2回
2017/06 訪問
再訪多数~やはりオヤジはスゴイ!
【2017.6.6】
年に一度程度の二郎グループ総本山詣で。
梅雨入り直前ながら薄曇りで気温もほどほど。こういう二郎日和を逃す手はない とばかり
足を運ぶと行列が10名程度と好条件に恵まれました。
オヤジは元気にお手製のザルで豪快に麺を湯切りしています。
豚の塊はいつになくまな板の上に転がっていたが豚増しの客でも増えているんだろうか?
【2014.10】
天高く ブタ肥ゆる秋。
近所を歩いていてあまりの行列の少なさに並んでしまいました、2014年秋。
ご本尊(オヤジ)の姿を拝みに年に一度の本山詣で。
この歳となってはせいぜいそれくらいが適切というものです。
二郎を前にして「適切」なる言葉は虚しくあるのですが、年に一度くらいの間隔がまさに妥当。
さて、オーダー。
麺少なめ なる注文もあるようですが、かってのジロリアンとしては百歩譲って小ぶた(700)を
食べるのがオヤジへの敬意というもの。
オヤジも変わらぬ手つきで豪快に二郎を作り上げていきます。
むしろ煮豚の分厚さが以前の「厚切り」から迫力満点の「塊切り」へと以前より重量感マシマシに
変化している気がします。
白胡椒をたっぷり振りかけて天地返しをして乳化スープの味をヤサイにまで万遍なくまとまりつけて
ズズズッと吸い込みつつ、立ち昇るスープの香りを胸の奥まで吸い込みます。
噛み締めて口に広がる麺の味、二郎の味や〜
すすってしょっぱいカネシ醤油の味と乳化した煮豚ベースのスープ、あ〜この味〜
カネシのよく染みた柔らかくジューシーな煮豚の味、これこれこれ。
この日のオヤジはリズムもよかったせいか、スープも多め・ヤサイの盛りも多めになったようで
配膳前に溢れるスープを軽く捨てこぼしてカウンターに置いてゆく豪快さを見ることが出来ました。
おかげで丼の縁はドロドロです(爆)
丼をカウンターに上げ布巾でカウンターを拭いてから「ごちそうさん!」
また元気なオヤジの姿を見に来ようと心に誓うのでした。
【2013.5】
誰が言ったか夏こそ二郎!の季節が到来しました。
初夏の爽やかな日差しに二郎の文字が書かれたVividな黄色が映えます。
小ぶた(700)に野菜・ニンニク少し。
昼どきにしてはまずまずの乳化度合。
ぶたのウマさは舌に残る記憶どおりカネシの味が濃いめに浸みたもの。
好物の端っ子の切り落とし(とはいっても切り落としではなく肉塊なのですが)ものって満足度高し。
変わらない味の再確認もそうですけど、オヤジさんの顔色を見に来たようなものです。
見た目は変わらず元気そうで何よりでありました。
世の中の全ての二郎の源流を確認するためにも(この系列が好きな方は)一度は訪れオヤジの尊顔を拝する
ことをお奨めするものであります。
【はじめにお断り】2010/8
価値観と嗜好の合う方のみ当店へご訪問ください。
また以下の駄文もお読みください(100%思い入れと偏見込みです)。
「二郎とはラーメンではなく、二郎という食べ物である」
誰が言ったか、後世に残る名言であります。
約40年前に都立大で創業したラーメン二郎、この本店、いや今や総本山というべきでしょう。
連日の猛暑が続くなか、実に5年ぶりでしょうか?久しぶりに「総本山詣で」に行ってきました。
(参考:山田のオヤジさんのインタビューがあります)
初めて口にした18の秋からほぼ30年、小ぶたヤサイニンニク(少し)を見つめながら当時のことが
フラッシュバックされました。
味が云々、麺とスープのバランスが云々なんて今更関係ありません。
毎日「二郎」がここにあること、このラーメンが存在すること自体価値があります。
オヤジももう60代半ばでしょう。
すっかりクリクリのくせ毛も白くなり、布袋さんのようなお腹もすっきりしちゃって月日の流れを感じます。
でも背筋は相変わらずシャキッとして麺を湯切りする姿には何の変化も感じません。
スープ鍋をかき回す棒、
そこの鍋で煮込まれた豚ブロックを取り出すお手製2本針のモリ、
カネシ醤油を入れ煮豚を漬け込むホーローの容器、
豚をくくる黒い麻糸、
ホーロー容器横には分厚く無造作に切られたようでも計算ずくの分量に数枚をひとかたまりに分けた豚、
端の細切れはスープ鍋へ。
一度に作るのは5,6杯。
麺を上げる前に、後ろの棚に置いたペットボトルの冷茶をコップ一杯。
そして湯きり。
変化といえば、湯切りに使う玉あげの網の形状が以前にも増して湾曲して平たい形でなく、
タコスのハードシェル(ハードタコ)に近い折り曲げ様に進化(?)していること。
どうも茹で上げた麺が落ちにくい効果が増すのだろうと想像しました。
大きな変化はやはり客層でしょう。
朝も10:50だと言うのに老若男女が押しかけています。
昔は絶対になかった光景です。
夏休みというのもあるでしょうが、学生や若い男性だけではないことは確か。
初心者も多いようです。
ゆえに一生懸命食べても食べても、小でも食べきれない人がいます。
が、そこは人間山田拓美。
「いいんだよ~ また来てな~」といつもの一声。
食べ手の「ごめんなさい」の一言が前提にあるからではありますが
ここにオヤジの、そして本店の原点、礼儀と感謝があります。
一応、久々総本山の小ぶたの感想は、午前中というのにスープは馴染みの乳化度合い(午前ならでは
の軽め。ちなみに閉店近くはかなり濃度が増すと体が覚えている)、麺は白髪のオヤジのようにやや
丸くなってゴワゴワ感は弱く、しかし歯ごたえと喉越しは文句なし。
豚はダブル並に7枚も入っていて(このブレも本店ならでは)フラットに切られた部分は2枚だけで他は
小学生の拳大の端の部分ばかりでしたが(オヤジ、まさか自分の端っこ好みを知っていたわけじゃ
あるまいが)、前夜からの漬け込み部分もあったのか、相当カネシの滲みた部分もありました。
これが無味な茹でヤサイと合います。
ニンニクはエッジの立った刻みたてのいい香り。
総じて「ああ、あそこの店(他の二郎系)の味に近いかも」と思わせる味。
支店やインスパイヤ系が増えたことでこの本店の味を継承する店と尚且つ味わえる機会がはるかに多くなった
ことに他ならないわけです。
客層の広がりと、本店同様の味がいただける機会の拡大、二郎の繁栄を証明するものです。
この味、この食べ物をあみ出したオヤジはやはりスゴイ!
いつまでも後継者を送り出してもらいたいものです。
外に出ると、先に食べ終えて出ていたはずの初来店らしい40歳過ぎの3人組みが、
腕を組み看板眺めながら立ち尽くしていました。
そしていみじくもつぶやいた一言。「やっぱ、ここうめぇ~よ」。
オヤジ、涙が出たぜ。
他のラーメン店と比較して、思い入れ込みで当然ここを5点としない理由がありません。
動画もあるんですな。
初めて見ましたが、現在地に移転する前のもので故逸見アナがレポートをしています。
おそらく'87~'88年頃のものではないでしょうか。懐かしい三角巾の似合う奥さんも写っています。
トッピングの”ヤサイ”も今と違い中華鍋で蒸し煮している(弱火でしんなりさせるだけ)シーンもあります。
2017.6.6 年に一度の総本山詣で小ブタ
2017.6.6 小ブタ天地返し
小ぶたヤサイ・ニンニク少し
天地返しをしてからいただきます
スライスというより切り落とし状態の煮豚がゴロリ
この日の豚もよくカネシの味が染みています
小ぶた 半分食して一休み
平日昼だというのに珍しく少人数('14/10)
これが聖地の色:ジロリアンはこの黄色に反応してしまうに違いない
まな板の上には切り分けた豚が積み重なる光景は昔も今も変わらない
小ぶた野菜(700)
小ぶた野菜には大好きな豚の端っこがゴロンと
天地返しをして1/3ほど食べた小ぶた野菜
小ぶた野菜
小ぶた野菜('10/8)
小ぶた野菜('10/8)
小ぶた野菜(この下にも豚がゴロゴロ)('10/8)
11時過ぎで30人超の列!('10/8)
27~28年前の二郎の広告
2017/06/11 更新
なんてこったい、二郎にも日傘のサービスが始まっていたよ。
イチコク(国道1号線)の慶應正門前に軽く上る道は照り返しが強く、時に30分以上並ぶ客に酷暑の直射はキツイ。
オヤジの計らいかどうかは知らないけど、粋なサービスだぜ。
他の客は酷暑を避けた為か知らないが、二郎本店にしては楽勝の15分程度だった。
特等席!と仲間内で呼ぶ「麺茹で鍋の前」、カウンターの鋭角コーナー前にて着席。
オヤジは今でも店に立ち、若い二人の監督役。
少し痩せたかな。
実に久しぶりの本山詣、昔の感覚は忘れて謙虚に小ブタ(700)を選択、大きさのみ先にコールする。
順番を待つ事しばし。
麺の湯切りが始まるが弟子はうまいのか丁寧なのか、オヤジがやる時のように湯切りの飛沫は飛んでこない。
この鋭角コーナー前は麺のトロミがついた茹で湯が偶に降りかかるので油断はならない特等席なのだ(爆)
昔のように野菜マシマシにはせず、ヤサイ・カラメコールのみに留めた。
味は、確かに二郎のスープ。
午前は乳化度合いが軽いものの午後閉店近くになるとかなり乳化度合いは濃厚だったものだが今はどうなんだろ?
麺の舌触り、噛みごたえ、味、とも初心に帰らせてくれる。
豚の味もいい塩梅にカネシの味がしゅんでいて、大好物の端っこ部分も2片もあって、他店のチャーシュー10枚分はあるだろうか。
年に一度来れる(食べられる)かどうか、しっかり噛み締めて体細胞の遺伝子に記憶する。
流石にスープを飲む年齢でもないが、この豚の甘みが溶けたスープに味なしのヤサイが合う。
なんだか目が潤んでしまったのは親父さんの元気な姿を見たこともあるかな?
否、流れる汗の塩分が沁みただけじゃねーか。
*2020年2月某日、特選塾員授与&喜寿祝いと大生前葬が都内某ホテルで1000人超の関係者で盛大に行われた。
もちろん、あのブタがブッフェに並んだことは言うまでもない。