8回
2025/04 訪問
レジェンド店に3年ぶりに訪問、すっかり世代交代も進んでますがテイストは不変
2025/06/15 更新
2023/02 訪問
コロナ禍で2年ぶりの東京出張、三田で朝ラーしたあとに向かったのは、成増で復活したレジェンド店
《店舗情報》
2018年2月2日にBSフジで放映された『RAMEN-DO~The Soul of Japan~「べんてん」田中光勝』で、元々取材拒否店だった『中華そば べんてん』が連日1時間待ちが当たり前の行列店に至る知られざる歴史、ラーメンへのこだわりが田中店主本人の口から語られていました
中国料理で培った腕と経験を生かして「どこにでもある普通の食材から、とんでもないものを作る」ことを美学とし、濃厚で他の追随を許さない力強いスープを完成させた田中店主
試行錯誤の末に隠し味の挽肉味噌が決め手となって看板メニューになった「つけ麺」は、『べんてん』をつけ麺ブームの先駆者として人気行列店に押し上げたのだとか
ところが田中店主の体調不良を理由に突然の閉店、最終営業日の2014年6月28日には名残を惜しむファンが未明から神田川沿いに殺到し、ニュースになるほどの騒動となりました
2年間に及ぶ糖尿病との闘病を経て回復した田中氏は、息子さん達のサポートを得て『べんてん』復活を決意
息子の邦彦氏が助手を務めるかたちで2016年9月18日成増で再開しました
《訪問情報》
東京での単身赴任生活を締めくくりとして訪問してから2年、コロナ禍にあって東京にすら全く行くことができませんでした
ようやくコロナが収束した2月末の火曜日、超久しぶりに東京出張となり、聖地巡礼を兼ねて朝から連食です
三田の『ラーメン二郎』で朝ラーを決めてから、都営三田線・東京メトロ有楽町線を乗り継いで地下鉄成増駅を下車
徒歩5分ほどの立地にある店舗へ10時30分に到着すると、開店時刻の30分前にかかわらず外待ち客が9人並んでいました
コインパーキング横の電柱先まで伸びた行列の最後尾に接続して読書しながら待機
11時1分に開店となり見慣れない男性助手さんから誘導され、一巡目で入店できました
《オーダー》
「つけ麺」にするか迷いましたが、久しぶりなので基本の「ラーメン」をチョイス
店内奥の券売機で食券を購入して左端から2番目のカウンターへ着席、食券を田中店主に手渡して"中盛"でお願いしました
厨房には邦彦氏の姿は無く、2人の見知らぬ若い男性と3人体制で切り盛りされていました
あとで調べると、『べんてん』もコロナ渦で6ヶ月ほど休業していたそうで、その間にオペレーションを次男に教えて店を手伝うことになったのだとか
茹で釜の前に仁王立ちする大柄な男性が次男でしょうか、田中店主に替わって麺茹でを担当していました
5,6席毎のロットで調理しているらしく、私の「ラーメン」は2ndロット、着席してから25分後に提供されました
《スープ》
待ちに待った『べんてん』のスープを大きめのレンゲでひと啜り
魚介の旨味と醤油ダレが絶妙なバランスで調和している、兎に角力強い味わいです
少し粘度のある円やかな口当たりで、何年経っても色褪せないオンリーワンのスープです
《麺》
中太ストレート麺はモチモチとした食感で、見た目もパスタのような自家製麺
中盛で350g、丼の中を埋め尽くす麺量に少し怯んだものの、箸が止まらない魔法のような麺
滑らかな舌触りと、スープとの調和、喉ゴシを楽しんでいるうちに、麺がどんどん減っていきます
《トッピング》
具材は、四角い小判海苔が2枚・メンマ・大判チャーシュー・刻みネギ
煮豚にこだわる肉厚チャーシューは柔らかですが、みっしりと重厚な食べ応え
増量トッピングする常連客も多いという自家製メンマは味付けが素晴らしく、これを肴にビールをあおるのが最高というのも納得です
《所感》
『ラーメン二郎』の朝ラーからの連食だったので、終盤はさすがに腹パン状態
並盛にしておけば良かったと、少し後悔しつつも完食
名残を惜しみながらスープも完飲しました
また近いうちにレジェンド店主のお手並みを拝見しに聖地巡礼できることを祈りつつ、「ごちそうさま」とお礼を告げて退店しました
2023/03/02 更新
2021/03 訪問
東京での単身赴任生活も残すところ1週間となり、東京エリアで後悔ぜずに食べておきたい店として成増の『中華そば べんてん』へ
《店舗情報》
店主の田中光勝氏は元サラリーマン、中国料理レストランを経営していた父親が急逝したため急遽店を引き継ぐことになって脱サラ、料理の道に転身したのが29歳のとき
社長業がストレスだったと語る田中氏は10年間続けたレストランを廃業、伝説となるラーメン店『中華そば べんてん』を高田馬場で1995年にオープンさせました
中国料理で培った腕と経験を生かして「どこにでもある普通の食材から、とんでもないものを作る」ことを美学とし、濃厚で力強いスープ、そして隠し味の挽肉味噌が決め手になって看板メニューになった「つけ麺」はつけ麺ブームの先駆者に
ところが田中店主の体調不良を理由に突然の閉店、最終営業日の2014年6月28日には未明から名残を惜しむファンが殺到し神田川沿いに大行列、ニュースになるほどの騒動となりました
2年間に及ぶ糖尿病との闘病を経て回復した田中氏は、息子さん達のサポートを得て『べんてん』復活を決意
息子の邦彦氏が助手を務めるかたちで2016年9月18日成増で再開しました
《訪問情報》
2週間前にも訪問した『中華そば べんてん』ですが、東京での単身赴任生活も残すところ1週間となり、東京を離れる前にもう一度カリスマ店主のラーメンを味わっておきたい一念で連食を強行
祖師ヶ谷大蔵駅から小田急・JR山手線を乗り継いで、池袋駅から東京メトロ有楽町線に乗り換え地下鉄成増駅で下車
3月下旬の木曜日12時50分頃に到着すると外待ち客は7人、店舗前の並びに接続しました
並び始めて5分くらいで店外へ出てきた邦彦氏から、先に食券を購入するよう案内されました
《オーダー》
券売機で購入したのは「塩ラーメン」、成増に移転してからは初めてとなります
食券を買って並びなおしてから10分ほどで、退店してきた客と入れ替わる形で入口側から4番目の席に着席
食券を高台にセットすると邦彦氏が麺量を確認、いつもどおり「中盛」でお願いしました
厨房では田中店主と邦彦氏が絶妙のコンビネーションで黙々と調理しています
「塩ラーメン」がロットの先頭になるようで、着席してから6分ほどで田中店主から提供されました
《スープ》
塩にしては茶濁したスープ、普通の塩ダレだけではこの力強いスープに負けてしまうと語っていた田中店主
『べんてん』の「塩ラーメン」では刻みネギ・刻み生姜・唐辛子を盛り付け、その上に熱した油をジュッジュッと注ぎます
この焦がし油が絶妙のアクセントになって茶濁したスープに合った「塩ラーメン」を演出しています
熱々の香味油と生姜の風味がスープの旨味とコクを引き立てて、極上の味わいになっています
《麺》
自家製の中太ストレート麺、艶々の麺肌でツルツルの口当たり、モッチリしてコシのある歯応え
麺量が250gもあって丼一杯覆いつくすほどなんですが、スルスルと食べられてしまうのが『べんてん』の魔力
《トッピング》
具材は、小判海苔が2枚・メンマ・大判チャーシュー・刻みネギとシンプルな構成
煮豚にこだわるチャーシューは、箸でホロホロ解れるほど柔らかくて味もしっかりと染みた逸品
自慢の自家製メンマもテッパンの旨さです
《所感》
念願の「塩ラーメン」、高田馬場以来となるので7年ぶりでしょうか
『べんてん』ファンの中には醤油味の「ラーメン」よりも「塩ラーメン」を好んで注文する人も多いといいます
もちろん「つけ麺」「ラーメン」「塩ラーメン」の3枚看板はどれをとっても一級品なのですが、東京を離れる前に「塩ラーメン」を堪能することができて本当に良かったと思いながら完食完飲
この日は13時20分過ぎに退店したので、未だ邦彦氏にバトンタッチせずに田中店主が厨房に立ってましたが
今度来るときは邦彦氏に世代交代しているかも、と思いながら店を後にしました
2021/04/06 更新
2021/03 訪問
成増に移転したレジェンド店『中華そば べんてん』への不定期訪問、カリスマ店主は健在で厨房で腕を揮っていました
《店舗情報》
カリスマ店主・田中光勝氏は29歳のとき急逝した父親のレストランを引き継ぐことになって脱サラ
料理の道に転身してから10年間、中国料理レストランを経営していたそう
人を使うのが不向きだと語る田中氏は意を決してレストランを廃業し、伝説となるラーメン店『中華そば べんてん』を高田馬場で1995年にオープンさせました
中国料理で培った腕と経験を生かして「何でもない食材から、とんでもないものを作る」ことを美学とし、濃厚で力強いスープ、そして隠し味の挽肉味噌が決め手になって看板メニューになった「つけ麺」はつけ麺ブームの先駆者に
ところが神田川沿いに行列の絶えない大人気店が田中店主の体調不良を理由に突然の閉店、最終営業日の2014年6月28日には名残を惜しむファンが開店前から殺到しニュースになるほどの騒動となりました
2年間に及ぶ糖尿病との闘病を経て回復した田中氏は、息子さん達のサポートを得て『べんてん』再開を決意
息子の邦彦氏が助手を務めるかたちで2016年9月18日成増で復活しました
《訪問情報》
2カ月半ぶりとなる『中華そば べんてん』、カリスマ店主の田中氏が厨房に立たれているうちに機会を見つけて訪問しています
今回は東池袋駅から東京メトロ有楽町線で地下鉄成増駅で下車、3月上旬の木曜日13時15分過ぎに到着すると外待ち客は9人、店舗前の並びに接続できました
並び始めて10分くらい店外へ出てきた邦彦氏から、先に食券を購入するよう案内されました
《オーダー》
券売機で購入したのは「ラーメン」、テッパンメニューです
食券を持って並びなおしてから10分ほど経過、退店してきた客と入れ替わる形で券売機に近いカウンター角に着席
食券を高台にセットすると邦彦氏が麺量を確認、いつもどおり「中盛」でお願いしました
厨房では田中店主が黙々と調理、たまに交わすお客への挨拶以外は言葉を発しません
着席してから「つけ麺」と「塩ラーメン」が一杯づつ調理されたあと、4人分の丼が準備され、着席してから15分弱で田中店主から「ラーメン」が提供されました
《スープ》
とにかく力強いスープ、魚介の旨味と醤油ダレが絶妙なバランスで調和している極上の味わい
少し粘度のある円やかな口当たりで、懐かしくも色褪せない絶品スープ
《麺》
自家製の中太ストレート麺はモチモチとした食感で、パスタのような『べんてん』という麺
中盛で350gなので丼の中にしっかり入った麺量に少し怯むものの、箸が止まらない魔法のような麺
ツルツルした喉ゴシを楽しんでいるうちに、麺がどんどん減っていきます
《トッピング》
具材は、四角い小判海苔が2枚・メンマ・大判チャーシュー・刻みネギ
煮豚にこだわる肉厚チャーシューはみっしりと肉肉しく、柔らかな歯応えですが重厚な食べ応え
自家製メンマは味付けが素晴らしく、ラーメンの名脇役です
《所感》
高田馬場初期の頃には色んな限定メニューも提供していたそうですが、現在は「つけ麺」「ラーメン」「塩ラーメン」の3枚看板に塩の裏メニューとして「油そば」というラインナップ
人気メニューの「つけ麺」より、最近は基本の「ラーメン」の方が好感度増している感じ
やっぱり圧巻のスープとモチモチ中太麺が『べんてん』のトレードマーク、中盛でも全く飽きさせない絶品でした
この日も田中店主は13時55分でバックヤードへ下がって邦彦氏にバトンタッチ、ちょっと疲れ気味の背中にお疲れさまでしたと念じながら完食完飲
田中店主が調理した最終ロットに滑り込むことが出来ましたが、近いうちに邦彦氏のラーメンも味わいたいと思います
『べんてん』の味をしっかり引き継ぎつつも、田中店主には可能な限り長く厨房に立って欲しいものです
次回こそは、久しく食べていない「塩ラーメン」を楽しみます
2021/03/13 更新
2020/12 訪問
プチダイエット明けの解禁ラーメンは成増に移転したレジェンド店『べんてん』に決めてました
《店舗情報》
BSフジで放映されたドキュメンタリー『RAMEN-DO~The Soul of Japan~ 第1回「べんてん」田中光勝』で田中店主のひととなりが詳しく紹介されていました
「高級な材料で美味しいのは当たり前、普通のモノを使って美味しいモノを作るところに面白みがある」と語り、技に拘る職人気質には敬服するばかり
驚いたのは、サラリーマンだった29歳のとき父親が急逝したのが調理人への転機だったそうで、突如引き継ぐことになったレストランの社長業は心労が絶えなかったのだとか
10年続けたレストランを廃業し、一人で経営するラーメン店を高田馬場でオープンしたのが1995年
大量の鶏ガラを丁寧にとる濃厚でとにかく力強いスープ、そして味付け挽肉味噌が決め手になって提供を始めた「つけ麺」はつけ麺ブームの先駆者に
松戸の名店『中華蕎麦 とみ田』の富田治店主に”This is つけ麺”と言わしめるほど評判となり、神田川沿いに連日行列をつくる大人気店となりました
ところが糖尿病を発症し体力も気力も尽きたという田中店主は、これが潮時と2014年6月28日に一旦閉店
閉店を惜しむ客が連日押し寄せ、神田川沿いに160人並んだのは伝説となっています
糖尿病との2年間の闘病を経て回復した頃、息子さん達が店を手伝うことで『べんてん』再開を決意
息子の邦彦氏が助手を務める体制で2016年9月18日成増で復活、全てを息子さんに伝授しつつ元気に厨房へ立たれています
《訪問情報》
プチダイエットが明けた際には『べんてん』を思いっきり堪能することに決めてました
東京メトロ副都心線に乗り換えて地下鉄成増駅で下車、1番出口から徒歩5分くらいの立地
2020年最後の土曜日13時15分頃に到着すると外待ち客は10人、店舗前の電柱から20mほど離れた電柱側に接続しました
並び始めて5分ほどで店外へ出てきた邦彦氏から店舗前の列へ導かれ、先に食券を購入するよう案内されました
いつからか並んでいるうちに食券を購入するシステムに変わったようです
《オーダー》
券売機で購入したのは「ラーメン」、久しぶりの基本メニューです
食券を持って並びなおすこと10分で、再び店外へ出てきた邦彦氏から一人客優先で入店するよう促され、6人抜きで一番奥のカウンターに着席できました
行列が伸びてしまったためか、その後も回転を良くするために一人客を優先して隙間席に入店させていました
厨房では田中店主が黙々と調理、息子さんとのコンビネーションも息がぴったりです
田中店主のオペレーションに見惚れているうちに昭和テイスト溢れる「ラーメン」が提供されました
《スープ》
大量のゲンコツ、鶏ガラから丁寧に抽出した濃厚でとにかく力強いスープ
魚介の旨味と絶妙なバランスで仕上げた極上の味わいです
少し粘度があってやわらかい口当たりの中に、旨み、コクが重なった深みのあるテイスト
《麺》
自家製の中太ストレート麺はモチモチとした食感で、これぞ『べんてん』という麺
喉ゴシの良さもあって、並盛で250g、中盛になると350gとたっぷりの麺量も全く苦にならない
どんどん啜れてしまう魔法のような麺
《トッピング》
具材は、小判海苔が2枚・メンマ・大判チャーシュー・刻みネギとシンプルな構成
焼き豚はラーメンに合わないそうで、煮豚にこだわるチャーシューは懐かしくも重厚な食べ応え
メンマも自家製で、6Kg戻しても毎日完売するほどの人気トッピング
《所感》
どうしても「つけ麺」の頻度が高くなってしまい、思い返すと高田馬場以来の「ラーメン」
ベースとなるスープは圧巻で、中盛を完食しても全く飽きさせない絶品でした
田中店主は14時を回ったところで休憩に入って、邦彦氏にバトンタッチするそう
『べんてん』の味をしっかり引き継ぎつつも、田中店主にはずっと元気に厨房に立って下さいと願いつつ退店しました
次回は、久しく食べていない「塩ラーメン」を試してみたいと思います
2021/03/13 更新
2020/03 訪問
(緊急事態宣言前)新型コロナウィルスの影響もあって休暇、折角の平日なので休日行けない行列店へ遠征(その1)、成増に移転再開した名店『べんてん』
《店舗情報》
『中華そば べんてん』は田中光勝氏が高田馬場で1995年創業したラーメン界屈指の行列店
2014年6月28日、建物の老朽化と田中氏の体調不良を理由に惜しまれつつも一旦閉店
営業最終日には徹夜組が出て長蛇の列がTVニュースになるほど、閉店を惜しむファンが殺到したほど
1990年代終盤には“大行列店”になり、ちょっと古くて小汚い店舗をはじめ、何より味を優先する田中氏の“職人魂”を剥き出しにしたオーラで緊張感ある店の雰囲気が、多くのメディアに取り上げられたり評判でした
『東池袋大勝軒』の「つけ麺の元祖」「つけ麺の生みの親」こと故・山岸一雄氏と交流があったそうですが、「つけ麵」というメニューを世間に認知させるのに『べんてん』が大いに貢献
蕎麦屋さんの「蕎麦湯」で割るように"つけ汁をスープで割って楽しむ"「スープ割り」を広めたのも『べんてん』と言う説もあるほどで
のちの“極太麺・魚介豚骨Wスープ・魚粉トッピングの元祖”『頑者』や、“つけ麺ブームの立役者”『六厘舎』へ多大なる影響を与えたことは疑う余地がありません
復活を待望する声が絶えないなか、田中氏は約2年間静養し、息子さんが助手を務める体制で2016年9月18日成増に復活しました
《訪問情報》
2006年に西武新宿線沿線へ転勤した当時は、『六厘舎』『頑者』を筆頭に"濃厚魚介豚骨系""極太麺"を売りにした「つけ麵ブーム」真っ盛りで、特に沿線の『宝』@田町と『べんてん』@高田馬場はヘビロテ店でした
2020年3月初旬の木曜日、COVID-19騒ぎもあって休暇を取得、ほぼ2年ぶりに訪問しました
昼食は外食しか選択肢が無いので、混雑する時間帯を外して東京メトロ副都心線で地下鉄成増駅で下車、13時半に店舗へ到着すると、なんと外待ちが1人しかいません
既に売り切れでないか不安になりましたが、未だ「商い中」の看板が出ていたのでそのまま並びました
《オーダー》
10分ほどで店内中待ちへ移動し、券売機前で「ラーメン」「塩ラーメン」とも悩みましたが、2月末から訪問してきた店舗『とみ田』『麵屋一燈』『東池袋大勝軒(大須店)』からの流れを踏まえ、「つけ麵」を購入しました
すぐに厨房を囲むカウンターの入口近くの席が空き、助手で息子の邦彦氏に食券を手渡して中盛りをお願いしました
《麺》
中待ちしながら厨房の様子を観察していると、殆どの調理プロセスは未だ田中店主さまが担当、息子さんはビールやおつまみ、洗い物やつけ麺の麺担当していました
ということで10分ほど待って麺の入った丼が息子さんから、つけ汁が店主さまから提供されました
麺は並250g、中350gが同料金、結構な麺量ですが『とみ田』のように麺線を綺麗に整えてはおらず、ワイルドに盛られています
相変わらず白くてツヤツヤ中太の自家製ストレート麺は、ツルモチ食感が素晴らしい
そのまま食すと小麦の甘みがしっかり感じられ、コシもあって唯一無二の麺です
《つけ汁》
つけ汁は当時流行っていた粘度の高い濃厚なスープでは無く、醤油ベースでライトなつけ汁
大量のガラ・げんこつ・モミジ・豚足・魚介・香味野菜を惜しみなく投入し秘伝の肉味噌を加え凝縮された旨味
粘度が低くても麺にしっかり旨味を纏わせる究極のつけ汁です
麺が冷水で〆てあるのでつけ汁はすぐ温くなりますが、問題ありません
《トッピング》
つけ汁の中に入っている具材はチャーシュー・メンマ・海苔・ネギ
短冊切のチャーシューは脂がほど良く、下味がいい塩梅で秀逸
たっぷり入ったメンマとネギ、麺と絡めて味わうと異次元の喜びに箸が止まりません
《所感》
出汁に味もしっかり目の、大好きな『べんてん』の味です
このつけ汁の旨さにツルシコ自家製麺は最高のコンビネーションです
至福の時を惜しみながら最後はスープ割りで〆ました
14時を過ぎたあたりで、助手さんがもう一人厨房に現れ、代わりに田中店主はバックヤードへ姿が消え、息子さんが麺上げを始めました
田中店主にはいつまでも元気に厨房に立っていて欲しいですが、『べんてん』の味を後世に残すためには世代交代も必要です
2021/03/13 更新
2018/03 訪問
雪降る中を辛抱強く行列
油そば温中盛り+生玉子
べんてん未食の油そばをオーダー
想像していたよりジャンキーで、べんてんらしさが感じられなかった
早めにスープ割りをお願いするも胡椒とか辛味が強くて塩ラーメンには程遠かった
これでべんてんは全メニュー食したが、やはりテッパンのつけ麺かラーメンを堪能するべき
2018/03/21 更新
2017/02 訪問
つけ麺中
念願のべんてん、馬場時代から変わらぬ出汁と麺、こんなに回転悪かったかと思うが「としおか」も大差ないので納得
テッパンというかレジェンドの域
2017/02/01 更新
《店舗情報》
元サラリーマンだったという店主の田中光勝氏は、中国料理レストランを経営していた父親が急逝したため脱サラ、料理の道に転身したのが29歳のとき
社長業がストレスだったと語る田中氏は10年間続けたレストランを廃業、のちに伝説となるラーメン店『中華そば べんてん』を高田馬場で1995年にオープンさせました
中国料理で培った腕と経験を生かして「どこにでもある普通の食材から、とんでもないものを作る」ことを美学とし、濃厚で力強いスープ、そして隠し味の挽肉味噌が決め手になって看板メニューになった「つけ麺」はつけ麺ブームの先駆者に
しかし田中店主の体調不良が原因で突然の閉店、最終営業日の2014年6月28日には未明から名残を惜しむファンが殺到し神田川沿いに大行列、ニュースになるほどの騒動となりました
2年間に及ぶ糖尿病との闘病を経て回復した田中氏は、息子さん達のサポートを得て『べんてん』復活を決意
息子の邦彦氏が助手を務めるかたちで2016年9月18日成増で再開しました
《訪問情報》
4月下旬の火曜日、東京出張のついでに3年ぶりに訪問しました
東京メトロ丸ノ内線から池袋で副都心線に乗り換えて地下鉄成増で下車
10時20分頃に到着すると、シャッター待ち10人
ちょっと離れた電柱の列に接続し待つことしばし
11時の開店時にはシャッター待ち客が更に12人ほど増えていました
《オーダー》
店内は11席なので、末席にすべりこみ
久しぶりだったので「つけ麺」の食券を購入してカウンター左端席へ着席し、「中盛」でお願いしました
厨房は田中店主と若い男性と3人体制で切り盛り、すでに大将は麺上げしておらず盛り付けを担当
それと邦彦氏の姿も見られませんでした
25分ほど待って待望の「つけ麺」が提供されました
《麺》
麺は並250g、中350gが同料金、結構な麺量がワイルドに盛られています
相変わらず白くてツヤツヤ中太の自家製ストレート麺は、ツルモチ食感が素晴らしい
噛めば小麦の甘みがしっかり感じられ、コシもあって啜り心地も抜群です
《つけ汁》
つけ汁はシャバ系、醤油ベースでライトな仕上がり
大量のガラ・げんこつ・モミジ・豚足・魚介・香味野菜を惜しみなく投入し秘伝の肉味噌を加え凝縮された旨味
粘度が低くても麺にしっかり旨味を纏わせる究極のつけ汁です
麺が冷水で〆てあるのでつけ汁はすぐ温くなりますが、全く問題ありません
《トッピング》
つけ汁の中に入っている具材はチャーシュー・メンマ・海苔・ネギ
短冊切のチャーシューは脂身がほど良く、下味が絶妙
たっぷり入った自家製メンマが絶品で、追加する人が多いのも納得です
《所感》
いつもながら350gの麺もあっという間に完食
スープ割をお願いして、名残惜しさを感じつつ完飲しました
隣のお客さんがオーダーしていた「塩ラーメン」の香りが漂って来て実に旨そう
『べんてん』ファンの中には「塩ラーメン」を好んで注文する人も多いといいます
次回来店時は「塩ラーメン」にしようと決意しつつ退店しました
後日(5月26日)、二代目店主の入院・休養のためしばらく休業との情報あり
早く回復していただき、親子元気な姿での再開をお祈り申し上げます