インドは、年間映画制作本数も映画館観客総数も世界一多い映画大国である(2003年には877本の長編と1177本の短編が公開された)
インド映画は、娯楽としての質や出演女優の人気などのため、インド国外でもインド系住民を中心に人気があり、特に東南アジア諸国、アフリカ諸国で高い人気を博している。北インドを中心にインド全土で上映されているヒンディー語の娯楽映画は、その制作の中心地ムンバイーの旧名ボンベイとアメリカのハリウッドをもじって、「ボリウッドフィルム」と呼ばれている。
今回はそのムンバイを舞台とした【600万個にひとつ】のお弁当から生まれた奇跡の傑作「めぐり逢わせのお弁当」を鑑賞に銀座までやって来た。
■Story
主婦のイラの朝の仕事は、夫と娘を送り出した後のお弁当作りだが、今日は趣がちょっと違っていた。上に住む叔母の”料理は愛を深める”というアドバイスに従い、腕に寄りをかけた料理で、夫の醒めた心を取り戻そうと特製弁当を作ろうとしていたからだ。叔母がくれたSpiceを隠味に完成した料理は、4段重ねのお弁当に詰められ、ダッパーワーラー(お弁当配達人)の手によって夫に届けられるはずだった。
ところがイラのお弁当は、見ず知らずの保険会社の会計係サージャに届いてしまう。早期退職をして故郷のナーシクへの隠居を控えた彼は、妻に先立たれ、やもめ暮らし。昼食といえば、近所の食堂からの凡庸な仕出し弁当を独りで食べるのが常。ところがその日のお弁当の味は、いつもとひと味もふた味も違って大変美味だった。
やがて、すっかり空っぽになったお弁当箱が戻り、作戦成功を喜ぶイラ。それも束の間、彼女は帰宅した夫の会話からお弁当の誤配達に気付く。しかし明くる日も、彼女は謎を解くために”きれいに食べてくれたお礼にパニールを作った”としたため、イラと署名した手紙を忍ばせてお弁当を送り出す。
またしても空になったお弁当箱には”親愛なるイラへ 今日は塩辛かった”という短いメッセージが添えられて戻ってきた。お礼も挨拶もないなんて!イラの代わりに憤慨する叔母は、とっておきのSpiceを提供して、お弁当作りを続けるようにけしかける。
こうしてお弁当を介してのふたりの交流がはじまった。自分に無関心な夫との虚しい毎日を吐露するイラに対し、サージャンは淡々と彼女の言葉を受け止める。”イラ、暗く考えないで。現実はもっと単純だよ”そして少しづつ自身についてや過去を”話す相手がいないと記憶は薄れる”、”昨日、昔に妻が観ていたTV番組のビデオを見付けた。妻は同じ冗談に何度も笑うんだ。まるで初めて聞いたようにね。あの頃の想い出にずっと浸っていたい”などと語るようになる。彼の慈愛と人生観の満ちた手紙に癒され、イラはお弁当の帰還を待ちわびるようになる。
それはサージャンとて同じだった。35年もの間、ミスを犯したことがない生真面目なサージャンが、お弁当が机の上に置かれると気になって仕方がなく、挙句の果てにはフライングして開けてしまう始末。確実にイラの心のこもった料理と手紙がサージャンの孤独な心を溶かしていた。
そんな楽しみなお弁当の時間に決まって現れるのが後任のシャイクだ。はじめのうちは、彼を邪険にしていたサージャンだったが、孤児という逆境を独学と人懐っこい笑顔で乗り切ってきたという後輩の身の上を知り、態度を改める。親子ほどの歳の違う男たちの仲は、バナナやリンゴやらが昼食だという後輩に、サージャンがイラの料理のお相伴を勧めたことから急速に縮まってゆくのだった。
一方、夫の浮気を疑って沈み込むイラは、ムンバイを離れ、国民総幸福量の高いブータンへ行きたいと漏らす。”あなたとブータンに行ければいいな”と綴り、イラの問い掛けに答えて名前を明かすサジャン。叔母愛蔵のカセットテープの中かの、映画「サージャン 愛しい人」の主題歌に心をときめかせながら、イラは彼にキーマ・パオが美味しいと評判のカフェで待ち合わせを提案する。”いつまでも文通を続けるの?私たち逢うべきだわ”と。
翌朝、いつもにも増して入念に身支度を整えるサージャンだったが…
■感想
インド映画というと「踊るマハラジャ」のように、ダンスとインドミュージック満載の映画を想像してしまうが、この映画のように人生を考えさせられるは初鑑賞だった。
誤配達からはじまった50過ぎのやもめ男と、夫の浮気に心痛める美しい女性。お互いに孤独を心に抱えて生きているという人間の本質と、お弁当を短いメッセージが心に少しづつ染みてゆく様子は、観る人にも自分と照らしあわせて心をすっと支えてくれることだろう。
そして…鑑賞後、インド料理を食べたくなったことは云うまでもない。