朝、冷蔵庫を開く。
一昨日の夕飯に使った絹ごし豆腐の半分(一丁のはんぶん、ね)をステンレス・ボウルに水を張り、取っておいたのが、手付かずで残っていた。
水を切り、カツオブシとスリゴマをふりかけ、醤油を垂らし、ここに思いつきで「あおのり」をはらはらと散らして喰らう。
なんだかマヨネーズぬきの冷たいお好み焼きかトンペー焼きを喰っているような気分になるが、存外悪くない。
これも残り物のワカメのおみおつけと共に腹の中に収めると、調子がいい。ついでに珈琲を一杯つくって飲み、大いに満足して家を出た。
やはり、朝にしっかりと喰うのは、いい。
・・・チョッと疲れやすくなったな、なんて思うようになり、ここ半年あまり、ある断食道場を主宰している医師の本を読み、
「朝は喰わず空腹状態を保ち、昼は温かい蕎麦を一杯、夕飯時はなるべく魚類を中心としたもので好きなだけ。酒もオッケー」
という、主に体温を上げて免疫を高める、というのと、空腹期の解毒作用を利用する、という健康法、というか食事のとり方をしてきた。
が、どうもウマくない。
午前中の空腹のときはいいのだが、昼食をとった後、突然滋養が腹の中に入るものだから、やたら血の巡りがよくなりすぎ、とてつもなく眠くなる。
夜は夜で、それまでに腹に入っているものが少ないものだから、なんだか免罪された気で、つい「一所懸命」呑んで喰ってしまう。
当然、以前よりも重いもの、量のあるものを志向する。
しまいには
「どうせ明日の朝、ヌクから」
と、日付変更線をまたぐような時間まで、呑み、かつ喰い続ける。
つまり朝めしのヌいたぶん、「夜の部」で時間をかけて、二食分喰ってるようなモンである。
アタリマエだが、身体が重くなってくるし、ズボンのウエストぶぶんがどうも窮屈になってきたような気がしてくる。
会合の場でひとさまに撮って貰った写真を見ると、明らかに「面がわり」している自分の姿にガクゼン! となる。
どうも冒頭の食餌療法は、あまり食事に興味のないひとか、一日の食物摂取量にストイックに取り組むことの出来る、意志の強いヒト向きらしく
「口から先に産まれた」
ような、イヤシンボで食い意地上等、三度のメシより喰うのがすき、喰えるんならのべつまくなし頬張っていたい、みたいな餓鬼道を逆走して世の中に現れたようなオトコには、合わないようだ。
かくして、朝昼晩の三回、主に糖質制限食(ライトタイプ)に準拠した従来食に切り替える、というか、元に戻す。
と、途端、晩酌の時間が短くなり、(酒量はへらないが)だらだらと摘んでいた肴やつまみの量が減る。
わずか二日でズボンの腹回りが楽になってくるし、結果的に胃袋がパンパン! になっている時間がないから、却って背筋あたりが楽になってくる。
そこでハタ! と「疲れやすく」なっていたのは、単に自分が歳をとったからなんだ、という事に気がつく。
結局、「食に集中する」というより「毎回食べることに執着する」ようなオトコは「一食ヌクより毎食で一品(糖質を)ヌク」ほうが、合理であるらしい。
これを「下手な考え休むに似たり」と言うんであろう。イイトシこいたら慣れたことを急に変えちゃぁいけない。