「じい、木々もだいぶ色づいてきたのう」
「そうですな、錦秋山々が色めき、ほんに美しゅうございますな」
「どうじゃ、じい。紅葉狩りにでも行かぬか」
「はっ、それはよろしゅうございますな。奥入瀬、栗駒、抱返り渓谷、どこも今が盛りでしょうな!してどちらに?」
「そうじゃなあ~、会津など、どうかえ?」
「!!?、会津!?、殿!?」
「ふっふっふ、このところ、からだがなまってのう。会津でアシナと紅葉狩りじゃ」
「ははーっ!直ちに戦支度をいたしまする」
こうして、チカスエ軍2万3千は会津を目指し、進軍を開始。羽州街道(国道13号)を南下、雄勝峠を越え、一路山形を目指した。
令和7年霜月のことである。
チカスエは山形にてモガミに会い、領国通過の許しを請うた。
「おう、チカスエ、久方振りじゃのう。いきなりの赴き、如何した。」
「モガミ殿、ご無沙汰でござる。前々の便りもせず、ご無礼仕る。この度、拙者、会津にてアシナと紅葉狩りでもしようかと思い、領国通過のお許しを頂きたく、馳せ参じた次第。どうか、よきに。」
「ほう、アシナと紅葉狩りか。よい、分かった。各宿場には知らせておこう。次はワシとも紅葉狩りに興じようぞ。」
「ははっ、かたじけのうござる。それでは、御免」
モガミの許しを得て、チカスエは『
めんや縁』にて腹ごしらえ、会津・米沢街道(国道121号)大峠を越え、会津に向かった。
大峠を越えたチカスエ軍は『
道の駅あいづ』に到着、情報を収集し、本陣を『
ホテルニューパレス』に定めた。対するアシナは鶴ヶ城よりチカスエ軍の動きを静観した。
会津若松市。会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、会津若松市の在る会津盆地は、盆地床が「あいづだいら (会津平)」とも呼ばれ、他に喜多方市などがある。市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町や郡山市と接する。北、西は喜多方市など、会津盆地内の市町村と隣接する。
会津若松城、別名鶴ヶ城(つるがじょう)。現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっている。
(Wikipediaより引用だす)
チカスエ軍は『
白亜館』『
うまか亭本郷店』を攻略した。しかしアシナ軍は鶴ヶ城より動かなかった。アシナ軍を率いるのは蘆名氏第16代当主のモリウジ。会津において積極的に勢力を拡大、蘆名家の隆盛を極めていた。
「どうした、モリウジ、怖気づいたか?なんと手応えの無い事か」
その時、飯盛山を駆け下る軍団がチカスエ軍の脇腹を突いた。側面を突かれたチカスエ軍は一気に苦境に陥った。
「チカスエ、かかったな。彼の者たちは白虎隊、我が必殺の部隊ぞ。」
白虎隊。会津藩が戊辰戦争勃発後に断行した軍制改革において、数え16・17歳の藩士子弟で組織した総勢300余名の年少部隊。特に白虎二番士中隊は飯盛山での自刃で知られるが、白虎隊士の8割以上は戦死・自刃を免れ明治維新後を生きた。(Wikipediaだす)
「殿!彼の軍の攻勢、火球の如し、このままではわが軍は壊滅いたしますぞ!!」
「むむむ、やられたわ。じい、撤退じゃ!軍を立て直すぞ。」
白虎隊の猛攻を何とかかわし、チカスエ軍は会津磐梯山を抜け、福島の『
グランパークホテルエクセル福島恵比寿』に軍を退いた。
福島市は、福島県中通りの北部に位置する市。福島県の県庁所在地であり、中核市、保健所政令市、中枢中核都市に指定されている。福島県最北端に位置しており、人口規模では中通り中部の郡山市や浜通り南部のいわき市を下回り、県内第3位である。(Wikipediaより)
「殿、わが軍は手痛くやられ、このままでは秋田に戻る事も叶わぬやもしれませんぞ」
「そうじゃな、さすれば福島にてアシナに反感するものを集めよ」
「なるほど、敵の敵は味方、さっそく、城下を回ってみます」
チカスエ軍は福島にて兵を募った。その結果、『
ニューサリバン』『
松月堂本店』『
味工房浜田町店』を味方に引き入れる事に成功する。
「殿、兵が揃いましてございます」
「よし、これより出陣いたす」
チカスエ軍は福島を発ち、磐梯山の裾野、摺上原に軍を展開した。
アシナ軍は会津若松城を出て、猪苗代湖方面に東進、摺上原にて両軍はぶつかった。当初アシナ軍が優勢であったが、風が西から東に変わって形勢は逆転した。退却した蘆名勢の多くは背中を衝かれ、多くが日橋川で溺死、味方側についた福島勢が橋を落としておいたからだった。
今回の戦は両者痛み分けとなり、チカスエとモリウジは和睦した。
モリウジは和睦の印としてチカスエにご城印と『
鶴ヶ城天守閣ミュージアムショップ』に向かい入れた。
「チカスエ殿、飯盛山のさざえ堂は良いところです。秋田に戻られる前に行ってみてはいかがか」
「そうじゃのう。是非とも、参詣させてもらおうぞ」
チカスエはモリウジに別れを告げ、会津飯盛山に向かった。
飯盛山では白虎隊に案内されさざえ堂を参詣、さざえ堂の隣の会津飯盛山宇賀神神社にも参拝した。
会津さざえ堂
二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。正式名称は「円通三匝堂」という。
(Wikipediaより引用したっす)
「じい、帰りはマサムネにでも会いに行くか」
「そうですな、久しぶりですな仙台は」
飯盛山を下山したチカスエ軍は『
小池菓子舗』にて名物のあわまんじゅうを食べ、陸前へ向かった。