12回
2023/03 訪問
志な乃/寧ろシェイプ
コドナ 「お酒ふたつと、天ぷら盛り合わせふたつ」
安い串揚げ屋の串でもないのにぜんぶ2つずつ注文しなくても、と思うのだが、何故そうなるかというと、テーブルで向い合おうがカウンターで横並ぼうが、強固に接着されたパーティションにより、二人連れなのにどうしても個人に分解されてしまうことに他ならない
ぼく 「すみません、うどんください !」
コドナ 「うどん、二つで。あと、お酒ももう二つ !」
―― おれは、もういいよお酒 ……
<R5.3.11>
「志な乃」
そんなことで、そろそろ8時半くらいかなぁ? と思って布団を這い出したときには既に9時半を回っていた。
それでもコロナ過前よりは、何しろ帰宅時間が早まっているものだから、ぜんぜんたっぷりと睡眠時間がとれていると思うのだが、うどんつゆと一緒に無理やり流し込んだ安酒のせいで些か気分が優れない。
(べつに優れた目覚めなんか金輪際やって来ないオトコだけど/笑)
となれば運命のメトロ丸ノ内線を新宿御苑前で浮上し、目指すは見るからに胃腸に優しい、淡く透き通るつゆを出す“民芸風”に決まっていた。
が、国鉄新宿駅周りをここまで外しているにもかかわらず、いつも以上に強烈な人混み。お店の前で女性二人連れが入店叶わなかったか、または食事を終えて出てきたか、よく判断がつかなかったが、縋るように割った暖簾の目の前の卓が運よく空いており、そこへちゃっかりと腰を据えてしまう
“合盛” @1,200也。
注文した途端、gorgeousな薬味の小皿とつゆ徳利、またそば猪口が流れるように滞りなくsetされ、これから最高峰のうどん&そばをやれるのだという興奮がじわじわとクレッシェンドしていく。
おっかけ舞い降りた笊の純白と褐色との拮抗は、しかしべつにポリティカル・コネクトレスを意味しているわけではなく、寧ろ無意味な混沌を清々しく排除し、シェイプさせた結果と見るほうが正しいだろう。
今日は最初っから、猪口たっぷりに張ったつゆにうどんを完全にどぶ漬けし、且つそれをよく噛んで、とまではいかないが多少は噛みつつ呑んでいく
その時点で、私は東京人として決して犯してはならないそば屋でのtabooを二つも重ねてしまったわけだが、日本国憲法が、それを遵守しなければならないのと同時に改正についての規定をも内包するように、そのtabooをbreakthrough出来る規定というものがあろうかと思う。
ならばその条件とは、第一につゆの透明度、第二につゆ徳利の中のつゆの十分な容量、そして限りなく熱湯に近い湯の温度、となろうか
隣の卓の、家族基底と思しきアウトサイダー風の方々の武勇伝が止まらないが、これは昔っから思っていたことながら、不良たちの中にいる紅一点というのは、何故皆可愛い娘なのだろう ……
そのことについて、私の中ではひとつの仮説を立てているが、今は言わない(言えよ !)。
ただ一つ言えることは、人間というものが、人生のどこかでそういった不条理に抗うことをあきらめなければ前進出来ない存在であるとしたならば、それだったらあきらめて前進することを優先させたほうがいいのかな ……
ってことを噛みしめつつ、新宿通りをふたたび漕ぎはじめるぼく
2023/03/13 更新
2022/11 訪問
志な乃/溺れさせてこそ
「私のこと、生まれる前から好き ?」
河岸を変えつつ、ミッドホースと尚飲んでいた。
この店は料理は最高峰ながら、居酒屋の女の子に何故 ? と訝らざるを得ないような地味で大人しい娘にホール回りをさせていて、我々はその娘のことを、これじゃ看板娘としての適性ゼロじゃないか ! とバカにしてしていたのだけれど、その彼女がちょっとした言葉を発したときのイントネーションがおかしいことに気付き、あら ? 彼女って東北の娘だったんだと尋ねてみようとしたら、思ったことは同じであったようで一寸先にミッドホースが「出身どこ ?」 と切り出した。
そして彼女から返ってきた意外な新事実に、我々は驚愕することになる !
「ベトナムです ……」
<R4.11.19>
「志な乃」
度重なる深酒に胃が悲鳴をあげていたが、こんなときどうしたら良いかを私は知っている。こういったときには強く出汁のとられた淡いつゆをたっぷりと纏わせたつめたいうどんが一番の良薬で、たちまち元気が出るということを。
ということで運命のメトロを「新宿御苑前」で這い出して、一直線にぼくのうどん&おそば屋さんにやってくる。暖簾を割って戸を引く一連の動作にぬかりはない。ただ旧規格の小さな椅子に巨尻を嵌めこむことに多少難儀するだけだ。
それだけ済ますことが出来れば、あとは品書きを持ってきてくれる花番さんに間髪を容れず“例のもの”を注文すれば、それで事足りた
“合盛り” @1,200也。
あしゅら男爵、即ち神々しいばかりのアンドロジナスとの再会に心が躍る !
笊の向きは(そばの折り返し側と切っ端側のどちらをお客の前に向けるのが正かは)、これで良いのだろうか ? どちらにしても味に変わりはないと、猪口へたっぷりと張ったつゆに完全にそばを溺れさせてやることは、東京のつめたいそばをやるときのセオリーとはまったく異なる方法だが、こちらのおそばにはこれで良い。
うどんには生姜。そばにはワサビ、或いは大根おろし。
それらをなるたけつゆを穢さぬよう、麺の箸で掴む基点にあらかじめ置いてやってからつゆに存分に沈めることは実は技術でもなんでもなく、そばの定石をbreak throughできるかどうか、その勇気だけの問題であって、柔軟思考を持つ私にとっては造作ないこと
午後12時半を回れば、あくまでも静謐を保っていたこちらにも当然のことながらお客さんが押し寄せて来て、女性一人が合盛りとけんちん汁と、そして焼酎そば湯割りを注文。
(こちらのおそばの盛りは豪勢なので、大丈夫かなぁと心配になってくる)
横隣の卓では「ざるそばと、」と切り出した彼女を彼氏が制止するように遮ったかと思うと、彼女の睨みに負けて「なんでもないです ……」と。
(そば屋での注文なんか、彼女の思ったようにさせてやりなさいよ !)
そして私の前のおじさんは理性的に、おそばをちゃんと少なめにとやっておいて、けんちん汁を注文。
(それがふつうだよなぁ ……)
と、大きなお世話とともにまたしても、1日甲州街道の袂にヒューマンスクランブル(人間交差点)の花が咲く
―― 新進気鋭のおそば屋さんたちには、ぜひこの淡い色にしてどこまで湯で割っていっても途切れぬ出汁の力強さを先ず見習ってから、それから東京の辛つゆを研究して欲しいと願うばかり
【還って昨晩、仲通り商店街を十条駅に帰るぼくたち】
「あの娘、ベトナムの娘だったんだ ! だとしたらそれを知らずに(諸々)悪口言っちゃって悪かったなぁ。ベトナムの娘にしちゃ良くやってるよ」
と、ミッドホースが今までその女の子のことを悪く言ってしまったことを後悔しているよう。ぼくもまったくそのとおりだと思ったんだけど、そこで敢えて、これは必要なことだと思って勇気を振り絞って言い放つ !
「おれもそう思ったけど、でもそういうのが(日本人が陥りがちな)一番の差別なんだよ」
―― 反撃してくるかなと思ったが、意外にも彼はそこでぼくの言葉をしみじみと噛みしめたようで、黙ってふたりして駅まで歩ってったわよ
【以下映画の話】
監督:レア・ミシウス
脚本:レア・ミシウス ポール・ギローム
出演:アデル・エグザルコプロス
2021年 96分 フランス
「ファイブ・デビルズ」
※ 以下いきなりですが、未観の方への配慮はございません
フランスの女流監督が35mmフィルムで撮り切った2作目、とのこと。テーマは家族、またレズビアニズム。その封印された禁断に斬り込んでいくのは、幼くして“香の操作”に目覚めつつある娘のタイムリープ !
ヨーロッパの女流監督の醸しだすエロスもいきなり唸る。
表水温7℃の寒冷期の湖と、猛り狂う放火火災とのFire&Iceの対比。白人のどこまでも沈み込むような柔肌と、黒人の弾けるように照る褐色との対比。そしてまた35mmの銀塩フィルムが醸し出すシアンとマゼンタとの対比。
それらの尋常じゃないコントラストにもう冒頭から呑みこまれ、久々のまともなヨーロッパ映画に、ただうっとりと酔いしれさせていただいた次第
―― ここではこの辺りでやめておきます
2022/11/22 更新
2022/06 訪問
志な乃/そして我々アタック隊はついに !
いつもの居酒屋からミッドホースとふたり、十条で今一番勢いのある居酒屋を目指し、仲通り商店街を延々と漕いでいた。
すると暖簾を割って、これは前々からのこちらの常套レスポンスでもあるのだけれど、「すみませ~ん ! 今いっぱいで~す」となり、半ばやっぱりなと思いつつ踵を返す。
が、さっきっから膀胱が満タンだと訴えていたミッドホースがトイレだけ借りてくると突っ込んでいき、私も連れとして、商店街の真ん中で立ちションされるよりはマシかとそれを見送って、そしたら店長が飛び出してきて、「ましもさん、今おひとり様が帰られるのでどうぞ中へ !」となるではないか !
―― あれぇ ? 新店舗になって初めて店長見たけど、いつも若い女の子だけを優遇するとばかり思っていた店長なのに(でもそれは人間として当然のことをしているまで、ということでもあるが)、なんか優しくなってない ?
願ってもない広いテーブル席を与えられて舞い上がる野郎二人。
ミッドホースはもう品書きを広げただけで興奮しており、この店(のお会計)はおれが持つと恰好をつけながら刺身六点盛りという、十条のお店のそれとしては超高価な品(2,500円 !)を注文し、いくらするのか分からない日本酒をやり始めるではないか !
私は私で自分のデュワーズをDo it your selfで割って、ナントカ鯖西京焼きを注文してご満悦 ! 加えて目の前のイサキとかカツオとかの、私の許容範囲のまぐろ赤身ではないgorgeousなお刺身をおっかなびっくり摘まみはじめちゃったりして。
最後には〆でそれぞれそばとうどんまでやり、ミッドホースも終始ご機嫌で、ふたたび商店街を戻りかけた。
ら …… La ……
「お兄さんたち、ちょっと寄ってって ♪」
十条仲通り商店街のただ中、台湾人を名乗るおばちゃんに似た超強力な未確認生物が ! 「歌い放題一時間1,900円だから !」と我々アタック隊の前に立ちはだかってくるではないか !
<R4.6.18>
「志な乃」
alcoholでやられた胃を引き摺って新宿御苑前で地上に這い上がったなら、その最適解はそば屋。それもうどんまで包括したそば屋となれば、もうこちらしかないだろう。
いつものように品書きとお茶を持って来てくれた花番さんに、品書きに目を通さぬままに“例のもの”を注文。おっかけやってきた彼がやはりそれと、加えてけんちん汁を注文するのを目の当たり、ちょっと負けたような気持ちになりつつも、うどんの茹で上がりを静かに待つぼく
“合盛” @1,200也。
合盛は50円値上げしたよう。
真ん丸のつゆ徳利と猪口をKissさせる儀式も滞りなく。こちらのお店の評価は、東京人として猪口にそばを完全にReleaseしてしてまうという、その形式的breakthroughを成せるかどうか ! それさえ出来るようになれば、このそば、うどん共用の美しくも淡い琥珀のつゆのポテンシャルを最大限に享受することが出来、必ずや満足させられるひと必至なのである !
【以下冒頭のスナックにて】
「女の子に一杯700円だから、ひとり2,600円。でも2,500円でいいや !」
獣人バーゴンが(バーゴンじゃね~よ !)我々の話す日本語に近い言語で猛アッピールしてきて、そして我々アタック隊は、「女の子もいるから」とバーゴンの言う、いや、「女の子もいるから」とバーゴンが言ったからこそ ! その未知なる階段を決死の覚悟で上っていくことになる !!
年寄りだからもう寝てる磯野洋子のバックアップは得られず、その中を決死で !
薄暗くてそこそこに広い店内。
赤い椅子が弥が上にも昭和を強調するフロアの中で、元警視庁殺人課の刑事だというやけに胸板の厚いおじさんがことあるごとにママのお尻を触っていた。奥には、それが“女の子”という生物なのであろうか、ちょっとふくよか系の、それでも確かに生物として若い個体の姿が朧気に揺らめいている ……
「早く歌入れないと !」
おれはいいけど、これから電車で新小岩まで帰るミッドホースがやけに余裕ぶっこいているのが心配(笑)。
が、その心配は杞憂に過ぎなく、直ぐ様小林旭の霊魂を召喚したミッドホースの抜け殻が、まるで本人を凌駕するヴァイタルで「熱き心に」を歌い上げ、おれも棒状のタンバリンで16ビートを刻み始めたが、反動の使えないその楽器では(楽器/笑)あまりにやり難く途中で挫折 ! そして元警視庁殺人課の刑事がどさくさに紛れ、よりにもよって「熱き心に」でママとチークを踊り出したが、ただ単純にママの身体を触りたいだけ !!!
そしておれは言うまでもなく、おれとしてはまだ早い段階だったけど「俺たちの旅」を熱唱 !!!!
「はい(ふたりで)五千円。ほんとに五千円だったでしょ ? 女の子もあと二人いるから(また来てね)」
べつにお会計を心配していたわけではなかった。
何故ならば、この辺りは地元客がほとんどで通りがかりの客などいないので、ヘンな商売がまかり通ることなどないから。
(一度知らないでそれをやろうとしたフィリピンパブがあったけど、フィリピン人ママが若く美人だったにも拘わらず直ぐ様無くなった。そして女の子があと二人いるという情報を、私は完全には信用していない)
カミングアウトしてしまえば今夜私が心配していたことは、その店がお化け屋敷じゃないか ? ということだけだったが、酔いが回るほどにママのお尻を揉んでいる元刑事が羨ましくなり、けっきょくママと、今度来たときにはチュ~する約束をとりつけて店をあとにする
―― ほんと、豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ ! おれ
「もうケンカんなってもいいと思って思いっきり揉んでやったよ !」
道中、筋肉を自慢するおじさんのおっぱいを力任せに(笑)思いっきり揉んでやったんでさぞ痛かったことだろう、ざま~みろ ! と振り返るミッドホース。
そして私がアタック隊として、このスナックという洞窟に巣食う生き物を分析した結果、それはおおまかに言って“ママ”って生きものなのかな ……
ママ科、ママ属、ママってゆ~やつだ
そしておれらの今晩は、ミイラ捕りがミイラになったってやつだなきっと
2022/06/20 更新
2022/04 訪問
志な乃/その最先端を往く
カンヌの、今はグランプリっ言わなくてパルムドールって言うのかな ? それを獲った怪作は、R18ってことが効いているのか、そんなに大々的には展開されていなく、久々に、東京で1、2を争うほどに不味いRestaurant街の(こらっ !)上の劇場に切符をとっていた。
メトロを新宿御苑前で這い出して四谷方向にちょっと戻ることは、これは三歩進んで二歩下がることに似ている。
幸せが歩いてこないとき、我々はそれを求めてこちらから歩いていかなければならないが、そのとき決して順風満帆にはいかない。寧ろ三歩進んで二歩下がるくらいで十分に順調であって、そして人生は常にワンツーパンチ !
という古いヨーロッパの寓話をひたすらに実践しているだけだ
<R4.4.9>
「志な乃」
暖簾を割り、T800型のディジタル・アイで中の様子を伺えば、小上がりも然ることながら(結局私は今まで一度も小上がりには上がらないで済んでいるのだけれど)、手前のテーブルも二つ三つ空いていることが確認出来て、ホッと安堵の戸を引きつつ、着席すると同時にすっと差し出されるお茶にクロスさせるように、こちらもすっと注文を終えてしまう。
習い性で花番のおばちゃんの御召し物を奪えるかどうか自動的に精密計測に入ってしまうが、あまりにサイズが違っていたことと、こちらも今現在とりあえず素っ裸じゃなかった為に、大人しくうどんが茹で上がるのを待つことにする、未だ液体金属にはupdateされていないぼく
“合盛” @1.150也。
褐色のそばと純白のうどんを半々に盛りつける、この簾の上の世界こそポリティカル・コネクトレスの最先端を行っていると思うが、カミングアウトしてしまうと、私は黒人とかモンゴロイドを無意味、もっと言って半ば強引に挿入する現代の映画作りには、反対の立場をとっている。
分かり易く言うと、例えばヴィスコンティの「ベニスに死す」で、白人貴族の保養地であるベニスにやたら黒人や東洋人がくつろいでいたら、誰がどう考えてもおかしいでしょ ?
と同時に、「スター・トレック」なんか、もう昔っから、誰に何言われなくたってポリティカル・コネクトレスが完成されてたじゃん !
だから「荒野の七人」観てみなさいっつ~の !
と考え込みつつ(そば食う前にいちいちへんなこと考えんな !)いつものように真ん丸の徳利を厚身の猪口に悪魔のKISSさせ、今日は常盤貴子さんの柔肌のようにきめ細やかで純白のうどんから突いていった !
対して地味ながらも強かなヴァイタルを予感させる、粒状感を持ちつつ褐色に映えるおそばの存在感は、これは紛れもなく深津絵里さんだと思う。
(「悪魔のKISS」にはほんとうはもう一人、主人公的な女の子がいたと思うんだけど、ちょっと覚えてないなぁ ……/こらっ !)
そのそれぞれを、この淡く澄んだつゆにまさか完全に窒息させるという背徳的行為を敢行できるかどうかが、こちらのおそば、またはうどんを堪能出来るかどうかに直結する課題となろうが、それを繰り返している、言わば既に手が汚(けが)れ切っている私に迷いはない !
しかしながらそんな私も、このお小皿いっぱいの薬味を、豊富なカッターを備えたマシニングセンターように、または数種のアイテムをカセット式アームに備えたライダーマンのように縦横無尽に使いこなすことは、残念ながら未だ出来ていない
それはその昔、都内に幾つか構えるこちら「志な乃」さんのどこかで、「生姜と山葵はいっしょに(つゆに)溶いちゃっていいんですか ?」と問うたお客のおじさんに対しての、お店の核心のanswerを聞き逃してしまってそのままだからである。
但しそれに対する納得できるような答えを、果たしてお店の人が持っていたかどうかさえ些か怪しいことだと、ぼくは今でも疑っているけどね ♪
2022/04/10 更新
2022/02 訪問
志な乃/それぞれの拮抗
「生きるということは変化し続けること」
その循環はウィルスだけの専売特許ではなかったはずだが、人類はそれを忘れたか、変化に対応できなくなったものから順番に脅威に晒されるという自然の摂理に反し、“若”が“老”の為、楯として使い捨てにされるというこの理不尽な逆転を遮断する、地球の中でも極東の島国の住人だけが造り出し得た鋼鉄の宇宙戦艦のような圧倒的な力を、私は欲しい。
「永遠と幸福は共存できない」
永遠のイスカンダルの女王が、畳み掛けるようにまた言った ……
<R4.4.12>
「志な乃」
四谷三丁目で浮上し、ちょっとあたりをうろうろしてみるものの結局ピンと来なく、大きな分岐点で甲州街道とは袂を分かって新宿通りを選ぶ。ということは、いつものうどん屋を目指したということ。
時刻は午後1時半。
店内は比較的空いていたが、若い女性と向かい合わせに着くことがどうにも照れくさく、入り口すぐ左手の角っこに陣取らさせていただき、お茶と品書きを差し出してくれようとしたお母さんにまたまた、それに目を通すことなく即座に、いつものアンドロジナス的料理を注文。
隣の卓の簾にはまだ純白のうどんが山盛りされているというのに、彼はもう湯を猪口に注ぎはじめてる。
こちらの盛りは、そのうどん、そばの繊細さに対しけっこうに豪快だが、ということは彼は、そばを一枚やっつけたあとにうどんを追加したのだろうか。
仄暗く年季の入った空間。
そこにはいつも、それぞれの自由が拮抗していた
“合盛” @1,150也。
蠱惑のツートンが舞い降りる。
おそばも猪口に完全に溺れさせること。そして噛んでやること。先入観をブレイクスルーしてそうやることが出来れば、そば食いには初見ミステリアスにも映るであろううどん、そばと共通のつゆにも納得がいこうというもの。
その際、箸のティップの操作に最新の注意を払い、うどん、そばと同時に摘む薬味をなるたけつゆに溶かさずにやることを私個人は励行しているが、それが正しいやり方がどうかは知らない。
あらたに小あがりに着いたのは、私より若そうな旦那さんとその奥さん姉妹であろうか。
その三人に、ざるそば二つに大ざる二つと聞こえたのだが、それでは数が違う。空耳だろうか ? それとも、それもひとつの、そば屋にだけ許容される自由というものか ……
「古代、私ごと射て !」
その後新宿ピカデリーにて、こないだの宇宙戦艦ヤマトの後編を鑑賞。
あまりに理不尽な要求ながらそれを飲むしかなく、撤退をはじめた地球&ガミラス連合軍。その中でデスラー総統がいきなり ! ただ一人、旗艦デウスーラⅢ世の船首を180°回頭させ、未知であり、そして完全無欠の超巨大戦艦にデスラー砲を発射しながら突っ込んだ !
和平調停を反故にするデスラーの無謀に戸惑う古代 !
この超巨大敵艦の圧倒的防御力は、強力な外殻に依存しているだけであり、そこへ自ら人柱となって杭を打ち込んだデスラー総統は、ヤマトの波動砲をトリガーとし、そこへ敵艦内部に食い込んでいる自艦の波動エネルギーが誘爆すれば必ずや敵を倒すことが出来る ! 同時にチャンスはこれ一度しかないと古代を諭す !
「宇宙戦艦ヤマト」の魅力は、決して根性だけのsuicide attack(自殺攻撃)の美学などでは断じてなく、一見無謀に思える行為の中にも、そこには理論付けられた戦略と、わずかな可能性ながらも賭けるに値する戦術が必ず存在する !
そのデスラーの覚悟に呼応するように、波動砲をチャージしはじめ、対ショック、対閃光防御の態勢をとる古代であったがそんな中 !
「みんなが助かる方法が必ずあるはずなんだ !!」
そこへまだ変化の疾走を続ける若き魂が、もっと考えろ ! まだ考えられるはずだ ! と割って入るのだ !!
2022/02/13 更新
2021/12 訪問
志な乃/長いのがお好き
韓国製ノワールが池袋と新宿で掛かっていたが、ならば新宿で観るしかなかろうと短絡してしまったのは何故か。やはり、より猥雑とヴァイオレンス度の高い街でのほうが、それを堪能するに相応しいと直感したからだろう。
切符はすでにとれていたので新宿御苑前で地上に這い上がれば、寒波を苦もなくbreakthroughしてくる色温度6,000Kのデイライトに打たれ、やおら目が醒める。
こないだ一歩手前までやって来たというのに他所の誘惑に負け、そして失敗するという苦い経験が鮮やかに蘇って来ているというのに、性懲りもなく一寸辺りをキョロキョロとして見るものの、やはり正攻法でいこうと覚悟を決めて向こうに見えている看板へと舵を切った
<R3.12.25>
「志な乃」
右手で戸を引き、頭突きで直接暖簾を割るのは私だけの作法。
店内は賑わっていたが、幸い最奥の角っこに私の居場所を見つけることが出来、お茶を差し出す為に伸びて来た腕に同期させるように、いつものものを告げさせていただく。
斜め前のテーブルには男の子連れの家族。
男の子が長いのはイヤだと駄々をこねているようだが、そば屋さんうどん屋さんでそれをやられたらお父さんも困ってしまうだろう。
しかしその困りとは、私には永久に手の届かない困りであって、寧ろ羨ましく見惚れてしまっている自分がいた
“合盛” @1,150
感覚的には気持ち早い茹で時間で真ん丸の簾が舞い降りた。
女性性を示す純白のうどんと、男性性を示す褐色のそばとをセンターで合わせることにより表現されているのは、言うまでもなくマジンガーZのアシュラ男爵 !
このアンドロジナスという恐ろしい完全体に立ち向かう為には、真ん丸の徳利と猪口を空中でKissさせ、透き通った琥珀のenergyを一気に注ぎ込み、引きあげたその長いの(笑)をとっぷりと沈めてやるほかに方法はないことを私は知っていた。
東京そばの辛つゆを継ぎ足すとき、私はいつも幾ばくかの後ろめたさを覚えてしまうのだが(そのメカニズムについてはここでは説明しない)、この淡い琥珀を継ぎ足すことに少しも躊躇はない。
何故ならば、そもそもこちらのうどんそばは、つゆを食べる料理であるということ。と同時に、このユーモラスな丸徳利が注いでも注いでも尚減らぬ、まるで魔法の柄杓のように、その素晴らしいつゆを湛えてくれている為
異常な満足感の余韻をひき摺りつつ店を出て、新宿通りを渡って北側の路地に滲みこんでみる。
陽光の色温度はもう上がらない。少なくともこの限定されたエリアからは求めているヴァイオレンスなんか欠片さえも見つけることが出来ず、ただ平和だけがどこまでも広がっていた
2021/12/29 更新
2021/07 訪問
志な乃/モノクローム、逃げて
ミニスカートに高いヒール、そしてややスリムな太ももを持つ女性の向かいに着くということが、電車の中で出くわすことの出来るスリリングを得る為の一つの方法となろうかと思うがしかし、憐れ、隣のドアから突っ込んできた女性にそのポジションをとられてしまう !
しかし私くらいになると、そういった理不尽にも堂々構えることが出来るようになる。そんなことでじたばたしては男らしくないので、そこで沸き起こる激しい感情など強靭な精神力で抑制し、大人しく黙って耐えることが出来るようになるのだ
―― そのダンディズムだけを分かって欲しいのだが、その崇高な精神が誰にも伝わらないことが堪らなくもどかしい ……
<R3.7.3>
直接新宿御苑前駅で這い出ることが出来たのは、新型ウィルス過でインターネットの事前予約を必須とする映画館が増え、必要に迫られてなんとかそのやり方を覚えてしまったならば、これは意外と便利であり、今日も自ら勝ちとったそのやり方を活用したから。
そうすれば一旦劇場に立ち寄って切符をとるという工程が必要なくなるので、お昼ご飯をやれる場所の自由度が高まるのである。
運命のメトロを這い出て空が意外に明るくなっていたことには、少々ほっとさせられた。
今日は土曜日。となれば私にとっての新宿お昼ご飯最高峰、「天春」さんの天どんか、「志な乃」さんのそば、うどんがやれる ! ということを前提しての途中下車であった
(因みに日曜日はどちらもお休みである)
「志な乃」
スイスの超高級腕時計RADOの短針が12時、長針が40分を指すところで、お客さんは数組。しかしながら私一人くらいは十分に許容出来るくらいの店内。
最奥の卓に促され、まだ椅子にお尻が落ちる前にお茶を出そうと手を伸ばしてくるお母さんに気の短さだけは負けたくなくって(笑)、お尻が空中に残る間に間髪を容れず“例のもの”を注文するボク。
対角の、若いお父さんお母さんに挟まれて、小学校低学年くらいの男の子がそれでも箸をきちんと操作し、黙っておそばに立ち向かう姿が立派過ぎ、ふと自分の子供時代を振り返ってみれば、もう底知れぬ恥ずかしさがこみ上げてくるばかり ……
“合盛り” @1,150也。
短くない待ち時間が生ずるのは、うどんの茹で上がりも然ることながらそばも太いし !
ユーモラスな丸い徳利を猪口にKissさせて一気に注ぐのは、そうしないとつゆをこぼしてしまうから。そうしておいて先ずはうどんから、小麦のうまさを噛みしめる為、最初はつゆにつけずにそのままいただく。わけないだろう馬鹿野郎 !!
(ほんとうにつゆをつけずしておいしいのならば蒸籠一枚そのまま食べるはずだが、そんな人間を未だかつて見たことはない。同様に、いくら白いご飯がおいしいからといって、おかずを挟まず白いご飯だけで茶碗何杯もお代わりする人間が …… でもこっちはいるかも。世の中どこにでも、奇人変人っていうのはいるからね)
その意味で、「ラーメンはねぇ、おつゆがうまいんですよ」という中国の有名な格言があるが、そばもつゆがうまいということで概ね合っていると思う。
とりわけこちらの限りなく淡い琥珀のつゆは、うどんやそばを完全に溺死させてやったときに最大のうまさを発揮する !
独断と偏見に依り、褐色のおそばを西田ひかる、純白のうどんを石田ひかりと命名した。
ならば自分の立場は自(おの)ずとパツンパツンであった頃の片岡鶴太郎さんとなろう。その片岡鶴太郎さんが、常夏のビーチで水着の若者たちが戯れるような映像を見るとき、いつも虚しくなるのだと語ったことを、何気なく思い出してしまう。
自分にはいい思い出がなかったから、と滲み滲みつぶやくその姿を、自分に重ね合わせることを止めることが出来なかったのはもういつのことだったろうか ……
めくるめく官能の合盛りを堪能する。
対角の男の子と目が合ってしまい、さっと目を逸らしたことは、いくらおいしいそばを食べているからって、そんなことで大人が恍惚状態になっているということを子供には覚(さと)られてしまってはまずいと思ったから
放り出されて新宿通り。ひたすらなるモノクロームに身を委ね、それは私にとって居心地が良いとも悪いとも ……
堪らずに路地に逸れたが、自分から逃げてはいない。そこにある何ものからも逃げてはいない。
ただ逸れただけ
2021/07/05 更新
2021/02 訪問
志な乃/新宿阿修羅
最新の韓国映画を観る為に、いつもの新宿はニコマートに似た名前の映画館で切符をとった。
ダウンのコートを羽織ってきてしまったが基本的には暖かいようで、しかしとりわけ日なたと日陰の気温差が大きく、日陰は肌寒く、日なたは汗ばむという奇妙な現象が発生していた。
そんな中を靖国通り側からあたっていく。
今日のところは、もう大陸系中華屋は御免だと思っているのは、昨日の夜の部のせい(笑)。依って一度行ったことのある日本そば屋を覗いてみるも、やはりそういったところは既に繁盛していて、この界隈の皆さん、やはり分かってらっしゃると感心させられる。
少し南側にもう一件日本そば屋があるが、そこは自分の中では完全にNG ……
<R3.2.20>
「志な乃」
依って結局一本南の新宿通りを東へと、私の最高巡航速度である時速245km/hで歩道を巡行。滞りなく出ていた看板の前で急制動をかけた。
戸を引いて足を踏み込むとこちらの卓には未だ余裕があり、適当なところへ腰を据え、品書きも見ずにいつものものを注文。私のあとに入店してきて私の背中に着いた女性はあったかいうどんを注文したよう。
戸の向こう、新宿通りにはためく暖簾をぼぉっと見つめるふりをして、プロンプター(その実目の前に配置される新型ウィルス対策用透明アクリル板)で背の女性を窺ってみるが、その像は余りに朧気で、あまりに儚く、しかしそれが逆に男に備わった無限の想像力を疾走させる !
“合盛” @1,150也。
向こうの小さな女の子が発した「おいし~ ♪」とのcharmingなchimeに、私の心が完全にシンクロした。
東京のお店として、つゆへのどぶ漬けが赦された稀有なおそばを、それでも猪口に完全に釈放しないことは、私のそばへのただならぬ執着心 ! ならばその囚われの心の矛先を、今度はうどんに向けよう。
今日もこの純白と褐色のあしゅら男爵の仕上がりはすこぶる良好 ! 料理に絶対はないが(PORSCHE 930 TURBOを100万円で泣く泣く手放したどこかのマスター談)、今のところ、ここまで絶対の満足が保証される料理を、瞬間的にはちょっと思いつかないボクである
おっかけ入店してきた男性二人の女性一人、都合三名チームが揃って合盛りを、一つ大盛りで、且つぜんぶけんちん汁を付けて、一気に注文 !
繰り返しとなるがこちらのうどん・そばの盛りはそのままでもけっこうに大盛りなのだが、男性は兎も角、女性にやっつけられるものなのだろうか …… というよりも、そう考えるのはもしかして、加齢に依る自分の食欲の衰えなのではないかと、にわかに考え込んでしまうボク ……
―― いや、性欲がまったく衰えない(寧ろとどまるところを知らない)まんま精力だけが枯渇していくように(笑)、これは食欲衰えぬままにお腹のキャパだけおちた状態なんだろうなぁ ……
2021/02/22 更新
2021/01 訪問
志な乃/アンドロジナスとの再会
二度目の緊急事態宣言発布に依り、いつもより確実に抑制されているように見える新宿の街の人出。
行きつけの居酒屋も、これは本部決定だというが政府要請よりも手前の午後6時55分ラストオーダー、7時15分会計、7時半閉店という奇妙なもの分かりの良さを見せつけており、これはお店に対してではなく世間全体への皮肉と憤りのシェイクだが、いったいどこにそんな余裕があったのかと実に感心させられる
<R3.1.9 新宿>
「志な乃」
ルトガー・ハウアー狂い咲く、1980年代半ばの映画を観にやってきた。
今日も三丁目となろうか。それはヤダ !(笑) そんな子供のような我儘に突き動かされて今日も迷走を覚悟したが、そういえば ! と閃いて、新宿通りの歩道を、私の最高巡航速度である245km/hで東へと流した。
そして二つ手前の横断歩道から看板が出ているのを見つけたときにはもうどうにも泣けてきて、ファンベルトが切れることも厭わずにさらにpower-onしたことは、「ファンベルトのスペアくらい持ってないような奴はクルマに乗る資格はねぇ !」 から
―― by 早瀬左近 ――
暖簾を割って引き戸を引いた。
時刻は正午を半時ほど回ったくらい。街が閑散としていたのでもっとがらがらかと予想していたがどうして、一人客を交えつつ、既に数組のお客を抱えている。
お母さんのバッシングを待ってそこへ陣取らさせていただき様、「合い盛り」 と注文。と、お茶を出そうと後ろに控えていた若い花番さんが、その手に持っていた品書きをそっと引いた。
ここで「ほかにご注文は ?」 なんてやってしまったらすべてが台無しになってしまうことを、ちゃんと分かっておられるよう
“合い盛り” @1,150也。
先ずたっぷりとした薬味、そしてたっぷりと注がれたつゆが置かれる。
このファットなつゆ徳利にとばっ口までなみなみと注がれたつゆと再会出来た時点でもう、これから享受し得る時間が最高に豊潤なものになることが約束されたような安心感に浸ることが出来る。
となれば、そば慣れしている私にとってこのうどんの茹で時間の永遠には、逸る気持ちを焦らされるが、それは工程上絶対に必要なことなのだと無理矢理自分を納得させる !
しかしその“焦らされ”を経て舞い降りたこのアシュラ男爵の元気そうな面持ちには、思わず抱き着きたくなる衝動を抑えきれない !
早速猪口に徳利をkissさせ、その飴色の透明を一気に瞬間移動させるときに生ずるこの極上のthrillingは、こちらでしか味わえないもの ! 少しでも躊躇すればこぼしてしまうからだが、それが上手くいっただけでもちょっとした充実感が得られるから不思議である。
葱は当然のこととして今日は大葉も先ず適量、猪口に入れてしまう。
その上で、こちらの蕎麦はちょっとやそっとで死ぬ蕎麦ではないので一旦放っておいて、“今日は”うどんからつゆにぜんぶ釈放していくのは、“今日の”自分の信念に基づくもの ……
薬味の立ち位置として(そんなのあんの ? 薬味に立ち位置なんか)大根おろしは比較的中立となろうが(笑)、生姜と山葵という、この180°相反する薬味の使いこなしということも食い手の力量が試される部分である。
しかし基本的にそこを“好きなようにやる”、ということがそば食いのrule ! とは言え、その二つをなるたけ分離して扱うことがそば食いのtechnic !
久々なのであらためて言ってしまうが、こちらのこの“合盛り”というのを最初に目の当たりにしたとき、短絡的にうどんと蕎麦と同じつゆは絶対に違うだろうと訝った自分の幼さを、私は生涯自分への戒めに生きていこうと覚悟を決めている。
強固な信念には柔軟という名の汎用性が注入されてこそ、そこに初めて強靭な精神が生ずるというもの。
それはそばをつゆとともに啜るという裏技を表に返せる者だけが到達することのできる境地だが、無論その前に、そばをつゆとともに啜るという行為の反則性を十分に理解しておかねばその意味はない
2021/01/11 更新
2020/01 訪問
志な乃/アシュラ男爵との再会
家を飛び出したらなんと、まだ雨が残っているではないか !
慌てて傘をとりに戻り、ふたたびおもてへ飛び出していったら、今度は眼鏡が新しく調達した外出用のやつではないことに気が付いた ! ガ~ン !(笑)
―― ああ、もうダメだ。バス一本遅らせよう ……
と観念しつつもう悠々と腰を下ろし、眼鏡を掛け直しながら、昨晩いつもの居酒屋に突っ込んでY~ちゃんに開口一番に言われたことを思い出す
「メガネカエタ ? ドシタノ、ヨッパラッテコワシタノ ?」
―― しかしこういう観点って、世界共通なのかも知んないな。別に壊してないんだけどね ……
<R2.1.18>
「志な乃」
冷たい雨の新宿通りを途方に暮れながら東へと歩いているうちに、そうだ ! 「志な乃」がやっているじゃないかと思い出す。
時刻は午後二時をゆうに過ぎていたが、確かこちらならば、日曜日は休みだが土曜日は通し営業だったはず ! と思ったら案の定看板に灯りがともっており、吸い込まれるように暖簾を割った。
BGMは和楽器の和旋法が、極く遠くに ……
先客は2組、都合3人。お母さんが最奥の席へと手招きしてくれたので、素直にそこへ向かう。と思ったら、今日は茹で場の近くにお店の人たちの家族か親戚かが陣取っていて、若い彼は小上がりに腰かけたまんま、彼女は立ち上がったまんまずっと落ち着かず、一瞬そういうのはこの店らしからないなと思ったのだが、実はただのお客さんだったようで、そのうちにふつうに帰っていくではないか !
―― そうやって食べ終わって立ち上がってからだらだらやり続けることを、たとえ俺は許しても奈良岡朋子さんが絶対に許さない !
“合盛り” @1,150也。
この純白と褐色のハーフ、言わばアシュラ男爵とは久々の再会。
いつものようにとば口までなみなみと注がれたつゆ徳利と猪口を空中でkissさせ、一気にそのenergyを徳利から猪口へと伝導させる瞬間のecstasyにふたたび酔いしれる。
こちらのうどんとそばに関し、そのまま長時間ほったらかしにでもしない限り、どちらを先にやってもふつうに食べ切る間くらいは性能上とりわけ問題なしと見ているので、先ずはうどんから。
いつも種類、ボリウムともにたっぷりの特徴的な薬味だが、つゆにくれてやるのは葱のみとする。
そして掴むうどんは2本まで。それを完全に猪口に釈放してたっぷりとつゆを纏わせて啜るのは、それは形式美でもなんでもなくって、ただそうしたほうが“美味い”から。
蕎麦も山葵、大根おろし、また私はふだん使わない大葉などをこちらでだけは、それらをそばと一緒に掴んで基本的にはうどんと同じように、つゆにたっぷりと ……
繰り返しとなるが、私はこちらのお店に最初に出会ったとき、このそばとうどんを同じつゆで、というのを訝ってしまったのだが、逆に同じつゆで出来るようにディザインされた言わば“つゆ有りき”のそばなので、東京人として猪口にそばを釈放してしまうという違和感、そしてまたそばを“噛む”という背徳を乗り越えることが出来さえすれば(笑)、どちらも非常に美味しくやることが叶うはずである。
多彩な薬味を駆使して技巧を揮ううちにそろそろお腹がいっぱいになってきて、それと同時に完全に白日の下に晒される簾(すだれ)の、そのなんとも清々しき表情に日本という国家の佇まいの真髄を読みとりつつ、そこからまだたっぷりと徳利に残ったつゆを湯で愛でる作業が残されているかと思えば、おもての氷雨さえ、何か幼気な情緒に思えてくるから不思議である
―― 新宿通りの雨なんか、ただ鬱陶しいだけなはずなのに ……
【以下映画の話】
同日午後7時。
野郎ども4人衆のうち3人が集合し、歌舞伎町方面へと繰り出す。誰かが「手羽先の山ちゃん」ではどうか、と言いだしはじめたので、それだけはヤだ ! ふつうの居酒屋にしてくれと駄々をこねて「白木屋」に。
身体が相当に疲労しており、着席するなり「疲れた ……」をため息とともに漏らしてしまい、どうしたの ? と訝られるのをトリガーとして、いや、俺は今さっき今年一番面白い映画を観て来て、それに依ってもう疲れ果ててしまったのだと打ち明ける。
いや、まだ今年始まったばかりでしょう ? と訝る連れたちに、いや、確実に今年一番の映画だったんだよ ! 笑いが涙にかわるくらいの ! と、思いの丈を高らかに吠えた
―― 面白いって、笑えるって意味での面白いなんだけど、その観点から言うと今年一番どころじゃなくって、ほんと「トラック野郎」が復活でもしない限りは向こう何年もこんな映画出てこないかも知れないという、ほんとそのくらいの映画だったわ !
「なんて映画なんですかそれ ?」
「…… トナカイ粉砕なんとかかんとかって ……」
「映画の名前も分かんないのに今年一番なんて言えんの !?」「そんなんでチケット買えたんですか !?」
そんな私への批判が相次いだので映画の概要を伝え、それをスマホで調べていた連れがつぶやいた
「そんなのいっこも(トナカイ粉砕などタイトルのどこにも)入ってないじゃないですか !」
―― すみません、これ以上映画の話を引き摺るのは、ちょっとこの場ではムリダヨォー !
“合盛り”
その昔、「すみません、これ生姜と山葵はいっしよにつゆに入れちゃっていいんですか ?」と聞いていたおじさんがいたんだけど、私も同じことを思って残念ながらその答えを聞きそびれ、現在も謎のままである
つゆ徳利いっぱいの愛
2020/01/27 更新
2012/11 訪問
志な乃/夢盛る合い盛り
新宿にて映画一本と、昼寝を切り上げてやってきた。
紀伊國屋書店の裏側にあたるシネマコンプレックスの切符売場に一直線、窓口で希望のタイトルを告げると既に席が三列目より前方でしかとれないという。上映スケジュールを示す電光掲示板では、確か誇らしく◎が輝いていたと思ったが……
時刻は午後一時半前。
呑みはじめるには早過ぎて、人生をやり直すには遅すぎる……
気持ちを切り換えて、新宿通りを東へと進んだ。そのまま進めば甲州街道と合流するのは分かっていたが、もっといって千鳥ヶ淵に突き当たるのか、そのまま靖国通りになるのか自分の中でも微妙だった。しかし今日は、それよりも南下しながら東へ進んで、最終的に野生の感だけで銀座へ出ようと企んだ。無論、銀座木村家で“ピロシキ”を入手する為だ。何故木村家のピロシキを入手しなければならないのかというと無論、飲み屋の女の子受けが良いからにほかならない
兎も角、方向性が定まって新宿通りを東進中……
おいおいおい、もしもし? 俺!
お前、昼飯喰って家出てきたんだろう?
――蕎麦は幾ら喰っても太らないって、死んだおばあちゃんが言ってたのよ……
「民芸風手打ちそば 志な乃」
秋葉原に同じ屋号の店があって、景気の良い頃、地上げ攻勢に晒されているという話を幾度も耳にしたが、その後もかなりの間、その地で頑張っていたと記憶している。現在、確かその姿は秋葉のあの地ではもう見られない気がするのだが、定かでない我が記憶……
“ざる 合い盛り” @1,100也。
薬味に葱、山葵、大葉、生姜、大根おろし、胡麻
妬けに口元ぎりぎりまで濯がれて汁徳利、妬けに大量に盛られて葱。本来蕎麦と饂飩では、汁に求められる諸々の仕様が異なると私は了解しているが、どうやら同じ汁でやらされるらしい。そのとば口で器の内肌に透ける汁の淡い色合いだけで、既に私の求めるものではないと、短絡的に落胆した
だがしかし……
満たんの汁を猪口に移す前にそれを目の当たりにしただけで、私は全てを了解した。この、割り箸よりは少々細い程度の完全なる太打ちの蕎麦は、東京の辛口汁にさきっちょだけ浸してやれるほどには、従順なものではないだろう。この蕎麦ならば、うどん汁との共有条件を満たす筈である。
蕎麦の風体だけで、向島「角萬」を連想したが、こちらの方が遙かに高度な領域で“蕎麦”していた。ボリウムが満点の為、うどん、蕎麦それぞれの単品でなく、味覚、食感的コントラストがついて飽きのき難い“合い盛り”を無意識ながら注文したことの偶然を、これも日頃の行いの良さと手放しで自画自賛する大馬鹿野郎、この私
<結論>
蕎麦も饂飩も美味い。
どちらも手打ちのようである。そしてまたどちらも、汁にとっぷりとリリースして、且つ噛んでやって頂きたい。その完成度に高さ比例するように、他の全ての品も高価ではあったが……
小皿に溢れる数種の薬味。蕎麦には山葵、うどんには生姜、また大根おろしを都度、それぞれの上にのせてやった。別に格好をつけてそうしたわけではない。山葵をといた醤油で板わさなどをやることは、けっこう好きだ。ならば何故か? 確かによりストレートに山葵は山葵、蕎麦は蕎麦、汁は汁、それぞれの個性を独立させて香り立たせての口中昇華、ということもあるが、何より、湯で割ったときに汁の“純粋性”を保つことが出来る、という優位がある。そんな子供染みた単純な理由に因るものである
汁(つゆ)というより出汁といった方が嵌るであろうその淡く美しい汁を、おもむろに湯で割った。色が黒かろうが淡かろうが駄目なものは駄目、ちゃんとしているものはちゃんとしている、ということを、私はこの身に深く刻みこまれた者である。
こちらの汁は完全に後者で、熱を入れて四方八方、弾ける分子の纏う厚みのある出汁の香に、包まれて至福。軽く蕎麦でもとの安直が、予期せぬ満腹再びに、自己嫌悪微か。
店を出ようとする私を完全に補足し、その動きにシンクロさせて戸を引いてくれるご主人。振り返れば自動的に締まる戸。これ以上を考えられぬ絶妙なセンサーとアクチュエータ、即ち“人”の目と腕の筋によるこの上なく贅沢な自動ドアを背に、歩きはじめて迸るエナジー再び……
――これで俺は歩ける、銀座まで……
というか、嫌でも歩き通してこの熱量を燃焼させなければならなくなっただけの話だが……
2012/12/01 更新
神田のジャッキー・チェンに似た名前の居酒屋で、コドナが突如、自身の年内の結婚を発表 !
ここ暫く付き合いが悪くなったのでそんな予感はしていたが、そういうことかと腑に落ちつつ、そうなったらおれはもう、あなたのその人生最大の決断を全力で応援していくから ! とばかりに固い握手をかわし、友人としてその全面的支持を装いつつ、一方心の中では、いつまでも永遠のチョンガーを貫くとふたりして星桃次郎にたてたあの誓いは何だったのか !? と訝る
帰り道、京浜東北線の加速につれて、その訝りが憎悪となって加速し(笑)、今夜マドンナがいないことは分かっていたが、もうどうすることもI can not ! とばかりに王子のスナックへ突入 !
と、まさか ! 津軽の美しいひとの姿がカウンターのこちら側に揺らめいているではないか ! 恐らくプライベートで飲みに来ているのだろうが、私の入店に気付いたその美しいひとが一緒に飲もうと近づいてきて、しかし、コドナの結婚で気が動転していてそれを拒絶してしまったことは、一生の不覚 !!(笑)
加えてボトルのネームに、いつも私の苗字にそのひとの名前を連結させて記していたのだが、その同じボトルの別の面に数日前、別の女の子の名前を同じように二重表記していたことがバレてしまい、憐れ絶交されてしまう !
―― ああ、不幸って何故、こんなにも重なるものなんだろうか ……
<その翌日 R5.9.1>
「志な乃」
打ち拉がれた身体を癒してくれるものが何かを、しかしボクは経験上知り尽くしていた。
今日は平日ながら休暇をとっており、依って運命のメトロを新宿御苑前で這い出して一直線に“民芸風”のお店の前まで歩いて行って、暖簾を割ったのが正午を15分ほど過ぎたところ。
ちょうどテーブル席がひとつだけ空いていてくれてlucky !
“合盛” @1,200也。
またも花番さんがお茶といっしょに差し出してくれる品書きを遮って、“いつものもの”を注文。
縋るような気持ちが茹であがりの時間をいつもより長く感じさせ、そして舞い降りた純白と褐色のそのandrogynousを前に、心にやおら「津軽恋女」のイントロが流れ出したなら、もう最初っから津軽のとんがらしを、七つの雪のように、その上にうっすらと積もらせてみるボク。
このお店でのこのときばかりは、いつものつめたいそばのtheory(やり方)は潔く無視し、淡い艶を持つeroticなつゆを猪口にたっぷりと張って、空中操作に抜かりなく、その尾から、猪口の中にすべてを釈放し、寧ろつゆといっしょに啜りはじめるのだ
そう。ぼくは津軽のぴりりと辛いとんがらしを、昨晩心に深く刻み込まれた傷に乱暴に摺り込んで、その激痛で自分を戒めようとしたのだ。
けれど、でもそのとんがらしの中で雪の結晶になって泳ぐ焼きアゴ(トビウオ)の群れが、庇うようにぼくの痛ましい傷口に先回りしてくれて、ぼくはその優しさに、もうよけいに打ち拉がれるばかりだった ……
アゴたちの優しさに包まれて多少怒りのおさまってきたボクは、新宿通りを往きながら、コドナの結婚のことも少しは冷静にとらまえることが出来るようになってきて、もしもコドナがその妻である春川ますみとの間に9人の子どもたちを設けたとして、「桃さん、この子たちもいっしょにお風呂連れてってちょ~だい !」と言われたときの対処を前向きにシミュレーションし始める。
が、運輸省関係の仕事に就く男の中の男と違って、今の自分にはとてもそんな経済力なんか無いわ ! と、自身の不甲斐なさを呪うと同時に、でもト〇コ風呂って、ひょっとして子供料金の設定があるんぢゃない ? なんてアホなことを夢想してみたりしちゃって