2回
2024/07 訪問
風格漂う、見事な内装、見事なサービス、見事な料理
移転後初の訪問。伝統工芸を用いつつ現代の感覚に活かし切った見事な内装、枝葉末節まで隅々まで配慮され尽くした美と構造は何店舗も経験して来たからこそ考えを巡らし理想を追求した本当の繋ぎ手を意識できているこの首脳メンバーならではの素晴らしさ。学び続け、学びを活かし探求し続ける姿勢そのものが完成を表現したような、繋ぎ手である自分たちを意識できているかのような見事な時代を次に送ることのできる進化系のアレンジ。
グループでは寅黒の次に広いカウンターで6400㎜以上もある栗材を岩手から見つけて来たと言う素晴らしい逸品。
クリの木がここまで大木になるんだなと感動すら覚える。
クリ材はタンニンが含まれているため耐水性がありこれをカウンターに選んでいるところがすごい。食材系で選んだと言う洒落っ気なのかなと思いつつ確認し忘れたー笑
灰褐色の渋い色味がなんとも言えない風格を放つ。さらに三百年?いや五百年その木を受けて繋ぐ美しさを秘める。時代の変化とともに繋ぐことにはセンスの変化を求められるこれぞニュートラディション。
お盆は栓の木の材と言っていたので針桐の別称と思われる。実は岐阜などで採られるオオバラと言う山菜がこの栓の木の芽なのでまさに料理屋にはうってつけの材のようにも感じる。上には竹工芸の柔らかな曲線で見事に天飾りを配し、ため息の出るような空間である。
庭がガラス越しで見えるのも本当に素敵で、どこの別邸に来て接遇を受けているのかその見事さに感心する。
元々の虎白の店舗から静かに立っていた阿弥陀如来の立像が静かに店内を見渡す中、庭の明るさに合わせて早い時間は光のトーンが明るく、夜の帳が下りるに従い部屋の明るさが暗くなり違和感を感じないながらの変化が万物の流転と阿弥陀如来の数億年を見渡すニュアンスとその万物の流転を司る神通力を思わせて空間の調和をコントロールしているかのよう。
また、小泉さんに「耳飾りを確認してください。」と聞いて発見した阿弥陀如来の「飾りないですねー、あっ!右耳にだけピアスの穴が空いています。何年も見ていたのに何で気づかなかったんだろうー。」
もしかして、この設になってから如来に昇華するまでの菩薩のプロセスも語るように現したのかも…笑
人には経験やチャレンジが道を開くと言う教訓を表現しているようで「そうかー、阿弥陀如来も修行の道で菩薩だった跡があるんだなーーー!」と符号が一致。
その道を探求している料理は実に見事、さらにシンプルに、透明に、かつ一本の考え尽くされた温度や時間を想像させる出汁で唸らざるを得ない料理の数々。塩味の少ない虎白らしさは失わず、ボディのしっかりした出汁が素晴らしい。吸地などはうに真薯を割って食べるとその味が出汁に出て変化するさまが素晴らしい。
やはり、経験値や体験はしるしとして人の表現には出るもので、小泉さんの経験や感覚が料理のそこここに感じられる。サービスやその所作にも繋ぐべき日本のエッセンスが入り、感動すら覚える。
カウンター越しにキレのいいトーンで料理の説明をしてくれながら、相手の話もしっかり聞いて心地よい介入をしてくる、作法も本当に何気なくお盆に乗せて茶碗を出して来てお客さんが両手で受け取るあたり日本の大事なエッセンスを伝えて新しさを加えて見事に表現していてこの男只者ではないなと感じる。
風格、繊細さ、トータルの感動をする素晴らしい席でした。わかる人にはわかる本当に見事な店になりました。
時間のつながりや、連続性を意識するとさらに深くなる味わいの店です。
2024/07/12 更新
味が時期によって、探求の方向によって変化するのが小泉さんの面白さ。
ある時期は薄味に思いっきり振って探求していたけど、多分その時は、コースを食べ疲れる事についてどうするか?を探求していたのではないかと思う。
最近の時期はおそらく食べ応えのあるものを出すように少しベクトルの変化があるのではないかと思う。
ぶれない旨さを中心軸に置きながら、自分の探求の方向へ試行錯誤している様が見て取れる。読みと想像だけど。
あるいは食べに行ったりして勉強していて、自分が感激したものを吸収して自分の様式に変換して店で提供しているそんなプロセスにお付き合いする感じがまた楽しさの一つでもある。
これ以上はないと言う内装をベースにして最高の料理を出して、これ以上はないと言う時間と席を提供してくれる。虎白はそんな場所である。
作法も非常に完成度の高い室礼をわきまえていて、上質でいて気軽に話をしてくれる。畏まらずにいただく美味しくリラックスできる時間は類がない。