「おい!リチャード!もうとっくに15分歩いてるやんけ!まだか!?」
「おかしいですねぇ~。真っ直ぐですからね迷うはずないんですけど。。。」
石巻西高の佐藤君の言うとおりに歩いて来ている。
日和山へ行く標識だってちゃんと出ていて間違うはずがないのである。
しかし15分で着くはずが未だ道は平坦なままである。
「山ってゆうより丘ですから、勾配もあるけどダイジョウブですから」
佐藤君の言葉通りなら坂道を登り終えていなければならん。
石巻の街はあくまでも静かである、日曜日なのに。。。
震災の爪痕もまだ見えない。
道を聞こうにも人が居ない。
糖尿星人、だんだん喋らなくなっている。
(そうか!高校生の足と病気持ちのオッサンの足とでは違うわな!)
なんで気付かなかったのだろう??当たり前やがな!
そんな事でブツブツ言ってるうちにやっと勾配になって来た。。。キツイ。
時刻は午後2時半を少し過ぎている。腹ペコである。
糖尿星人、明らかに低血糖状態である。
「社長!日和山公園に着いたら店あるねん!喰うモンもちゃんとあるで!
石巻やきそばってゆうのが名物やねん!もうちょっとやで!頑張って!」
返事はない。。。
標高約56メートル程の小高い丘の上にある「日和山公園」
昔はお城が建っていた。
松尾芭蕉も石川啄木も宮沢賢治も斉藤茂吉も新田次郎も訪れた。
そして春には400本の桜が咲き誇る。
「石巻に着いたら先ず一番に日和山公園に行き!石巻の街が一望出来る!」と
震災直後からボランティアに何度も来ている知人に言われて来た名所。
そしてあの3.11では多くの人達の命を救った。
息も絶え絶えでやっと着いた。45分かかった。糖尿星人はまだだいぶ遅れている。
とにかく腹が減った。。。「しゃちょーっ!飯喰いましょ!先に店入ってまっせ!」
頂上に展望レストランみたいな店も見える。他にも屋台っぽい店も見える。
口はもう「やきそば」になってしまっている。もちろんビールも呑みてぇ!
「すみませーん、もう閉店なんですぅ~」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
被災地に来て暴れるようなことは出来ない。
逍遥と二人並んで公園に入って行った。
展望台。「全国のみなさん 救援ありがとう」の横断幕。
そして次の瞬間、息を呑む光景が眼下に広がる。
テレビや雑誌で何度も見ていた光景と同じのはずなのに、違う!
未曽有の大災害の爪痕。。。あまりにも壮絶であった。
二人とも本当に喋れなくなってしまっていた。
「あそこだ!あの辺だ!」
「ホントだ!何にもなくなったら、わがんねもんだなーーっ」
観光客だと思っていた、お爺ちゃん、お婆ちゃんたち、被災者だった。
震災後、初めて日和山に登って来られた。
現在入っておられる仮設住宅はここから遠いそうで。。。
何も無くなって更地ばかりになっている「南浜」の辺りを眺めながら、
皆さん涙をぬぐっておられた。。。
名物の400本の桜。まだ満開には遠かった。三分咲きとゆうところか。
しかし蕾は確かにほころびかけていた。
確かに今年も咲こうとしていた「希望の桜」。
涙で濡れる人生の大先輩のお爺ちゃん、お婆ちゃんの瞳にも、
きっと映ることを、祈らずににはいられない。
「わざわざ大阪から!ありがどーーっ!」
お爺ちゃん、お婆ちゃんの東北弁のありがどーっ!に涙が溢れた。
「石ノ森漫画館に行ってみましょか、社長。。。」
「うん、そないしょ。。。ここには辛ろうておられへんわ。。。」
空腹なんかとっくに何処かへ素っ飛んでしまっていた。
今回の目的の一つだった「石巻やきそば」
ここで喰い損ねた結果、最後まで喰うことはなかった事を付記しておく。