マサムネとの戦を切り上げたチカスエは一路、山形を目指していた。
「じい、モガミという男はどれほどの者かのう。」
「はっ、山形を治めるモガミヨシアキはダテマサムネの伯父にあたります。大河ドラマ「伊達政宗」では往年の名俳優、原田芳雄氏が曲者ぶりを演じておりました。ドラマではマサムネとは仲違いする場面もありましたな。今でもNHKアーカイブスや再放送でも人気があるようですぞ。」
「大河ドラマ?NHKアーカイブス?じい、一体何を言っておるのだ?」
「ははっ、少々取り乱しました。」
「まあ、よい。直接この目で品定めするか。」
「ははーっ!」
チカスエ軍2万は笹谷街道(国道286号)を進軍、羽前を目指した。
令和6年水無月の事である。
「それにしても笹谷峠は険しいのう」
「そうですな、このような急峻な峠を参勤交代に使用しているとは。モガミ、中々の漢ですな。殿、ここは笹谷ICまで戻り、関沢ICから山形に向かいましょう。」
「うむ。」
あまりの峠の厳しさにチカスエは山形自動車道を使用し、山形へ向かった。
山形市(やまがたし)、山形城(霞城)の城下町として発展してきた。羽前の県庁所在地で最も人口の多い市。山形盆地の南部3分の1ほどを占め、盆地の東南部に位置する扇状地の上に市街地が形成されている。市の東部は奥羽山脈による山岳地帯、南西部は丘陵が占めている。
笹谷峠を越えて来たチカスエに対し、モガミは『霞城(山形城)』にて臨戦態勢を整えた。
一方、チカスエ軍は『山形国際ホテル』に着陣。モガミ攻略の拠点とした。
モガミ氏、モガミ氏は室町幕府の羽州探題を世襲できる家柄である。
その中のヨシアキは最上氏第11代当主。南羽州に勢力を広げ、57万石(実高最上100万石ともいわれる)の版図を築いた。
山形城は、その別名を霞城(かじょう)と呼ばれる。長谷堂合戦で上杉勢の敵陣から霞がかかってその位置を隠したことに由来する。城跡は霞城公園として整備され、山形県立博物館、山形市郷土館(旧済生館病院本館)、県体育館、野球場などの文化・スポーツ施設がある。また、桜の名所でもある。(Wikipediaとかより引用したっす。)
モガミ軍に動きが無い事を見計らい、山形城下の『そば処庄司屋本店』『純欧風洋菓子ローリエ』『パルシェ』『おこめカフェ森のたんぼ』『JAやまがたおいしさ直売所落合店』『鳥長』を攻略した。しかし、攻略するにつれモガミの巧みな罠に嵌りチカスエ軍は消耗していった。
「どうやらわが軍が攻めている裏でモガミは我々を袋小路に誘導していたようだな」
「殿、このままではわが軍は全滅しますぞ。」
「チカスエ、甥っ子マサムネはどうであった」
「モガミ殿、中々よい甥っ子を持ちましたな。羽州にモガミ、奥羽山脈をはさんで奥州にマサムネの東北版両川体制。されど、このチカスエがいる限り、羽州は好きにはさせんぞ。」
「いやっはっはっは!流石、チカスエ。その負けん気、気に入ったわ!連戦でくたびれておるお前を倒ししても面白くない。出直してこい!」
「くっ、モガミ殿の言う通り、ここは一旦退かせていただく。」
「チカスエ、これを持って行け。」
チカスエはモガミからご城印を受け取り、『最上義光公騎馬像』前にて記念撮影、『鳥海月山両所宮』を参拝。
『鳥海月山両所宮』とは鳥海山(鳥海山大物忌神社)の神の倉稲魂命と、月山(出羽三山)の神の月夜見命を祀る山形市の北の総鎮守である。源頼義と義家が建立し、後にモガミの崇敬社となる。山形市の無形民俗文化財となってる神事「穀様(ごくだめ)し」が行われており、例大祭は8月1日である。
「じい、御朱印帳を入れるのに丁度良い巾着袋が売っているぞ。」
「これはよろしゅうございますな。鳥獣戯画が描かれており、なにやらお香のよい香りもしますな。」
「御朱印帳と御城印帳用に2つ、購入しよう。」
「いい買い物をしましたな!」
お土産を購入したチカスエ軍は連戦のからだにむち打ち、帰路、羽州街道を北上した。