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夜の点数:5.0
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レイトショー前にあたたかい一杯。
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2026/01/17 更新
ラーメン後のレイトショーで『落下の王国』を観ると、最初は確かに映像が勝つ。満腹と夜気の中で、異国の風景は夢の続きのように流れ込んでくる。だが中盤以降、この映画は観客を眠らせない。語りが破綻していく音が、はっきり聞こえてくるからだ。
この作品が救いに到達するのは、ロイが立ち直ったからではない。英雄になり直したからでもない。「語りによって死を正当化できる」という前提が、子どもによって拒否される。ここにだけ、確かな希望がある。
アレクサンドリアはロイを説得しない。論破もしない。彼女はただ泣く。
その涙は感情ではなく、世界がまだ壊れていないという事実の提示だ。物語より先に、人がいる。意味より先に、生きている他者がいる。その当たり前が、ロイの構築した閉鎖系を外側から破壊する。
終盤、語りは沈黙に置き換わる。沈黙は敗北ではない。操作をやめたという意思表示だ。ここで初めて、ロイは「生きる理由を語る側」ではなく、「生きてしまう側」に戻る。
レイトショーの出口で残るのは、救済感ではない。だが、この世界はまだ他人によって引き戻されうるという、最低限にして十分な希望が残る。ラーメンの満腹感は消えても、この感覚は翌朝まで残る。
『落下の王国』は、絶望から立ち上がる物語ではない。
絶望を語れなくなったところから、人生が再開する映画だ。