2回
2025/08 訪問
蒲田のパラドックスと若き大将、あるいは序章に訪れたクライマックス
完璧な場所というものは、往々にして完璧ではない場所にひっそりと隠れているものだ。それは例えば、誰も読まなくなった百科事典の「S」の項目に挟まれた四葉のクローバーのようなものだし、あるいは騒がしい地下鉄のホームのベンチに置き忘れられた、誰かの真剣なラブレターのようなものだ。文脈なんてものは、そこには存在しない。ただ、あるべきものがあるべきではない場所に存在しているという、静かな事実があるだけだ。
8月の終わり、僕は蒲田駅に降り立った。空には使い古されたシーツのような白っぽい雲が張り付き、太陽は容赦なく地上を焼き尽くそうとしていた。蒲田という街は、独特の匂いを持っている。それは餃子のニンニクと、行き場のないエネルギーが混ざり合ったような匂いだ。駅から店までの短い距離を歩くだけで、僕の背筋には道に迷った小さな昆虫のような汗がツーっと流れ落ちていった。
住宅街の入り口に差し掛かったとき、その建物は現れた。「初音鮨」。 しかし、その外観は僕が知っている「鮨屋」という定義を軽やかに飛び越えていた。それはむしろ、北欧の森の奥にある現代美術館の別館か、あるいは引退した建築家が趣味で建てた植物園のように見えた。青々とした植物たちが、建物の周囲で静かに呼吸をしている。ここだけ、流れている時間の密度が違うようだった。
扉を開けると、そこには禁欲的なまでに研ぎ澄まされた空間が広がっていた。カウンターの席数は10あるかないか。職人の手元が劇場のステージのように浮かび上がる構造だ。外観と同じく、内装にもどこか西洋の匂いがした。バウハウスの機能美と禅の精神性が、奇妙なバランスで握手をしているような空間だ。
カウンターの中には、驚くほど若い男が立っていた。20代だろうか。聞けば、大将は現在海外に新しい店を出しており、彼がこの場所を任されているのだという。 彼からはある種の潔いエネルギーが発散されていた。それは、夏の大会を目前に控えた高校の運動部のキャプテンが持つ、迷いのないリーダーシップに似ていた。彼はただ鮨を握るだけでなく、この狭い空間にいる10人の客と時間そのものを率いようとしていた。
ショーは、奇妙な儀式から始まった。 彼がうやうやしく提示したのは、現代のキッチンではまずお目にかかれない炭の窯のような黒い器具だった。それはまるで、古代の遺跡から発掘された未知のオーパーツか、あるいは小型の原子炉のようにも見えた。その中で炊かれたシャリは、僕たちの前で湯気を上げている。 続いて、その「赤酢のシャリ」だけを味見させられた。口に含むと、穀物の甘みと酢の鋭さが複雑に絡み合い、それだけで完結した小宇宙を作っていた。僕は思わず日本酒のグラスに手を伸ばす。日本酒のメニューはなく、価格も不明だ。しかし、そんなことはどうでもいい。そのシャリは、酒を水のように自然に喉の奥へと送り込んでしまったからだ。
そして、物語の定石がいきなり覆される瞬間が訪れた。 まだコースは始まったばかりだというのに、いきなり「鮪」が登場したのだ。 それはまるで、推理小説の最初のページで犯人が自供を始めるようなものであり、あるいは、オペラの幕が上がった瞬間にプリマドンナがアリアを絶唱するようなものだった。序章でありながら、同時にクライマックスでもある。そんな矛盾した時間が、平然と僕の目の前に差し出された。
若い大将は、僕の前に空の皿を出し「触ってみてください」と彼は言った。 皿は温かかった。人肌よりも明らかに高く、風呂の温度よりは少し低い。正確な数字はわからないが、おそらく40度前後だろうか。それは、鮪の脂を完璧なタイミングで融解させるための、計算され尽くした温度だった。 そこからは、怒涛のような鮪の三連奏だ。口に入れた瞬間に、まるで春の雪解けのように崩れ去った。物語の終わりがいきなり訪れたような衝撃に、僕は一瞬、自分がどこにいるのかを見失いそうになった。 鮪以降の鮨もまた素晴らしかった。特に光り物は、その脂の乗り方は尋常ではなかった。魚というよりは、海そのものを凝縮したような味がした。
グラスで供される日本酒は、次から次へと僕の前に現れた。銘柄を気にする必要はない。それは、旅先で偶然出会った親切な案内人のように鮨の味を邪魔せず、ただ静かに寄り添ってくれた。 コースの最後、僕は一つの試みをすることにした。この店のポテンシャルを、限界まで引き出してみたくなったのだ。 「赤ワインを」と僕は言った。 鰹や煮穴子といった強い個性を持つネタに対し、日本酒ではなくあえて赤ワインのタンニンをぶつけてみる。それはある種の賭けだったが、結果として僕の手持ちのカードが最強であったことが証明された。赤ワインは魚の鉄分や甘いタレと抱き合い、官能的なワルツを踊り始めたのだ。
最後のワインのしずくが喉を通り過ぎると、そこには完璧な静寂が訪れた。祭りの後のような寂しさではなく、長い小説を読み終えた時のような満ち足りた静寂だ。僕は心の中で、小さな、しかし強固な誓いを立てた。季節が巡り、風の匂いが変わる頃、僕はまた必ずこの席に座ることになるだろう。それは予測ではなく、一種の物理的な法則のように確かなことだった。
店を出ると、外はまだ蒸し暑かった。しかし、店に入る前に感じた不快な湿度は不思議と気にならなくなっていた。 僕は駅に向かって歩きながら、あの若いお弟子さんの真っ直ぐな視線と、温かい皿の感触を反芻した。蒲田の雑踏は相変わらず騒々しかったが、僕の胃袋の中には静かで、確かな希望のようなものが温かく残っていた。 世界は相変わらず混乱に満ちているけれど、少なくともあの場所には、正しい手順で炊かれた米と、正しい温度で溶ける脂が存在している。 それだけで、明日もなんとかやっていけるような気がした。僕はシャツの襟を直し、改札口へと続く階段を上った。
2025/12/14 更新
二度目に同じ場所を訪れるというのは、読みかけの本の栞を挟んだページを数ヶ月ぶりに開く行為に似ている。物語の筋書きは変わっていないはずなのに、行間に漂う空気や文字のフォントが少しだけ違って見えることがある。それは風景が変わったからではない。僕という受け皿の形が時間の経過とともに摩耗し、あるいは変形してしまったからだ。記憶とは常に現在進行形の修正作業のことを指す。
季節は夏から秋へとシフトしていた。 蒲田駅に降り立つと、肌を撫でる風には明確な「警告」が含まれていた。もうTシャツ一枚で世界と対峙できる季節は終わったのだ、と。蒲田の街は相変わらず壊れかけたラジオのように雑多なノイズを撒き散らしていたが、その周波数はずいぶんと低くなり、どこか哀愁を帯びた秋の色をしていた。
少し歩くとあの建物が見えてきた。「初音鮨」。 前回、夏の盛りに訪れたときはその建物は周囲の風景から浮き上がり、まるで不時着した宇宙船か何かのように見えたものだ。しかし不思議なことに、今回は違った。その建物はまるで最初からそこにあることが運命づけられていたかのように、風景の中に静かに収まっていた。それは「馴染んだ」というよりは、世界の方程式が書き換えられ、その存在が「必然」として組み込まれたような感覚だった。
建物の前まで来ると、僕は前回開けた扉ではなく別の入り口へと案内された。どうやらこの建物には表紙とは別に、もうひとつの「入口」が用意されているらしい。 通されたその「二つめの部屋」もまた、西洋のギャラリーのような匂いを纏っていた。そこには日本の鮨屋特有の「和」の押し付けがましさはなく、ある種の無国籍な静寂だけが漂っていた。
カウンターには、前回は別の若い大将が立っていた。 儀式は、既視感と共に始まった。黒い原子炉のような炊飯器、そして客に皿の温度を確認させる所作。初めて見たときは奇異に映ったそのプロセスが二度目の今、僕には絶対に必要な手順のように思えた。それはコンサート・ピアニストが最初の鍵盤を叩く前に椅子の高さを数ミリだけ調整するのと同じくらい、その世界を正確に維持するために不可欠なのだ。
そして、物語はいきなりクライマックスを迎える。 三連の鮪。序章にして最強音(フォルテッシモ)。その構成も変わらない。しかし、口の中で脂がほどけるその瞬間、僕は前回とは違う安堵感を覚えた。それは驚きではなく、「帰還」の感覚だった。
鮪の嵐が過ぎ去ると、皿の上には秋の前奏曲(プレリュード)が奏でられた。 特に僕の意識を深層まで連れ去ったのは「牡蠣」だった。それは単に茹でた牡蠣ではない。牡蠣という概念を煮詰め、純粋な「海の旨味」だけを結晶化させたような握りだった。噛み締めるたびに、冷たい秋の海流が脳内を駆け巡る。 続く蟹のほぐし身は赤酢のシャリと出会った瞬間、一つの強固なチームへと変貌した。蟹の甘みと酢の酸味が複雑なコード進行のオーケストラのように絡み合い、喉の奥へと消えていく。その後のスープは牡蠣という生命体が最後に遺した言葉のように、深く身体に染み渡った。
完璧な秋の進行に身を委ねていると、突然、調理場の奥へと通じる扉が開いた。 現れたのはこの店の本来の主、大将だ。海外から一時帰国しているという彼からは、遠い異国の風の匂いがした。彼は嵐のように現れ客たちと陽気に言葉を交わし、また風のように去っていった。それは、緻密に計算された映画の中に紛れ込んだ即興のアドリブ・シーンのようだった。しかし、その予期せぬ「ノイズ」は、この店の空気をより一層、人間味のあるものに変えた。
店を出ると、外気は来る時よりもさらに冷え込んでいた。 僕はコートの襟を立て、駅へと続く道を歩き出した。夏が終わり、秋が来て、また冬が来る。世界はそうやって淡々と回転し続ける。 でも、悪くない。 僕は空を見上げ、次の季節のことを思った。春。あの桜の花びらが舞う頃、僕はまたこの「必然」の扉を開けることになるだろう。春には春の、新しい物語が皿の上に載せられるはずだ。それは予測ではなく、確信に近い予感だった。僕はポケットの中で硬貨の感触を確かめ、雑踏の中へと戻っていった。