レビューに書いた【居酒屋 ごくう】のあとに飛び込みで入ったスナックの篤ちゃん。
とにかく明るくて元気。小学生と幼稚園の2人の女の子のお母さん。
2011.3.11 PM2:46はちょうど友達とパチンコをしていたそうで。。。
「揺れ方が尋常じゃない!帰ろう!」
友達と二人、周りの人がボー然としたままにも拘わらず大急ぎで帰宅した。
すでに帰宅していた2人の娘を「エスティマ」に放り込み、身の回りの物だけを抱えて再び
車のハンドルを握る。自宅は海の側のアパート。「絶対にヤバイ!」確信していた。
3㎞先の高台にある実家を目指した。近所の人達はまだ避難する様子はない。
「早く逃げてーっ!絶対!津波さ来るから!!」そう叫びながら車を運転した。
電光石火の避難であったおかげで篤ちゃんの運転する車は渋滞に遭わなかった。
しかしバックミラーには、あの真っ黒な津波が迫って来るのが見えていたのだ。
「子供達だけは絶対に助けるんだ!!」 その事しか考えてなかった。
「旦那が無事かどうかなんて実家に無事に着いて暫くしてから気付いたってば!」(爆笑)
「大阪から軽トラックに淡路島の玉ねぎさ山盛り積んで来た人が来てさ、何処へ持って行った
らイイか分がんねから置いて行く、喰ってくれってさ。美味かったなー!助かったなー!」
「17年前、ワシらもタイヘンやってん。頑張ってや!」と言い残してサッサと帰ったらしいのだ、
大阪のオッサン、やるじゃねぇか!
そのスナックに来ていたお兄さん(名前聞くの忘れた)。
篤ちゃんの幼馴染み。大慌てで日和山に避難してそこで数日を過ごした。
眼下に津波で流されていく自宅アパートが見えていた。今は仮設住宅で暮らしている。
全国を出張で飛び回っていた仕事を辞め、故郷・石巻に戻って来た直後だった。
「絶対に、石巻を日本一幸せな街にしますからね!また来てくださいよ!」
レビューの方に経緯は書かせて頂くことにしているのだが、行きたかった「牡蠣小屋」が営業
しておらず、石巻に戻るのにお世話になった㈲石巻タクシーの渥美さん。
東松島の自宅が流された。やはり地震発生直後に大急ぎで帰宅。卒業式の当日だったので
小学生の息子さん、幸運な事に家に帰っていた。奥さんとお母様、そして足の悪いお父さん、
皆んなで車に乗り込んで逃げた。とにかく高台を目指した。しかしもう渋滞が始まっていた。
「車を降りるぞ!降りて逃げよう!」息子さんを引っ張り出し、奥さんと共に先に走らせる。
「さぁ!爺ちゃん!婆ちゃん!降りて!!」
「うん、わたしらはもうエエわ。。。」
「何を言ってる!早く降りてくれ!」 すでに津波が視界に入っている。
「お爺さん走れんしね、私がそばにおらんとね。さあ!あんたこそ早く逃げて!」
渥美さんの耳に、あの津波の轟音、街が破壊される轟音が届いて来ていた。
「あの時爺さんや婆さんが助けてくれ!って言ってたら私も死んでました。。。間違いなく。。。
産んでもらって、命を助けてもらって、親に二度も命貰いました。。。目の前を両親を乗せた
ままの車が流されて行った時以上に辛いことなんか、もう絶対にないからね。頑張りますよ!
家のローンもまだ一千万は残ってるしねぇ!」
そして、レビューで紹介させてもらった石巻グランドホテルの小野寺君。
篤ちゃんの働くスナックのママさんもニコニコともてなして呉れた。
他のお客さんも「おーーっ!大阪!ありがどーね!」皆さんお礼を言って呉れる。
多くの人と出会わせて頂いた。多くの人と「絆」を作ることが出来た。
石巻の皆さんが必ず言われた。
「前さ進むしかないもの!下がりたくても、下がる場所が津波で流されで無くなったんだから!」
強がりかもしれない。酔った勢いで言われたのかも知れない。空元気だったかも知れない。
「千年に一度」とも言われる大災害に襲われ、大変な悲しみや、大変な御苦労を味わっておら
れる皆さんに、私は何も言う言葉を持たない。
ただ、あの人達の笑顔を私は生涯絶対に忘れない。そして、あの固い握手を絶対に忘れない。
頑張ろう!石巻! ありがとう!石巻!