『コラム【ルール付き店舗の在り方を問う】』現場のゆっき~特派員さんの日記

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炭 水 化 物 は 俺 の 嫁 !m9(`☆ω・´)

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日記詳細

●コラム【ルール付き店舗の在り方を問う】
 
この店に限ったことではないが、自分の店にルールを敷いている店がある。
 
元気一杯
スープから飲まないと退場
辛子高菜を先に食べると退場
携帯を使うと退場
 
マ ジ に ツ マ ミ 出 さ れ ま す !ww(ノ∀`)
 
広島つけ麺 新華園
店主が呼ぶまで席に座れない。
初回でも残すと激オコプンプン丸で怒られる
 
麺哲
写真は3枚までが限界。
インパクトが無いと言う事実を述べると、別の店を紹介される。
スープが命というと破門される(弟子の場合)
 
 
果たして、それらのルールは何の(誰の)為なのか?
考えてみた。(  ̄ω ̄)
 
尚、
このコラムは、それらの店の是非を問うものではない。
ルールというものの在り方を問うものである。
 
■個人的意見
私の個人的な結論から言えば、「そんなの要らねぇんじゃね?」
である。(; ̄∀ ̄)
 
■問題提議(ルールというものに対する一般的概論)
まず、ルールというものが何故あるのか?
どんなもので構成されているのか?
何の為にあるのか?
ルールとは一体何なのか?
それらを押さえておきたい。
 
●ルールとは何なのか?
それは一定の基準であり、何かの目的を果たす為の「手段」たり得る効力がある。
つまり、ルールとは、無形の武器にもなり得る。
そして「手段」には、多面性がある。
 
例えばナイフ。
料理する為の道具(手段)と、人を傷つける道具(手段)
どちらにも使える。
 
銃もそうだ。
人を守る道具と、人を殺す道具、どちらの効果もある。
 
ダイナマイトも良い例だ。
鉱山の掘削工事等の為に発明したのに、兵器に使用されるのを憂いたノーベル氏。
 
有用性・無用性。善良性・悪性。様々な側面がある。
だが、その道具そのものの存在に非はないのである。
道具は人によって、その有効性を認められて生み出される。
人の為に、人によって使用される。
しかし、同時に一定の人の為にならない、別の使い道を思い付く人もいる。
 
悪を生むのは、常に人間であり、行使するのも人間だ。
 
このように、手段は、それを扱う者の目的次第で価値が変わる。
 
 
●何故ルールが必要なのか?
ここが非常に重要。(`・ω・´)
 
例題を出しますので、思い浮かべて欲しい。( ´ω`)
【例題】
周囲は田んぼしかない、超ド田舎の見晴らしの良い交差点があったとする。
そこにポツンと信号がある。
何でこんなところに信号があるのか、分からない。
あなたは車運転しており、その交差点に差し掛かったところで、
信号が赤信号になった。
あなた以外に、人も車も一切通っていない。見えもしない。
 
さて、あなたならどうしますか?( ゚ω゚ )
 
信号という「ルール」を敷かれた状態で、何を選択するか?
 
信号を守り、停車する。
信号を無視して発車する。
 
どうする~?(;゚∀゚;)
 
ま、
答えはどっちでもええねんけどなww
 
何も考えなければ、信号を愚直に守るだけであろう。
それは1つの正解だ。
 
しかし、考えてしまうのは、
「ちょwwこれ、守る必要あんの?(;゚ω゚;)」
という懐疑心である。
 
何の為に、こんなとこに信号据えたの?バカなの?(`皿´;)
こんな超安全地帯に信号を付けたヤツがおかしい!
 
そう思って無視をする。
それも手だ。
但し、それは利己的な考え方。
信号無視で切符切られても文句は言えないよ?(*^ω゚)b
 
 
では、
どちらが正しいか、分かるだろうか?( ̄∀ ̄)
信号を守る方ですか?
 
しかし、
実は、答えは上述の情報だけでは分からない。
 
生真面目な方は、法律を無視するのが間違っているのは明白だ!
と思うかもしれない。
しかし、考えてみよう。
 
この信号が、設置された理由である。
何故かこの交差点で謎の事故が多発するので信号を取り付けた。
のであれば、正当な理由があり、この信号を守るのが正だ。
 
だが、利権に塗れた政治家が、ある業者の為だけに、必要性のない信号を取り付けたのであれば、どう思うだろうか?
その信号があるが故に、電気代に税金が使われ、止まる必要のない交差点で止められる不利益を被るのだ。
その信号は果たして意味があるのか?
 
信号を守るよりも先に、他にやるべきことがあるのではないか?
 
その是非は問うべきなのである。(`・ω・´)
 
 
このように、目的や理由が正当なものでなければ、ルールは不益なものとなる可能性を秘めていることが分かる。
何故ルールが必要なのか?
というよりも、
必要とされて生まれたルールなのか?が重要。
 
要らないルール、壊すべし!ヽ(`Д´;)ノ
 
 
■店のローカルルールの在り方は?
さて、以上を踏まえて、特定の店が揮うローカルルールを考えてみる。
重要なのは、何故そのルールがあり、何の為に行使されるのか
その中身が、是非を問うポイントだと考える。
 
ルールができた経緯だが、2パターン考えられる。
①恐らくはマナーの悪い客のせいだろう。(; ̄皿 ̄)
だが、もう一つ、
店主の寛容性の欠如も理由に挙げられる。(´・ω・`)
 
前者は分かり易い。
(1)携帯で話しながら食う
(2)お喋りばかりで食べない
(3)大声で騒ぐ、他の客に絡む
これらは、店に失礼だし、行儀も悪い
「金払ってるから客の勝手だろ」等の乱暴な言い訳は品がない。
こうした他の客の迷惑にもなる客を排斥する目的で敷いたかもしれない。
 
問題は後者である。
俺は店が敷くルールは、多くの場合は、店主のエゴだと断じる。
 
店主のエゴというと聞こえが悪いので補足する。
ルールの目的が客(他者)の為なのか、店主自身の為なのか
そこが分かれ目だ。
 
たまに現れる常識知らずやアフォを華麗にスルー出来ない、不器用で気が短い店主の方針かもしれない。
または、
作法やマナーを自分の店を通して広めたい、という啓発活動なのかもしれない。
または、
おいしく味わってもらう為の心配りなのかもしれない。
 
だが、いずれにしても、それは店主のエゴになる。
 
 
目的は客への配慮の為と言っても、それは矛盾してしまう。
全然配慮になってない。
何故なら、
そんなルールがあること自体で、気分が良くない俺がいるからだ!m9(`☆ω☆´)
人の感情とは面白い。
分かっていることを、改めて指摘されるとムカつくのであるww
 
マナーを守ってる常識人には、
「ルールなんて居心地が悪くなる余計なお世話」

以外の何ものでもない。
 
なので、ルールがない店の方が他人本位なのだ。
別にルールなんて決めなくても、暗黙の了解や常識で問題ないことの方が多い。
事実、他店はそれで問題なく回っている。
 
ならば、
ルールを作った店主本人のエゴ以外の何ものでもないといえる。
 
 
ルール=エゴ
そう考えると印象悪いが、そうではない。
冒頭の話を思い出そう。
「手段」には多面性がある。
ルールによって守られるものもあれば、壊されるものもあるのだ。
故にルールも、エゴも、一概に悪いものではない。
 
それをどう扱うか、どう享受するかが大事だ。(`・ω・´)
 
店主がルールを盾に客を摘み出す
客がルールがないことを盾に好き放題振る舞う
どっちも品がない。
 
品 性 を 磨 こ う !ヽ(;゚∀゚;)ノ
 
店は客に押し付けるのではなく、適度に戒める
多少のことに、過剰反応するのではなく、落ち着いて対処する
安易にルールで済まそうとするのは、品がない
 
そして、
客は店に敬意を払い、公序良俗を守り、失礼のない行動をする
凡事徹底ができないのは、礼儀がなってない。
 
 
店がルールを敷きたくなる気持ちも分からなくはないが、
そのルールは果たして本当の意味で重要なものか?
 
大事なことは、もっと別のところにあるんじゃないか?
 
アクションにはリアクションが返ってくるものだ。
何か行動を起こしたのであれば、その反動を受け止める責任があることも理解して、何かを決めよう。
 
私はローカルルールは必要ないと思う。
アナタはどう思う?
 
それをルールを敷いた店は、今一度考えて欲しいものである。
 
 
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