2回
2024/07 訪問
感性が震える素晴らしいコースだった
泣いた。泣くくらい素晴らしいコースだった、
グルメな仲良しの友人に連れられてやって来た軽井沢。
物の見事に感動した。
美味しいものはたくさん食べている。
香りには人一倍敏感な方なので、香りも様々なものを経験して来た。食感、香り、味、見た目、ストーリーやつながり、食器、レストランで味わう総合芸術というものが好き。
そんな僕に本当にひっくり返るほどの体験をくれたのがこのNAZさんとなった。
食には好みがあり、旨さとはなんだろう。
美味さなのか、旨さなのか?僕は間違いなく美味いと言う美味派の食の嗜好がある。
僕は間違いなくこのトライアンドエラーを繰り返した、踏んでみないとわからない道を踏み、行ってみないとわからない冒険をしてくれて客にその自分だけが見つけた見事な感性の行き着いた先を共有してくれるこんな食事が最高峰の好みだと理解できた。
こんな男がいたんだー!と驚きを隠せなかった。
一番印象に残ったのは皿の料理に感激し、なるほどと唸り、ノンアルコールペアリングの飲み物を口にする、ファーストノートの印象、そして余韻に入り、長い余韻が鼻腔と口腔内でずーっと引っ張って深い味わいがなんであるかを確認したくなるこの脳が自動的に勝手に探し続け、分析や理解をしようとしてしまう感覚。長い余韻を楽しみながら記憶の中の香りや映像を探す感覚。
あまりに美しい味わいで、あまりに見事な余韻。
自分だけの記憶や理解とつながり、脳の奥底の神経が全て活動して、さらに使ったことのない脳の奥へ働きかける感覚。
五感全てを使い脳の奥で理解できない素晴らしい感覚を持たせてくれる経験。これを総合芸術と言わずしてなんと言う?凄すぎて来年の12月が次回なんて残念すぎる。
好きな絵をなん度も眺めたいように、好きな音楽をなん度も聴きたいように、もう一回きょうのコースを五感で鑑賞しに行きたい、理解しにいきたい。
2024/07/13 更新
前回の初訪問に引き続き、2回目の訪問はラッキーにも3ヶ月後の秋にやってきた。
「また行きたい、また同席したい。」とうるさく叫ぶ僕に、前回と同じように友人がまた声をかけてくれた。
そして、案の定、僕はやはり目眩がし心から感動し涙すら出た。
ちなみに、今回の内容は前回の内容と合わせて読んでもらう前提で、言い足りなかった事を書き足しとなっています。
鈴木夏暉シェフの料理は、料理を通常の厨房の中だけで完結させない。調達の農業者や漁業者と共にありながら、刺激を与え、与えられ、そこから料理と言う表現がはじまる。
そしてそれだけではなく、食べ手が誰であるのか?食べ手と一体になって探している探求の先を見ているのは間違いない。
つまり、食べ手が一緒に彼と探求の旅に出る人であるときに初めて完結する料理なのでは無いか?と2回目にして理解し始めました。
都度僕らの食べ手はかれの辿り着いた物に驚嘆し、これこそゴールと思ってしまうけど、彼の中ではそれでも道の途中でしかないので、更に探求をし、技術を用い、技術の組み合わせの先に未知の味を想像し、未知の食材にすら味や香りの片鱗を求め、食べ手にさらなる未知の世界を見せてくれる。
道と言う日本に存在した概念そのものが彼の料理で感じられる表現のように感じる。
人類が世代を超えて試行錯誤して辿り着いた食材も必ずしも試行錯誤されていないことに考えが及び、香りや味がそこここに存在する事を発見し、絶好な軽井沢と言う山や川や清涼な空気や水が彼に素材やフィールドを与える。
そして、食べ手の反応がカレを勇気付け、並走するメンバーをここに集うメンバーとして塊にする。
その素晴らしい素材に囲まれてこその探求の旅、そして飽くなき探求心あってこその未だ完結しない道のりこそが彼の料理でもる。
彼の変化は彼に委ねられているのだけど、僕の視座からすると、どっち側に行こうが、どんなことになろうが鈴木夏暉シェフのリードする風景。彼がリードして今後見せてくれる風景が楽しみ。