京都で生まれた母ははんなりした話し方で周りからは上品と言われていました。
日本舞踊が好きで数年前まで元気に踊ってました。
その母はボクが中学1年生の時に突然白目を向いて痙攣して倒れました。
父と一緒に車に乗って当時生田川上流にあった神戸市民病院(新神戸駅南側)に
連れて行き気管支炎喘息の発作だとわかりました。
数年かかって公害認定されたのですが、これが母の病気の始まりでした。
その後はいろんな病気に侵され母自身「50歳まで生きられない」と
弱音を吐くようになっていましたが、我慢強く生きてきました。
でも体力を奪っていく元凶となったのが糖尿病・皮膚筋炎・乳がんでした。
皮膚筋炎は膠原病の一種の血液の病気で難病なのでこの投薬の影響で
がんになったのかもしれません。
結局は乳がんからリンパを通じて転移した肝臓がんに侵され
最終的には緩和ケア病棟で穏やかな最後を迎えました。
女性ではまだ若い80歳を過ぎたばかりでした。
一生を病気と共生してきた母にやっと訪れた平穏です。
父と共に天国で仲良くしてくれていることでしょう。
合掌