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この口コミは、あのミシュラン星付き店、あの赤提灯屋に弟子入りしなさいさんが訪問した当時の主観的なご意見・ご感想です。
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1回
昼の点数:4.3
2025/05 訪問
昼の点数:4.3
会話と蕎麦が交わる、静謐な昼餉
2025/05/10 更新
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土曜の13時、福岡の住宅地にひっそりと佇む「蕎麦屋 あ三五」へ。店内には女性二人組の先客が一組、空間には静けさと、やや緊張感のある空気が漂っていた。自由席とのことで、中央の席に腰を下ろす。
やがて現れた店主が、まずは「今日はどのように食されたいか」と尋ねてきたのが印象的だった。ただの注文ではなく、その人の“蕎麦との過ごし方”を尊重する姿勢がそこにはある。私は、日本酒と共に蕎麦をいくつか楽しみたい旨を伝える。
酒は三種。一升瓶の裏を確認できればと思ったが、そこまで至らず。熱燗推奨の一本と、〆張鶴クラシックは除外し、残る一本を選んだ。旨味も感じ、主張の少ない、清廉な口当たりだった。
酒肴として蕎麦味噌を頂きながら、「蕎麦がき」を所望。店主は締めにと勧めてくれたが、酒との組み合わせを希望したところ、静かに頷いて考えを寄せてくれた。結果として、練り立ての蕎麦がきと、炙った蕎麦がきの二種を用意してくれるという、心遣いのある応対となった。
蕎麦はまず、十割から。粗挽きで実の殻が混じる粉。香りは立ちにくいが、口に含めば甘みと柔らかなコクがゆっくり広がる。塩で食したいところだが、ここでは塩の提供はない。これは静岡の宮本とも共通する方針であり、「塩で味を見る」習慣を断ち、蕎麦そのものと向き合えという意図かもしれない。
次に供されたのは更科。麻布御三家での失望を伝えると、店主は「違いを感じるはず」と応じてきた。確かに、香りは乏しくとも、この更科には明らかな弾力があり、歯と舌が捉える反力が心地よい。香りをもって味とするのではなく、食感の構築で勝負している。
二八蕎麦は冷と温の両方で頂いた。冷では喉越しの清涼感が際立ち、温では香りがわずかに立ち上る。どちらも上品で均整が取れているが、十割のような荒々しさは抑えられ、食べ手を選ばぬ滑らかさがある。
5月とは思えぬほど、香りは総じて控えめ。しかし、蕎麦が本来もつ「甘味としての旨味」は丁寧に残されていた。
最後に供された蕎麦湯には、柚子の香りがほんのわずかに漂う。これは店主の所作によるもので、湯の温度、注ぐ順序、香りの付け方にまで意識が及んでいた。
一連の流れの中に、蕎麦という素材と向き合う作法が静かに置かれている。あくまで誠実に、派手さはなく、食べ手の「知覚」に寄り添う蕎麦。
これだけの手間と丁寧さでありながら、ひとり4,000円を下回る価格設定には、良心という言葉しか浮かばなかった。