2回
2016/01 訪問
滑らかな心地よさ
城本(じょうもと)製菓の羊羹、年明け2度めのお買い物。すっかり気に入ってしまった。
むかしむかし、羊羹というものは弁当の隅にあるものだった。
敬老会の手土産のお弁当、葬式の引物と一緒に、などなど、仕出しのお弁当屋というのが繁栄してて、概ね4つに区切られたところにごはん(orおこわor黒飯)、鮭の塩焼き、鶏照り焼き、練り物、旨煮(お煮しめとか筑前煮の方がわかりやすい人もいるかな)、卵焼き、煮海老、お新香などは一般的な幕の内としてもおなじみだが、そこに羊羹が入るのだ。隅に。
つまりは直角二等辺三角形の羊羹がピタッと嵌め込まれてるわけで。
ビジュアルとしても存在感があるし、食事のどのタイミングで羊羹食うんだって話なのだが。
やや砂糖のガリガリっとしたのが浮いている、紛うことなき羊羹なのだ。
ガキの頃は、親や婆さんがこういう折を持って帰ってくると子供たちのつなぎの食事になった。
つまり兄弟でシェアすることになる。単純に肉信奉があったから鶏肉はほしいのだが、兄弟間のヒエラルキーあるいは親の庇護的末弟優位などの事情により、中間子(湯川秀樹やらクォークやらとは無関係)はなかなかいいところが当たらない。
しかし、俺にはこの羊羹というスーパーサブがいた。他のを持ってかれても、羊羹さえあれば大丈夫だった。
あの黒々しさ、切り口のエッジの立ち具合、てっぺんの凪いだ湖のごとく平らな静謐さ。
甘さに飢えていたガキには(戦時中か)、ひときわ輝いて見えたものだ。
その当時の羊羹、しかも折詰のパーツの1つだとすれば、そんなに旨いものではなかっただろう。ザラついた、クドクドしく、ベタ甘な、それこそ渋目のお茶が一杯怖いってほどであったはずだ。
例によって前置きが長い。
今や甘さ控えめというのは当たり前になり、毒々しいサッカリン的な甘さは影を潜めた。甘いもの=カロリー高めという都市伝説的な勧善懲悪説により、砂糖は悪者になった。それによって、砂糖の塊である羊羹は敬遠されがちになった。
仕出しのお弁当も見なくなった。あ、コンビニのせいで仕出し屋が用なしになったのか。
そう、羊羹は一口羊羹みたいなのが主流になり、ドンと太いのは時代遅れの女性泣かせとなったのだ。
ただし、甘いモノを控えたがる女性は揃いも揃って食い過ぎたくせに甘いものだけ敬遠するんだけど。
ほんとに前置き長い。
さて、こちらの羊羹である。お店からして、ただの一軒家の横に売り場を設けただけのこの佇まい、とにかく気になっていてもう10年ほどか。
今調べてみたら小売を始めたのが2006年のことらしい。
やっと勇気を出して買ってみた。
羊羹は全部同じ。大きさ違いが幾種類。
正確に言うと、ご贈答用に長持ちするように容器に直接詰めたものと、大きな板状のものをカットしたサイズ違い大小と。
で、切ってみた。表面のツルンとした感じ、ナイフがスッと入っていく手応え。丁寧に作られているのが食べる前から感じられる。
最初はやや薄めに切り、一口。
うむ、滑らかな絹のような舌触り。甘さは控えめ。おおおおお、旨い。
次にちょっと厚く切ってみる。もちろん旨い。滑らかさと柔らかさと控えめな甘さが上品で、虎屋もびっくり。
大量生産ではないけど、非常にクオリティが高く、しかも価格も抑えめ。
なんで今まで入らなかったのだろう。後悔の念しかない。
ちなみに、同じ材料、同じ作り方のご贈答用はどうしても直接容器に詰めるせいなのか、お店のファンからは滑らかさが足りないという声をいただくとはお店の方の弁。個人的にはざらついた食感もまた羊羹らしくていいんだけど、普通の方も1週間くらいは保つので、ぜひそちらを試していただきたい。
こういう他との差別化が(ビジュアル的にも味的にも)図りにくい羊羹一点のみで勝負し、しかもきちんと結果を出しているのには本当に感服するのみ。
甘いもの大好きな方へのお遣いものに最適な一品、逸品。
2016/01/19 更新
久しぶりのこちら城本製菓。
羊羹専門店です。表からは普通の一軒家の横に店舗コーナーの体なのですが、こんな小さなお店の羊羹が本当に美味しい。
あんこ好き、寒天好きの方には絶対に試していただきたい逸品です。
しっとり柔らかでなめらか。甘さ控えめながら羊羹としての存在感もしっかり。
実はこれを買ったのが地震による停電復旧明けの日のこと。ちゃんと作ってたのですねえ。ありがたやありがたや。
こちらは他所に卸してるとかがわかんなくてここで買うしかないのですが、それも相まって簡単に手に入らない希少感を勝手に感じております。
はっきり言いましょう。他の日持ちする羊羹と比べるのは公平でないけれど、どこで買って食べた羊羹も、ここのには敵いません。イチバンです。