「食べログ」Rvwの”光と闇”。。。そこは新米ママの”砂場デビュー”と同じ世界が広がっていた。2009年11月。私が初めて「食べログ」に口コミをUPした店は、吉祥寺の『
東池袋大勝軒』
だった。(初々しい初Rveをどうぞ!(笑):
http://tabelog.com/rvwr/bamusepapa/rvwdtl/1280660/)
2010年2月。勤務地が横浜青葉台から池袋に移り、それが”食べログ”にのめり込む切欠となった。
サービス業に勤める私は、来店客向けの販売促進ツールとして「いけふくろうの食べ歩き」なる店舗ブログを週2回のペースで更新していた。
そのために同僚と周辺の評判ランチSPOTを巡り、料理写真を撮っては簡単なコメントを書いていた。
しかし、HP上にその都度UPするのは結構手間が掛る作業だった。会議や出張・営業同行などで更新出来ない日も少なからずあった。
そんな時、”食べログ”の下書き機能の活用を思いつく。休日に記事を書き貯め、更新日にコピペして写真を貼り付ければ完成。HPの自動更新機能を活用したことで、業務効率が格段に改善された。アクセス数も飛躍的に伸び営業面での効果も表れ始め、いいことずくめだった。趣味としての”食べログ”活動にハマり込んでいったのも、まさにこの時期だった。当時、大物Rvwと呼ばれる方々が注目を集め、その方がUPした口コミの影響力も凄まじかった。口コミが更新された途端10票、20票と支持をするコメントが入る。”食べログ”初心者の私には、一種憧れの存在でもあった。
面白いRveを読んではBMし、訪問の機会を狙っていた。その一方、客観的に見ても、私の書いた口コミの方が勝っているにもかかわらず、投票はおろか足跡すらないことが不思議で仕方なかった。
ある日、”天下一品”Rveで人気の某大物Rvwから読者登録のMSGが入る。
同じ池袋で活動している彼は、それ以降、頻繁に私が書いた口コミを見に来てくれた。正直嬉しかった。
バーチャルの世界なれど、彼に尊敬の念を抱いていた私はすぐに彼の読者になった。
そして彼から初めてのコメントが入る。その時、閃光が頭を貫いた。
そうか!お互いに読者登録をすることでRveを見に来てくれアクセス数が増えていくのだと。
その事に気付いてからは、活動エリアが近いRvwや同ジャンルのRvwに対し、片っ端からMyR登録を繰り返し、気付けば読者数が50人、100人と増えていった。これが”食べログ”得票数のからくりか!それ以降、徐々にだがアクセス数も得票数も増えていった。
誰かが私が書いたRveを読んでくれている。物書きの気持ちが少し判ったような気がした。そんなある日のこと。
あるRvwから”オフ会”という集まりがあることを告げられる。この4年間で100回近くの”オフ会”に参加したが、初めて参加した”オフ会”は、今、想い出してもド緊張だったと記憶している。
会社ではある程度の要職に付いていたが、そんなことは屁の突っ張りにもならない。この世界では新入社員も同然だ。大物Rvwばかりのオフ会は息が詰まるような時間だった。何を食べ、何を話し?料理の味も殆ど判らなかった。
帰宅しPCを開くと先程まで一緒だった幹事から、参加御礼のMSGとともに次回のお誘いも戴いた。
しかし余りにも気疲れした私は、次回の誘いをやんわりと断った。それ程、衝撃的な1日だった。
Rve数が100を超えると日記を書く機能が加わった。最初は何を書いていいものやら。。。もっとも今までの人生で日記など書いた例がない。他のRvwの日記には、自身の活動の集大成のようなものから、単純な旅行記、料理のレシピや写真など、それぞれに個性溢れるものがあり、読み物として面白ものも数多く見受けられた。
そんな私が初めて書いた日記は、実に下らない内容故、他のRvwの才能に敬服すると共に、自身の文才の無さを痛感した。(初めてUPした実にくだらない日記:
http://tabelog.com/rvwr/bamusepapa/diarydtl/28636/)
Rve数が300を超えた頃が、最も愉しく充実した時期だった。読者数も200名を超え、コメント欄には毎日複数の書き込みが寄せられた。帰宅後、返信コメントを書くのが日課となった。その頃になると、活動エリアが近いRvw数人と、月に1~2回定期的にオフ会を開き情報交換を行った。
性別も、世代も、職業も違う方々と、共通の話題で盛り上がることは、ある意味刺激的で愉しかった。中には「食べログ」にハマり過ぎ家庭崩壊になったRvwや、明らかに女性目当てのRvw、Rvw同士が不倫をし、あのRvwの愛人はあの人。。。などの話も飛び出し、
「食べログ」Rvwの”光と闇”を感じ、実に面白かった。
しかし。。。転機は突然やってきた。忘れもしない2011年3月11日、午後2時46分18秒。
当時、池袋のオフィスにいた私は、大きな揺れで悲鳴を上げる女性社員を落ち着かせ、階段を伝って外に避難誘導していた。
外に出ると目の前のサンシャイン60がゆっくりと揺れているのを見上げる人々、大変な事が起きたと実感した。揺れが収まるのを待ってオフィスに戻り、TVを付けると、仙台空港を呑みこむ巨大な津波の様子が映っていた。その後、福島第一原発の水蒸気爆発、逃げ惑う方々の映像を見ながら日本はどうなってしまうのだろう?と不安感で息苦しくなった。この日からオフィスに泊まり込む日が数日間続いた。
そして震災から7日後、突然の人事発令。被災地”栃木県”への転勤が告げられた。目の前が真っ暗になった。栄転ではあったが、まさか被災地に赴任し、被災地の復興に携わることになるとは思ってもみなかった。もはや”食べログ”どころではない。
赴任してから、慣れない環境と激務によるストレスで体調を崩した。精神的にも追い詰められ”辞任”という2文字が頭を過ったことも1度や2度ではなかった。
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・(約20数行)
(この間に色々な記述があったが、食べログ管理者から1年半の時を経て削除要請が来たので削除する)最近、人気を博したドラマ「半沢直樹」の一場面で、銀行の社宅で奥様方のドロドロした世界を再現されていたが、あの世界にも酷似している。
大阪西支店の浅見支店長夫人が大物Rvw。その取り巻きや、媚びを売る中堅Rvwが、江島副支店長夫人や媚びを売る行員夫人といった構図だ。私が半沢の妻、半沢花とは言わないが、実際に「食べログ」Rvwの闇の部分にそっくりでドラマを見ながら苦笑してしまった。1000Rveを振り返ると、4割が愉しい想い出。6割が辛い想い出だ。飲食店にとっても「食べログ」の功罪があることは、ネットなどでも度々報じられている。
「ステマ」という言葉を聞いた事があるだろうか?「ステマ」という言葉を初めて聞いたのも”食べログ”Rvwの闇の会合(笑)だった。
「ステマ」とは「ステルスマーケティング」の略。簡単にいえば”さくら”である。悪質なものになると、店側が大物Rvwに依頼し金を払ってまでも高評価のRveを書いて貰う事実があるという。
現代社会の闇。「食べログ」での評価が、それほどまで店の経営に影響力を持つことに改めて驚かされる。
私自身も今まで様々な店のRveを書いて来たが、少なからず功罪はあったことだろう。深く反省している。
現在、「食べログ」Rvw(私自身)としてのモチベーションは、”被災地”栃木にひとりでも多くの方々に来て戴きたいということ。
その切欠が私が書いたRveだったら、これほど嬉しい事はない。この旅館に泊まってみたい。宇都宮で美味しい餃子を食べてみたい。蕎麦、ラーメン、焼きそば、鰻、栃木和牛。。。数多くの方々が県内各地を訪ねてくれればと思う。そんな気持ちが、このバーチャルな世界”へと誘う。この世界は、どれ程の可能性を秘めているのだろうか?
最近、コメント欄をみて感じることだが、セクト主義のRvw達による、本来の目的から大きく逸脱した使い方をすることが目につくようになってきた。「昨日はオフ会、お疲れ様でしたぁ~!」とか、「オフ会の集合場所はLINEしますね!」とか、一般読者に公開する必要がないことを平気でコメントしている。誰に対して言っているのか?もしかしたら、お前たちはこのオフ会には誘わなかったよ!という新たな嫌がらせなのか?
このようなコメントも以前は全くなかった。オフ会参加への御礼も先にも書いたがMSGを利用し個別に行っていた。
自分はこんなに人気があるんだぞ!というアピールのつもりなのか?バーチャルな世界で虚勢を張っているのか?こんな事も「食べログ」Rvwの”光と闇”のひとつかも知れない。
そんなセクトRvwは、次回から「昨晩の貴女は素敵でしたぁ!あんなに遅く帰って旦那に疑われなかった?」などとコメント欄に書き込んで貰いたい。(爆)
1000Rveを振り返る筈が、随分と過激かつ否定的な文章になってしまった。
ただひとつだけ言えることは、「食べログ」は現代社会にしっかりと根を下ろしたことは事実。その影響力をRvwひとりひとりが自覚し、本来の目的である”食”を通じた交流や”食文化”の素晴らしさを伝えていって貰いたい。1000Rveを振り返って。。。「食べログ」Rvwの”光と闇” 闇の向こうに明るい光は見えるのだろうか?*9月30日を持ちまして、暫くはコメント欄を一時閉鎖させて戴きます。ご用件がある方はMSGをご活用いただければ幸いでございます。
また基本的にほぼ毎日更新していたRveですが、今後は、内容を充実させ(?)週2~3の頻度にて更新させて戴きます。(仕事に忙殺されRveを書く時間が取れないことが1番の理由で大意はございません。)
皆様のコメ欄には今まで以上にコメさせて戴くと思いますので、引き続き宜しくお願い申し上げます。