11回
2025/01 訪問
パンダ レストラン/+お茶碗一杯分のサスティーン
9日間に渡った年末年始休暇の最終日。
昨日は突然LINEを入れてきたミッドホースと上野、というか仲町通り界隈飲み。となったのは、王子のスナックが廃業してしまっては、もうどこで飲んでも同じだったから。
久々に会った彼は、先日人間ドックで胃腸に影が発見され、再検査を受ける流れとなっているのだと言い、そこでガンが発見された場合、今欲しくて迷っているオープンカーを買ってしまおうと思っている、とのこと
私がバカなのかも知れないが、そのロジックがイマイチ分からないままに受け流した(笑)。
どうせ買うなら新車を買う。彼はそう宣いながら、たどり着いた「上野市場」でまったくの偶然そこだけ店内喫煙が許されているというカウンターの隅、焼き場スタッフの目を盗んでお店のチャッカマンを奪い(タバコは持っていたがライターが見つからなかった為)、まんまとタバコに火をつけてる。
日本の医師は、諸々のリスクがあって実は自分たちはバリウム検査なんか受けない ! ということは口を滑らせてしまったが、最近の日本人は喫煙率が劇的に減っているのに、しかし肺がんは逆に増えている、ということは、もう面倒なので口をつぐむことにした
<2025.1.5>
「パンダ レストラン」
その翌日の渋谷入り。
渋谷は外人含めた田舎者にのっとられており、私のようにソフィスティケイトされた足立区民が(現住所は北区だが)うろつくところでもないんだけど、ここでしか掛かっていない映画が観たかったので仕方がない。
ということもあったが、連休最終日にここ「パンダ レストラン」のご飯がぜひ食べたい ! ということもなかったと言ったら嘘になろう。
時刻はちょうど正午。目論見通りにスムースに席に通していただけてlucky !
向こうにうら若き美男子たちが揃っているのが見え、うち一人が社長と呼ばれているので、最初、ホストの新年会だと思ったが、隣のテーブルも同じチームだと気付き、そちらには美女たちが集っているのだけれど、それってど~ゆ~集まり ?
ど~ゆ~会社 ? ボクも入れて !
“豚挽肉と春雨の辛子土鍋煮・海老マヨネーズ炒め” @1,800
“ご飯お代わり” @100
〆て1,900円也。
ランチ以外のグランド品書きにも目を通してみたんだけど、やっぱりこのランチ揃いの魅力には抗えず、繰り返しの注文となってしまった。
麻婆春雨は落ち着いてやっていけば私にとって咽るか咽ないか、そのギリギリの綱渡りが出来る程度の仕上りなのだが、早く食べたい、早く飲み込みたいという気持ちが強すぎて、どうしても咽てしまう ! (子供かよ !)
今日気付いたことではないが小鉢の搾菜も余所よりはおいしい気がし、それにしょう油を注せばそれ自体でおかずとして十分機能してくれるものだから、片翼のこれまた蠱惑的なアイヴォリィ色のエビマヨとも相まれば、もう最初っからご飯お代わりを覚悟せざるを得ず !
「これ、お代わりください」
“半分”と付け加えることは無理だった。
瞬間風速ながらも68kg台に載った体重が、直近下手したら71kg台に再突入しはじめ、もう一段突っ込んだ減量作戦に移行しなければと思っていたが、それは明日からの実行にする。
そのことはフルサイズご飯のお代わりを可能とする、いや、もはやフルサイズご飯お代わり前提のおかずのこの問答無用のリッチさに依るもので、決して私の意志が薄弱だからというわけではないのだ !
「ご飯お代わり」という美しい日本語を、私は忘れていたような気がする。
日本語の乱れを正すべく、ひたすらに食べた。
+お茶碗一杯分、めくるめく官能の充分なサスティーンを常に確約してくれることこそが ! こちら「PANDA」さんの真骨頂だと思う。
その心意気にいつか報いる為、将来必ずやFIAT PANDAで乗りつけてみせる !
そう誓った連休最終日も滞りなく更けて憂鬱 ……
―― ジュッジャーロの、あの角々したヤツが見つかるかどうかだけどね ♪
2025/01/18 更新
2024/10 訪問
パンダ レストラン/ランラン、そしてカンカンに咽び泣いて
とうとうスナックの無い週末がスタートした。
いや、コロナ過以降、私はこのことに慣れていると言えば慣れていた。それがこの一年ほどの間、スナック含む飲み屋不毛地帯とみていた王子になんと適当なお店を見つけてしまい、足しげく通っていたのだが、そこのママが燃え尽き、お客を見捨ててお店を投げ出したのだ
ちまたではラーメン屋の店主が、ご飯を残して黙って去っていった女性客をSNSで追いかける話が炎上している模様。
なんでも自己申告のご飯“お代わり無料”をお願いしておいて、それを黙って残して出ていったのが許せないのだそう。昨今ラーメン屋の廃業は留まることを知らず、どこのお店も窮地に立たされている中、客の身勝手は許せない、というのだがちょっと待った !
これはラーメン屋さんに限らないと思うけど、激盛りやらご飯お代わりfreeやら、ただただお客さんの喜ぶ顔が見たいから、採算度外視で営ってます ! って豪語してたの、どこのどなた ?
そういったお店がコロナ過に入り、スナック含めラーメン屋含め、休んだほうがお金を貰えるということで軒並み客を見捨てて休んだこと、おれは絶対に忘れないからね。
(そもそも、ここじゃ説明しないけど“無料”レジ袋からの有償化と同様、そのご飯、最初から無料ぢゃね~し !)
というのは余談だが、一方私はスナック・ロス(キャサリン・ロスみたいに言うな !)に対しての抵抗を試みていないわけではなく、常に川口浩アタック隊の最後の生き残りとして、たゆまぬ努力は続けているつもりである
現に木曜日の夜もコドナと飲んだあと、まだ早い時間、そして給料日直前という好条件を見逃さず、古巣である東十条路地裏のスナックをあたってみたのだが、最初にアタックをかけた“歌の上手いお客が集う店”というお店のドアには、“体調不良により一時お休みします”との貼り紙があり、次に中から声が漏れ聞こえているというだけで、無音なお店よりはマシだろうと選定した(笑)お店のドアを勇気を振り絞って引いてみれば、旬を大幅に過ぎたママと棺桶に片足突っ込んだお客との、「観客のいないおしゃべり大会」の様相に閉口してしまい、そのまま“そっと”ドアを閉め戻したならば、もう完全に戦意喪失しつつ、東十条銀座をとぼとぼと帰るしかなかったボクである ……
<2024.10.26>
「パンダ レストラン」
久々の渋谷ならば、他のRestaurantを選定することなど出来ようはずもなかった。
私はこちらのお店の席に着いたとき、いつもランランとカンカンに哀悼の誠を捧げることを忘れはしない。
それから比べると、こないだ高齢に依る体調のことなどを鑑みて中国に返還されゆくパンダを涙で見送るファンなどは、一過性も甚だしく、自己愛しか感じない(笑)。何度も言うけど新橋の名画座が閉まるとき、おれはふつうにそのときかかっている映画が観たくて行ったのに、大量に押し寄せた“劇場との別れを惜しむファン”たちのおかげで鑑賞叶わなかったこと、おれは一生忘れないからね
―― 最後の日だけやって来て、なかんづく泣いて(笑)、あなたたちのどこがファンなの !? そ~ゆ~の、ただのマスターベーションって言うのよ
「それでは暫しご歓談を !」
―― え゛っ !!!
階段を下り切るとご年配の集団が老人の性を剥き出しにして(こらこらこら !)合コンしているようで少々ビビったが、地下ながら大きな床面積を誇るこちらのこと、滞りなく、今まで通されたことのない奥の間に。
そこには円卓が数卓並んでおり、ボクは未だ誰も着いていないところへ独り誘われる恰好となったが、luckyとも思えず。案の定、すぐに高価そうな時計と指輪とメガネを身につけた謎の紳士が現れて、ランチの揃いの中からのことだと思うが、「これは食べないから持ってこなくていいよ ♪」、と常連っぽい注文を繰り出すものだから、ウェイトレスさんによほど「その人がいらないって言ったもの、どうかボクに恵んでもらえませんか ?」と泣いて懇願しそうになる自分を、人間として最低限の尊厳をぎりぎり保たねばと必死で抑えむ
“豚挽肉と春雨の辛子土鍋煮 海老のマヨネーズ炒め” @1,800也。
豚挽肉という字面が生々しく一瞬怯んだが、要は麻婆春雨とエビマヨちゃないか ! ということに気付いて注文。
1,800円という価格にも怯まなかったと言えば嘘になるが、こちらの料理を信頼しているボクなもので、必ずや満足に足るものが、そして素早く(笑)出てくるはずと信じて、結果ほんとに、信ずるものは救われちゃったわ ♪
揚げられた海老の衣の食感が、乾涸びているのか(こらっ !)こういうものなのかは門外漢なものでちょっと分からないが、奇妙な臨場感を纏っており、なにより海老そのものも“ぷりぷり”(リン酸塩水加水のもの)ではなく、火の通ってちゃんと身を白くするもので良かった
そしてまた春雨がめっぽううまく !
しかしそれをやるとhot(熱)とhot(辛さ)にやられて咽るというディレンマに、派手に咽び泣きながら、もうなりふり構わずやれたならどんなにか恍惚なんだろうけれど、或る意味個室空間のようなこの静謐の空間で、いつの間にか同じくお一人様の都合三名で円卓を囲んでいる状況ではそ~ゆ~わけにも行かず、咽ない程度にぎりぎりのペースダウンを図りつつ、その刃(やいば)の上をつたうような危うさに、いつまでもいつまでも微睡まさせていただくボクであった
孤独と呼ぶには広過ぎる
しかし常に満足 !
なあウルトラマン、おれたちこんな遠い星までやって来て、何やってんだろうな。でもお前にはフジ隊員がいるからいいよ。おれもアナ・デ・アルマスみたいな可愛い子ちゃんと恋におちたいよ ……
私、海老アレルギーだから無理
2024/11/02 更新
2024/04 訪問
パンダ レストラン/女々しいと思われたくなくて
私の人力での引っ越しを成し遂げる上で最大の難関は、22Wとは言え、フルチューブの回路を持ったMESA/BOOGIEであろう。
いや、ギターなんか弾けもしないくせそれこそ真っ先に手放してしまえ ! という考え方もあろうがどうにも踏ん切りがつかなく、MOONのストラトとともに墓場まで持ち込む覚悟を決めている
余談ながら、これは前々から先述させていただいていることだが私は、MOONのストラトキャスターのあとで同じくMOONのテレキャス、しかもオーダーで誂えたUSホワイトアッシュの木目も美しいチェリーレッド・サンバーストを所有していたが、それだって触らなくなって久しいので放置は勿体ないと、当時いきつけだった十条の居酒屋でアルバイトをしていた男子に譲ってあげたことさえ、それも今は昔 ……
そしたら彼がその瞬間は大喜びしてくれていたことに加え、どういうわけか彼の彼女が気に入ってしまったらしく、USアッシュのクソ重いそれを小さな体で引き摺って歩いているのだと教えてくれたときには、ああ、こういった年寄りの持ちものを若い世代が活用してくれているのって、なんか良いよね ♪
なんて思っちゃったね !
<2024.4.21>
「パンダ レストラン」
「マジカル・ガール」という途轍もない映画を撮った日本贔屓のスペイン人監督最新作を観る為に渋谷入りし、先ずは今は(池袋に)無き東急ハンズへ直行し、新生活の為のmy箸と、そしてmyハサミを買う。
何故ならば、「愛があると辛すぎる。でも愛無しでは生きていけない」というカトリーヌ・ドヌーブの教えに加えて、人間には箸とハサミが無いと生きていけないと分かったから。そしてまた水道の蛇口から出る水をシャワーに切換え出来るやつを、随分迷ったが、結局一番大径で一番高かった5千円近くするやつにしてしまい、ほんとうにそれで良かったのだろうか ? と思い悩んでしまったならばもう、お昼ご飯処を探す体力も限界 ! 気力も無くなり、勝手知ったるパンダくんへの階段を転げ落ちることしか出来なかった次第 ……
“担々麺” @1,200
“点心セット/焼き餃子2個” @330
〆て1,530円也。
ほんとうはご飯ものを身体から要求されていることは分かっていたが、ランチの中で考えるとすればだが、今日のおかずが私にマッチしていなかったもので、麺でも食べてみようかと。
良い仕事(良い買い物)をしたあとは、真っ白な陶磁器に注いだジャスミン茶の淡い黄金色が抜群に映えて見え、そして豊潤な香りがとりわけ身に滲みる ……
料理は先ず、人間として人間ドックに行ったら必ずや、肥満ということで、向こう3ヶ月間の保険指導を余儀なくされること請け合いのパンパンに膨れ上がった餃子から舞い降りたことは無論 ! こちらのほとんどの料理が作り置きされているからに他ならないから !
ということを私はいつも、同じやり方をしていて、且つそれが好印象につながっていた有楽町「小洞天」さんに準(なぞら)えて語ってしまっているのだが、同じく早い ! うまい ! しかし“高い” ! を標榜する(笑)こちらにしては、担々麺の到着が些か遅れていることのほうが、寧ろfresh !
想像どおりに素材のすべてに怪しげ感のない、安全且つおいしい料理を堪能し、その余韻の中で、歯にねっとりとくっつくような上質なal denteを醸す杏仁豆腐を舐めてゆく ……
そしてこんなとき、ほんとうはディザートの甘さに舌鼓を打ちながら、ときどき思い返すように担々麺の十分に塩っ気の濃いつゆを舐め返すことを挟んで、そのコントラストに打ちのめされるという至福に微睡みたいのだが ……
「オサゲシテヨロシイデスカ !」
「…… はい」
―― ああ、いつまでもいつまでもどんぶりに残ったつゆを舐め続ける女々しいオトコと思われたくなくって、はいと言ってしまったことを後悔し続けるだけの、おれの人生 ……
2024/04/27 更新
2023/10 訪問
パンダ レストラン/自分だけの上野動物園を夢みて
またまた渋谷くんだり。
宮沢りえさん、オダギリジョーさんが夫婦役の「月」という映画を都合の良い時間に掛けているのが渋谷しかなかった為だが、このしっかり者の妻にダメ夫という構図は、あとから気付いたけど「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じぢゃないか !
それはそうと、私が鑑賞する作品の中だけでたまたまそうなっているのだったら良いのだけれど、オダギリジョーさんのこういった煮え切らない役の連続って、彼の役者としての価値をスポイルしてはいないだろうかと、他人事ながら不安になってくる
<R5.10.22>
「パンダ レストラン」
渋谷に来たなら、全国のパンダファンが集うというここ「パンダ レストラン」。
ホールを縦横無尽に跋扈する若きChina-girlたちには、上野動物園のパンダにちなんでそれぞれランラン、カンカン、ホァンホァン、フェイフェイ~とニックネームが付けられているとのこと。(ウソ)
「早い、うまい、安い !」という中国の格言があるが、有楽町「小洞天」さん亡きあと、安いは兎も角として、異常なスピードで料理が提供され、且つうまい ! を実現する唯一つのChineseであるこちらでご飯するということは、今日はもう決めていた。
ホールの采配は黒スーツの女性おひとりに任されているようで、一瞬お会計~先客の案内で立て込む中、若干待たされてしまったが、そのあとはいつもどおりに滞りなく席に案内されてlucky !
席に着いて隣と斜前に、それぞれ可愛いタイプと美人タイプの女性の姿があって、ならば空想の中で、その魔法動物たちを使って自分だけの、理想の上野動物園を作りあげようとし始めている自分にふと気づく。
そんなことだから、ランチメニュウに目を通したって正常な経済判断が出来なくなり、こちらお得意のおかず2種ご飯だが、気が動転してその中でももっとも値の張るものを注文してしまった !
そして目の前の真っ白なジャスミン茶の陶磁器を、眺めては飽きもせず、かといってふれもせず、
そんなふうにボクの一日が、またしても過ぎていくのだろうか ……
“エビのマヨネーズ炒め、麻婆ナス” @1,800
しかしそんな一日に耽る間もなく、今日も電撃でご飯が到着 !!
2種のおかずを片方だけでも兎も角持ってきてしまうせっかちさを、真っ白な陶磁器の中で唯一goldのアラベスクパタンを持つメインの皿が巧くキャンセルしてくれる。といってもその後間髪を容れず、麻婆茄子もおっかけ届いてしまうわけだが(笑)。
料理はもう、見るからにうまそう。
そこら辺に勃興する大陸中華と違って、安全性を気にする必要など皆無なところも良い。搾菜の味さえも、高級感が漂っているように錯覚させられる(錯覚ぢゃね~よ !)。海老も“あのとき”の海老クラスには至っていないが、蝋細工をかるく逃れているところが立派だと思った
残された注意点は、確かfreeではなかったと思ったご飯のお代わりを(カロリーを鑑みた上でも)やらない為に、このgorgeousにして豊富に過ぎるおかずを前にして、ご飯とおかずの理想空燃比を敢えて崩し、極端にリッチ側に振ってやっていくことだけ。
そうするとただでさえ充実のご飯が余計に豪華な印象となり、加えてこの地下ながらも広々としたフロアに集う様々な客層、若い女の子チームから、老人たちの人生最後のお別れ会(こらっ !)までの幅広い客層の中に野郎独り自然に紛れることが出来、至福の時間を常に完全保証してくれるということこそがこちらの良さだと、あらためて実感させていただくことが出来た
その後、宮沢りえさん主演、実際に起こった障がい者施設殺傷事件を元にした「月」という映画を鑑賞。
あとからその現実の事件を追うと、実に19人もの人命が奪われ、加えて26名もの重軽症者を出すというとんでもない事件である。
映画の中で犯人は、強烈な意志、それは本人にとっての“正義”なのだが、それを成す為には持久力を伴った強靭な体力が必要ということを理解しており、ハードなトレーニングを積重ねることに依りそれを実現していたが、おそらくその演出は、現実に忠実な部分であろうと推察される。
何故ならば、たとえ凶器を手にしていたとしても、それが刃物など、自分の体力で操作する武器である限り、思い付きや衝動だけで、それほどのボリウムの殺傷は無理だと想像できるから
しかし予備知識無しの鑑賞後感の段階でも、それが実際に起きた事件を下敷きにしているということを知ってしまっているだけで、この映像表現でも未だ生ぬるいのではなかろうかと、言い方が不適当だとは思うが物足りなさのようなものを覚えてしまうことが、この映画の題材選定からしての弱点であったと思う。
現実の奇想天外な暴力、狂気があまりに勝り過ぎていて、映画における“誇張”や“ディフォルメ”が、もうどんな手を使ったって効かない、ということを直ぐ様直感させられてしまうのだ。
それと並行し、世が世ならば松坂慶子さんにも匹敵する、日本を代表する美人女優になり得る資質を兼ね備えた数少ない逸材であった宮沢りえさんの美しさに、そこはかとなく翳りが漂い始めたこともまた寂しい ……
もう一つの上野動物園
ボクの一日が過ぎてゆく
その前に電撃でご飯が出て来た !
美しさの翳りというよりも、いい意味での“枯れ期”に入ったということなのかな ……
そして性懲りの無いボクの一日は、まだ過ぎない
2023/11/02 更新
2022/09 訪問
パンダ レストラン/パンダづくしはまだやれない
渋谷という、この日本から選りすぐられた知性の低い人たちばかりを集めたような街を泳ぐのは、激しいコンバットストレスに圧(の)し掛かられてもう堪らなく、出来れば一生避けたいことなのだが、ここでしか掛からない映画がたまにある為、時折やって来ることを余儀なくされている。
しかしそれが仕方なくとしても辛うじてやって来れるのは、私にとってこの町に「パンダ レストラン」が営っていてくださること、ただそのことだけに依存しているといって、決して過言ではないのだ
<R4.9.18>
「パンダ レストラン」
果たして人類に、パンダという猛獣と共生していける日がいつの日か来るのであろうか。そんな重要なテーマに思いを馳せつつ、日本でも珍しくリーズナヴルにパンダ料理を楽しむことが出来るこちらへの階段を下り切れば、今日も滞りなく着席することが出来た。
ただひたすらにパンダの友人であり続ける為、今日もこちらの名物料理である“パンダの丸焼き”、また“パンダ西京焼き”、そしてまた“パンダゲソ揚げ”、所謂パンダづくしを注文することは避け、いつものランチに目を通せば !
―― うっ ! いつもの永谷園の麻婆春雨ご飯がない !
“広東風麻婆豆腐” @1,200也。
いくら週替わりと言えど、今までこちらに下りてきて麻婆春雨がなかったことは記憶にないのだが ……
なので麻婆豆腐をチョイスしたところ、春雨と豆腐にどこまでコスト差があるか知らないが、春雨には餃子三つとかの点心が付いてくるはずが省かれているのは、これは実質的値上げか !
と考える間も与えてくれず、豆腐だろうが春雨だろうが同じ永谷園 !(そんなわけないでしょ !) 電撃的速攻で間髪容れずに繰り出されて来たご飯はしかし ! ちょっとした値上げくらいの問題意識を殺がれるほどにおいしそ~ !
そしてほんとにうまい !
作り立てで不味い料理より、作り置きでうまい料理の方がずっと良い ! ということは今は亡き有楽町「ビックカメラ」さん地下の「小洞天」さんがすでに完璧に証明していたことだが、あらためてそう思う
こないだ伺ったときには堪らずにご飯をお代わりとやってしまって100円余計にとられたが(とられたって、人聞き悪い言い方やめろ ! 自分が余計に食ったんだろ !)、今日は何故か「ご飯はどうしますか ?」と不意をつかれ、思わず「大盛りにしてください !」って答えてしまったところ、ふつうのときにはかなり貧弱な盛りと記憶していたご飯がけっこうな山盛りでやって来たことには驚いた。
(結果追加料金は発生しておりません)
先ずはこれが正式なルーティンとなるが、麻婆豆腐はあと回し、搾菜に隠し味でしょう油をかけ、白いご飯を穢してく。
搾菜って発酵食品なのかなぁ ? 塩っ気の入り具合に何等かのフレイヴァがアクセントとして加わって、そこへ隠し味のしょう油が効いてくるものだから、もう尋常じゃなくうまい !
麻婆豆腐がおいしいことも言わずもがなだが、こちらのキーは生姜かな。
搾菜と麻婆豆腐のダヴルおかずに対するこの大盛りご飯が、私の極く自然な口中調味でほぼ完全なシンクロ(synchronize)を見せつけてくれ、完全に同時に消化されていく様を、まるで上等なフランス映画を堪能するように、ただうっとりと眺めていた。
あともう一つ、言いたいことがある。
こちらのお店の、若き、そしてまたそうじゃない人はそれなりの年齢のウェイトレスさんたちの接客は、最高ではないが必要十分ということ。
であるが、これは多少の雑さもマスキングされているからだと言え(笑)、それが何故かと考えたとき、ホールを縦横無尽に闊歩する彼の国のGirlたちの纏う、昭和のデパート大食堂で給仕のお姉さんたちが着ていたユニフォウムを彷彿とさせる、その淡いベージュの、襟付きのワンピース(かな ?)の威力なのかなって ……
それって古き良き時代設定のアメリカ映画でもよく見かける、街道沿いのダイナーでウェイトレスが着てるやつと同系統のものだと思うけれど、それが不思議と日本人や中国人、モンゴロイドの体形にも非常によく似合うんだよなぁ ……
これは男のスーツのように、スーツっていうのは実は体形の弱点をカヴァすることに最大限の効果を発揮する洋服だと言われるが、このウェイトレスさん用ユニフォウムっていうのも、女性の身体のまろやかなラインを魅力的に強調しているように見せて、実は同時に、女性の様々なスタイルの弱点をカヴァする機能が満載されているのではなかろうかと ♪
―― それ考えると、男と女の身体はそれぞれ異なる曲面(または平面/こらっ !)を持っているのに、それに対して同じディザインの服を身に着けさせることがまさか平等だなんて、ほんと片腹痛いがそうじゃなくって、ほんとうは男女関係なく、個人個人の体形や心に合わせてオートクチュールの体操着を用意することが、ほんとの平等ってこと
ただそうやってぜんぶがぜんぶ自分の思い通りに誂えられたものにとり囲まれて成長した人間なんか、絶対にろくな大人にならないってことを(よく言った ! おれ)、ジェンダー平等推進派の人たちには、どうか頭の片隅に置きつつ活動に励んでいただきたいと願うばかり
ご飯全景。今日も大満足 !
何らかのボールをいくつか集めてこの竜にもっていくと、死んだキャラが生き返るか、またはご飯大盛りサーヴィスしてくれるらしい
ロマンポルノって、日活のブランドが復活したわけ ? なのかなぁ。まだ調べてない
2022/09/19 更新
2022/03 訪問
パンダ レストラン/もっと仲良し !
ふだんなら見過ごしてしまうだろうが、カードの引落し額がちょっと多めかな、ということに運良く気付いてしまう。
webから明細をたどると、意味の通らないアルファベットを羅列した会社に\25,000決済されているよう。その時点では、自分で買い物をして忘れているだけの可能性が強いと思ったが、いちおカード会社にコールして、その音声ガイダンスにひどくイライラしつつ、ようやく出て来た生身の人間に(笑)その旨伝えさせていただく。
と、どこどこというところでデータ流失が発生し、その案件はすべてカード被害のセクションでお受けします、となり、とんとん拍子に、先ずはカードを停止しますので電話を切ったら手持ちのカードにハサミを入れてください、というところまで来たのだが、ちょっと待った !
「すみません、私が(カード使用を)忘れているだけかも知れないのですが、その支払っている会社の屋号か、買った品物を教えていただけますか ? それで思い出して済む話でしたら、いきなりカードを破棄することもないのかな、と思いまして ……」
品物と言ってしまったが、25,000円ぴったりなんておかしいとは思っていて、可能性としては泥酔状態でキャバクラに行ってしまって、それを忘れている、というのが25,000円にもっとも相応しいと想像するのだけれど(笑)、でもいくら何でも行ってないと思うんだよなぁ、キャバクラ ……
ただそれを確認するには、また窓口を逆戻りしなければならないようでそれも面倒。やっと生身の人間(笑)に繋がったのに、また生身までが時間が掛かると思って。
あらためて確認すれば、とんとん拍子にここまで至ったということは、ある会社のデータ流失の範囲に私のカードがずばり掛かっていたということのようで、また支払先が海外となっていたことも加味すれば、私自身もある程度納得し、カードは破棄して、翌日営業担当者からもらえるという電話を待つことにした
<R4.3.20>
「パンダ レストラン」
そんなわけでカード決済が出来ないということは、映画館の席が前もってとれないということ。
web予約ということは、慣れてしまったら非常に使い勝手の良いシステムだとそのぬるま湯に溺れていたぼくだが、仕方なく昔のように劇場窓口まで行って先ずは切符をとり、そして今日は自分を騙すことなく、いつものパンダくんへの階段を下りる。
畳み掛けるように料理も、もう何度も注文している間違いのないランチ揃いものを、速やかに注文させていただいた
“土鍋入り麻婆春雨、焼き餃子(3ヶ)” @1,200
“ご飯お代わり” @100
〆て1,300円也。
今日も電撃の如きスピードでご飯が到着 !
“早い、安い、うまい !” のうちの早い、うまいは明らかに揃っているが、果たして安いということに適うだろうか ? いや、ついこないだの1,400円のたぬきそばに比べたら、もちろん安いだろう ! 安すぎて心配なくらいだよ(笑)
ご飯はよそい置かれたものか、また餃子は焼き置かれたものか、若干“熱”を失っていたが、麻婆春雨の無駄な熱さで完全にそのネガがキャンセルされている。おまけにザーサイにしょう油を回してしまっているものだから、それらすべてをストレスメンバーとして活かすことが出来、となればご飯お茶碗いっぱいで足りようはずもなく、たちまち !
「ご飯半分お代わりください !」
「はい」
「半分でいいです」
お代わりしなくてもボリウム的にはちょうど良かったのだが、これはおかずを消化する為なのだと自分を正当化してやった。それでも、どこからともなく襲われる罪悪感から逃れるために、半分ということを強調してみたりして ……
そして滞りなくやって来たお代わりは、さすがにご飯半分のよそい置きがなかったようで(こらっ !)、今度は熱々でやって来たし !
―― でもまじで、ここんちのお昼ご飯はすごい ! 感動した ! 1,400円の冷したぬきそばと比べたら、もう楽園だよ ♪ きっと悪い夢見てたんだおれ、あの夜 …… よく考えたらべつに善人じゃなくとも、ふつうの心を持った人間であれば、たぬきそばを1,400円で売るなんて非人道的な行為が行えるわけがないし、極悪人だったらもっとbigな悪事を考えるだろうしね……
額からたまらずに汗が流れて来る。
コロナ過でもちゃんと仕事している店のご飯を、コロナ過でもちゃんと働いている人間が食べるのだから、それは満足するのは当たり前だろう。何故ならば、そこにはお互い、今日を真っ当に生きているもの同士の呼応というものがあるから。
あともう一つ、分かったことある。
世界でパンダがいる国というのはある程度中国との関係が良好だと判断できると言われているが、世界で「パンダレストラン」がある国というのは、もっと仲良しってことね ♪
(ぼく調べ)
【この翌日、カード会社とのやりとりふたたび】
カード会社 「それでは〇月〇日引落しの25,000円について、不正利用の調査に入らさせていただきます。また既に引落しされておりますので、それについて振込手続きをとらせていただきます」
―― あれぇ …… ? おれもう、日本語分かんなくなってきちゃったのかなぁ ……
ぼく 「不正使用の調査に入るのと並行して、引き落とされたお金を振り込んでもらえるというのは ……」
というのは、不正使用且つこちらに過失がない、という調査結果が出てはじめて、お金を返してもらえるのではなかろうか ? と思ったわけだが、なんかもう薄々それは分かっているのだけれど、電話口の人に、そう言い切る権限が与えられていなかった、という感じなのかな
とりあえずお金は戻ってくるようだから、もういいや(笑)
2022/03/23 更新
2022/01 訪問
パンダ レストラン/どんぶりの科学
<R4.1.16>
「パンダ レストラン」
渋谷は出来れば避けたいのだけれど、どうしても必要性が生じて来なければならなくなったときには、もうここ一択で良いかなと思ってる。のだけれど、顔覚えられちゃうのもヤなので、同じお店だけをそんなに高頻度使いしたくもなく。
だからほんとうは、ちゃんとした日本そば屋と洋食屋さんをもう一店舗ずつ見つけたいのだけれど、それは田舎者のうつぼ(人種のるつぼみたいな感じで)、ここ渋谷では叶わぬ夢というものなのだろうか ……
未だ午後一時に達していなかったが、店内はそこそこ賑わっている。ものの、私一人くらいの居場所を見つけることに何ら問題はなかった。
どことなく昭和の雰囲気漂うユニフォウムを身に纏ったChinagirlがいつものように、草臥れた私を二人掛けのテープ席へと誘ってくれた。
捻っていくことに最初から決めつつメニュウを手にとる。
こないだ私の斜向かい(はすむかい)のおじさんがやっていたどんぶりが非常に興味深かったもので、私もその戦法でいくことにしたのだ
“エビ入りつゆめん” @1,100也。
単品だと思っていたが、ディザートが付いてきたことは嬉しい誤算。
しかしそのどんぶりのsurfaceは透明感を湛え、正直、富山のBlackラーメンだけは勘弁な !(Aチームのコングのような感じで) の私でも、それほど魅力的には映えていない。
いや、お腹空かせてラーメンどんぶりが目の前に舞い降りたときの、あの興奮、というかときめき ? っていうんですか? その「ときめきに死す」って感じが、いまいち得られなかったのだ ……
※ 余談ながら数年前にちゃんと「ときめきに死す」を劇場で鑑賞した私が、酒の席で連れに「思ったよりもジュリーが恰好良くなかったんだよね」と宣ったところ、「今までジュリーが恰好良かった映画ってないだろ !」と返されて、そういえばそうだよなぁ、と、妙に納得してしまったことを思い出す
それはたしかに、オキアミよりもずいぶんと立派な小海老で彩られていたが(お前いつか絶対背中から刺されるよ !)、それよりもチンゲン菜、白菜、マッシュルーム(に似たなんらかのキノコ)がたっぷり。
それらに構成された透明の餡で覆われていたがしかし ! 麺を掘り起こそうと箸を深く突き刺したところ、ラーメンはふつうのしょう油ラーメンに近い感じかな ……
どんぶりは明らかにそれで一定の完成をみせていたのだけれど、そこからさらに醤油をまわしていくぼく。
その時、これは醤油注しの口から落ちる醤油のルックス的表情だけを読みとったものだが、これってでも酸化を免れているってよりは、出汁しょう油みたいに淡くさらさらな感じなんですけど ! どうして ?
満を持して餡のクリヤの純血と穢れたつゆのblackとを、科学的に融合させていく。料理こそが科学そのものであるということを、世界最高峰の反戦映画の二本のうちのひとつである「ひまわり」を観た瞬間から、私は既に理解していた。
(因みに二本のうちのもう一本の、最高の反戦映画が「ゴジラ」であることは言うまでもない)
結論的にこちらは、ふつうにランチのご飯ものを注文していったほうが高い満足を得られると思うがしかし、それでも今日もまた、及第点を十分にキープ出来る料理を出してきてくれたことに逆に信頼感が高まった !
となれば料理研究家でもあり冒険小説家でもある私に課せられたこちらでの課題は、優先順位的に、今度は炒飯ファミリとなるのかな ……
―― 自分の食べたいものだけ選って注文したかったらすれば良いけど、それじゃ評論家、とは呼べないからね。おれみたく、不味いと分かってるものだって元気とやる気と勇気を以て、果敢に注文してかないと
【以下映画の話】
監督:トム・マッカーシー
出演:マット・ディモン アビゲイル・ブレスリン カミーユ・コタン
2022年 139分 アメリカ合衆国
「スティルウォーター」
昨日リーアム・ニーソン主演の「マークスマン」という映画を、けっこう期待して観に行った。クリント・イーストウッドに師事していたというその監督の前作(「人生の特等席」というイーストウッド主演の作品)に良い印象を持っていたことが期待を高めた理由だが、結果肩透かしを食らったというの正直なところ。
対して公開直後のマット・ディモン主演の本作には、結論的に久々にまともな映画を観たなぁ、と、いたく感心させられた次第。
アメリカの田舎町、オクラホマ州スティルウォーターで、自分のアルコール中毒が原因で妻を自殺させてしまった男。
勤めていた油田会社が不景気で仕事も失ったが、このハリケーンの後片付けの土方仕事が永遠に続くわけもない。妻の死後、妻の母親に任せていた思春期の娘はてっきりアメリカの大学に通うとものだと思っていたが、フランスはマルセイユの学校に旅立ってしまい、あろうことか、そこで出来たレズビアンの友だちを痴情のもつれから殺してしまった。
そんなことでお父さんは、うまくいっていない、というよりも自分のことを軽蔑さえしているであろう娘の収監される刑務所へ、言葉も文化も分からぬフランスへと、それでも単身乗り込むのであった
fade out
2022/01/20 更新
2021/12 訪問
パンダレストラン/飢餓海峡に堕ちて
「どっちか選ぶんだ ! あのメガネをかけるか、残飯を食うか !」
昨夜は、日本一周なら誰でも出来るが、しかし自分は日本を制覇したのだ ! と公言してはばからない大言壮語のオトコと新橋で飲んだ。
ふだんウィスキィを飲み続ける私が先行して新橋入りし、いつもの「千の風」に突っ込んでみれば、未だ気配的にお客ががらがらと思しき状態からもう店長が、「本日は二時間制になります」 と宣告してくるので、そしたら連れが来たらにしときます、と言って踵を返す。
エレヴェータで地上に降下しながら、皆まで説明しないけど、この店はもうダメかも知れないと思った。
まさに卵が先か鶏が先かではないが、コロナ過で営業がままならなくなったが先かお店のモチベーションが地に堕ちたが先か、このままではお客もお店も、どちらも不幸だと思うのだけれど ……
※ 但しフロアががらがらだったとしても、人手の都合がつかなく営業がままならない、ということはあろうかと思うけど
そんなことで、別のウィスキィボトルの無いチェーン居酒屋入りし、彼が熱燗を飲み、私は冷酒を飲んでいたのだけれど、熱燗は熱でアルコールが飛ぶのに酒のまわりが早いのは何故だろう ? 理論上そんなことがあり得るのか ? という話になり ……
ならばこのままおれが冷酒飲み続けるから、お前は熱燗飲み続けろ、それでその感覚が合っているか実験してみよう ! と提案したのだけれど、そいつはアルコールの基礎耐力が個々に違うから、などと日本制覇したくせに女々しいことを言って逃げるのでしらける。
しらけ鳥が南の空へ飛んでくのが見えるくらいに ……
<その翌日/R3.12.31>
渋谷の映画館で大晦日の今日一日だけ、ジョン・カーペンター特集をやるということに幸か不幸か(笑)気付いてしまった私は、「ニューヨーク1997」から続けて二本観てしまおうかとも悩んだのだけれど、それも些かキツいかなと、まだちゃんとは観ていないと思しき一本に的を絞り、空中回廊の終点で運命のメトロを下りた。
「パンダ レストラン」
午後1時のわずかに手前。
階段を下りきってみれば、これは中華おせちの持ち帰り販売なのかなぁ ? お店の女の子たちが包みを抱えて奔走しており、こちらにしては珍しく、暫し待たされての入店となった。
が、その後は感度の高いホール係の彼の国の女の子たちのおかげで、いつもどおりにスムースに事が運ぶ
“土鍋入り麻婆春雨、焼き餃子(3ヶ)” @1,200也。
今日も大人のchineseお子様ランチを。
注文するとすぐに料理が出てくるところが、今は亡き有楽町「小洞天」さんを彷彿とさせるが、あらためて、フロアの規模、また地下にあっての余裕の天井の高さなど、共通点が多いと思う。
早速ザーサイでの口中調味でご飯の調子を試し、畳み掛けるようにその白いご飯に麻婆春雨を滲み込ませてやっていくと、もうとろけるようにうまい !
これは面白い現象だと思ったが、お店に入る前には気にしていなかった空腹感が食べ始めてから寧ろ刺激されてしまい、たっぷりのご飯を目の前に、逆に飢餓海峡的精神状態に陥ってしまって、もう子供のように、バンブーの丸断面割り箸を、なんどもなんどもとり落としそうになりながら夢中で食べ進む !
「すみません、ご飯半分もらえますか」
ご飯がなくなって一寸葛藤。が、もう自分を抑えることが出来ないことは自分でも分かっていた。
唯一の抵抗は、ご飯を半分にしてもらうことだけだったが何これ !!!
―― これどうみても半分じゃないでしょ !(笑) 久々にお茶碗fullに2杯やったわ ……
【以下映画の話】
監督:ジョン・カーペンター
1988年 96分 アメリカ合衆国
「ゼイリブ」
これは異星人なのかなぁ ?
人間社会が未知の何者か(They)によって既に牛耳られてしまっている状態。
そのことに気付いた一部の人間たちはなんとかその事態を打開しようと、教会を隠れ蓑として、テレビ電波を乗っとってのゲリラ放送で真実を伝えようと画策しつつ、また人間に擬態して社会に溶け込む彼らの実像が見通せるサングラスを開発したようだが、それを大量生産する手段を未だ持っていないよう。
主人公は不況で失業し、職を探して点々とホームレスのコミュニティを渡り歩く、しかし体力だけは無駄に有り余っている愚直漢。
ある時不審な動きを教会に見つけて潜入すると、ちょうどそこへ警官たちが大勢で攻め込んで来て、教会は焼き払われてしまった。
そのどさくさに段ボール箱で大量保管されていたサングラスを意味も分からずに持ち逃げした主人公が、一息ついてそのサングラスをかけて街を見回してみればあら不思議 !!
1980年代の終わり。
そのときのアメリカの社会情勢がどうだったか私は知らないが、そこに描かれるカーペンター監督の風刺の利いたメッセージは、寧ろ現代社会、とりわけコロナ過の日本社会を完全に見据えているかのようで、非常に興味深いものがあった。
服従せよ ! 結婚して出産せよ ! 考えるな ! テレビを見よ ! 眠っていろ ! etc.
そのメガネを通じて世界を見たとき、都会のビルに掲げられた宣伝ポスターにはそんなメッセージがそこかしこ、サヴリミナルで刷り込まれていたことに気付き、また人間に紛れた“彼ら”の真の姿、その目玉スケルトンのような不気味な奴らが白日の下に晒される !
その讃美歌をテープレコーダーで再生する謎の教会は、“彼ら”への対抗を試みるレジスタンスの拠点だったのだ
その世には、どうも人間の中に2種類いるようである。
何も知らずに彼らの思い通りに洗脳されゆく者と、彼らの目的を知りつつ彼らに迎合し、彼らから認められることに依って、ということは同胞である我々を裏切って、自分のステイタスを維持向上させようと謀る者で、しかしこれは現代社会と全く同じ構図ではなかろうか !
主人公は大量殺人犯として手配されながらも、なんとか現実を見通すことが出来るメガネを日雇いの職場で出来た相棒にかけさせようとするのだが、殺人犯と関わり合いたくないと思っている(家族がいるのに仕事を失いたくないと思っている)相棒は、それを断固拒否。
メガネをかけろ ! かけない ! のばかばかしい争いで、もうお互いボロボロになるまで延々ととっ組み合い、最後は主人公のバックドロップが決まり(笑/この主人公を演じているのは当時の人気プロレスラーとのこと)、ついにそのメガネをかけさせられた相棒も世の中の真実を知ってしまうことになるのだが、それが良いことなんだか、それとも ……
「Brother(兄弟) ! これが地球なんだ。ひどい実情だろう ?」
ここで言うメガネをかけろ ! とは、真実を見ろ ! ということに他ならないと思うが、実はメガネをかけることを拒否する相棒の頑なさこそに、もっとも重要な教示が含まれているなと思った。
真実を知らないだけであればまだ良いが、それを知ろうともしない、もっと言って真実を避けるということこそが、徹底的に悪質なのだということ。
余談ながらこの映画に出て来る“彼ら”の特殊メイキャップを見て、私は即座に「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」に出て来る、同じく人間を装った悪側のサイボーグである“フェンボット”を思い出してしまったのだが、意外にもジェミーは70年代の終わりに放送を終了しており、本作よりも10年ほど古い作品である ……
―― だからってどうってことじゃないけどね
「テレビを見ろ !」
私が子供の頃はテレビに夢中になっているとバカになると止められたものだが、現代は逆に若者のテレビ離れが進み、主な視聴者層はお年寄りとなっているらしい。
今から考えると、あの時の「テレビを見るとバカになる」っていうのは実は的を射ていたんだなぁ、と感心すると同時に、そういうことってやっぱり、お年寄りから若者に諭してくれないと、なんかしっくりこないんだよなぁ ……
とはいえ昔のドリフとか川口探検隊には学ぶべきことが多く含まれていると思っていて、またそれが面白さに直結していると思う。対して現代は詰まらないテレビしかやっていないので、もっとstraightにバカになっていくだけなのだろう。
だからドリフや川口探検隊やトラック野郎は、ほんとうは寧ろ文科省が推薦して、日本国民に積極的に見せていくようにしなきゃ。
そして涙あり、笑いあり、アクションあり、なかんづくお色気あり ! の豊かな日本をとり戻すのよ。その為には遠近両用でかまわないから(それお前な !)、みんなメガネをかけること
―― そしたら良く見えるわよ、真実が ♪
Fine
2022/01/02 更新
2021/08 訪問
PANDA レストラン/俺たちのツートン
妹 「私の庭には最低限5本の松が欲しい ……」
姉 「日本人に虐待されても日本庭園がいいの ?」
何故か渋谷づく夏休み。
地下鉄を溜池山王で乗り換えることも、さすがに身体が覚え始めているような気がしてきた。ちょっと通わなくなれば、またすぐに忘れるだろうけど ……
今年の私の夏休みは9連休となるが、全般的に天気が良くなく、その中でも最高の日よりとなろう本日。
たしかに暑いには暑いが、昨日のような外に出た瞬間、大袈裟に言えばサウナに入ったような空気の熱は感じなく、心地好い風が気化熱を奪ってくれれば寧ろ爽やか
<R3.8.11>
「PANDA レストラン」
渋谷にきたときに心配が募るのは、いつもどこでご飯をやったらいいのかということ。
往き交う若者たちの群れを、水中を機敏に泳ぐ熱帯魚のように縦横無尽に交わすフットワークも奪われて、ただ右往左往するだけの弱った魚のようなおっさんに映っていないだろうか、そのことだけが心配ながら、それでも進む。
と、視界に私の好きな、いや、日本全国民が好きなツートンカラーの猛獣が姿を現して、私を地階へと誘ってくれた。
高い天井に広いフロア。
そこらへんの中華屋にありがちな狭い、ベトベト、うるさい ! とは真逆の空間が目いっぱいに広がって気分上々 ! 客捌きは彼の国の女の子たち数名。人差し指を一本立てた私を、一人の女の子が当然のように最奥のVIPルームへと誘ってくれたことは、私の隠しても隠しきれない気品というものを見抜かれてしまったせいだろうか
彼女は果たして、私を丘の上の王子様と見破ったのであろうか ?
私はそのひとりぽっちでいるとちょっぴりさみしそうな女の子を、キャンディと名付けた。
間髪を容れずにキャンディが突き出してきた陶器の急須から湯のみに注いだ流体は、それはそれは美しい琥珀色のジャスミンティーであったが、この季節にして何故熱いのかは、中国五千年の歴史のみぞ知ること
―― いや、きっと冷たいジャスミンティーなんて邪道なのかな ……
“特選/土鍋入り麻婆春雨、焼き餃子(3ヶ)” @1,200也。
注文は店頭で直感的に決めていたので即座にそれを注文し、またそれに呼応するように、即座に料理が出てくる。
このスピード感は有楽町ビックカメラの地下にあった、私の好きだった(過去形となります)「小洞天」さんと同じ感覚でもある。
メニュウ画像よりは火が入り過ぎているかな、それでも美味しそうな春雨を前にキャメラを構えたら、ぜんぶ揃ったと思っていたところへさらに餃子とディザートがおっかけ舞い降りて、えっ !? めちゃくちゃゴージャスになっちゃったんですけど ……
料理は提供速度から、明らかに作り置いたのもの、或いは途中まで作りかけたものを巧く併用していると思うのだけれど、どれもうまい !
麻婆春雨は思ったよりも私にとっては辛さがあり、そのパンチで全体を引き締めることに成功しており、そしてまた中華での私にとっての心配事は常に挽肉の質となるが、それもちゃんと国内の正規流通ルートを使用していると思しき(確認したわけじゃないですけど)良質なものなので、私がこの自身の電子日記で良く使う表現ながら、“口の中に探しもの”をせずに、安心して食べられるものであるということが心強い !
躯がつめたいものを要求していたので、ホールの女の子にこおり水をもらう。
それがキャンディだったかどうかはもう忘れたが(最近若い娘は誰も同じに見えていけない)、誰もがお客のほうを向いた好ましい接客であり、加えてお店の高級感、料理の充実っぷりと品質の確かさ、畳み掛けて美味しさは、これで1,200円ぽっきりとは到底思えず、べらぼうに満足度が高いお昼ご飯となった。
また比較的いつ訪れてもでもスムースな着席が叶いそうなので、私の渋谷ご飯ライフポッド1号店として、もうこれは正式に認定させていただきたいと存じます
【以下映画の話】
監督:トム・リン
原作:タン・トゥアンエン
2019年 120分 マレーシア
「夕霧花園」
南国の淡く、そして深い、濃淡に溢れた美しい緑の只中。
異国の地に忽然と日本庭園を持ってきて、その親和、調和を目指すということは、果たして奇行か、愚行か、はたまたfantasyか ……
予告編映像の耽美に惹かれ、期待と不安を抱えてやってきた。
不安とはやはり、作品中における太平洋戦争下のマレーシアに対する日本統治の扱い方、とりわけ慰安婦の扱い方となろう。
鑑賞後にマイコンにあたれば原作はマレーシア人。監督は台湾人。主演女優も台湾、香港で活躍しているマレーシア人とのこと。
率直に言って私は日本人として、お金を払って反日映画を観たくはない。依ってそうではないことを願いつつ劇場に足を運んだわけだが、結果的に日本軍の残虐がステレオタイプとしてソフトながらも織り込まれてはいたものの、上記製作陣の素性からもある程度判断がつくように、その部分については許容範囲であった。
というよりも主演女優の眩いばかりの美しさが、それを軽く凌駕していた、と言ったほうが正しいか ……
この場ではこの辺りで ……
2021/08/14 更新
2021/02 訪問
PANDA RESTAURANT/上野ぢゃなくて
渋谷までの地下鉄での行き方を朧気に覚えたつもりだったが、乗り換えにこんなにも難儀しただろうか。
腑に落ちぬままに階段の上ったり下りたりを延々と繰り返す。あらためて乗り換えアプリを見返すと、溜池山王も乗り換えポイントとなっているようだが、もう記憶がない (笑)。
兎も角、もう永田町での乗り換えは禁止と心に誓うが、それすらまた忘れるのだろう
<R3.2.7>
「PANDA RESTAURANT」
上野ぢゃないのにパンダとは珍しい。
(私はべつに三菱地所のまわし者ではないが、若い女の子たちもよく使う“ち”に点々が好きだ。例:(自動車の内燃機関である)エンヂン)
渋谷のTOHOシネマズで切符をとり、ちょっと進んだらパンダに地下へと誘われたのだ。世界でパンダがいるかいないかということが、中国との友好関係を示すいちおうのバロメータとなっている、ということは先述させていただいる。
そしてパンダが実は、その可愛い外見とは裏腹に凶暴な猛獣であるということは良く知られているが、その理由が実は、中国の飼育係の人が先ずそこらへんでツキノワグマを捕まえて来て、その毛を脱色してから黒い部分を白髪染めして世界へと出荷されるから、ということはあまり知られていないことである。
BGMは女性ヴォーカル入りのスロウなJAZZバラード。
照明はLEDの直火。
そしてホールの女の子たちは、レトロチックなユニフォウムに身を包みながらもしかし、スニーカーに仁王立ち系
(安全且つ静かな給仕の為、また彼女たちの足の健康面でも、私はそのことに賛成ですけど)
“野菜の塩味炒め、土鍋入り四川風麻婆豆腐” @1,500也。
海老ラーメンが900円だったかな ? そんな中の、けっこうに高級なフロアでの千五百円のご飯は如何に !
と、計ってなかったけど(笑/いちいちご飯提供リードタイム計るのやめろ !)、超迅速に野菜炒め以外のすべてのものが舞い降りて、にわかに軽く絶望 (笑)。
その野菜炒めさえ、おっかけすぐにやってきた !
軽い眩暈の中で蓮華を手にしやりはじめた麻婆豆腐は !
―― これ昭和式のに昨今のトレンドで痺れを効かせたやつだけど、挽肉の質(たち)の良さとも相まって、案外良いね ♪
野菜炒めが思いのほかキノコ系主体&キクラゲ(キクラゲもキノコの一種じゃないの ?)でたじろいだが、たまには胃を慣らす為にこういうのもお腹に入れておこうと、やりはじめる。
味に少々パンチがないのとヌルいのが気になった。味は1億5千万年前の岩塩でなんとかなるが、ヌルいのだけはどうにもならない。
何故ならば、熱は高いほうから低いほうへとしか伝わらないからだが、この原則を知らない(或いは知らないとしか思えない)お店のなんとも多いこと
“作り置き”ということは(おいっ !)、今は亡き有楽町「小洞天」 があったが、価格的にはほぼ同レヴェル。内容的には、小洞天さんのほうが2段階ほど良いかな ……
とは言え、お会計時の内税明朗会計含め、お腹いっぱいぜんぜん満足のお昼ご飯であった。
で、そのあと、岡田将生さん主演の「さんかく窓の外側は夜」 という、これはホラーとなるのかな ? ミステリーがかったホラーを鑑賞。
【これから鑑賞しようとしている方は、ここから読まないでいただければと存じます】
除霊を細々と生業とする岡田将生さんと、子供の頃から幽霊が見えてしまい、そのことがずっと心の負担になっているもう一人のイケメンとのバディムービー。
そこへ最近ひっぱりだこの個性派俳優、滝藤賢一さん演ずる刑事が加わり、心霊現象を介した連続殺人事件に肉薄するという、或る意味子供じみたドラマだが、お化けを呼吸する岡田将生さんとお化け過敏なバディ、そしてお化けを“信じない”滝藤賢一さん演ずる刑事とのコントラストを、たいへん興味深く鑑賞させていただいた次第
「信じないものはその人に作用できない !」
そのオカルトを“信じない”刑事には、呪いを操る少女の攻撃は通じない。
その刑事は(霊的に)“鈍感”ということが能力であって、そして除霊の最前線で戦う岡田将生さんは、その鈍感を“頼りにする”。能力を持たないこともまた能力。これ以上の多様性の尊重があろうか !
この新型ウィルス体制下、本作にてとりわけ意図されたことではないのであろうが、信じる、言い換えて煽動される(煽動されがちな)民衆から派生する恐さを、いみじくも教示してくれているなと感心させられた
2021/02/07 更新
ウィスキィをたっぷりと注いでくれるミャンマーの女の子の姿が見えないが、大地震と関係がなければ良いけど ……
コドナは最近アルミキャップの冷酒がお気に入りのようで、二つ目くらいからそれを注文しているよう。それは良いのだけれど、二人の間に溢れる強固な友情からか、必ずお猪口を二つと言うので、ウィスキィと日本酒、どっちがチェイサーか分からない状態で徐々に、しかし強烈にalcoholが脳に効いてくることが、ここのところの記憶の断片的欠落に影響しているのかも知れないな ……
なんて思いに耽りつつ、ただお代わりだけを繰り返していた
ビングのキャブが温まってきたと見えるコドナが突然、「酒っていうのは、ちゃんと目的意識を持って飲まなきゃダメなんですよ !」と真顔で宣い始める。
だからお前は冷酒はやめろ ! と思いつつ、「そして、飲んだらちゃんと結論を出さなきゃダメなんだよね」と返す私の反応に十分に満足し、同時にグラタンをうまいうまい ♪ と、もう竹脇無我夢中で喰らうコドナを遠くに傍観しながら、いつかあなたをグラタン皿の上に丁寧に敷いて、ボクのキャンディレッドのシャープ・ヘルシオでこんがりと焼き上げてあげますと、心の中で約束してみちゃったりして
<その翌々日 2025.4.5>
「パンダ レストラン」
私にとって渋谷に来ること、イコール「パンダ レストラン」に来ることと同義となっていると言っても華厳の滝ではナイヤガラ !
(それが言いたかっただけ)
ちょうど正午に達したくらいのパンダくんなもので、当然ボク独りくらいの席は空いていて、いつもの回廊にサスペンドするテーブルではなく、ちゃんと壁を背にして座れるテーブルに誘われた。
奥の間ではクラス会かママ友会か、比較的若い女性の集いが宴もたけなわ ! ソフトに言っても品のよろしくない高笑いが連発されているが、私のこの白昼の孤独を補完してくれるには寧ろちょうど良いくらいだろうと、ジャスミン茶の香でそれを巧妙に抱き込みにかかる
“土鍋入り麻婆春雨・餃子3個” @1,500也。
この揃いが、こちらのランチで一番好きな組み合わせ。
ときどき見当たらなくなるんだけど、今週はランチ品書きの中にちゃんとラインナップされていたので迷わずに注文を決めさせていただいた。
麻婆春雨は麻婆豆腐とは違い、スプウンではよそいづらく、箸ではとり巻きの挽肉ソースが落下してしまう、というのが目下の課題であるが、それを白米の上にオンしてやりたい私には、未だ問題解決の糸口さえ掴めていないというのが正直なところ
しかしこの、ボクにとっては咽るかどうかぎりぎりのところの麻婆春雨は、常に安定した美味しさをキープしてくれていて、非常に安心感がある。
依って今日もまた、おかずが十分に残った状態で無情にも良い調子で白いご飯がエンプティに近づいてきてしまってしかし、このお茶碗に、RESERVEに切り替えれば忽然とお茶碗半分くらいのご飯が顕れる、そんなコックなど付いているわけもなく ……
ご飯お代わり一杯100円ということを、最近になってようやく突き止めたわけだが、減量停滞中のボクなので、今日のところは泣く泣く我慢することに
そして“人間を信じる”(human trust)スクリーンへのエスカレータを、“人間を信じない”ボクがスイッチバックで上がっていって鑑賞するのは、初見だが巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督「シェルタリング・スカイ」。
倦怠期の夫婦が、文明から外れた北アフリカを訪れることに依って失った何かをとり戻そうというシチュエーションは「バベル」を想い起させたが、公開は、本作が1990年で「バベル」が2006年のこと。
土着の民族がいて、観光コースの範囲でもあり、未開のジャングルでもないのだがしかし、ガイド無しでは住人たちとのコミュニケイションもままならず、電話一本でパトカーや救急車が直ぐに飛んで来るわけでもない世界でのアクシデントというものは、斯くも文明から来た者の孤独を募らせるものなのか
「バベル」では3,000m先を狙えるという超高性能のライフルを現地の子供がおもちゃとして用いたとき、いみじくも文明と未開とのコントラストが劇的に強調されるわけだが、「シェルタリング・スカイ」で文明と未開との接触面を図らずも乱すものは、外ならぬデブラ・ウィンガー自身の白い柔肌か ……
ここでも坂本龍一さんの音楽は、もはや私がここで言うまでのことはないのだが、抜群
但しベルトルッチ映画として、私が鑑賞した極く狭い範囲の中でのbestは、繰り返しとなってしまうかもしれないけど「ラスト・エンペラー」では実はなくって、もっと小粒でfreshな青春もの、「孤独な天使たち」かな
―― そしてそこでのデヴィット・ボウイのイタリア語版「Space Oddity」は、もしかしたらなんだけど、坂本龍一さえ凌駕していたかも知れない