~~ 東十条でけっこう使えそうなお店を見つけてしまったが、しかし繁盛してしまって入り難くなったら嫌だなと店名を伏せる、ちっちゃな男のちっちゃな物語 ~~
【 挿入画/いつかの東十条 】
王子駅前から“北とぴあ”へと一直線に向かう細道には幾つかの飲食店が軒を連ねているのだが、午後一時に近づいた現在、いつものようにどちらも混雑模様。仕方がないので、国鉄京浜東北線でひとつ、東十条まで移動した。
―― どうせ王子にはろくな店もないことだし ……
かと言って駅をひとつ移動してきたところで、ろくな店の目星は付いていない。王子よりも東十条のほうが、同程度のものなら安あがり、ということだけが救いというくらいのものである。
私の今日の目的は床屋。
その手前、ずっと前っからあるトリコローレに目がいったのだが、営っているのかいないのか、ちょっとアクティヴ感が伝わってこなかったので、一旦は数歩通り過ぎた。
―― でもこの先いっても、同じ営ってっかどうかわかんねえような、テレビに夢中で齧(かじ)りついてる婆のいる蕎麦屋しかねえもんなぁ ……
「東十条某所」
年嵩の女性がお二人、入り口近くの四人掛けのテーブルに着いていた。そこから二人掛けの卓が四つ並んで、再び最奥に四人掛けという、無音の小じんまりとした空間だった。
桃白を交差させたテーブルクロスのもたらす限りない安心感に包まれる中、きちんとランチメニュウを説明してくれようと意気込むおばちゃんの言葉を申し訳ないが遮って、一番下の“例のもの”を急ぎ注文させていただいた
“ボロネーゼ” @860也。
「すみません、スパゲッティはあとからお持ちいたします ♪」
セット内容は見あたらなかったと思うし、お品書きには“ランチ”とあった。私の中に巣食う、この街に対しての積年の不信感によって、もう何となくア・ラ・カルトというか、単品なんじゃないかと諦めていたがしかし、サラダとパンがやってきた。
おばちゃんがスパゲッティは後からとの断りを入れてきたのは、おそらくここいらの客は“朝三暮四”の猿なみの知能なので(無論、俺もその中の一人である)、全部一緒に持ってこないと逆上する輩の比率が八割方に上るという、その恐ろしい土地柄に依るものであろう。
頭上の電球から放たれる光線の色温度がずはりマッチしているようで、艶々なグリーンが非常にフレッシュに映えるサラダ。ところどころカリフラワーの肢体も垣間見え、またポテトサラダも手作り感に溢れた良質なもの。葉っぱものがオリーブオイルと塩というシンプルな味付けだったので(それでも塩っ気は十分に効いていた)、パンにも葉っぱにも、ポテトサラダをソースとして纏わせてやっている時点で、もうスパゲッティもちゃんとしたものがやってくるに違いないと、いい方向に想像がついていた
果たして舞い降りた、ラウンドの皿。
こちらもしっかり味のボロネーゼ。ごろごろと肉塊が残って、私にはちょっとおっかなびっくりとなったが(パンチェッタかなんか、ふつうの油の少ない引き締まった挽き肉と違って、ちょっと捻った肉が使われていた為)、お肉好きには寧ろ嬉しいラグーソースであろうと思う。
厨房と客席フロアとを繋ぐ窓にとられたカウンターの上にサザエが並んでいる。
正面見上げて夜の部のものと思しきメニュウの中の、“サザエのエスカルゴバター”(サザエのエスカルゴ ? って何だろう。角出して槍だして目玉出す新種のサザエのことか)というやつの仕込みであろうか。短冊に夜のおつまみ系が価格入りで並んでいるが、どれも東十条価格で、量は知らないが単純に、非常に安価だと思った
しかもその上、まさかカフィまで貰えてしまった。
もう何度も先述させて頂いていることだが、私は、銀座の洋食屋さんやスパゲッティ屋さんのリーズナヴルなランチに対し、“王子”や“錦糸町”の強気な価格で大したことのない料理を出すお店の、しかし腑に落ちない“繁盛”ということが、どうにも不思議でならない。
が一方、随所に手の込んだところが見受けられるこちらの料理の内容で、いくら東十条と言えどもこの価格でやってしまって厳しくはないのか ……
そんな物思いに耽りつつ、温かいのしかやっていないというカフィに、黒砂糖二つ。ポーションミルクは、大人なので一つで我慢。
スプーンをとった
すててきてしまった
わずらわしさだけを くるくるかきまわして
東十条の春は 何もない春です
―― もう春じゃないけど ……