5回
2022/03 訪問
The Hamburg/その絵画に出逢うために
「演技が必要なのはアクトレス。スターに演技はいらない。イングリッド・バーグマンが演技してますか ?」
―― ほんとだよ ! よく言ってくださいました大林監督 !
神保町のたまごっち型映画館で大林宜彦監督、沢口靖子さん主演の映画が掛かっていることを発見 !!
そんなものをきめ細かく掘り起こしたこの嗅覚を自分自身でリスペクトしつつ、メトロを這いあがった。
「さぼうる」の前の、この人だかりはなんだろう ? といらいらするのもすずらん通りに出るまでで、あとは天気も良く、平和そのものの風景が広がるばかりだった。
「今、席はぜんぶ座れるんですか ?」
「…… 自由席となっておりまして、番号順でお呼びいたします」
とれた整理番号は17番。
100人は座れない規模のスクリーンだと思ったが、今席は一つ飛ばしで半分しか座らせていないのだろうか ? 窓口の女性に尋ねたが話が噛み合わなく、でも、まぁいいかと思いさっさと「分かりました」して、ご飯処探しの旅に出た
<R4.3.21>
「The Hamburg」
この狭い急階段を上るのは、けっこう久しぶりかも。
目当てはシチューハンバーグ一択だったが、その釦もすぐに見つけることが出来、カウンター最奥へと回り込み、永遠にみつからないリーペリンソースを、今日も隅々まで目でさらってみたりしちゃって ……
“シチューハンバーグ” @1,050也。
例の波々の耐熱皿をキャンバスとし、鮮やかに描かれた絵画が舞いおりた !
付け合わせであるポテト、人参、さやいんげんに、付け合わせを超える価値を与えたもうたのは言うまでもなく、皿たっぷりの、いつもどおりの油ギッシュがキープされた蠱惑のシチュウ=ドミソース !
となればセンターに鎮座まします肉塊の責任範囲も相対的に軽くなり、そこにフローティングしてさえいれば、ただそれだけでとりあえずの恰好はつくという、恐ろしく総合力に優れた料理となっている。
とりわけ白いご飯とドミソースとの相乗は最高で、ハンバーグが脇役とさえ思えるほど !
大盛freeと言われたご飯をふつうでとやったことを後悔するくらいだが、でも自分の体調管理ということを考えれば、それで良かったのだと自分を納得させるほかないボクであった
劇場の灯がおち、美しい京都の町を舞台とした、両親を同時に事故で亡くし、そして4人全員すべて血が繋がっていないという、富田靖子さん、沢口靖子さん、浅野温子さん、紺野美沙子さん、少女から大人の四姉妹の共同生活のなんとも初々しい精密描写が、厳かに幕をあげる。
末っ子の富田靖子さんの“森昌子カット”がいきなり唸りをあげる !
森昌子カットがどうして聖子ちゃんカットのように日本全土に浸透しなかったのか ? その答えは実は案外に簡単で、森昌子さんのモンチッチカットはそのモデルを選ぶということ。
もしもそれを日本女性全員がやったとき、多くの女性は猿になってしまうから。そしてそのとき、日本列島は「猿の惑星」、または「猿の軍団」になってしまうから
そしてボクは、沢口靖子さんを完全に舐めていた !
スクリーンの中で沢口靖子という名の得体の知れぬ妖精がこちらを見つめてくるたびに(笑/ど~ゆ~演出だよこれ !?)、心が激しく揺り動かされたからだ !
当時沢口靖子さんはNHKの連続テレビ小説「澪つくし」を撮り終えたところとのことで、「その一年間で演技の勉強をさせていただきました」 という彼女の言葉を逆手にとった意地悪記者の、「でも演技は、出来ていないのでは ?」 という言葉に、大林監督が、スターは演技などしないのだ ! と、その場を諫めたという。
イングリッド・バーグマンが演技をしていなかったかどうかは、さすがに世代が違うので私は知らないが、確かに、「緋牡丹お竜」の藤純子さんも「昼顔」のカトリーヌ・ドヌーブも、絶対演技してなかったのは確か !(笑)
※ でもその後の「終電車」でのカトリーヌ・ドヌーブは、これぞ映画女優だよ ! ってくらい凄かったけどね ♪
そんなこんな、ボクが沢口靖子さんを舐めていたという自戒だけをここに記させていただきまして、宴もたけなわですが、このあたりで ……
2022/03/24 更新
2021/06 訪問
The Hamburg/夢・fantasy
<神保町、某日>
今日こそはと、駿河台下の大きな交差点で靖国通りを渡る。
その昔、まだインターネットに情報をとりにいくという手段を持っていなかった頃、明大通りを入っていったところにある神社の前にバイクを止めて、界隈の本屋さんを巡ったことも懐かしい。
その当時は、安い労働力には低い生産性がつきもののように、安い情報にはそれなりの価値しか付加されることはないと信じていたが、いつの間にか、自分もそのタダの情報に頼るようになっていた。
辛うじて、生身の人と人との会話の中でさえ、分からないことに突き当たると即座にスマホにあたるような、そんな無様だけをやらないようにはぎりぎり持ち堪(こた)えているのだけれど ……
「The Hamburg」
狭く、暗い急階段を上る。
上りきったらそこに、狭いながらも楽園が広がると信じているから。
立ちはだかる食券自動販売機にもたじろぐことなく、自動的に人差し指が或る釦(ボタン)に最短距離で突き刺さり、「お後シチューです ♪」の彼の声に乗ってカウンターの最奥に向かい、庶民的ながらもどこか知的な雰囲気のお客たちが集う、この屋根裏の空間を静かに漕いだ。
とり憑けばわずかながらsquareの面積で、ちょうど鉄板の上を一直線にthroughして、通りに面した窓から外界を窺うことが出来たが、それも通りの向こうの建屋の壁、それでも気分は上々だった。
コンソメのややきついpepper、そしてレモン水が鮮やかに浮かび上がらせてくれる、それほど遠くない昔の風景。
そんな記憶に微睡んでいると、となりに私と同世代と思しきご夫婦がやってきて、奥様が私のノルタルジーにシンクロするように、なんか久しぶりだね、とつぶやいた ……
“シチューハンバーグ” @1,050也。
そして恐ろしいfantasyが舞い降りた !
料理というものが幾ばくかでも夢を抱えるものであったとしたならば、分かっていて注文しながらも、この料理の持つdreamは、あらためて半端のないものであったのである !
brownに浮かぶサヤインゲンのgreen、人参の橙、それらがさながら“食べる絵画”のように、私を威嚇し、同時にまた赦してくれてもいるようだった。
今やカウンター上のどこを探してもリーペリンソースは見つからなかったが、この料理につきそれも必要はない。だからもう無心、用意されたspoon一本でカレーのようにやるのも、いい大人を童心に還らせてくれるようで何故か心地よい
完全なる満足に包まれて、ふたたび急階段を下りた。
唐突ながら、言葉でバカと言われたって、電子メールでバカと言われたって、どちらも頭にくることに変わりはなく、とすれば、それらの情報が耳、目と経由が異なっても脳の中でおおよそは同じところに落とし込まれる、という予測はつくのだが ……
昨今電車の中でもスマホでマンガ、小説を読んでいる人を見受けるが、果たしてそれでマンガ本来、小説本来の味(taste)を読みとれるものなのであろうか。
或いは世代に依る電子機器(モニタ)への適用の問題なのであって、そもそもそんな疑問こそが、型遅れの人間だけに突き付けられる廃棄勧告なのであろうか ……
しかし界隈の書店に、退色しかけつつも尚凛として並ぶこのパピルスという名の人類の財産の持つ、数千年にも亘って放ち続けられるミステリアスなパワーを今しばらくは信じていたいし、それがこの書店街の行く末の暗示でもあると思う。
パソコンのモニタ上ではいくらチェックしても確認出来なかった誤字脱字が、ペーパーにプリントアウトすると何故か浮かび上がってくる。
その辺りが、電子書籍と紙媒体との、目立つことなき、しかし圧倒的な性能の違いと信じたいのだが ……
―― でも恐らく、子供の頃から電子モニタに慣れ親しんでいる世代の目からしたら、悲しいかな、両者に違いはないのでしょうね、きっと ……
2021/06/27 更新
2019/02 訪問
ザ・ハンバーグ/その喫水線の蠱惑
地下鉄南北線の後楽園から、三田線春日への乗り換えを試みる。
こないだ神保町にアプローチしたときには、多少時間は掛かるけど安いルートを選択して乗り継ぎに随分と難儀したので、スマホ上ではこちらも面倒っぽかったんだけど、今回トライしてみることに。何故ならば、人生、トライ&エラー&やり直し(これだけ英語でなんて言うのか分かんなかった)の連続なので。
で、Sちゃんから大ブーイングを受け続ける私のノロノロスマホなんだけど、これの道案内アプリの乗換図が今日は多少調子が良く動き、何故かスムースに歩いていけてる。人工的な回廊と回廊とを人間用コンベア(エスカレータともいう)が連結し、上り下りもわりかしスムース。一瞬タルコフスキーの「ストーカー」のように、最短距離を選ぶのは危険すぎるのではないか、目の前の赤いウェイヴの天井を持った回廊は、まさか肉挽き機と呼ばれ多くの命を奪った難所ではないのか、と訝ったんだけど、他に迂回できそうなルートもないのでそのまま進んだら、案外簡単に神保町駅までたどり着けてしまった
<H31.2.10>
「ザ・ハンバーグ」
例のたまごっち形映画館で映画の切符をとる。
今日の整理番号は22番。こないだよりも順位が上がったことに、意味もなく心の中で勝ち誇る(笑)。地下鉄を這い上がって間もなく、何か得体の知れない人の多さを感じていたが、午後二時にしてすずらん通り沿いの天ぷら屋さん「はちまき」の店頭も、こんなの初めて見たがなんと待ち客を抱えているではないか。石ちゃんの食べ歩き散歩で放映でもされたのだろうか ? ここんちの天丼食べて「まいう~ !」とかやっちゃったのであろうか ? いずれにしても私にとってはまったく好ましい状況ではなく、そこはかとない不安に包まれた。
駿河台下の大きな交差点を北側に渡る。
依然人出多し。今日のお昼ご飯は半ば決めていた。狭い階段を上がった食券制のハンバーグ屋さん。二階の喫茶店にさえもカウンターにずらりとお客さんが並んでいて、正直こんな光景は目にしたことがなく、その上のこちらがどうなっているのか非常に不安を感じたが、ドアを押し入ってしまえば、先客はカウンターに既に食事を終えかけた女性が一人だけであった。
私はというと、オープン厨房の反対側、山型に二人づつ、都合3組が付ける壁際のカウンターの最奥を、一人使いさせていただくことにする
“シチューハンバーグ” @980也。
食券自動販売機を前にすると大抵パニック状態となり、慌てるあまりヘンなボタンを押してしまう癖のある私なので、今日はスマホにて食べグロに投稿された画像を参照していた。250gくらいいっちゃおうかなぁと思っていたんだけど、とつとして私の指先がこっくりさんのような強烈な力で何者かから突き動かされ、それに抗うことも出来ずにシチュウハンバーグのボタンを押してしまう。
さらに、食べグロ画像にあたってサラダのハーフがあるなと学習していたので、私の横にいらいらして立つ(笑/してないしてない !)お姉さんを待たせてそのボタンを探すんだけど、結局見当たらない。よっぽどお姉さんに聞いてみようかとも思ったんだけど、五十男がそんなことも分かんないの ? って顔されたらもう武士の一分でその場で自害するしかなく、映画の切符とってるのでとりあえずそれ観るまでは死にたくないなと思い、聞くのはやめにした。
「ご飯大盛り(あとさらに激盛りがあるって言ったかな ?)サービスですが」
「ふつうでいいです」
ハンバーグがラウンド、縁に細かな波々をもった耐熱皿で供された。
見るからに美味い !!!! マジですげ~美味そうだ !!! 食ってそのとおり、恐ろしく美味い !!!!!!!
サーフェイスの油の層がドミソース(シチュウ)を大気から遮断し、その酸化を防いでいる(嘘ばっかつくなよ、俺 !)。付け合わせもすべて美味い。何故ならば、すべてドミソース味になるから(笑)。だからハンバーグなんかフレッシュな肉の香りなんか立ってなくったって、ドミソースが美味いから、もう細かいことは関係なく強引な力技で美味いのである(笑)
このたっぷり且つ濃い味のソース(シチュウ)でご飯を食べていけるので、ご飯を大盛りにしなかったことを激しく後悔させられる。
愛することは決して後悔しないことだった筈なのに ……。人生初めて、私は後悔という言葉の意味を知った。ご飯がなくなって尚ソースをスプウンでやり続けている時の私の心境は、子供の頃にイシイのハンバーグがご飯のおかずで出たときに、皿に残ったソースをお皿がぴかぴかになるまで舐めていた時の心境とまったく同じものだと思う。
このオーブンでソースが焦げたとこ、皿の波々のとこにくっついたそれをなんとかしたく、ちょっと考えたら、スプウンの先端のアールがちょうどぴったりなことを発見し、それで波々のひとつひとつ、喫水線状に残ったソースのおこげをこそぎ落として舐めてゆく。
こんな子供のような大人になってしまったことを、でも恥じてはいない。現在21才にして、3才だった精神年齢を短期間で5才にまで引き上げたテニスの大坂なおみ選手と同じように、51にして5才程度、或いは天才チンパンジー程度の私の精神年齢だって、日々間違いなく進化し続けているのだ。
―― ただそのスピードが異常に遅かったということだけが問題だが、それでも成長することを放棄した奴らよりはマシだ。そう思わなきゃやってけないし ……
2019/02/19 更新
2015/03 訪問
ザ・ハンバーグ/神保町迷子、中年迷子
【 平成27年3月 / 再訪録追加 】
自分のこの適当さにもほどがあると思った。
普段あまり利用しない地下鉄に潜って王子から神保町駅を目指したのだが、うろ覚えに頼った頓珍漢な乗り継ぎで必然的に迷子になり、不要な乗り換えの挙げ句構内をやたらと歩かされ、やっとのこと地上に這いだした。
<H27.3.7>
神保町の街から、最近随分と足が遠のいている気がする。
ヘアヌード写真集の立ち読みに異常な性的興奮を覚えた年齢を、私はとうに過ぎている(ヌード写真集であっても真摯に見本を用意して、いつの時代にも社会的責任を果たし続けてきた三省堂などの大御所書店には、これは冗談ではなくてほんとうに頭が下がる思いである)。
少し界隈を巡った。時刻は十一時半。繁盛店はそれなりに混雑しているように見受けられ、野郎一人で飛び込んでゆくには少々勇気が必要であった。そこで周囲の様子から、まだ本稼働に至っていないだろうと直感した既知の急階段を、久しぶりに上ってみることにした
※ ちょっと補足申し上げますと、私はこの界隈歴もう二十数年となると思いますが、足を踏み込む手段としては自動二輪車、及び国鉄お茶の水駅利用のどちらかのみであった為に、上記のような不始末をおこしてしまった次第です
「ザ・ハンバーグ」
BGMはラジオ音声。
これはNGなようで、実は私はけっこう好きであるし、この場所柄にも、またお店の雰囲気にもうまくマッチしていると思う。加えて親子連れチームの幼子の躍動音。これはこちらの山小屋風の隠れ家的雰囲気に些かアンマッチなような気がしたが、そういうものに普段縁のない私にとっては、偶にはフレッシュととらまえればよいだけのことである
壁に“嵐を呼べない男”、高橋まこと氏のライブの宣伝チラシが。彼はもう幾つになるのだろう。少なくとも私よりかなり年上だと思うのだが。
水に口を付けたら酸味を帯びていて、またしても昨夜のメチルアルコール大量摂取(こんな冗談の分からないご時世なんで都度申し上げますが、メチルアルコールは決して飲んじゃいけないほうの、体に害を及ぼす“目、散る”アルコールでございます)に味覚を狂わされたかと思いきや、ただのレモン水であった
“エビフライ・ハンバーグ” @960也。
人参のグラッセ、さやいんげん、ジャガイモ。
付け合わせがけっこう充実していて、相対的にハンバーグのサイズに幾ばくかの物足りなさを覚えなくもないが、海老フライとの合わせ技なので贅沢は言えない。
例によって、大根おろしと醤油でやって下さいとのアナウンスを受けた。ぽん酢醤油もあったがふつうの醤油を付け合わせまでまわし、胡椒を挽いて、隠し味に(だから隠し味レベルじゃないだろっつ~の、いつも)塩を振った。
客入りが不自然なほどに落ち着いていたので、私の足の遠のいていた間に何かあったのかと訝ったが、結果料理は美味しいまんまを維持し続けてくれているようである。自分でそうしたことながら、醤油と胡椒の相乗が意外といい風味を醸し出していることに、我ながら自画自賛。永遠の失恋調理師として、また一つ胡散臭い自信を獲得することが出来た
ハンバーグにはひとつ、ドミソースという究極形態があるということを私は否定する側の者では何らないが、こちらは、現在は醤油でっつわれんだけど(醤油でやってくださいと言われるのだけれど)、繰り返しとなりますが大昔は、これも卓上のもんなんだけどウスターソースみたいなさらさらなソース、確か“リーペリン・ソース”つってたかうろ覚えなんだけど、記憶が確かならばグレートブリテン及び北アイルランド連合王国製のそのソースを使ってくださいね、とやられていた気がする。
で、それを調査しようとキーボードを叩くも結局何らその変遷を追えないということが、この“マイコン”という世間的に万能ともてはやされているツールの限界ということにもざまあみろという気持ちでいっぱいになる。
(なんてまたしてもそんな独り言を呟いてしまいましたが、当時からその情報をコメントくださっていた方がいらっしゃったことに今更気付いてしまいました。遅ればせながらありがとうございました)
そしてまた、私は決してこちらの店に買収されていないと宣誓してから申しあげますが、元々食券制だし、とくに何にも期待してないんだけど、このフロアの現行の若い彼の客あしらいもたいへん気持ちの良いものでした
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平成23年7月21日。
久々に涼風吹き荒れる、東京。神田神保町。
仕事で近くまでやってきた折、そういえば「あのハンバーグ」、と思い立って少々の回り道をし、この建屋の独特な西洋テイスト溢れる、狭い階段を登った。
この店「theHamburg」へは、ここ20年ほどで10度は来ていないだろう。高頻度利用の店ではまったく無い。私の記憶が正しければ、最初この店は、素の、あるいはもみじおろしをのせただけのハンバーグステークを、テーブル備え付けのイギリス製ソース(リーベンソース?リーベリンソース?)でシンプルに食べなさいと、そんなやり方だったような気がしたが、ここ数年か十数年、そのソースはカウンターから姿を消したようだ。
途中から経営者が変わったのだろうか。
※記憶違いであればすみません
「あのハンバーグ」とは、前回、前々回の訪問時から食べてみたい食べてみたいと思って叶わなかった、「シチュウハンバーグ」だ。一度隣の人が食べているのを見て、次回はぜひ、と思っていた。
そこで過去2回ほどのチャレンジ、食券販売機の前でこのメニュウが見付けられずに後客が来てしまい、焦った挙げ句、目に付いた普通のハンバーグのボタンを押してしまう、といった愚行を2度続けてやってしまったわけだ。
今日は絶対喰ってやる。待っていろシチュウハンバーグ。私は神経を研ぎすまし、野生の本能でそのボタンを見つけ出すことに成功し、無事それを注文した。
シチュウハンバーグ、ライス、スープ付き。\850也。
これはこれは、何年か越しの初対面だけあって、そそるビジュアルをしてくれている。濃いブラウンの源泉が張られた狭い金魚鉢の表層を、にんじん、いんげん、ポテトが色とりどり、潜行するはマッシュルーム、形をわずかに残す玉葱、それらが窮屈そうにハンバーグの周りを泳いでいる。
堪らずに、ついてきたスプーンでシチュウを頬張った。果たしてそれは、挽き肉からこぼれ落ちたか、油ぎっとり。運動部の学生さえも熱中症で倒させないと保証するかのような塩っ気。そんな強烈な環境の中で、持ち味をうまく発揮できない主体、ハンバーグその人。
私はシチュウという食物に関し、何かを語れるほどの技量を持ち合わせておらず、そしてその定義も知らないが、あっさり断言しよう。これは、シチュウでは無い。
どう考えてもソースであろう、これは。
お店の人を縛り付けて、好きなだけ自分のお皿のハンバーグにドミソースをかけちまいたい、という、人類誰もが夢見た「白昼夢」を、お店側で具現化してしまいましたという、そんなユーザ目線に立つ料理なのだ。
実際そんなだから、たとえいくつかの難点を抱えていようが、ケチのつけようがないではないか。
ほんと、ケチのつけようないでしょ?
そしてこの店の正確な住所は、おそらく神保町では無い。
結構前からの、こんな雰囲気の階段。2Fの喫茶店の趣味なのだろうか。
私は好きだ。自分の家だったら嫌だが……
記事URL:http://blog.livedoor.jp/scotch_fishman/archives/52583288.html
2015/03/14 更新
さっきっから他のお客さんの歌声がどうにも耳障りに響いて来ており、そしてタバコのにおいがきつく感じるのは、これは体調の悪い証拠である。
とりわけママがおれの元気がないことを詰ってくる声が不快で、もう居たたまれなくなって (居ても立ってもいられなくなって)、ぼくは津軽の美女に人差し指をクロスさせた。
ママが条件反射のように未だ早いと訝ったが、それはお前が五月蠅いからだ ! とは英国紳士として言わずに堪え、黙って店を出た
<その翌日 2025.8.25>
しかし昨夜は早く切り上げることが出来て良かった。
いつもそれで失敗する。もうちょっと居れば、なにか楽しいことがきっと起きる。そう信じての長っ尻をもう何十年も重ねてきたが、それで良いことが起こったためしは無いのだ。
おかげでこうして神保町に、村野武範さん主演のぎらぎらした青春映画を観に来ることができた。
ママはときどき私におっぱいを見せてこようとするが、私はそれを都度拒んでいる。もしもこの映画が公開された年、1970年代頭のママのおっぱいであれば、私は喜んでそれを享受させていただくことだろう
「ザ・ハンバーグ」
「人が心に思うことは、誰もとめることはできない」
その思いで、2階老舗喫茶店の営業が午後からとのことで、とりわけ暗さの増した狭い階段を上がっていった。
「人が心に思うことは、誰もとめることはできない」 自動券売機で“シチューハンバーグ”の釦を押すときに、私はまた、その1983年のユーキャン今年の流行語大賞を心の中で繰り返した。
午前11時20分。
未だ早い時間、女性お二人連れが先行してご飯してくれていたことがなにより心強く、空いている席のどちらでもと促されたボクは、カウンターの最奥に回り込む。空調のドラフトも力強く、それだけですべてが整ったことを、身体の芯から予感した
「ご飯大盛りにいたしますか ?」
「大丈夫です」
食券手渡し時、ご飯の大盛りはfreeなようだが、あと少しで60kg台に体重をのせられる私はそれを丁重に辞退。
そういえば昨夜、体重計を買って早3ヶ月近く。そこからの体重変異から、あと半年くらいすればきっと、おれの肉体もジャン・クロード・ヴァンダムと化すことだろうと津軽の美女に宣言したが、彼女は直ぐ様、それは違うのだと、私の生き様を否定した。
なんでも、体重を絞っただけではジャン・クロード・ヴァンダムにはなれないのだと言う。
体重そのものよりも、もっとこう、又裂きとかが出来ないとダメらしいのだ ……
“シチューハンバーグ” @1,130也。
塩本来の味がstraightに活きたコンソメスープは、この出汁は挽き肉からとっているのだろうか、発汗して塩分の抜けた躰に滲みわたって劇的にうまい !
そしてwaveの皿に描かれた鮮やかな絵画との再会。添えられる大型のスプウンが料理への自信を如実に物語る、もうどこからどう食べてもうまいStew Hamburg steak !!
付け合わせというよりももはや頼もしいパーマネントメンバーであるポテトが、やわらかさはないものの、だからこそ非常にfreshでおいしい。
こんなポテトを、私は「つばめグリル」さん、また「ボンディ」さんに代表される欧風カレー屋さんにも多く見受けられる、「“ジャガイモ丸々”を出してほったらかし」 のお店にぜひ、見習って欲しいと願ってやまない
同じくパーマネントメンバーである人参のグラッセも当然のように、冷凍工程など経ていない真っ当なもの。
ハンバーグ、シチュウにそれらの付け合わせ、すべてのものがおかず要員としてのポテンシャルを十二分に備えている為、“ふつう”によそってもらったご飯が心もとなく、必然的におかずを限りなくリッチ(濃い)方向に振ることになるが、そうすればするほどに限りなくリッチ(贅沢)を増すオトコの休日お昼ご飯 !
ログハウス風でまさに隠れ家のような店内。未だ早い時間にそんな空間をゆったりと享受し、日本の平和をあらためて沁み沁みと噛みしめた
余談ながら村野武範さんといえば潜水艦操縦者、所謂“潜り屋”として名を馳せた御方だが、ひょんなことから日本の最新潜水艦事情を知ってしまった私は、その情けなさに心底憂いているところである。
なんでも日本で運用されている有人潜水艦は、現在「しんかい6500」という機体だそうだが、それももう30年以上前に造られたもので、いよいよ設計寿命を迎えつつあるという。
それは良いのだが問題は、海洋国家として常に先端を行かなければならないはずの日本で、深海の水圧に耐える圧力容器の製作技術が既に途絶えてしまっており、その30年前と同等の潜水艦であっても、現在製作不可能なのだという !
家電の地位を韓国に奪われたときも情けなさに打ちひしがれたが、技術立国でなければならないはずの日本が、今、なぜ ……
土井たか子さんとはまったく別の意味で、「今、なぜ ?」 と心底思う。
同様に原子力がトレンドでなくなってしまったことで日本の最高学府の長から原子力工学科が消え去り、今後の原子力技術が途絶えてしまっては、老朽化するばかりの既存の原発管理もままならなく、その危険度は増すばかりだろう ……
例えば1970年前後にピークを迎えた諸々の公害を、日本人は文明を捨てることに依ってではなく、逆に科学技術をさらに進化させることに依り鮮やかにbreakthroughしてみせたように、原発がもろに典型的だが、今後獲得するであろう未来の新技術に拠り、現在遺産となっている当該設備の安全な終息を図っていかなければならないはずなんだけど ……
―― いや違う ! そうしなければ安全な終息など絶対にままならないはずなんだけど !
―― まあ、工業国から農業国へとスウィッチしてしまったフランスだって、今現在、日本同様ケルマディック号なんか新規建造できるはずもないと思うが、でも彼らは農業国に成り下がりつつも、原発がんがん稼働させてるからなぁ ……