レストランの食べ歩きを始めるようになってから久しい。何がきっかけだったか記憶を辿って思い返してみると、当時自宅の近くにあったフレンチレストランに訪れたことだったような気がする。一面ガラス張りのスタイリッシュな造り、そしてソムリエバッジをつけた店員の温かな対応を今でも覚えている。当時の筆者にとってすべてが新鮮で美しかった。今では信じられないが、一杯のグラスワインで顔を真っ赤にして酔っぱらったものである。昔の方が安上がりで健康だったと言えるが、それはもう仕方ない。
どういうわけか、筆者はワインを注文したら、必ずチーズを合わせるものだと思い込んでいて、一品目から白ワインにチーズを注文した。もちろん今ではこんな無礼はしないが、ソムリエは、無茶な注文にも笑顔で応えてくれた。それから何度もそのレストランに通った。何も言わなくてもチーズが用意されるようになった(苦笑)
白ワインに慣れてくると、赤ワインが試してみたくなる。一つのレストランに慣れてくると、他のレストランも行ってみたくなる。人間とは我儘で野心的な生き物なのだ。そういうわけでそのレストランからはしばらく足が遠のき、レストラン巡りが始まる。
色々なレストランを経験していく中で、周囲の客の様子、料理の味、サービスの質、そんなものに目が行くようになる。そうして食事のマナーだけを学べばいいものを、ウンチクやら、意見を持つようになる。こうして立派な食べログレビュアーが出来上がるわけだ。やだやだ。
現在、残念なことに思い出のレストランは潰れてなくなってしまった。そのソムリエがどこのレストランで働いているかもわからない。もう辞めている可能性が高いが。食事とは文化の伝承なのだ、と今更のように感じる。一期一会とはよく言ったもので、人との出会いは尊くて儚い。それからは、気が合ったソムリエとは、辞める前に一声かけてもらえるくらいの仲はつくるようにしている。
さてレストラン巡りをするには、そのツールが非常に重要になってくるわけだが、そういう意味で食べログのもたらした功績は小さくない。顔の見えないユーザーが好き勝手にレストランのことを書き連ねる。そこには愛、怒り、情熱、といった様々な感情が込められている。親でも殴られたのではないか、というくらい店に怒りをこめた作品を見ると、逆に興味をそそられたりもする(笑)
いずれにせよ、ほとんどすべてのユーザーは食に魅了され、レビューを書くようになったに違いないが、一度初心に立ち返って思い出のレストランのことを思い出してみてはいかがだろうか。何か気持ちに変化が起きるかもしれない。