7回
2025/03 訪問
オリーブの記憶と味覚の変遷
3カ月ぶりの「スズノイエ」。扉を開けた瞬間、懐かしさと期待が入り混じる。今回の注文は「オリーブチキンプレート」。目の前に運ばれた皿を見て、思わず心の中でつぶやいた。「オリーブもりもりだ」と。ジューシーなチキンを彩る無数のオリーブ。その姿に、一瞬だけ過去の自分がよぎる。
私は、かつてオリーブを遠ざけていた。理由は単純だ。マティーニに沈むオリーブが、どうにも好きになれなかったからだ。その苦手意識が、いつしかオリーブ全般に広がっていた。しかし、和歌山に移住した友人がくれたざく切りの国産オリーブが、その認識を覆した。驚くほどフレッシュで、芳醇な香りと程よい塩気。ひと口食べた瞬間、「あれ、これは…」と、自分の味覚が変化していくのを感じた。
そして今、目の前のプレートにたっぷり盛られたオリーブを見て、私は迷わず箸を伸ばす。かつて避けていたはずの食材を、今では楽しみにしている自分がいる。
味覚とは、記憶とともに変遷するものなのかもしれない。苦手だったものが、いつしか日常に溶け込むこともある。それが、オリーブの示す真実だった。
2025/03/21 更新
2024/12 訪問
今日もカレー ~非日常から日常へ~
滋賀県北部に足を運ぶようになって、いつの間にか1年が過ぎていた。月に二、三度、車を走らせるこの道は、もはや旅路というより私の生活の一部だ。そのきっかけはセカンドハウスだったが、旅の楽しみをもう一つ加えたのは「スズノイエ」という古民家カフェだった。
築五十年の家屋を丁寧にリノベーションしたこの店は、まるで時代の断層の中に存在するかのような空間だ。土間には薪ストーブが置かれ、靴を脱いで上がる座敷は心の奥底に眠る記憶を呼び覚ます。今日も頼むのは「カレー」。いや、正確には「鯖のココナッツカレー」。鯖の濃厚な旨味が舌に染み入り、そこにココナッツミルクの南国の風が柔らかく交わる。この一皿がもたらす安らぎは、言葉では表し尽くせない。
そして締めくくりには「紅玉のタルト」。紅玉りんごの酸味と、香ばしいタルト生地が奏でる甘美なハーモニー。口に運ぶたび、体中が解けていくような感覚を覚える。
この店を出ると、車を走らせながらセカンドハウスへ向かう。1年前は目に映る全てが新鮮だったこの土地も、今ではすっかり私の日常に溶け込んでいる。この寄り道があるからこそ、滋賀での時間が特別なものになったのだ。旅と日常が交わる場所。それが「スズノイエ」という存在だ。きっとこれからも、この道を辿り続けるだろう。
2024/12/15 更新
2024/11 訪問
伝来の味?? ポルトガルからインド、そして日本に
ポークビンダルカレー。その名前には、時代と文化を超えた物語が隠されている。もともとはポルトガル料理として生まれ、やがてインドに渡ると、スパイスという神秘的な力により独自の姿へと変貌を遂げた。そして、その味はさらに広がり、ついに日本の地にまでたどり着く。異なる文化の交錯の中で、この料理は形を変え、香りを変え、それでもなお「ポークビンダルカレー」として受け継がれている。
では、このポークビンダルカレーは「本場」のものと同じなのだろうか?いや、その問いに答える必要はない。重要なのはただ一つ。この一皿が、自分の舌にどう響くか。それだけだ。ほんのりとした酸味とスパイスの調和が生み出す味わいは、まるで複雑な歴史を一口で味わうようなものだ。たとえそれが「日本風」だとしても、何を問題にする必要があるだろうか?
料理は旅をする。風土と人々に出会い、新たな命を吹き込まれる。変化こそが料理の真髄だ。ポークビンダルカレーを一口含むたびに、私はその旅路に想いを馳せる。そして最後に胸に残るのは、この感情だけ。「これが、私の好きな味だ」と。
2024/11/26 更新
2024/11 訪問
移住話と料理の魔力
最初は、移住の話を聞き出せないかという下心から始まった。田舎暮らしへの憧れが募り、移住者たちの真実の声を求めて情報を探し続けていた自分。そんな折、このカフェだった。引き寄せられるように訪れ、何度か足を運ぶうちに、次第にその料理の魔力に囚われていった。特に、週替わり?日替わり?で提供されるカレーは見事な一皿で、具材の選び方やスパイスの調合が毎回異なり、食べるたびに新鮮な驚きがある。まるで秘密のレシピが幾重にも隠されているように感じられた。
そして、特に期待していたスイーツをついに注文する機会が訪れた。それまで、食べそびれていた一品。甘さと香りが、絶妙に計算された料理と響き合い、味覚を刺激するその一瞬は、期待以上の体験だった。今ではもう、移住の話など関係ない。このカフェの料理そのものが、私を何度でも引き寄せる理由となったのだ。目的はすっかり変わったが、その変化さえもどこか運命的なものに思えてならない。
2024/11/05 更新
2024/10 訪問
欄間に刻まれた記憶と遺産
建具師であった叔父は、私にとって特別な存在だった。幼い頃から可愛がってくれた彼は、滋賀県の古民家を一軒ごと買い取り、そこから取り外した欄間をまるで命を吹き込むかのように丹念に修復していた。古びた木に新たな息を与え、その美しさを蘇らせるその姿は、まるで何か大切なものを守り続けているかのようだった。そんな作業の合間、古民家で手に入れた古本を私に譲ってくれた。時には大正時代の古書まであり、それを受け取るたびに「これは私にはもったいない。古書店に売った方がよいのでは」と言ったが、叔父はただ微笑むばかりだった。
先日、店先で偶然目にした欄間。その彫刻を眺めた瞬間、亡くなった叔父の記憶がふと蘇った。コロナ禍で参加できなかった葬儀のことが思い出される。あの繊細な彫りの陰影が、叔父の手仕事の息遣いをまざまざと感じさせる。彼が遺したものが今もこうして誰かの手の中に残り、繋がっているのだ。
今度、叔父の墓を訪ねてみよう。感謝の気持ちを胸に、彼の思い出と向き合う時間を持ちたいと思う。
2024/10/28 更新
2024/10 訪問
憧れの先に広がる風景
都市部の喧騒の中で生まれ育った私には、田舎暮らしは遠い世界の話だ。これまでその生活を実際に経験したことは一度もない。それでも、何かの拍子に心が揺さぶられる瞬間がある。きっかけは、ふとしたキャンプだったのだろうか。広大な自然に包まれ、時間さえも緩やかに流れるあの感覚は、都市では到底味わえないものだ。だが、どこか非現実的で、手が届かないもののようにも思えた。
そんな私の思いを具現化するかのように、雑誌か何かで目にした移住者の体験談が、心の奥に眠っていた感覚を揺り動かした。彼らは、都会を離れ、自分たちの店を開き、田舎で新しい生活を始めていた。そして、その暮らしを楽しんでいるようだった。しかし、その雑誌の文章が本当に伝えているのは何なのだろうか?目に見えるものと裏にある真実には、往々にして隔たりがあるものだ。
私は好奇心に駆られ、そのお店を訪れてみることにした。店内には温かみがあり、どこか懐かしい空気が漂っていた。しかし、店主に直接、移住の真実について尋ねるのは少し気が引けた。田舎暮らしが持つ本当の顔を知るためには、表面だけではなく、もっと深く踏み込む必要があるのだろう。常連として通い、信頼を築いた時、私はその生活の本当の姿に触れられるかもしれない。果たして、それは私が思い描いているものと同じだろうか。
2024/10/21 更新
この店のスイーツには、それなりに付き合ってきたつもりだった。チーズケーキも焼き菓子も、一巡は済ませている。なのに、パフェだけは手をつけていなかった。たぶんどこかで、「自分が頼むようなものじゃない」と思い込んでいたのだろう。理由は、曖昧だが妙に根深い。
今回、それを覆すきっかけになったのが「ベリーのパフェ」だった。高島市の名産・アドベリーが入っているかは、正直わからない。けれど、そんなことはどうでもよくなる。ひと口目の酸味、そして甘味。それがさっきのカレーの記憶をさらりと洗い流していく。これはもう、デザートというより「口直しの詩」だ。
──と思っていたのは、あくまで最初の数層だけだった。スプーンが深く入るほどに、味の輪郭が変わり、甘さが力強くなっていく。軽い余韻どころか、明確に完結性を持ったデザート。そう、これは“食後”ではなく、これ自体で成立する「主張」だったのだ。
満腹になった。けれど、不思議と満たされた気持ちが先に立つ。次は、迷わずパフェから始めてもいい。そんなふうに思いながら、グラスの底に残った赤を、ゆっくりと見つめていた。