秋雨前線の影響で、すっきりしない天気が続いている。酷暑がずいぶん昔のように思える冷気と、降ったり止んだり気まぐれな雨。湿度が高くすっきりしない。
まだ夏なんだかもう秋なのか。
東京オリンピックのエンブレムデザインが取り下げになった。
この問題も語れば尽きないが、論点があまりに多岐に渡り錯綜していて未整理な部分が多い。致し方ないところか。
あえて備忘録として二点のみ。
経験上、広告実務にとってのデザイン開発と言う作業は、なかなか完全オリジナルであることは稀である。マスのマーケット、ターゲットを獲得していくためには、必ずしも突飛さ奇抜さと紙一重のオリジナルを当てて行くべきでもない。
好意と注目がある程度期待できる「あんな感じ」を握った上で、アレンジメントとしての、あるいはコラージュとしての商業デザインを施していく作業なのだから。
従って、商業美術、もっと言えば広告のグラフィックデザイナーに、本件のような完全オリジナルの歴史的社会的要求に耐えられるデザイン開発はそぐわないのではないか。
選考の過程でなんとなく広告系への流れを感じさせたのであれば、そもそもミスリード、ミスキャストであったのかもしれない。
1964年の亀倉デザインは、指名発注だったと言う。
生理的に気に食わないと言ってしまえばそれまでだが、組織委員会のボスである森喜朗氏が象徴し体現しているところが元凶ではないか。
すなわち、名誉職として、御輿の上に乗って、自説ともっともらしい意見を述べて重石として君臨するのがその役目。
国立競技場のコンペ問題からして、登場人物にどうも名誉職、ご意見番、論功行賞の重鎮みたいな顔ぶれが出て来すぎではないか。
裏を返せば、汗をかき体を張って実務を差配するリーダーが求められているのに、出てくるのは元氏のような年寄りの大物ばかり。
詳しくはわからないが、これまた1964年のオリンピックはこうではなかったのではないか。
戦後の復興と高度成長と先進国へのキャッチアップをプレゼンテーションしようと言う、国家的な情熱と真摯さを持ってオリンピックを準備したスタッフたちがいたのではないか。
今回五輪には、そもそもそのような共通指標、目的とかコンセプトと言ってもいいかもしれない、それがないのではないか。少なくとも曖昧、希薄なのではないだろうか。
そういった、緩さが国立競技場でありエンブレムデザインの一件の根底にあるのではないか。
今求められるのは白洲次郎か!?
束の間の晴れ間にランチは中目黒の
リゴレット。
ラザニア風の平打ちパスタのミートソース。
IT用語では、ネットワークシステムがつぎはぎで混乱して問題を生じさせていることを、スパゲティ状態と言う。
オリンピックは、今まさにスパゲティ状態か。
早いとこ、くるくると巻いて行かなきゃならないよなあ。