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10時前に名古屋の友人がホテルに迎えに来て、駅に向かい高島屋に。当店で丁寧に包んだお弁当様の物が入った袋を受け取り新幹線で米原に向かいました。そこで乗り換え近江八幡へ。何と、そこで水郷巡りの和船を借り切り水の自然を鑑賞し、沼の真ん中に停泊しておもむろにお弁当とビールを取り出しました。明らかに料亭作りの豪華なお弁当と分かりました。聞くと、仕事で昔から使っている料亭(大正の初め創業)との事、見栄え良く、味良しで、周りの風景·雰囲気も併せ最高の時間を過ごせました。「お友達って風流な方なのね!」とMチャン絶賛でした。★名古屋に戻っては、彼の家(白壁)で、奥様の手料理を御馳走になり、昔話しに花を咲かせました。Mチャンには旧悪がチョンバレになってしまいましたが。
2022/04訪問
1回
空港からはタクシーで直に工場に。社長にお見舞いを申し上げ御包みを手渡しました。「細かい事は明日に。ホテルは当方が手配してありますから。」と、仙台駅方面に戻り、ホテルにチェックインしました。立派なホテルで恐縮しました。しかし尚畏れ入ったのはホテル代金はおろか食事も指定され何もかも先方持ちな事でした。(先般の令嬢の件が響いた様です。)夕食はフレンチのフルコースで、美味しく何回も舌鼓を打ちました。「まるで東京のウェスティンに居るみたい。」お局様が感嘆を洩らしました。多くの料理が「東北の~」と冠されており、東北の玄関仙台の自負心を感じました。
2022/03訪問
1回
「ここ、私の大好きなお店なの。若しここが東京に有れば毎日食べちゃうかも。」Mチャン(会社同僚)が言う通り、美味しそうにケーキが並んでいます。ここのパティシエは東京で修行したかなりの腕との事。私はイチゴ系が好きなので3種後で頰張りました。確かに美味しかったです。因みにイチゴは決まった地元の契約農家さんから仕入れている由。さすが栃木県です。
2022/04訪問
1回
毎回、タクシーで往復するので、又ちゃんと時間に着けました。「こ、こんな淋しい処に?」タクシー下りて暗がりをチョット歩くんです。足下気をつけて。私の個人的な送別会をここでやりました。江波山上の老舗(創業は100年以上前)フレンチなのです。私は牡蠣の時期しか知らないのですが、フルコースに含まれる、魚や肉も(野菜も)美味しいので違う季節でも期待は外れないと思います。とにかく看板料理の牡蠣は絶品です。5種類の殻付き牡蠣の美味しい事!ダブルで頼む事もありました。雰囲気も良く、女性とシッポリとワインを飲みながら·····最高な場所です。最後の夜、お局様も満足でした。
2022/03訪問
1回
名古屋支社での仕事が終わり、懇親会は当店で。実はMチャンの強い希望で、前もってひつまぶしにお願いしたのでした。先方も慣れたもの。「来る人はまず、これを希望します」との事。「でも、本場で食べると順番とか作法が有って·······」 「だから、美味しい(と感じる)んですよ。」とたしなめられてしまいました。お店は満員。人気の程が分かります。関東とは違い、地焼きで野趣が感じられ新鮮で結構でした。
2022/04訪問
1回
「あなた。やっぱり、あそこの鰻が食べたいわ。」ワイフに引かれて当店に。言わずと知れたTVに出た有名店です。(存在自体は60年位前から知っていました。)実は、今まで別の老舗に行っていたのですが、半年前か息子のオゴリで当店に来てワイフの舌が変わったのでした。私には、大きな違いは無いと。まあ、ワイフに従っておきます。
2022/01訪問
1回
「備長炭(びんちょうたん)って言うんだよ。ったく最近の若い者は。」下足番のお年寄りが呟きました。「当店は備長炭を使用しております。」と書いてあるのを、私が「びっちょう」と読んだ時でした。大昔、前の会社の新入社員の歓迎会がここで開かれたのでした。それ以来、これが忘れられません。焼き鳥屋でも。焼肉屋でも。その御仁、今は居られる筈はありまん。極楽でしか会えないでしょう。それは兎も角、懐かしい場に入りました。ただでさえ古いのに、昔と殆ど変わらない雰囲気です。こういう所で、美味しい鶏すきを食べるのは、至福以外の言葉が見当たりません。かの池波正太郎氏、雰囲気·風情を愛したのか?味を愛したのか?★お局様によると、彼ら受け入れ始めた様です。頑張らないと!
2022/02訪問
1回
金曜日の夜、何か物足りないと感じましたが月曜昼前になって思い出しました。「そうだ!アレを食ってない。」思ったら吉日。お局様を連れて六本木交差点へ。が、無いではありませんか❗️「お店なら、あちらですよ。」平然と指差す方向は瀬里奈方面。店が移転していたとは!どうりで夜、気付かなかった訳です。今浦島、チョンバレです。(更に、角のコージーコーナーも消えていました。)ちょっと並んで食べました。ん十年振りの鶏煮込みそば。旨かったの何のって‼️金曜日夜、酔って食べたらもっと旨かったでしょうに。本当に残念でした。
2022/03訪問
1回
広島に戻って、夜は前の会社の同僚(某カーメーカーOB)と当店で会いました。「おお、又美人を。◯さんは飽きないね。」彼一流の挨拶なのでした。それはともかく当店は、前の会社の外人部隊連中の溜り場で、よく飲み食いして議論を戦わせたものでした。(値は張りますが気さくな所があり、居心地が好い。)勿論、味は保証済みです。広島なのに関東風の焼き方なので、馴染み易いです。鰻の骨を噛りながら「お土産を貰ったし、今日はお客様だから特別に。」と言ってスッポンを御馳走してくれました。見ためと違って美味しく、力が蘇って来た感じがしました。「眠れるかな?フフ。ではおやすみなさい。」各々タクシーで別れました。
2022/03訪問
1回
「お久し振り、じゃない1週間振りか。」「N先生、3年振りですね。お元気そうでお綺麗で。」昼ちょっと前、当店で3人合流しました。N(女)と私は中·高·大と同窓、NとMチャンは大学での師弟、Mチャンは私の同僚なのです。実は、ココMチャンが予約したのですが、偶々私の思い出の場所でした。昔、ココで簡単な結納の両家での会食をしたのでした(4○年前)。上中下の中のコース(貴宝コース?)が出て来て、偶然の符合の驚きから始まってアレコレペチャクチャと······美味しく楽しい時間を過ごしました。胃もフル回転、昨日の節制が効いた様です。
2022/04訪問
1回
「これから本当にお仲間ね。今日は私が、」とご馳走してもらいました。このお店、本当に立派になりました。建物が。入り口が閉まっていると客が開けて入るのを拒む感じを受けます。(入ってしまうとそうでもないのですが。)「ここではポークカツレツと呼びます」と知ったのは、私が大学生になっての時(50年位前)でした。当時、上野トンカツ御三家と言うのがあって、しきりに通ったものです。今、生き残ったのは当店だけです。昔ながらの味で美味しいのですが、相対的には·····他業種も含めて美味しいものが増えています。ご健闘を祈ります。兎に角、ご馳走様でした。
2022/04訪問
1回
近くの病院に野暮用あり、丁度好いので、お局様にご馳走しました。「好いんですか?こんな立派なのを?」贅沢天丼(五千円近い)を頂きました。エビも3本、魚にかき揚げ、野菜と豪華で美味でした。「社長に感謝するんだな。君を買っているらしいね。」「えっ!?」それは兎も角、この山の上ホテル。小さく古びていますが、有名なのです。何せ様々な作家が思いを寄せているのですから。私の好きな三島由紀夫もその一人。ここにカンズメになって執筆していたらしいです。きっとこの店にも出入りしていた事でしょう。私事ですが、近くの予備校に通っていたので、気晴らしの為生意気にもコーヒーを飲みにこのホテルに4·5回来た事があります。そして、その時(その年の11月)市ヶ谷で割腹自殺してしまったのです。私的にも思い出の深いホテルです。そこに有るてんぷら屋さんなのです。
2022/02訪問
1回
お局様から、タイの事を色々話が聞きたいと言うので、「歌行灯で」と言って後はお任せしたところ、行ったら場所が違っていました。昔は駅ビル(ルミネ?)に有ったのが伊勢丹会館に移っていました。それは兎も角、料理は蛤うどんすきにしました。(最後に別注の松阪牛を入れると最高!)なにしろ三重県桑名の老舗名店です。これを食べないと何の為に来たのかわかりません。「どうだ。旨いだろう。」何て···偉そうに言いますが、実は私、初めて訪問した時には、何も知りませんでした!場所は、バンコク、1997年アジア通貨危機の時でした。前の会社建直しに派遣されたのです。さぼてんさん以上に、伊勢丹バンコクの上の歌行灯さんに通いました。料理はシンプルで、私は「天丼とうどんセット」ばかり(たまにお稲荷さんも)食べていた記憶があります。 その時には3年強居ましたが頼りになったお店の一つです。帰国後、新宿店の人から、泉鏡花の小説の舞台のお店で····云々と聞いたのでした。
2022/02訪問
1回
「エッ、もう行っちゃうんですか!」ホテルに着いて直ぐ提案しました。出張久し振りのお局様が狂喜しました。夕刻早目が比較的混んでいないと判断したのでした。「やっぱり美味しいわ。5年振りよ!」20年近く前、苦労して並んで初めて食べた時、私はそんなに思いませんでした。穴子はお寿司に乗ってる甘く柔らかく煮たもの。口の中でとろける御馳走でした。それが何だ!甘くもなくちょっと固くて······長時間並ばせやがって、これかよ、と。しかし、今は変えました。やっぱり旨い❗️と。と言うより、甘いと10切れ20切れと穴子が食べられないんです。どんぶりで沢山食べるには丁度好い味と歯応えなんだと分かるのに1年かかりました。
2022/03訪問
1回
名古屋から学生時代の友人来訪。実に20年振りに会いました。その時の手土産が素晴らしく、ビックリしました。名前は「堂上 蜂屋柿」と言う干し柿でした。(美濃加茂市近辺産出。)その甘さはとんでもなく高度で、包装からして上品で、ネットで検索したら皇室御用達らしいです。信長·秀吉を輩出した土地の文化を感じました。