東京都目黒区に生まれた。
あれは平成になって梅雨前、ラストメイ。
外国の先生がとりあげて言った「ビック、ベイビーです」と。
小さい時から父親の影響で「食」に対しての興味は高かった。
父は兄弟も多く、戦後なので何より「食べることは重要」という考えの人だった。
好き嫌いも、残しも許されない家庭でした。
父親は厳しく、母親は優しかった。
今の時代だったら虐待と思われてもおかしくはないが、うちでは普通だった。
とにかく父親が変わっていたからだ。
今では好き嫌いがイッサイガッサイないので感謝している。
幼稚園の時に茶道を習い。
お茶の心も知った。
小学校に入るとお友達の家に遊びに行ったり、うちに来ることが増えて、ご飯の時間にその違和感に気づいた。
うちのご飯の量は一般の家の3倍はあった。
思春期の自分は少し荒れていた。
事件も度々起こした。
自分のチャリンコがバイクの雑誌に載ったこともあった。
母は泣いて、父は言った。
「お前がどんなことをしてもいいがお母さんを悲しませる事はするな」
普段何も言わない親父が息子に言った一言は心に響いて、自分の中でずっと反響した。
中学の時はバスケ部。
給食が好きすぎて、給食委員という生徒会にも入った。
2年の終わりには給食委員長までのぼりつめ、学校の「食」を握った。
栄養士の先生と献立考えたり、まぁ色々したなぁ。
高校になってからは、もっぱらバイト。
色々したよ。
まずは自分が好きな食べ物から攻めた。
・お寿司屋さん
・焼肉屋さん
・焼鳥屋さん
・カフェ&バー
今でも変わりませんが鮨がなにより好き。
焼肉屋さんは地元の友達と始めた。
でもクビになった。お客さんよりも自分のまかないを食べる席を優先したからだ笑
焼鳥屋さんは長かった。
ホールから始まって、キッチン。
仕込みや発注、料理長でした。
楽しかったなぁ。場所が渋谷の道玄坂。
毎週クラブとか飲み歩いてた。
祭りで神輿も担がせてもらった。センター街をウリャっと神輿渡御した時は快感。
見た目コワい人もいたけど、優しい人がほとんどで酒が飲み放題。
連盟の飲食店が炊き出しなどご飯も頂ける。これがお祭りの楽しいところ。
人脈も増えた。
千葉、茨城の方にも。
バイクのチームに入っていた。
武勇伝も増えたが割愛。
20代の時はあっという間に過ぎた。
ほとんど喰って飲んでゲームしてといった感じ。
ゲーム好きすぎで大手の会社に就職。
お酒も大好物でうちは18から飲んで良いと決まりがあり、両親とも酒豪。
ガソリン以外は飲める精神は六本木スタイル。
スナックで働いていたので毎日シャンパン煽ってた。
会員制でそこのママさんもグルメ。毎月博多とか京都行ってる人でした。
仕事で美味いご飯も沢山ご馳走になりました。
今、食べログとか見ると高評価なお店ばかり。
30代になり仕事が恵比寿になり、暇だったので「食べログ」を開始。
ただ備忘録としていたが、今では趣味ですね。
お昼多めで更新中です。
あまりネガティブな内容とか書けないのがモドカシイ点ではありますが、楽しんでやっているんでまいっか。
あーこんなん書いてたらお腹空いた。
おわり。