ち込み うどん』は、
(ア)打ち立てのうどん(塩分は通常の約30%)を、
「茹で無い儘」で具材や出汁と一緒に煮込みます。
(イ)「味噌仕立て」です。
(ウ)例えば昔で云えば、
灌漑用水路の掃除で捕獲した「鰌(ドジョウ)」を使った
「どじょう(汁)の 打ち込みうどん」です。
④『しっぽく(卓袱) うどん』は、
(ア)取扱いのうどん屋さんは少なく、
晩秋から冬季に架けて提供されます。
季節の「大根・人参・牛蒡」等の野菜に、「豆腐・油揚げ・猪肉」等を加えて煮込み、
其れを
「茹で上げた うどん(通常の塩分濃度)」の上から掛けたモノです。
(イ)「煮干し醤油仕立て」です。
⑤西の「谷川米穀店」(仲多度郡満濃町)・東の「谷川製麺所」(高松市東植田町)と云われた
「谷川製麺所」さんが、2019年12月30日に多くの人々に惜しまれ乍ら、
後継者不足が原因で閉店をしました。
⑥『しっぽく(卓袱) うどん』と云えば、
先ずは、年中食べる事が出来た
「谷川製麺所」を思い浮かべるのは、私だけでしょうか?
D 【讃岐うどん文化への顕彰】について。
1、①『宮武うどん』さんの2代目「宮武 一郎」氏が、
「讃岐うどん」の隆盛に寄与した直接的な貢献度とは、
大きな乖離があります。
②然しながら、
「香川県(讃岐)」が育んだ『讃岐うどんの食文化』の
保守本流を「地で行き」続かれて、
名実共に『讃岐うどん』の雄である事には
誰しも異議を唱えないと思います。
2、1世紀には満たないも、3/4世紀に亘って
地元を愛し、地元からも愛されて、
今日の「讃岐うどん」の隆盛の『礎』と
流行の『持続と継承』をした、する、
代表が『宮武うどん』さん
と
『がもう うどん』さん
です。
3、「注文時と紹介時の『符丁』」について。
①此処迄に紹介と説明をすれば、
誰しにもお判り頂けたと思います。
★②『がもう うどん』さんでの
注文・紹介時には
『ひやひや』や『ひやあつ』や『あつあつ』は、
使わないでください。
★③『宮武ファミリー』さん以外では
『ひやひや』や『ひやあつ』や『あつあつ』は、
使わないでください。
④料理自体の評価は、千差万別です。
然しながら、
『ひやひや』や『ひやあつ』や『あつあつ』の符丁は
『讃岐うどんの食文化』に基づいた
『不変の真理』です。
⑤今日も見ました。
お兄ちゃんの『中村うどん』(丸亀市土器町)さんの紹介で。
「海老のかき揚げ」と「春菊と竹輪のブーケ」天麩羅を、
無性に食べたくなりました。