2回
2024/02 訪問
青春の味のお稲荷さんはほろ甘い
市川市京成八幡駅から歩いて10分位のところにある、お弁当屋さんの猿松さん。
正式には「えんしょう」と読むらしいのですが、今から30年位前の私の高校時代は「サルマツ」と呼んでいました。
朝早く起きて、学校に7時半頃到着して、卓球の練習をしていました。そんな関係で、私の友人はほとんど弁当を持って来なくて、朝、サルマツさんによって、200円の焼肉弁当を毎日のように買っていました。
そして、1時間目の休み時間か、2時間目の休み時間に食べてしまいます。朝食も兼ねていたと思います。そして、3時間目の休みの後だったかに、購買部で菓子パンを買って、それがお昼ご飯でした。
昼休みも卓球の練習をして、放課後は吹奏楽部がラッパの練習をしているのを聴きながら、その下の部室で漫画を読んだり、外に出てハンドベースボールをしたりして、、高校生活を送りました。
猿松さんはそんな青春の1ページを彩る大切なお店です。
そして、学校の帰りには、また猿松さんの前を通って、帰ります。またお腹が空いて、その先のヤマザキパン屋さんで、コッペパンに玉子を挟んだ玉子パンを買って店先で食べ、〆は50円のラムネを飲むのです。ラムネには三角クジがついていて、一等が景品法の最大の20倍の1000円でした。2等は500円です。私は在学中に1等を2回、2等を1回当てたことがあった学園生の中では伝説の男だったのです。(笑)
最近、学園時代の先輩とfacebookで劇的な再会を果たして、その先輩から猿松さんまだやってるよ!と、うかがって、行くチャンスを探していましたが、コロナでなかなか新潟から帰省する回数が減っていたので、ようやく今日行けました。
お店の外観は、リフォームされていて、昔よりも明るく、少し綺麗になったようです。
扉を開けて、店内に入ると、マスターがお稲荷さんとおにぎり1個しかなくなってしまいました。
と、お詫びの一言。
高校時代、毎日のように買いに来ていた焼肉弁当を買いそびれました。と、言ったら、
最近、やめてしまいました。と、マスターの残念なお話でした。
でも、ラストのお稲荷さんをゲットして、家に帰ってから、いただきました。
そのお味は、青春の味。
甘くて美味しい。
大変おいしかったです。どうもありがとうございました。
ごちそうさまでした。
2024/02/26 更新
今日3月20日は私の母校、市川学園の吹奏楽部の定期演奏会でした。
6年間通った道を思い出しながら、本八幡駅から、北方にある学園まで歩いて行きました。
そのほぼ中間地点位に、こちらのお店はありました。
中学高校時代に友達が毎朝のように買っていた、懐かしの焼肉弁当はすでにメニューからは消えていました。
それでも今日もほとんどが売り切れていたなかで、この小さな助六寿司だけが、ショーケースの中で私を待っていてくれました。
喜んで買って帰って家で食べました。
甘めの味付けが美味しいです。
量は少ないのですが、とっても美味しかったです。
定期演奏会の最後には、高校二年生の部活の引退式でした。
顧問の宮田先生が指揮する後輩たちが演奏する卒部式の定番ソング「夜明け」の響きと共に、21名の高校二年生が吹奏楽部を旅立って行きました。(市川学園は県内トップクラスの進学校のため、部活は高校二年生の文化祭か、二年生の終わりで引退します)
「夜明け」というのは、旭川商業高校の吹奏楽部の卒部生が作った伝説の卒部式の名曲ですが、不覚にも私は知らなかったのですが、つぎのような始まりの歌詞を聴いた瞬間に、私の涙腺は崩壊しました。
「あなたに会えて自分が見えた
いつもあなたが包んでくれた その大きな心で
前が見えなくなった時 あなたが希望をくれた
逃げ出したくなった時 あなたが勇気をくれた
あなたがくれたこの翼
夜明けの光を浴びて 未来に向かって羽ばたくから
これからもずっと 見守っていって・・・・・・」
静かな感動がホールに満ちて行きました。
そして、さらに1か月ほど過ぎた、4月28日に、猿松さんも、75年の歴史に終始符を打ちました。
最後の日に私は行けなかったけど、5月5日の朝、店の前を通った時に、閉店を知らせる小さな張り紙でお店がすでに閉店していたことを知りました。
長い間お世話になりました。
最後に食べることが出来て、とっても美味しかったです。
ごちそうさまでした。
ありがとうございました。