3回
2021/08 訪問
知られざる和牛の聖地、鳥取で出会う口溶けの秘密──オレイン55
鳥取という土地は、実は和牛の物語を語る上で外せない場所。
しゃぶしゃぶ発祥の一角とされる古い歴史を持ち、名だたる種雄牛を輩出してきた豊饒の地。
にもかかわらず流通量は限られ、その名を口にする人は多くない。
だからこそ、ひと口にして驚かされる。
まるで隠された宝を見つけたような感覚。
鳥取和牛の魅力を語るとき、欠かせないのがオレイン酸という存在。
オリーブオイルにも豊富に含まれるこの不飽和脂肪酸は、肉に滑らかな口溶けを与える。
13〜16度という低い融点ゆえ、舌に触れた瞬間に消えていく。
その一瞬の儚さが、むしろ記憶に残る。
加熱すれば芳しい香りが立ち昇り、味覚だけでなく嗅覚までも奪われる。
しかも健康面での効用まで期待できるのだから、罪悪感とは無縁。
むしろ豊かさを享受する権利のように思えてくる
知名度の高い産地に目を奪われがちだが、鳥取和牛は静かに、しかし確実に人を虜にする力を持つ。
もし出会う機会があれば、その希少なひと皿をぜひ心に刻んでほしい。
2025/09/20 更新
鳥取の夜は、静かに湯気が似合う。
三たび訪れた〈たくみ割烹店〉は、もう“店”というより“帰る場所”に近い。
格子戸を開けた瞬間に感じるのは、料理の香りよりもまず、時間の香り。
この店は、しゃぶしゃぶの原型「すすぎ鍋」を初めて世に出したことで知られる。
だがその歴史的重みを声高に語らないところが、また粋だと思う。
控えめな佇まいの奥に、確かな誇りが潜んでいる。
今回もいただいたのは「【松】郷土料理とすすぎ鍋コース」(12,000円)。
一人前でもかなりの満足感があるが故、いつもは(一人前+好きな単品)、が定番ではあったが、あえて二人前に挑戦。
テーブルの上が一瞬で“ご馳走の風景”に変わる。
そして、何よりも私にとってこの店は特別だ。
かつて初めて「オレイン55」という名の牛肉に出会ったのもここだった。
口に含んだ瞬間、脂の融点が人肌に寄り添うように溶け、肉という素材が“香り”へと姿を変える瞬間を知った。
それ以来、私の中で“ブランド牛”という言葉の意味が少し変わった。
すすぎ鍋の湯がふつふつと静かに踊る音は、まるで時の鼓動のよう。
しゃぶ、しゃぶ──と箸を動かすたび、湯気の向こうに懐かしい景色が立ち上がる。
この音を聞くために、私はまた鳥取へ帰ってくるのだと思う。
店を出ると、鳥取の夜風がほんのり甘く、空は低く、月は丸い。
満腹の身体にふわりと冷気が心地よくまとわりつく。
店先に灯る小さな行灯の光が、二人の影をそっと包んでくれる。
あの湯気のように、静かで、消えそうで、それでも確かに残る余韻。
たくみ割烹店の夜は、いつも胸の奥でしばらく湯気を立て続ける。