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昼の点数:5.0
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活字宙毒者のための憩いの場所。
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2026/01/09 更新
一通り見て回り、展示の密度に正直、息を詰めるような時間を過ごした。ここは「懐かしさ」を売る施設ではない。日本の出版印刷が、どれほど執拗で、どれほど理性的な労働の集積だったのかを、物証で突きつけてくる場所である。
まず建物そのものが雄弁だ。1926年竣工の時計台建築は、意匠として美しいだけでなく、床に残されたわずか1㎡のモザイクタイルや、出土・保存された松杭といった痕跡によって、「ここで確かに時間が積み重なった」ことを否応なく理解させる。展示ケースの中ではなく、床や基礎が語り始める感覚がある。戦災を耐え抜き、市谷に留まり続けた理由が、情緒ではなく構造として伝わってくる。
展示の核は、活版印刷の工程を「作字―鋳造―文選―植字―印刷―製本」と順に追わせる構成だが、これは単なる工程紹介ではない。文字を“情報”ではなく“物質”として扱っていた時代の合理性と狂気が、淡々と提示される。
とりわけ原図と母型の展示は圧倒的だ。2インチ角の紙に手描きされた原図、その修正日付や記号、分業の痕跡。そこからパターンを経て、真鍮の母型へと転写されるプロセスは、デザインと工業の境界が極めて低い位置で接続されていたことを示している。約30万本の母型を「資産」として管理していたという事実は、印刷会社が単なる受託工場ではなかったことを明確にする。
秀英体の展示も見逃せない。これはフォント史の話ではない。100年以上にわたり、書体を更新しながらも同一のアイデンティティを保持し続けた、極めて稀有な長期設計の事例である。初号の気骨、三号の繊細さ、秀英明朝Lの安定感。それぞれが用途と読者を前提に設計されていることが、原図やパターンの整理棚から直感的に理解できる。
文選・植字の工程に至って、漢字文化圏の異常さが露わになる。職人一人が扱う約2,500字という数字は、効率の話ではない。これは「読む社会」を成立させるための身体的負荷の設計であり、知識流通のインフラが、どれほど人間の訓練に依存していたかを示している。組版見本を前にすると、余白や行間すら金属で埋めるという思想に、もはや美学を超えた執念を感じる。
印刷機の復元展示、東見本、製本道具の数々も同様だ。ここでは「本は情報の容器ではない」という前提が一貫している。背幅、重さ、開き、保存性。すべてが検証され、調整され、ようやく一冊になる。その工程を知った後では、軽々しく本を“コンテンツ”と呼ぶ気にはならない。
すべてを見終え、館内のカフェでコーヒーを飲んだ。正直に言えば、ようやく呼吸が整った、という感覚に近い。展示は情報量が多く、思考を要求する。その反動として、活字館の静かなカフェ空間は、印刷という重労働の後に訪れる休憩所として、極めて正しい位置にある。
コーヒーを口にしながら、自分が今スマートフォンで読んでいる文字が、どれほど多くの無名の判断と検査と修正の上に成立しているのかを考えた。
市谷の杜 本と活字館は、ノスタルジー施設ではない。これは、文字と仕事と時間の関係を、極めて冷静に再教育する場所である。見終えた後、読書の姿勢が変わらない人はいないだろう。