4月10日多臓器不全で80歳で逝去された、元東京スポーツ編集局長で最古参プロレス評論家、櫻井康雄氏の葬儀が行われた。私は一昨日の通夜に参列させていただいた。神奈川県本厚木の厚木市民病院前にあるJAの斎場で約500人程の参列者が参列。斎場入口には、プロレス関係の品々が展示され多くの花輪が飾られていた。櫻井先生とは先生が晩年、講師をされていたルミネ荻窪にある「よみうりカルチャー」で行われていた「昭和プロレス講座」開設以来参加させていただき、色々なお話を伺うことが出来た。この講座は、4、5名程度の参加者なので、却って色々なお話を伺うことが出来た。昨年12月、心臓病で倒れられたがペースメーカーを入れ復帰。今年1月上旬の講座で講義を受けた時も普段と変わらずお元気そうだった。結果的に、これが最終講義になった。その約1週間後、高熱を出して入院され、様々な検査の結果、入れたペースメーカーが細菌感染を起こしていて、これが命取りになった。3月初めに厚木市立病院ICUに入院中の櫻井先生をお見舞いした時が最後のお別れとなってしまった。この時に、おっしゃられていた「僕は、まだまだ死にません」との言葉が耳に残っている。その後、一進一退の闘病生活を送られていらしたが、かなり辛い症状にもかかわらず、全く弱音を吐かなかったそうだ。亡くなられた日の朝に、奥様に「死ぬかもしれない」と言われたそうなので、もう限界との感触が櫻井先生にもあったのだろう。ともあれ、これで力道山に直接、取材した記者が居なくなった。日本のプロレス界と東京スポーツに残した櫻井先生の功績は大きい。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。