4回
2025/08 訪問
四季を堪能する至高。「かんだ」で味わう夏の饗宴
都心の閑静な街並みにひっそりと佇む「かんだ」。2004年の開店以来、日本料理の最前線を走り続ける名店であり、店主神田裕行氏は素材の持ち味を引き出し、余計な装飾を削ぎ落とすことで、本質的な和食の美を追求する。
その姿勢は世界的にも高く評価され、ミシュラン三つ星を長年守り続けている。今回いただいた夏の献立も、ひと皿ごとに季節の輝きが映し出される、感動的な体験であった。
前菜から広がる世界
まず供されたのは、枝豆寄せにキャビアをあしらった一皿。翡翠色の枝豆が並ぶ中央にキャビアが鎮座し、黄金色のジュレが涼やかさを添える。塩味の重なりと枝豆の甘みが絶妙で、これからの物語を予感させるにふさわしい幕開けであった。
続いて登場したのは、鮑と素麺の椀物。清らかなだしに素麺が泳ぎ、堂々とした鮑が添えられる。噛むほどに広がる磯の旨味とだしの透明感は、夏の涼を五感で味わうかのようである。
季節を映す趣向
次に現れたのは、鱧の薄造り。透けるように薄い切り身を、わかめや香味酢でいただく趣向で、夏の京都を思わせる涼味が感じられた。さらに、魚介とゴーヤの和え物では、独特の苦みが魚の旨味を引き立て、口内を爽やかに整える。
お椀には葛仕立ての包み物が供され、中から現れる具材とだしの調和が、上品でいて力強い味わいを届ける。焼き物には蓼の香りに包まれた鮎が登場し、炭火の香ばしさと清涼感のある薬味が一体となった。
力強さと繊細さの交錯
酢で締められた鯖寿司は、押し寿司ならではの端正な姿。中に胡瓜が仕込まれ、脂の旨味と爽やかさが調和していた。次に供された松茸のフライは、衣の香ばしさと香り高い茸の存在感が際立つ。
さらに、赤身の力強さを堪能する鮮魚のお造り、香草を添えて仕立てられた和牛レアカツと続き、料理の幅の広さと緩急の妙を感じさせた。
終盤を彩る米と椀
終盤の椀には、揚げ物を用いた吸い物が登場。表面は香ばしく、中はふんわりと仕上げられた団子がだしに浸り、滋味豊かな一椀であった。
そして圧巻は、土鍋で炊き上げた白米である。粒が立ち、つややかに輝く姿は日本料理の真髄を象徴するもの。これに合わせて、桜海老のかき揚げ、鰻の蒲焼き、香の物が並び、最上級の「ご飯を食べる喜び」を堪能した。特に桜海老のかき揚げは香り高く、鰻は力強い旨味が際立ち、土鍋ご飯との相性は格別であった。
甘味で締める余韻
最後は、果実を閉じ込めた涼やかなジュレ、そして濃厚でありながら口溶けの良い水羊羹で締めくくられる。清涼感と甘味の余韻が、長い食の旅路を静かに完結させた。
総評
「かんだ」でのひとときは、いつ来ても単なる高級和食を超えた体験である。枝豆寄せの繊細さから土鍋ご飯の豪快さに至るまで、料理は素材そのものの声を尊重し、季節の移ろいを的確に映し出している。
食後に残るのは満足感だけでなく、心を清めるような静けさである。日本料理の精髄を知るにふさわしい名店であり、特別な時間を過ごしたい時にこそ訪れるべき一軒である。
2025/08/21 更新
2025/05 訪問
完璧を超えた、静かな感動。『かんだ』でしか味わえない時
すべてが別格。
扉を開けたその瞬間から、凛とした空気感に包まれる。配置される家具、調度品の一つひとつに品と格があり、無駄を削ぎ落とした静かで美しい空間。
客を迎える所作、器の取り合わせ、食材の扱いに至るまで、どこを切り取っても超一流の仕事が宿る。
料理は、まずは殻付きのウニに、キャビア、海藻、コーンなどをあしらった先付から始まる。香り、甘み、塩気のバランスが絶妙で、一口で一気に独自の世界へ引き込まれる。
続いて供されたのは冷たい素麺の椀。柔らかく煮込まれた鮑と出汁の優しさと美しさに言葉を失う。鮑の食感、素麺の繊細さ、それらをひとつにまとめあげる椀の力がそこにある。
次は焼き物。鮎は、今回もっとも記憶に残った一品の一つ。頭から尾までしっかり火を通しながらも、身はふっくらと柔らかく、骨は軽く噛めばすっと砕けるほどに繊細。鮎という食材の魅力を、最も美しいかたちで引き出してくれる。合わせて提供されるビールで大胆に流し込む食し方がまたいい。
しらすと錦糸卵の小鉢は、ここまでの興奮からひと息つくような軽やかなアクセント。この少しずらしたテンポ感がここかんだの魅力の一つ。
そこから薄造りと白子。澄んだ器に盛られ、その透明感が味覚と視覚を同時に刺激する。備えのワカメと一緒にポン酢が口の中でなんとも言えない広がりをもたらせる絶品。
もう一つの椀物、野菜と海老の真薯は、夏のおとずれを感じさせる花びらとともに清らかな出汁に浮かぶ。冷たい料理の合間に気配りをみせる献立の温かみが嬉しい。
押し寿司はアスパラ入りで、上には寒天と青菜が透け、視覚の涼と食感の妙が印象的な一品。
続いては太刀魚の塩焼き。大ぶりで身もしっかり引き締まりながら、口に入れた瞬間にホロリと砕ける食感に思わず日本酒が進む。
後半にかけての流れも見事。緩急と季節の揺らぎが緻密に計算されている。
枝豆と雲丹にふわふわのソースがかけられた冷製前菜は、口に含むと空気のように消え、旨みだけが舌に残る。夏の始まりを告げる一皿。
続く鰹の刺身は、香ばしい香りが程よく高くしっかりとした熟成感。あえて辛子を添えていただく趣向が面白く、余韻が長い。
焼き物には地鶏(他にも、牛ヒレ肉などをセレクトすることもできる)。表面は香ばしく、中はしっとり。力強い味わいで、料理の流れにパンチと芯を与える存在。箸休めには、クレソンと海苔を合わせたサラダ。野趣と爽快感が一体となる秀品。
土鍋でゆっくりと炊かれた白米は、粒立ちと甘みのバランスが素晴らしく、それだけでも箸が止まらない。付け合わせの桜海老の香ばしいかき揚げは、ご飯と共に味わえば香りと食感の饗宴。
丁寧に漬けられた糠漬けとともに味わうと、日本人でよかったと心から思う瞬間が訪れる。言わずもがな赤だしがとても優しくまた良い。
デザートにはマンゴーの葛寄せと、抹茶のソルベ・小豆の最中風の組み合わせ。甘さ控えめで、最後まで澄んだ余韻を保ったまま食事が終わる。
料理の完成度、器の美、空間の静けさ、所作の美しさ、すべてが完璧であることは前提として、そこにさらに宿っているのは“静けさ”という名の余韻。
決して派手さを求めず、声高に主張することもない。ただ、ひと皿、ひと椀、ひと振りの塩の奥に、圧倒的な感性と矜持がある。
完璧を超えたその先にある、静かな感動。言葉にせずとも、しっかりと心に残る名店。
2025/05/30 更新
三ツ星として知られる「かんだ」を再訪。
今回もその研ぎ澄まされた世界観に圧倒された。料理は過度な演出を排しながらも、素材の息遣いがそのまま立ち上がるような構成であり、まさに“引き算の美学”を体現している。
冒頭の一皿で供されたのは、松茸を柔らかく煮込んだお椀。寒い冬の始まりに暖かい一品からもてなすさすがのメニュー構成。
続く蟹の一皿は、甲羅に美しく盛り込まれ、ジュレの透明感と花穂紫蘇が華やぎを添える。繊細ながらも確かな旨味の層が感じられ、職人技の冴えを実感した。
印象的であったのは、鱧に香ばしい梅味のソースをまとわせた一品。優美な酸味とコクが見事に調和し、食べ進めるごとに味の表情が変わる楽しさが溢れる。
お刺身や椀物も抜群で、特に椀に浮かぶ海老真薯はふわりと軽く、香り高い柚子が上質な余韻を残した。
高揚感を覚えたのは、トリュフをたっぷりと削った鮪の握り。香りが立ち昇る瞬間から幸福感が押し寄せ、芳醇な香りと赤身の旨味が一体となった。
焼き物では肉厚な松茸、蓮根の薄揚げ、そして香り高い鰹の刺身など、季節を的確にとらえた皿が連続し、一品ごとの完成度の高さを痛感した。
地鶏の炭火焼きは、香ばしい表面としっとりした肉質が対照的であり、シンプルだからこそ技量が際立つ。食後には、料理人の矜持と店全体の潔い姿勢を強く感じることができる。
「かんだ」は一見すると控えめな佇まいであるが、料理はどれも明確な芯を持ち、記憶に残る体験を紡ぎ出す。今回もまた、日本料理の奥深さを改めて思い知る夜となった。