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taka_yu (50代後半・男性・福岡県) 認証済
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1回
昼の点数:5.0
挨拶をまだしていない
初めての訪問は1991年春頃,稲荷元町で営業していたころのことだ.当時のメニューにはうどんやかけ蕎麦,変り蕎麦もあり,夜はそば懐石,それに出張蕎麦もやっていた.このころは毎週通っていた.丹生庵にたどり着くまでは,”そばジプシー”と自称し?,理想の蕎麦を求めて食べ歩いていた.丹生庵によってぼくの蕎麦を巡る漂泊の旅の第一章は終わった.二八でもゆで時間は50秒を切っていたので,やや硬めの茹で上がり.人によってはゆで前とも受け取られる硬派で,連れて行った半数は(?)が顔に浮かんでいた.丹生庵の名前の由来は越前の丹生郡に由来すると当時の紹介記事に書いてあったので,そうなのかと聞いたところ,はぐらかしたあいまいな答えだったので本当かどうかはよくわからない.主人の志甫氏の茫洋とした人柄は,実に様々な人々を引き付けていた.満寿泉の社長に乞われて岩瀬に移転したのも人柄と蕎麦ゆえんであろう.片倉一茶庵の流れをくむ,研究を怠らない姿勢でゆっくりであるが最後まで進歩していた蕎麦である.だいたい大盛りを二つ頼んで,足がある時は少し酒を呑むという具合.岩瀬のころは満寿泉の社長が酒を持ってくるらしく,純米も大吟醸も大小の猪口一杯で一律200円(セルフサーブ)というぐあいだった.酒の肴には畳イワシ,めざし,福井の練りうにがあった.主人と最初に交わした会話は,主人の,人間は電気で動いているんですよねえ?という質問で,それに対して電気も砂糖で作られているから,つまり砂糖で動くのだ,と答えた.他のお客さんがいないときは蕎麦道具の話やバイクとギター談義も長くなることがあった.往時は大変な人気店で,週末は12時過ぎると蕎麦がなくなってしまう予約必須の店であった.後半のそば汁は枯節だけでなく,一筋の昆布を入れていたようである.2010年頃から自分で蕎麦を打つようになり,蕎麦の食べ歩き自体が全般的にお休みになり,こちらにも足が向かなくなってしまった.それでも蕎麦好きの客人があれば,この店に連れて行っていた.最後に行ったときは,最近再婚して子供が(また?)できた,と聞いた時である.2017年の初頭に主人の志甫克芳氏は病気で閉店と新聞記事にある.時の流れを憂う.
2019/04/23 更新
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一人で入りやすい
知人・友人と
禁煙 分煙を含む
喫煙可
ワインあり
日本酒あり
焼酎あり
オシャレな空間
カップルシート
カウンター席
ソファー席
座敷
初めての訪問は1991年春頃,稲荷元町で営業していたころのことだ.当時のメニューにはうどんやかけ蕎麦,変り蕎麦もあり,夜はそば懐石,それに出張蕎麦もやっていた.このころは毎週通っていた.
丹生庵にたどり着くまでは,”そばジプシー”と自称し?,理想の蕎麦を求めて食べ歩いていた.丹生庵によってぼくの蕎麦を巡る漂泊の旅の第一章は終わった.
二八でもゆで時間は50秒を切っていたので,やや硬めの茹で上がり.人によってはゆで前とも受け取られる硬派で,連れて行った半数は(?)が顔に浮かんでいた.
丹生庵の名前の由来は越前の丹生郡に由来すると当時の紹介記事に書いてあったので,そうなのかと聞いたところ,はぐらかしたあいまいな答えだったので本当かどうかはよくわからない.
主人の志甫氏の茫洋とした人柄は,実に様々な人々を引き付けていた.満寿泉の社長に乞われて岩瀬に移転したのも人柄と蕎麦ゆえんであろう.片倉一茶庵の流れをくむ,研究を怠らない姿勢でゆっくりであるが最後まで進歩していた蕎麦である.
だいたい大盛りを二つ頼んで,足がある時は少し酒を呑むという具合.岩瀬のころは満寿泉の社長が酒を持ってくるらしく,純米も大吟醸も大小の猪口一杯で一律200円(セルフサーブ)というぐあいだった.酒の肴には畳イワシ,めざし,福井の練りうにがあった.
主人と最初に交わした会話は,主人の,人間は電気で動いているんですよねえ?という質問で,それに対して電気も砂糖で作られているから,つまり砂糖で動くのだ,と答えた.他のお客さんがいないときは蕎麦道具の話やバイクとギター談義も長くなることがあった.
往時は大変な人気店で,週末は12時過ぎると蕎麦がなくなってしまう予約必須の店であった.後半のそば汁は枯節だけでなく,一筋の昆布を入れていたようである.
2010年頃から自分で蕎麦を打つようになり,蕎麦の食べ歩き自体が全般的にお休みになり,こちらにも足が向かなくなってしまった.それでも蕎麦好きの客人があれば,この店に連れて行っていた.
最後に行ったときは,最近再婚して子供が(また?)できた,と聞いた時である.
2017年の初頭に主人の志甫克芳氏は病気で閉店と新聞記事にある.時の流れを憂う.