4回
2025/11 訪問
アサリ&ナマズをベトナムスタイルで
おそらく日本で一番知名度が高いベトナムレストラン。11/27でその40年の歴史が終わってしまうというので、再度来店。
嘘ですよね、絶対復活しますよね、そんな思いしか湧いてこない。本当にどの一皿もベトナムらしさを失わずに日本人の口にマッチした上品な味わいに仕立て上げている。こういうのは無形財産に指定しても良いくらいの『純日本産技巧』なのではないか。和魂洋才、神仏習合、古来から海外の文化のアレンジ吸収が日本文明の核なのだ。
そう、このお店はベトナムの方が創業したわけではない。在外日本大使館で専属料理人を務めてこられたシェフが、ベトナム料理の奥深さに魅了されて立ち上げた店。ベトナムからの留学生の力を借りながら独学独流でメニューを築き上げてきたという。
日本でも当たり前のようなアサリの酒蒸し。
これをココナッツペーストのソースで濃厚に仕上げる。これだけで、いつもの定番メニューが異国の味覚になるのだが、味が齎す非日常といつものアレ、の安定感がギリギリのラインに留まっている。これが豆板醤で辛くする、ニンニク入れ過ぎとかだと完全に海外の料理。
気づけば、家庭でもこう一工夫したい味になっている。
前回に続いてナマズのフライ。
前にも触れたけど、次世代の水産蛋白源。蒲焼候補でもある。そんな未来の食材を何十年も前からどう調理したら美味しくなるかを研究し尽くされているのか、このフライは鱈よりも柔らかく上品になっている。
確かにベトナムでもナマズや雷魚を食べた記憶があるけど、川の風味しかしなかった。
日本で洗練されると、ここまで高級な味わいになるのだ。
今回は敢えて、ゴイクンやビーフフォーといった当たり前のように美味しい一品への評価は避けた。
未来に残したい、マイナーだけど、光る日越折衷キュイジーヌについて、どうしても書き残しておきたかった。
2025/11/19 更新
2025/10 訪問
国内ベトナム料理店の『最古参』の品格
日本国内でベトナム料理を食べられるお店は、今となっては珍しくもなんともない。それだけベトナムの人が増えているし、日本人の選択肢として定着してきたから、でもあると思う。
1980年に創業した時には、少なくともこの赤坂を含む都内には、ベトナム料理店はあったかどうか、と3代目オーナーは記憶を辿る。
元は、といえば初代オーナーがベトナム難民救済を目的として始めたのだという。当時は留学生たちが、ベトナム各地で食べてきたそれぞれの味を思い出しながら再現し、日本人向けにレシピを試行錯誤しながら作り上げてきたのだとか。そう、このお店は、ベトナムの方々の力を借りながら、日本人が日本人向けにベトナム料理を浸透させる為に創り上げた一つの文化なのだ。
初期には本場の食材が手に入らないために、ベトナムに渡航するスチュワーデスさんたちに仕入協力をお願いした、なんてエピソードも伺い、45年も歴史があるレストランには深い記憶が刻まれてるものだ、と感心すること頻り。
そんな名店が赤坂エリアの再開発のせいで、年内で閉店の憂き目に遭うという。流行ってるにも拘らず…
ここからやっと本日戴いたメニューの素晴らしさについて語ろうと思うのだけど、唐突に聞かされたお店終了のニュースが悔しくて長々と書いてしまった。
一番人気の海老生春巻きは、2種類のソースがついてくる。秘伝の味噌ダレは本当にこのアオザイでしか味わえない。ベトナム本国でもほんの一部の地方の文化だという。当時、その地方からの留学生が偶々再現してみせたところ、日本人食客から絶賛され、それ以来、このお店のオリジナルになったという経緯なのだとか。多くのベトナム人も知らない食べ方である。これぞ、文化の伝播ではなかろうか。
何を食べても素晴らしいのだけど、今回、特筆したいのは、ナマズのフライ。敢えてナマズと書いたけど、お店ではイメージ維持の為に『キャットフィッシュ』と表記。ウナギが絶滅危惧種になる時代、次世代の蒲焼候補とも言える未来の食材なので、その名前を恥じることもないとは思うのだが、ナマズというだけで、『川魚?臭いよね』という偏見に晒されるのは今も昔も変わらないらしい。高級旅亭にも卸すような選抜された業者さんから仕入れているのだから品質管理に抜かりはないはず、というオーナーの言葉通り、何が沼の魚?という爽やかさ。よく言われることだが、鱈に似た食感で、更にふんわりと柔らかい。聞けば、皇室の調理チームも晩餐会メニュー研究の為か、『偵察』来店時に、よくよく味わって帰った一品なのだとか。
王道メニューの牛肉黒胡椒炒め、鶏肉の香草炒めは、他の店よりも、爽やか且つ胃にもたれない仕上がり。
実は3代目は女性であり、都心で贔屓にしてくれるお客様の意識や需要を分析し、密かにマイナーチェンジしてきた結果らしい。
他にも深掘りしたくなる料理もいっぱい味わったのだが、長くなるとテンション下がってくるのでこの辺りで。
日本とベトナムのミクスチャー文化遺産、そんな素晴らしいお店が再開発の後、戻ってきてくれることを切に願う。
2025/10/15 更新
2023/09 訪問
世界一洗練されたベトナム料理【個人の体験に基づく】
海外生活が20年半、これまで訪問した国は30ヵ国強、というわたしは大のベトナム料理贔屓。
ベトナムを除いたアジア各国でベトナム料理店を見ない国はない。必ずある上に、その国の御当地料理より美味かったりする。ベトナム料理が美味いと感じる理由は、手軽さとコスパと健康的でおしゃれなイメージにも有ると思われる。
実際にベトナムに行くと、庶民は道端に座り込んでガガッーと米の麺を啜っていたりして、ハードルの低さの原点を垣間見た気がしたものである。
安くて美味くて手軽なベトナム料理も、ひとたび赤坂に来ると、街のグレードに合わせてスタイリッシュでひたすら美しいようなアジアンキュイジーヌになってしまうようだった。
シアトルでフォーを食べた時は10USDで、オシャレだけどこの街で一番安いランチだったのを憶えている。
外食単価が他の先進国と比べて軒並み安い日本では考えられないが、ベトナム料理屋は物価がクソ高い欧米諸国で旅人の救世主みたいな存在感なのだ。
ラオスやカンボジアでは、当地の外食相場よりかはベトナム料理は少し高めの価格帯とはいえ、気軽さは変わらなかった。
話がだいぶ逸れたが、『アオザイ』の一品一品は、そんなオーセンティックなベトナム料理とは違って、店のオリジナリティを追究したような創意工夫を感じた。
牛肉の胡椒炒め、鶏の香草揚げは、完全にこの店でしか食べられない味。ゴイクンの美しさとしっとりした口当たりは、呆然とするような仕上がり。
池袋や蒲田のローカル色強いベトナム料理も荒々しくて好きだけど、少し贅沢して、一年に何度か来てみたいお店を発掘してしまった。
2023/09/09 更新
幕引きという言葉の寂しさが掻き消されるような多忙さだった。赤坂という大都心で45年の長きに亘り愛されてきた名店が終わると聞いたファンが連日押しかけているのだから、大きくもない店舗は当然の如く活気に溢れる。
それでも二代目オーナーは、どのテーブルでも満遍なく挨拶と気の利いた会話を欠かすことはない。
オーナー曰く、お店は一切のSNS告知などをしたことない。全てのお客様はその日の気分と口コミで来店されるようだ。
新規開店を目指す起業家からしたら羨ましい限りだろうけど、真っ当な商売の原点を見ているようで清々しい話に聞こえた。
12月27日が最終営業日。アオザイが2026年を迎えることはない。
その間の赤坂という街の変遷は如何程のものだったろう。バブルの絶頂期、テレビ局の本部が隣接する街、外交の裏舞台etc…
個人的な歴史に無理矢理照らし合わせても、感慨深いものがある。
さて、そんな『最後の晩餐』になり得る本日も、ゴイクンからスタート。この店ではベトナム語での料理名ではなく、全て日本語で表記される。つまり、ベトナム風生春巻。このことからもわかるように、日本人が日本人にベトナム料理を浸透させるべくして努力を重ねてきた店なのだ。間違いなく、日本人が始めたエスニック料理店の第一号に違いない。
その功績は、他国の文化に畏敬を持って拡げたというだけではなく、日本独自の食材の新しい料理方法を開発したことにもある。毎回オーダーするのが、『キャットフィッシュのフライ』。ナマズ、と言ってしまうと誰もが敬遠した時代の名残でそこだけ英語になってるけど、今や、代用ウナギの筆頭格だ。上等な鱈ではないのですか?と問い直したいくらい、柔らかく嫋やかな舌触り、もちろん臭みなんて全く無い。埼玉県産だと思われるが、こんな食べ方を知ったら、ナマズの価格は急騰するのではなかろうか。今から養殖会社の株を買っておこうか。
今回初めてトライしたのが、蟹と卵のスープ。薬草ハーブがポイントで、中華でも欧風でもないベトナム・スタイルがここで表現されている。
もう一つ、手羽先のベトナム風も、初見だったが、これは王道の味。ニョクマムテイストのタレも鶏皮の脂とマッチしていくらでも食べられそうだった。よく考えたら、ベトナムの調味料とチキンが合わない訳がないのだが。
ベトナム風お好み焼き、ビーフフォー、香草炒飯、イカの炒め物、全てがあまりに美味しく、一つ一つ描写してる余裕も語彙量もないのだけど、これらの名菜と最後の出会いと思うとつらい。
締めにココナツアイスクリームを提供してくれたオーナーさんの温かい心遣いもこれで最後なんだな、と思うと更につらい。
一つのお店の終焉には過ぎないけど、その理由は客離れでも何でもなく、意味不明の家賃と食材の暴騰、そして再開発による暴力的な契約一方解除だと知らされると、この国何なんだろな、と怒りを覚える。