Geric Planktonさんが投稿したかんだやぶそば(東京/淡路町)の口コミ詳細

レビュアーのカバー画像

Seeking the Last Meal of My Life

メッセージを送る

この口コミは、Geric Planktonさんが訪問した当時の主観的なご意見・ご感想です。

最新の情報とは異なる可能性がありますので、お店の方にご確認ください。 詳しくはこちら

利用規約に違反している口コミは、右のリンクから報告することができます。 問題のある口コミを報告する

かんだやぶそば淡路町、新御茶ノ水、小川町/そば

1

  • 昼の点数:4.2

    • ¥4,000~¥4,999 / 1人
      • 料理・味 4.2
      • |サービス 4.2
      • |雰囲気 4.2
      • |CP 4.2
      • |酒・ドリンク -
1回目

2025/12 訪問

  • 昼の点数:4.2

    • [ 料理・味4.2
    • | サービス4.2
    • | 雰囲気4.2
    • | CP4.2
    • | 酒・ドリンク-
    ¥4,000~¥4,999
    / 1人

【人生最期の食事を求めて】江戸情緒の息づく、せいろうそばとあいやきの端正。

「いらっしゃい――」
暖簾をくぐるた度に、店内の空気が一段と引き締まるのを覚えた。
客の出入りごとに、女性店員たちが語尾を引き延ばすその声は、もはや単なる挨拶ではない。
長年の時間が醸成した、ひとつの儀式であり、店そのものの呼吸であった。

私はその声を耳にした瞬間、胸の奥に沈んでいた記憶が、静かに浮上するのを感じた。
実におよそ35年ぶりの来訪である。

かんだやぶそばは、1880年(明治13年)の創業である。
江戸が東京と名を変え、旧い秩序と新しい制度とが軋み合っていた時代、この店はすでに蕎麦という様式を完成させていた。
関東大震災、戦災、そして平成の火災――幾度も暖簾は失われたが、そのたびに再興され、味と作法だけは一切の妥協なく継承されてきた。
建物は変われど、ここに流れる時間の質だけは変わらない。
かんだやぶそばとは、老舗という言葉の指す「古さ」ではなく、守られ続けた緊張の総体なのである。

当時の私は、蕎麦の何たるかを知らなかった。
味を測る舌もなく、作法を理解する心もなかった。
ただ名店に足を運んだという、薄い虚栄だけがそこにあったに過ぎない。
蕎麦を食べたというより、雰囲気を消費したと言うべきであろう。
しかし今、再びこの場に立つと、その佇まいは圧倒的な風格をもって迫ってくる。
店は老いていない。
老いたのは、むしろ私のほうであった。
15時半頃、靖国通りから一本入った路地に足を踏み入れると、日の翳りはすでに夕刻の気配を帯びていた。
蕎麦の名店が軒を連ねるこの界隈にあっても、この店の存在は異彩を放つ。
屋敷のような建物を囲む藪は、都会の騒音を遮断し、時代そのものを隔てているかのようであった。

入口へ続く通路を歩くと、気配を察したかのように女性店員が現れ、
「テーブルでもカウンターでも、お好みの席へどうぞ」と静かに促した。
「いらっしゃい――」
店内の各所から声が重なり合う。
その響きに迎えられ、私は席についた。
並びの席では、ひとりの男が蕎麦前と日本酒を愉しんでいる。
動作に無駄がなく、長年ここに通っていることが背中越しにも伝わってきた。

一瞬、日本酒の誘惑が脳裏をかすめた。
しかし、まだ果たすべき仕事があることを思い出し、私はその欲望を断ち切った。
代わりに選んだのは、江戸の粋に倣い、寒さをものともせず冷たい「せいろうそば」と名物の「あいやき」である。

「せいろう~そば~、あいやき~」
独特の抑揚をもった点呼が店内に響く。
それは注文というより、詠唱に近い。
なぜ「せいろ」ではなく「せいろう」なのか。
その理由すら、この店では野暮に思える。
言葉もまた、伝統の一部なのだ。

やがて、藪の緑を映す窓辺を眺めているうちに、蕎麦とあいやきが運ばれてきた。
蕎麦は、淡い緑と灰色が溶け合ったような色合いで、均整のとれた姿をしている。
蕎麦猪口には、汁を四分の一ほどしか注がない。
これもまた江戸の作法である。
麺を持ち上げ、汁に一瞬触れさせ、すぐに啜る。
濃厚な蕎麦汁が、細く長い麺の香りを鋭く引き立て、口腔から身体の奥へと一気に駆け抜けていく。
この感覚を、35年前の私は知らなかった。
続いて、わさびを少量、麺に直接載せる。
刺激は決して前に出ず、蕎麦の風味を陰から支える。

あいやきは、丁寧に下処理され調理された一品である。
焼かれた葱の甘みが、蕎麦の余韻と交差し、口中に静かな緊張を生む。
主役を奪わぬ脇役として、これ以上のものはない。

蕎麦は、あっけないほど早く姿を消した。
私は通りかかった女性店員を呼び止めた。
「せいろう、もう1枚お願いします」
大盛にせず、追加で頼む――それもまた江戸の流儀である。

再び「せいろう~そば~」の声が店内に響いた。
2枚目の蕎麦も、私は寡黙にただ啜った。
味わうというより、身体に通す行為に近かった。

残った蕎麦汁に刻み葱を入れ、蕎麦湯を注ぐ。
白濁した湯が次第に濃色へと変わり、そのすべてを飲み干すと、食事は完全に終結した。

会計を終えた客が去る度、
「ありがとう存じます」
という声が、広い店内に厳かに響いた。
会計を済ませた私の背中越しにも、女性店員たちのの厳かな声音があちらこちらから響いた。

私は再び、喧噪に満ちた靖国通りへと歩み出た。
しかし胸の内には、静謐な余韻だけがいつまでも残るのだった。……

2025/12/19 更新

エリアから探す

すべて

開く

北海道・東北
北海道 青森 秋田 岩手 山形 宮城 福島
関東
東京 神奈川 千葉 埼玉 群馬 栃木 茨城
中部
愛知 三重 岐阜 静岡 山梨 長野 新潟 石川 福井 富山
関西
大阪 京都 兵庫 滋賀 奈良 和歌山
中国・四国
広島 岡山 山口 島根 鳥取 徳島 香川 愛媛 高知
九州・沖縄
福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄
アジア
中国 香港 マカオ 韓国 台湾 シンガポール タイ インドネシア ベトナム マレーシア フィリピン スリランカ
北米
アメリカ
ハワイ
ハワイ
グアム
グアム
オセアニア
オーストラリア
ヨーロッパ
イギリス アイルランド フランス ドイツ イタリア スペイン ポルトガル スイス オーストリア オランダ ベルギー ルクセンブルグ デンマーク スウェーデン
中南米
メキシコ ブラジル ペルー
アフリカ
南アフリカ

閉じる

予算

営業時間

ページの先頭へ