2回
2024/11 訪問
串揚げ屋に漂う見えない縁
いつものバーでよく見かけるその人。何度か会話を交わしたことがあるものの、名前も知らない。ただ、顔を覚えるうちに自然と挨拶をするようになった。特別深い関係ではないが、それが逆に心地よい距離感だった。妙に気を使わずにすむ関係というのは、案外貴重だ。
その日、私は何の気なしに近くの串揚げ屋に足を運んだ。ここも気軽に入れる場所で、気が向いたときにふらりと立ち寄るのにちょうどいい。串揚げの香ばしい匂いが漂う中、ふと視線を上げると、例のその人が友人二人と共に楽しげに食事をしている姿が目に入った。偶然というのは、こういう時に妙な引力を持つものだ。お互いすぐに気づき、軽く「ここでもお会いしましたね」と声をかけられた。笑顔で返すその一瞬に、いつものバーでの挨拶が頭をよぎる。
とはいえ、今日は一人でのんびり串揚げを味わうつもりだ。特に合流することもなく、私は自分の席に腰を下ろした。周囲の喧騒の中、串揚げを一本ずつ楽しむ。時折耳に入る彼らの賑やかな会話は、遠くから聞こえる潮騒のように心地よく、特に耳を傾けることもない。ただ、その場の雰囲気が柔らかく包み込むように感じられるのが不思議だった。
串揚げを十分に堪能し、そろそろ席を立とうとする。最後に、軽く「お先に失礼します」と挨拶をしてみると、その人は気づいて手を振ってくれた。テーブルにはまだご飯ものが残っている。彼らの食事は続いていくのだろう。私は静かに店を後にした。後ろに残るその人たちの楽しげな空気は、これからも変わらず続くのかもしれないと思いながら、適度な距離感が心に残ったまま、一息ついた。
2024/11/11 更新
連休中の数日だけ大阪に戻ることが決まったとき、行き先の一つは自然に決まっていた。
「SOUI串風」。
創作串揚げの名店だが、あの店をただの串屋だと思っていると、足元をすくわれる。串を一本ずつ味わいながら進むコースは、むしろ小さな会席。中でも、記憶に深く沈んだのは「お椀串」だった。
魚の串が、澄んだ出汁の中に静かに浮かんでいる。不意に差し出されたとき、それが椀物であることに気づくまでに、わずかな間があった。串の香ばしさと出汁のやわらかさが、口の中でふわりとほどける。いつのまにか、串揚げのはずの旅が、静かな茶事にすり替わっていた。
そのあとに登場するのが「ごはん串のカレーダイブ」。締めでも主役でもない。ただ、ちょっと景色を変えたいときに現れる不思議な一手。香り立つカレーに、ごはんの串がぽとんと沈む。冗談のような演出なのに、味はどこまでも真面目だった。
会計を済ませて外に出ると、夕暮れの風が一つ、背中を撫でた。
串というかたちを借りながら、まるで別の物語を語るような料理。次に会えるのはいつになるだろうか——そんなことを思いながら、ひとまず、歩き出した。