4回
2025/09 訪問
すだちの涼と、甘き薩摩芋。じゅうろくはやはり、心の蕎麦屋
2025/09/07 更新
2025/05 訪問
蕎麦が“人”を呼ぶ場所にて
木曜の昼、12時40分。半年ぶりの再訪となる「浅草じゅうろく 修善寺はなれ」は、変わらず満席で、車中で10分ほどのウェイティング。この小さな一角に集う人の密度。ここは、蕎麦が人を呼ぶ場所である。
入店すると、調理に忙殺されながらも、店長が一瞬だけこちらに顔を向けてくれる。一言の挨拶に、応える気持ちが込められていた。2名体制で満席を回す姿に、安堵と畏敬が同居する。
「せいろ」と「田舎せいろ」が美味い。
やはり、この二枚を食すと、ここの蕎麦が“設計された料理”であることを実感する。ざるは端正で、噛めばすぐに甘みが立ち、するりと落ちる。田舎は、粗さの中に複雑な輪郭があり、噛めば噛むほど風味が増していく。静かに、だが確かに、蕎麦そのものが語り出す。
塩は食卓に常備されるようになったのだろう。ぜひ、蕎麦は、写真も撮らずにすぐに食べ終えるようにしてほしい。もちろん、天ぷらも然りだ。
蕎麦は、始めはそのまま食してみてほしい。ほのかな香りと甘みをがどこにあるのかを見極める仕事だ。その後、山葵をつけて甘みを強調して味わってほしい。そして、塩をつけて食してほしい。塩は決してたくさんつけないように気をつけるべきである。必ず、じゅうろくの蕎麦は、そこら辺で食せる蕎麦ではないことを感じ取れるだろう。
ボリュームもかなり十分。しかも、在来種の香りと甘味がこれだけの量で供されることに、ただ頭が下がる。明らかに原価の感覚を超えている。
様々な客が来るのだろう。当日は見かけなかったのだが、成田ナンバー、モラトリアムな親、本物の蕎麦の価値を知らない人、そう、ここは観光地の通り道であり、仕方ないのだろう。
先月、浅草の本店にも再訪したが、素材への向き合い方、空気感、そして一貫した職人の姿勢にブレはなかった。本店も離れも、妥協なき“本物”を供する蕎麦屋である(本店は蕎麦割烹)。
この蕎麦が好きだ。
何かに追われるわけではない。賞を誇るわけでもない。
ただ、誠実に、蕎麦と向き合う背中を信頼できる店。
ここに来るために旅を計画する人がいる。
それは、きっと正しい判断である。
2025/05/16 更新
2024/12 訪問
最高の蕎麦、そして大将の天ぷら
木曜日12時過ぎに訪店、店内は混みいっていて、何かと活気があった。大将が厨房に立っていたことを確認。まさに幸運だ。
その3日後の日曜日、13時前、店長の天ぷらを食べようと思い訪店。これまた幸運というか…
大将がなぜか厨房に立っていた。
蕎麦と本日の天ぷらをいただく。
まだ新蕎麦前かと思い、蕎麦の香りは期待していなかったのだが、しっかりとした香りが口の中に広がった。やはり、じゅうろくの蕎麦は塩で食してしまう。
天ぷらは、言わずもがな。蒸し料理の最高峰といえる料理法でいただく。エビは程よく火が通り、根室で食した北海シマエビを思い出させるほどの甘さ。今回は地魚ではなく烏賊の天ぷら、前歯で軽く噛めばちぎれるほどの柔らかさ、そして絶妙な水分量。
さつまいもは安納芋だけあって、大将の揚げ技術が加わったことで人生最高の薩摩芋天。よくある天麩羅屋はホクホク感と焼き芋の香ばしさを再現するような揚げ方をすることがあるが、これとは真逆であり、しっとりねっとりとした黄金色の周りは薄くカリッと仕上げられている。少し塩をつけることで、さらに甘味を増す。
この値段でこのクオリティは、流石におかしい。
この代金にもかかわらず、店長、大将は客を覚えてくださっているようだ。
そこらへんの、あのミシュラン星付きの店は弟子入りしてみてはどうか。
この時期、紅葉狩りに来る観光客で店はごった返しているようだ。さすがに土日は、できるならば12時台の電話を控えてあげたほうが良いと感じた。
そろそろ、車も5台ぐらい待ち行列ができるかもしれないと感じた。
2024/12/01 更新
2024/02 訪問
繊細さを味わう。麻布十番の御三家蕎麦には行かなくなる
私がお勧めする日本蕎麦と天麩羅のNo. 1店である。
2年間で、かれこれ7〜8回訪店。
じゅうろくの蕎麦を食べると、自らが他の有名店で蕎麦を食べる時に上から目線に評価してしまうほど、蕎麦の香り、喉越し、穀物さの違いがある。
蕎麦の細さも感動だが、じゅうろくは繊細さを味わうこと、そして料理人の心意気を味わえる店である。
お蕎麦のみならず、実のことを言うと、浅草じゅうろく本店から大将がまれに天麩羅を揚げに来る。
大将が厨房に立つ日は、店内は騒がしくなり活気付くのだが、心意気がよくて、浅草本店にも訪れたほどだ。
この天麩羅は、都内天麩羅専門店に引けを取らない質であり、これを食べに伊豆に来る価値はあるだろう。薩摩芋は感動する。
大将が揚げる天麩羅は、花が開いていて、食すと黒いテーブルにホロホロと衣替え落ちるほど繊細であるのだが、絶妙な火入れ、脂っこさを出さない揚げ方はプロ中のプロ。
こうなると、究極の蕎麦屋なのか、究極の天麩羅屋なのか混乱してしまうほどだ。
たとえ遠くても、必死に食べに来てしまう。
金額は1人2000円は超えるだろうが、質の良いを考えるとコスパは極めて良い。都内天麩羅専門店ならば天麩羅だけでも5000円をとられそうだ。
ぜひ、お蕎麦も天麩羅もお塩で食すことを強くお勧めしたい。
また、鴨南蛮も美味しい。
この鴨肉団子が絶妙なレア感となっていて、粗くミンチされた肉団子が荒々しいのだが、レア感があるため、繊細さを感じる逸品である。
ただ、大将は最近では滅多に厨房に立たないため、登場する日は極めてお得である。Facebookで告知される。
興味を持ったら是非とも浅草本店に訪れたほうがよい。レア感のあるヒレカツは冷めても美味しく抜群である。
始めから大将ワールドであり、奥様との夫婦漫才もほっこりする。
なお、今月末から新たな料理人さんが加わるようなので、また新たな天麩羅を食せるだろう。これまた待ち遠しい。
13時過ぎると、基本的に売り切れが続出するため、11時台に訪れることをお勧めする。
店長さんもいつも笑顔を絶やさず、こちらが恐縮してしまうほどに丁寧である。
このような対応をして頂けると、自らが人として格の低さを感じてしまう。
店内ミュージックは、いままではサザンが流れていたが、最近ではミスチルになったのだろうか。
少し恋しいのは自らの歳のせいか…
ランチ1000円以上だと企業努力が足りないという文句を掲げている本人が言うと矛盾に思われるだろうが、じゅうろくの蕎麦、天麩羅は1000円では頂けないレベルである。
2024/02/11 更新
土曜13:55訪店。売り切れ覚悟ではあったが、ごった返す時間帯に電話確認など無粋と判断して、直接足を運ぶ。すでに3組のウェイティングあり。車中で待たせていただく。
15分ほどして、従業員が呼びに来てくれた。今回は小上がりの窓側席。
普段は、ついライブ感ある“アリーナ席”を期待してしまうのだが、この席から見える涼しげなせせらぎを今まで見逃していたことに、自身の観察眼の浅さを痛感。
この時期恒例の「すだち蕎麦」、そしていつもの「天せいろ」を注文。もちろん、最後には蕎麦のおかわりも。
久しぶりにお会いしたホールの女性スタッフ、相変わらず元気そうでなにより。覚えていてくださったことに、素直に感謝したい。丁寧で整った接客である。
すだち蕎麦
毎年これを頂かねば、夏を越せぬ。
輪切りのすだちの酸味と、皮のほろ苦さが出汁に溶け込み、氷が溶け切った後の出汁は塩味のバランスが絶妙で、飲み干したくなる仕上がり。
後に店長から「すだちはそろそろお終い」とのお言葉があり、運に感謝だ。
天せいろ
薩摩芋、これがまた相変わらず素晴らしい。このために、旅行しにきても良いのではないか。もちろん、蕎麦も然りだ。
薩摩芋は、じっくりと火入れされて引き出された甘味。表面はカリッと。わずかに塩を添えると甘みが一層引き立ち、「日本一の薩摩芋天」と思っている。
蕎麦について
この時期は香りが控えめになるが、それでも甘みの出し方がとても良い。
挽き方が少し滑らかになった印象で、のど越しというよりも歯触りの穏やかな心地よさが際立つ。
じゅうろくの蕎麦は、その時々の変化も含めて楽しみたくなる、そんな「完成されたバランス」がある。
店長の手が入っていることが伝わってくる。
ぜひ、ほんの僅かなお塩を掛けて食してほしい。
私は浅草じゅうろくの蕎麦が好きだ。
量と満足感
盛りは相変わらず多め。
「少し減らしてもいいのでは?」と思いつつも、この満足感を求めて来る方々にはきっと必要な量なのだろう。
静岡・宮本の手挽き蕎麦4〜5枚分といっても大げさではないかもしれない。
この天せいろもコスパが良いと感じる。このレベルは3,000円台が通常に思える。
また、お蕎麦のお代わり、お汁も新たに提供されるので、勿体無いように感じたので、次回からは(忘れなければ)蕎麦つゆは不要です!と言ってみよう。
お蕎麦は何もつけずに3口、塩をつけて3口、わさびのみで1口、そんな食べ方をするので蕎麦つゆは残る。
しかし、最後は必ず蕎麦湯と合わせるのである。これで完成だ。
すだち蕎麦、薩摩芋天、気遣いあるスタッフ、変わらぬ美味しさ。
売り切れ覚悟でも、プリンひとつだけでも構わないから立ち寄りたい、そう思わせてくれるじゅうろく。
また機会を作って食べに訪れよう。