『シリーズ「だからワタシはトンチンカン」 便利と愉快は、相いれない』シヌモノビンボーさんの日記

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こどもじゃあるまいし

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酒(ここでは清酒の事)を呑む時は、徳利と猪口を使う。いわゆる茶碗酒やコップ酒は、能くしない。

麦酒もどちらかと言うと、ジョッキやタンブラーで出てくる「生」より、壜からグラスに注いで呑む方を好む。

「かん症もち」である一方でボンヤリともしているから、目の前に中身が入っている器があると、すぐ口につけなきゃいけないような気になるし、何も考えてなくても、ついつい無意識に口に器を運び、呑みほしてしまう。

つまり、のべつまくなし器の容量に関係なく、目の前の飲みものを空にしてしまう。短時間にハカが行きすぎる。

不経済であるし、せっかくの晩酌が「あっ」という間に終わってしまう。

酒を呑むという行為は別に、飲みものの味わいや香りだけを愛でている訳ではない。

ましてや「ただ酔うため」ではない。

「なくってもなくってもいい時間」を切り取り、自分自身を玩んで愉しんでいるンである。すなわち「酒を呑んでいる時間」自体に着目している、という事になる。

それなのに、だ。

単に目の前にある、というだけで、クィクィと手首を返し、喉にぶつけるように酒を流し込み、すぐにオシマイというのでは、どうも彩にかける。

殺伐としている、というべきかもしれない。

それよりは容器から、数口ぶんにあたる量を、都度、猪口なりグラスなりに「入れ替え」、これを口に移していく、

「本来一つの挙動で済むモノを、敢て分解して時間の経過を愉しむ」

というのが、愉快だし、余計な時間を有効?に過ごす事が出来る。

合理的精神を持つ諸兄からしてみたら、屋上屋を架すような真似に見えるだろうが、ま、もともと晩酌なんて、先に書いたとおり、はなっから「無駄な時間」なんだから、これはこれで、イイんである。

さて、

「時間の無駄遣い」を行為の分解によって長引かせている、という局面においては、その分けた「動き」それぞれに、チョッと気を使わなきゃいけないような「不便」があったり、「コツ」が必要であったりしたほうが、面白い。

だから徳利は、切りかきがない真ん丸な注ぎ口を持っていて、これも真ん丸な猪口に対し、酒がこぼれたり、垂れたりしないように、手首の「かえし」加減を、微妙に調整する必要があるような奴が、いい。

工業的に「注ぎやすい」と、動きが単純過ぎてつまらない。使いにくい道具を、何も気にしてないような顔をして如何にもスムーズに動かし、破綻ないように操る、というのが、「遊びの真髄」という事になる。

少し大げさに言えば醍醐味、となるかもしれない。

たまにシャレコいた(新潟弁:カッコつける、の意味)ダイニング風の居酒屋で、酒を「片口」に入れて出してくるようなところがあるが、つまらないところに「便利」を採用しているモンだと、あきれ返る。楽が良けりゃ、初手から冒頭のように、茶碗なりコップなりに入れてくりゃ、イイんである。

これを「余計なお世話」と言う。

ひととひとが、杯を重ねる「お酌」なんていうのも、上記同様「無駄な時間の効用」を志向した行動である。

片手で持った徳利にもう片方の手を添えて相手に注ぎ、これを両手で持った猪口で受ける。一見、しゃっちょこばった儀礼的な見かけであるが、そうしないと「便利ではない」酒器でスムーズに酒のやりとりが出来ないからそうしてる。

お互いの呼吸が合って、酒がこぼれも垂れもせず、滑らかにやりとり出来た時には、一種「二人羽織」が巧くいった時のような、組み体操がかっちり決まったような、カタルシスじみた感慨を覚える。

そ、お酌も「面白い時間を共有したい」から、やるんですねえ。

いかにも相手、とくに目下のものに気を遣ったかのように

「いや酌は結構、お互い気楽に手酌でやろう」

などと言う向きがあるが、逆にこれは、相手と一緒に過ごしている時間を「殺して」いる事になる。

こういうお客や上司とは、ハナっから呑みに行かない事がいい。相対しているアナタに、興味がない証拠だからだ。



…それにしても近頃、「これは! 」と思わせる、徳利や猪口の「使い手」を見かける事が少なくなったナ。みんな忙しいのかな?
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