6回
2025/08 訪問
…のあとのピーチメルバ
ピーチメルバ——もともとはデザートの名だったはずだ。けれど、いつの間にか私の中で、その言葉はもう少し複雑な輪郭を持ちはじめていた。カクテルとして出会い、古内東子さんの楽曲の中では、架空の香水として香り立つ。甘さ、アルコール、旋律。それぞれに違うはずの記憶が、一つの名前に折り重なる感覚。
思い出すのは、20年以上前の夜。ライブ会場で「ピーチメルバ」を聴き、その余韻のままホテルラウンジのカウンターへ。何も言わずにその名のカクテルを注文し、グラス越しに揺れる照明の中で、音楽と酒の両方に酔った。その記憶は、いつもより鮮やかなまま保存されている。
そして先日、久しぶりにその曲をライブで聴いた。懐かしさに少し浮き足立ち、ふと当時のホテルへ向かおうとしたが、窓の向こうは本降りの雨。あきらめる理由は揃っていたけれど——代わりに選んだのは、ショットバーペコ。近くて、信頼できる場所。
その夜、カウンターに立っていたのは、付き合いも三十年近くになるバーテンダーだった。細かい説明はいらない。「ピーチメルバ」という言葉だけで、彼の手は動き、グラスの中にその記憶が再構築された。
甘さと桃の香りの奥に、かつての夜が静かに沈んでいる。語らないかわりに、飲み込んでしまう思い出もある。そう思いながら、私はグラスの底に残った残照を、そっと目でなぞっていた。
2025/08/13 更新
2025/05 訪問
記憶の底に沈むレシピ
バブルという時代が終わりを告げようとしていた頃、バーのカウンターにはまだ不思議な自由が残っていた。「私に合うカクテルを」という無茶ぶりが、なぜか許されていたのだ。今思えば、若さの無鉄砲さと、バーテンダーの懐の深さが織りなした一種の即興劇だったのかもしれない。
そんな中で生まれた一杯が、「ライバル2」。日本酒ベースで、どこか和の余韻が残る、名付けの意味も味の輪郭も曖昧なまま、記憶の片隅に沈んでいたカクテルだ。
そのカクテルを作ってくれたバーテンダーと、先日ショットバーペコで再会した。懐かしさに背中を押されるように、ふと「ライバル2」をオーダーしてみる。彼は一瞬目を伏せ、苦笑いを浮かべた。「覚えてるようで、忘れてるんですよね」——記憶の欠片を手繰るように、彼の手が静かにシェイカーを振る。
グラスに注がれた液体は、日本酒の香りを含んではいたが、それは「2」ではなかった。だが悪くない。むしろ、今の自分にはこの方が似合っているような気がした。ならば、これはもう「ライバル3」と呼んでもいいのではないか。
そう思いながら、ハイランドパークを一杯。琥珀色の余韻が舌の奥にとどまるなか、私は音もなくペコを後にした。カウンターの向こうに置いてきたのは、過去のレシピではなく、新しい自分だったのかもしれない。
2025/05/15 更新
2025/01 訪問
ライが誘う、新年の琥珀散歩
年始の挨拶回りを終えた後、肩の荷を下ろすようにショットバーペコの扉を押した。冬の冷たい空気は背後に消え、木の温もりが感じられるカウンターと控えめなジャズの旋律が、ここが喧騒から離れた異空間であることを静かに告げてくれる。その落ち着きの中で、まず選んだのはアイラモルト。グラスから立ち上るピートの香りは、アイラの荒々しい自然を思わせながらも、どこか包み込むような温かさを持っていた。凍えた手をじんわりと暖めるように、その液体が喉を通り抜けていく。
アイラの余韻を味わいながら棚に目を向けると、ライウイスキーの文字が目に留まった。以前、サゼラックライやオールドオーバーホルトを好んで飲んでいた頃を思い出し、その懐かしさに自然と目が止まる。しかし、今回選んだのはホイッスルピッグ10年。これまで飲んだことのない一本だが、不思議と馴染む響きを感じた。バーテンダーが流れるような動作で注いだ琥珀色の液体。その第一印象は、キャラメルやバニラの甘さが穏やかに広がる安心感だったが、続いてスパイスの鋭い刺激が訪れる。二つの異なる特性が絶妙に絡み合い、飲むたびに新たな顔を見せてくれる。
「これはただの再会ではない」。ライウイスキーを再び味わうということ以上に、このグラスは新しい出会いの重みを持っている。ホイッスルピッグ10年が与えてくれたのは、ライウイスキーへの再発見と、その奥深さへの敬意だった。ペコの静かな夜は、この一年の始まりにふさわしい、新たな旅の予感を秘めたひとときとして、深く心に刻まれた。
2025/01/08 更新
2024/11 訪問
揺らぎの中の冬の物語
ショットバーペコ。いや、PEKOかPECOか――この店名の表記には妙な違和感がある。ネットで検索するとPEKO、看板もPEKO。しかし、店内外に置かれたオブジェには「PECO」の文字が堂々と刻まれている。一体どちらが正しいのか。まあ、普通の人なら気にも留めないことだろう。しかし、こうした些細な違和感を放っておけないのが私という人間の性だ。
今日は2軒目。酔いも程よく回ってきたところで軽く一杯、と思って入ったのだが、メニューにあった「チーズケーキ」がどうにも気になった。そして、店員に聞いてみたところ、それに合うというシングルモルトをすすめられる。それがGlenmorangieのA Tale of Winterだった。
「冬の物語」という名にふさわしく、シナモンやナツメグといった温かみのあるスパイスの香りが漂う。それに蜂蜜やキャラメルの甘やかさが重なり、まるで寒い夜に差し込む暖炉の炎のようだ。
ウイスキーを一口含み、続いてチーズケーキをひと口。その濃厚な甘みがスパイスの刺激と調和し、互いを引き立て合う。こんなにも相性が良いとは思いもしなかった。
結局、PEKOなのかPECOなのかの答えは出ないままだったが、それでいいと思えた。この店が持つ曖昧さこそが、魅力の一部なのだろう。そして、その曖昧さの中でこそ、人は自由に物語を紡ぐのだ。
2024/11/29 更新
2024/10 訪問
マスターが開いてくれたシングルモルトへの扉
かつて勤めていた職場の近くに佇む一軒のバー。特に目立つわけではないが、仕事帰りにふらりと立ち寄るにはちょうどいい場所だった。最初は、カクテルやバーボンを頼み、ただ何気なく時間を過ごしていた。それが、私にとっての心地よい日常の一部だった。しかし、ある日、バーのカウンター越しに差し出された一杯が、すべてを変えることになる。
もう25年ほど前のエピソードになるが、ある日、いつものようにバーボンを頼もうとした私に、カウンターの向こうからマスターが「これを試してみませんか?」と声をかけてきた。彼が差し出してくれたのは、スコットランドのシングルモルトウイスキー、スプリングバンク35年。その一口は衝撃だった。豊かな香りと複雑に絡み合う味わいが、私のウイスキー観を一変させたのだ。気づけば、スプリングバンクに魅了され、やがてコレクターと呼ばれるほどのめり込むことになる。
マスターは次々と異なるシングルモルトを紹介してくれ、その一つ一つが私に新たな発見をもたらした。そしてある日、「東京で開催されるウイスキーイベントに行ってみないか?」とマスターが声をかけてくれた。そうしてウイスキーの奥深さを改めて知り、マスターと共に歩んだその旅は、私の中でさらにウイスキーへの情熱を燃え上がらせた。
久しぶりにそのバーを訪れ、私は迷わずスプリングバンクを選んだ。あの35年ものはもうないがスタンダードの10年。それと思い出深いポートエレン5thエディションが私を待っていた。
あのバーは、ただの飲み屋ではなくなった。ウイスキーの世界へと私を導き、人生の一部となった特別な場所として、今も私の心に深く刻まれている。
2024/10/03 更新
数年ぶりに訪れた阪急百貨店の英国フェア。
どこか過去の空気をまとった催事場には、格式と雑踏がほどよく同居していて、気づけば足はウイスキーコーナーへ向かっていた。
今年の目玉はローズバンク32年。
閉鎖蒸溜所、ローランドの幻、そして三十年以上の熟成。そんな言葉が並ぶだけで、グラスに触れる前から酔いそうになる。
けれど、値札を見た瞬間、意識は急に醒めた。手が出ないというより、距離すら測れない。
ふと頭に浮かんだのは、ショットバーペコ。
あの店なら、ローズバンクはなくとも、ローランドの残り香くらいは置いてあるだろう。そう思い、足を向ける。
カウンターに腰を下ろし、「ローランドを」とだけ告げる。
返ってきたのは、「ありますよ。でも、昔みたいなオイリーなタイプはもう造られていません」という静かな言葉だった。
もともと私はローランドを好んで飲んでいたわけではない。
けれど今夜は、その“軽さ”が不思議と心に馴染んだ。
ノン・オイリー。舌を滑って消えていくような、余韻だけを残す味わい。
いくつかのローランドを試し、穏やかな気持ちで店を出る。
華やかさよりも、あっさりとした記憶だけが、ひっそりと夜の背中についてきた。