「お帰りぃ~!」
「ただいま!」
町の居酒屋で時折見受ける、お店の方と常連客との微笑ましいやりとりだが、そこまで店に馴染んだその客が一年後二年後、今着いているカウンターの同じところへ座っているかといったら、現実、その確率はけっこうに低いものであるということを、私は知っている
【挿入画 : いつかの新橋】
或る小さなチェーン居酒屋グループの社長の電子日記に行き当たって、非常に興味深く感じ、以来幾度か目を通している。何かというと、飲食業界の経営者の立場での、店のお客に対する構えについての発言が、大変もっともであり、且つ多くの事柄についてまったく共感できるのである。
● トイレのチェックシート
そもそも誰のためのものか。そういうものは客に見えない場所で管理するもの。他社のやり方を安易に真似するな
● 利益目標の禁止
安価な肉を使用する、ポーションを削る、こういったことをすると短期的には利益が上がるだろう。しかし、だから食材偽装のようなことが起こる。対して売上というのは、お客からの評価に直結するもので、だからこそ売上を重視しなければならない
● 過重労働問題
問題になった件の労働時間、500時間/1ヶ月というのは明らかに異常だが、300時間/1ヶ月(12H*25日)が常態となっている業界というのも、やはり問題。疲れていては最高の笑顔は生まれない
以上、最近のところから拾っただけでも、これら至極真っ当な主張を見つけることが出来る
実はこの居酒屋グループとは何を隠そう、私がよく通っているお店である。そのグループのある店舗に、ということだが。
最初に興味深いと言ったのは、実はこういうことだ。こちらの社長が仰ることは非常に真っ当で共感出来る部分が多々あるが、これは業界違(たが)わず言えることだが、それぞれの当該現場では、それぞれの社長の理想、または願望、または対外的ポーズとは、何故か全くかけ離れた世界が展開されている、ということへの興味深さである。
「俺は解ってっけど、言わないよ」
通い始めた頃より明らかに来客数を減らし、且つ明らかに客単価も下げているこの店の女の子を捕まえて(女の子は学生アルバイトで随時更新されるので、過去の盛況をこの娘達は知らないが)、お客さんを増やす方法を俺は解っているけど教えないよと、いやらしく豪語する私の言葉を、これを意地悪だととらまえて欲しくない。
俺は好き勝手に、読書に耽ったりして孤独な時間を楽しみ、好き勝手に、女の子たちとの関係性は独自に構築し、飽きて詰まんなくなったら好き勝手に去ってゆけば、それで満足なのだ。お店が忙しくなって、東十条から十条まで演芸場通りを歩いて行って、そしたら席が空いてなかった、なんてことになったら困る。
今宵カウンターにまた一人、ひどい酔っ払い爺が着いた。
今まで余裕綽々(しゃくしゃく)アルバイトの女の子を捕まえてお喋りに耽っていた男性社員スタッフが、その酔っ払い爺の発信する、遠吠えとも問わず語りともつかぬ語りかけには、何故かレスポンスが鈍っている、というより、もはや避けている感じである。
今、この瞬間まであれほど饒舌だった彼に、いったい何が起こったのだろう……
ここで養老孟司を持ち出すのもどうかと思うが、彼が言うには人間も結局のところ、パソコンなどと同じく“入出力装置”なのだという。私もその論法で、人間というもののかなりの部分は説明できると思っていて、そして意外にも入力に対する出力というものは、結局、同じ人間であればだいたい同じところに落ち着くものである、とも思っている。
因みに、だからその入力に対し出力が突拍子もない状態のことを、有り体に言って“○○○○”というのだそうだ。
私が言いたいのは、人間というものは結局その個体差、個性なんてものは実はそれほど巾はなく、特定の環境に置かれれば、誰でもその中で同じ行動をとってしまうのが、それが人間なのではないかということである。
これは、誰でも、可愛くて明るい女の子たちが揃っている環境にやってくれば、仕事そっちのけで女の子に夢中になってしまう、ということを言っているのではない。女の子たちがいくら可愛くても、家族を抱えていたら仕事の方が、店の売り上げを伸ばす努力の方が大切なことくらい、普通の人間であれば誰でもわかることだ。そしてその努力が、まさかバイトの女の子とのお喋りでないことくらい、これも誰でもわかる。皆まで言わないが、しかしそこの辺りに何か致命的なことがあるから、努力できないのだろう
よくよく経営者は、自分の頭で考えて行動することができる社員を求める、または求めているというポーズをとるが、彼らはきちんと自分の頭で考えて、その上で、お客そっちのけでアルバイトの女の子とお喋りする方を選択しているのだから、だから心底片腹痛い