2回
2025/08 訪問
シャリに宿る構造美と、凛とした空気。田島大将の握りに出会えた幸運な昼
2025/08/30 更新
2025/05 訪問
静謐なる握りの間を味わう
雑居ビルの細い階段を降りると、ふっと空気の密度が変わる。昼下がり、黄金週間の11時50分。12時の開店を前に、すでに人の列が形成されていた。13時からの二巡目を覚悟していたが、運良く最初の7名に滑り込み、静かなる戦の口火を切ることができた。
扉を開けると、そこは僅か7席の世界。握り手は一人、補助としてホールまたは会計に立つのは若い女性一名。注文は入店時に一度限りという緊張感の中、酒は自由に追加可能との案内。店内にはインバウンドとおぼしきヨーロピアンカップルの姿もあり、しかしその場を支配するのは言葉ではなく、職人の手さばきと寿司が生み出す時間である。
この日は10貫に絞る。バフンウニ2貫、紫ウニ、中トロ、赤身、平目、真鯛昆布締め、つぶ貝、そして締めにはとろたく手巻き。これに旨みの強そうな純米酒(八尺+α)を2杯添えた。
鮪は山幸である。
特筆すべきは、赤酢と思しきシャリの印象だ。まろやかな酸味の中に、わずかな砂糖の気配。甘味で押し切るのではなく、心意気を静かに添えるような味わいだ。小ぶりなシャリは、口中でふっとほどける。立ち食いの所作ゆえ、寿司を箸でつまむ際は、片手を添えて慎重に口へ運ぶ。これもまた、この場の流儀である。
ガリは甘さが先に立つものの、既製の業務用とは一線を画す。仕入れの目が確かであることを静かに語る。
雲丹に関しては、北海道・函館で味わった鮮烈なものと比べれば、わずかに苦味が先に立つが、それも許容範囲内であり、全く気になるレベルではない。
むしろ東京という土地で、この価格帯、この質を享受できることこそ特筆すべき点であろう。
この店は「語らう場所」ではなく「味わう場所」だ。寿司のひとつひとつに集中し、舌に残る余韻とともに、静かに時が流れる。1時間弱、一本勝負の空間。肩肘張らぬ佇まいの中に、明確な意志と丁寧な技術がある。
再訪を確信する。あきらは、東京における“真摯な立ち食い寿司”の存在意義を明快に示す店である。
2025/05/06 更新
かれこれ今年5回目の訪店か、土曜12:45訪店。すでに韓国出身と思しき4人組が並んでいた。店前の扇風機を独占され、我々後続には風は届かず、じわじわと汗が滲む。
そんな中、13時の入店時刻を前に、従業員が扇風機の角度を気遣って調整してくれた。明らかに、前の4人組が占有しているのだと察したのだろう。
些細なことだが、こうした配慮が嬉しい。
この姿勢が品位の違いではなかろうか。
13時枠は2席空き。今回は酒盗を“酒の友”に添えると決めていた。
握り11貫、酒2杯に酒盗。
さぁ、今日も旨い鮨と酒の始まりだ。
今年の北海道産・秋刀魚は、程よい脂にほんのり柑橘香が乗り、秋の訪れを感じさせる。
そして何より、本日は初めて田島大将自らの握りに当たるという幸運。
大将のシャリは、口に入れた瞬間には酢の風味が立ち上がるほどしっかりとした輪郭があるが、一噛みすると粒がほどけ、空気の層がふわっと口中に広がっていく。
函館「美な味」の“ふんわり空気感”がハンカチのように広がるのに対し、田島大将の握りは一見硬めに握られていながら、咀嚼によって構造が解体されていく…
そんな設計されたシャリの構造美を感じる。
今日のガリはやや辛め。次のネタとのバランスを考えて少しずつ頂くのが良い。
握りの所作にも見惚れる。
右手でシャリを団子状に整えている間にも、左手はネタの準備に入っており、まるで両手で一貫を形づくっているかのよう。
京都の懐石で見かけるような職人病でもある姿勢が“前屈み”ではなく、職人らしい背筋の伸びた姿勢に手で握りの感覚を維持する所作、まさにライブ感に満ちており、立喰い寿司だからこそ堪能できるシーンである。
大将との短いやりとりの中にも、凛とした空気と自然なあたたかみが見え隠れし、居心地がとてもよい。
次は夜、本店「鮨 龍尚」へ。田島大将の本領に出会いに行きたい。
いずれにしても、引き続き、あきらには足を運ぶ。