『走馬灯、寿命とは。』食道者さんの日記

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食道者の食物道

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私は午後の仕事が一段落すると30分程度仮眠をします。
これは仕事の効率を上げるのに良いと聞いてから実践をしているのですが、
中々なリフレッシュが出来た様に感じる事も多々あります。

最近仮眠の最中に夢を見る事が増えました。仮眠は長くても30分程度なので
短編ドラマの様な夢です。

走馬灯という言葉があります。この言葉には死ぬ間際に色々な楽しかった思い出が
見えるという意味もあると聞いた事があります。私が最近見る夢からふとその事を
思い出しました。

初めてそう思う様な夢の内容は、まだ私が小学生の頃に私を育ててくれた
母親代わりの人と楽しく遊んでいる夢でした。私は第三者的に楽しく遊んでいる自分と
母親同然の女性を眺めているもので、何とも言えない懐かしさと、
その時に私が感じていた嬉しさが分る夢でした。夢から覚めて懐かしい夢を見たなと
その時は思いました。

次に見たのは最初に見た夢より以前の事で、多忙だった両親と三人で旅行に行った
夢でした。父親と母親のそれぞれの手を握りながら嬉しそうにはしゃいでいる自分を
また第三者的に眺めている夢でした。その際に泊まったホテルの中庭の様な場所も
鮮明に見えました。その後に父親とかけっこをした流れも記憶のままに現れて見ました。
夢から覚めてその時も懐かしく思いました。

その次は今は亡き愛犬、ポメラニアンの長助が初めて家に着た時の事です。
ベットの上で二人でじゃれていておしっこをされて慌てる姿をまた第三者的に見ました。
私は私と愛犬がじゃれているのを眺めながら、まだ子供の私におしっこをされるぞ
気をつけろと言いました。勿論子供の私にその声は届きませんでした。

次は離婚した妻との夢で、子供達と合わせて4人で楽しく食事をしている夢でした。
次男と妻が笑い、その笑う姿を見て私と長男が笑う光景を第三者的に見ている
夢でした。数年前に長男が大学に入学する前の数ヶ月間、私の仕事を手伝ってくれた事が
ありました。職場の帰りに二人でよくホームセンターへ立ち寄りました。用事が有っても
無くても立ち寄りました。用事が無い時はホームセンターの出入口にある自動販売機で
飲み物を買い二人で飲みました。この時は既に離婚をしていて長男は別れた妻と
暮らしており、その家に送ればその日はお別れです。当然の事なのですが長男と少しでも
一緒にいたく思いホームセンターなどに寄っていました。その時に車の中で長男と話を
している夢を見ました。会話をしながらもう少し一緒に居たいと思い、
今日もホームセンターへ寄ろうと私は長男に話しかけていました。勿論その時の記憶は
あります。その二人の会話を第三者的に私は眺めていました。
私は今、香川県高松市に仕事の都合で滞在していて長男は東京で大学に通っています。
今でもたまにそのホームセンターへ一人で行き、あの当時二人で飲み物を買った
自販機で飲み物を買い当時を懐かしく思う時があります。
次男の夢も見ました。次男が3歳くらいの時に手動の鉛筆削りを次男が落とした事が
ありました。テーブルの向こうで何か困った様な唸る様な声がするので覗いて見ると
次男がちらばった削りかすを小さな手で一生懸命集めていました。小さな手のひらが
鉛筆で真っ黒になっていましたが必死に集めている次男を心から愛おしく思いました。
その場面を夢で見ました。あれから大分月日が経ちました。両親の離婚と言う
悲しい経験を二人にはさせてしまいました。

最後に見たのは相棒で愛犬の琥路の夢です。何かの病にかかり、車の中で運転する
私のひざの上でぐったりしながら私を見つめている夢でした。私は必死に琥路に
話しかけながらもう直ぐ病院に着くからなと言っていました。その時の病気は
食あたりか何かで栄養が行き届いていなく、点滴をしたら驚くほど元気になった
病気でした。私はその光景を夢で見ながら自分と琥路に大丈夫だ病院に行けば
直ぐに治るからと必死に話しかけていました。

空想的な夢を見る事は多くありましたが、今迄に起こった事を夢で見た記憶はありません。
自分の記憶が夢になっているのでしょうから分っている事や懐かしく思える事や
思い出に残っている事が夢の内容と一致していても当然だと思うのですが、
何故にこの様な夢を見たのかが不思議です。まさか寿命が終わりを告げようとして
走馬灯として見れたのではと思ってしまいました。仮にそうだとしたら
とても懐かしく思えた事や何故だが涙が出そうになった事や、幸せに感じる事が
出来た走馬灯だったと思います。これに終わらず終焉の日まで
この様な思いが出来る夢を見たいものです。
私は命に恋々とする気はなく、ただ生まれてきた時から決まっているのか
決まっていないのか分りませんが、寿命を全う出来ればよいと思っています。

昔から、もう寿命が短いだの長生きしないだの、私の様に走馬灯がどうだのと
言う者に限って中々死なないものです。
この様な夢を見てもし終焉が近いのならと考えたところ、未だやり残した事がある様な
ない様な感じがします。無気力になりかけているのかしれません。
今年もあと一ヶ月を切りました。一年が経つのを早く感じるようになりました。
先ずは私を育ててくれた母親同然の方が早死にした50代半ばが私の区切り年齢だと
考えています。その歳までは頑張りたいと考えています。
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