子母澤 寛 著「味覚極楽」は、本名である梅谷松太郎が新聞記者として東京日日新聞社に勤務していた時に、各界の著名人から食べ物に寄せる想いや逸話などを聞き取り、1927年(昭和2年)、同紙に連載し、後年この記事を編纂出版した随筆集であります。
俳優であり映画監督であった伊丹十三は、旅に出かける際にこの単行本を携えて、幾度も読み返したと自身のエッセイ集に書いていました。現在は、中央公論から文庫本が出ていいて現代仮名で書かれていますので読み易くなっています。お時間の許す方は是非ともお読みください。
さて、この第三話に増上寺大僧正 道重信教氏を取材した記述があり、私はこれを面白く読みました。実際にお櫃に残った冷や飯に冷たい水を注ぎ、沢庵をかじりながらサラサラと口に運ぶと、何と美味しいことか。冷たいご飯には炊いたご飯 本来の香りが凝縮されていたのです。
拙宅では、炊飯器にタイガー炊飯器「土鍋圧力 炊き立て IH」という機種を使って、普段は一度に三合を炊いていますが、三人では食べきれませんのでどうしても電子ジャー保温状態で残り飯をそのままにしていました。私は、食べきれない分については、タッパーウェアーにとって冷凍したほうが良いと思っているのですが、同居している母が、「そのままにしてちょうだい」というので従っていました。
愈々、味覚極楽を読んでお櫃を買うことにしました。
私が子供の頃は、どこの家庭でも炊いたご飯をお櫃に移してから、飯盛り茶碗に盛っていたものです。一旦、空気に触れさせ、椹(サワラ)のお櫃が水分を吸ってくれますので丁度良く美味しいご飯を食べることができました。しかし、保温効果はありませんので時間の経過とともに冷や飯になります。
炊き立ての白米が美味しいと珍重され、電子ジャーや電気炊飯器が開発されたわけですが、私は、以前から電子保温ジャーで劣化した、色の変わったご飯が好きではありません。
味覚極楽を読んで思わず小膝を打ちました。
「そうだよ。冷や飯が美味しいんだよ!」
すぐに実践してみると昔懐かしい味がします。特に一晩経って冷たくなったご飯がとても美味しいです。味覚極楽には、これに冷水を掛けて沢庵でサラサラといただくとすごく美味しいとありました。目から鱗とはこのことです。私は、今までなんて無駄なエネルギーを使っていたのだろう。しかも美味しいご飯を不味くして食べていたことに後悔しました。
今朝は、サラダオイルで半熟の目玉焼きを作って、冷や飯に載っけて、瓢亭の「土佐醤油」を垂らして食べましたが、温かい目玉焼きと冷たいご飯が口の中で混ざり合い、そこに土佐醤油の塩っぱさと旨味が絡み、何とも言えない極楽状態の美味しさになりました。お椀は、舌の焼けるように熱い味噌汁です。子母澤 寛の好きな実の少ない出汁の効いた味噌汁です。
嗚呼ぁ、日本人で良かったと思った瞬間であります。