2回
2025/10 訪問
日常から遊離した駅と、地下に広がる炭火のオアシス
人生というのはときに、普段立ち寄ることのない馴染みの薄い駅へと僕たちを連れていくものだ。その夜、僕が降り立ったのは奥沢という駅だった。賑わいとは無縁の東京の静かな片隅に位置するその駅は降り立つとすぐに、生活の匂いがする住宅街へと風景を切り替えた。こんな場所に熱気ある店があるのだろうか。小さな不安と探求心のようなものが僕の心の中でごちゃまぜになった。
静まり返った通りにぽつんと灯る看板が僕を地下へと誘っていた。それはまるで、隠された秘密の集会所へと続く階段のようだった。
地下へと降りるとそこには、地上の静けさが嘘のような活気に満ちた空間が広がっていた。焼台を中心に据えた巨大なコの字カウンターは二十人程度の客で埋まり、カジュアルながらも確実に熱を帯びた空気が充満していた。ここが奥沢の住宅街の地下だという事実がこの店の持つ秘密めいた魅力をさらに深めていた。
この店の焼き鳥はどれも一つ一つの身が驚くほど大きく、食べ応えがある。それはまるで都市の喧騒の中で忘れ去られがちな、根源的な「食欲」をストレートに刺激するようだった。炭火でバリッと焼かれた皮は香ばしく、少し濃いめのタレがこの店の持つ野性的な味わいをさらに際立たせる。当然アルコールは際限なく進む。
僕の焼き鳥に対する最高の相棒は決まって、芋焼酎のソーダ割りだ。この店には四、五種類の芋焼酎が用意されておりその心遣いが嬉しかった。唯一一杯の量が僕には少々物足りなかったが、それと焼き鳥の相性は文字通り抜群で結局僕は四杯のソーダ割りを飲み干した。
特に記憶に残る串がいくつかある。
まずは「抱き身」。さっぱりとした胸肉が皮で絶妙に包まれている。それは静けさの中に響く繊細な音色のように、あっさりとしているのに後を引く味わいだった。
次に「ひざ軟骨」。僕は軟骨と聞くと、小さなカリカリとした身を想像していたのだが、運ばれてきたそれはまるでゴルフボールとも思えるほど大きな塊だった。軟骨特有のコリコリとした食感に、その周辺についた肉のしっかりとした噛み応えが加わり、噛めば噛むほど複雑な味わいが口腔内に広がっていく。
そして極めつけは「レバー」だ。噛んだ瞬間それは溶けるように消えた。完璧な火入れがレバーの持つとろけるような風味を最大限に引き出している。それは僕がその夜、奥沢の地下で見つけた一つの静かな奇跡だった。
僕たちは日常的に使わない駅の地下で炭火の熱に照らされ、大きな身の焼き鳥を頬張り、芋焼酎のソーダ割りを飲み干す。この店はただ美味しい焼き鳥を出すだけでなく、奥沢の静寂の中で僕たちに忘れていた野性的な活力を思い出させてくれる。ここは都市の緊張から気兼ねなく逃れられる僕にとっての、確かなオアシスなのだろう。
地下の賑わいを後にし再び地上へと上がると、奥沢の住宅街は相変わらず静まり返っていた。しかし僕の身体の中にはまだ、炭火のメロディが熱く響いていた。僕はまた近いうちにこの秘密の場所を訪れることを心の中で静かに誓った。
2025/12/13 更新
奥沢の駅に降り立つと、もうそこは僕にとって馴染み深い風景になっていた。一度訪れた場所は、記憶という名の地図の上で特別にマーキングされるものだ。静けさの中、前回この地下室で得た深い満足感が鮮やかに蘇る。不安は消え、今回はどこか我が物顔で僕は見慣れた町並みを歩いていた。
迷うことはもうない。僕は秘密の地下への入口に足早に歩みを進める。
地下空間は前回と変わらず活気に満ちており、居心地の良さは変わらない。焼台の前に座ると隣には家族連れがいた。彼らの穏やかな賑わいは一人でカウンターに座る僕にはどこか羨ましい光景だった。しかしその羨望はすぐに消えた。一人で来ている分、僕は誰にも遠慮せず欲望のままに飲み食いしてやるのだと心の中で決めた。
前回得た経験を活かして、今回は迷わずアラカルトで好きな品を注文する。お任せやコースしか選べない店が増える中、自分の「今」の欲望に従って注文できるのは本当にありがたい。
初めて見る「そで」を頼んだ。それは今までに食べたことのない、旨味が濃縮された味わいだった。他の品と同様に一つ一つの身が大きく、しっかりと食べ応えがある。一口噛むごとに、その濃厚な旨味が口の中で響く。これは前回の「ひざ軟骨」に次ぐ、僕の新しいお気に入りとなる一品だった。
飲み物は前回と同様に芋焼酎のソーダ割りを頼む。この店で食べる焼き鳥には、やはりこれ以上の相棒は考えられない。ソーダの切れ味と芋焼酎の深い香りが、濃いめのタレと炭火の香ばしさを完璧に受け止めていた。
僕は奥沢の地下室で一人だけの欲望を静かに満たす。満たされた時間は都市の孤独な魂にとっての確かな鎮静剤だ。ここは僕が気兼ねなく立ち寄れるオアシスであり、僕はまたこの秘密の場所を訪れることが今から楽しみでならない。