「そば」で検索しました。
1~11 件を表示 / 全 11 件
「胃がお疲れでは?明日もありますし。」Mチャンのアドバイスを容れて、軽いお蕎麦にしました。「まつや 」と言えば大きなちょうちん。コレです。「やぶ」の和歌調の甲高い声と好対照。この一角は、池波正太郎が愛した老舗地区。とりわけ当店は気さくさが溢れています。何の抵抗もなく入れます。何も無しの盛りそば2枚で済ませました。(山葵は別途注文です。)サッパリして美味しかったです。Mチャンは天ぷら蕎麦で健啖でした。
2022/04訪問
1回
20年(?)振りか、神田藪さんに伺いました。ここ、味は勿論ですが、私は雰囲気が好きです。「○○、✕枚~~~」節を付けた甲高い女性の声が歴史有る老舗本部の自信と矜持を示していると言えましょう。 せいろう2枚とかき揚げを頂きました。(お局様は1枚。)それにしても9年前(2013年)の今月、悲報を広島で聞いた時ビックリしました。「かえし(蕎麦つゆの元)も全滅した」とのご主人の言葉に諸行無常を感じましたが、見事復元、建物(半焼)も何もかも復活されてご同慶の至りです。本当に良かった❗️ごちそうさまでした。
2022/02訪問
1回
眠そうなお局様を連れて、軽いブランチの積もりで、当店に。ところが軽くペロリとザル2枚を平らげてしまいました。「サッパリして却って美味しかった」との事!昨晩とのコントラストが良かった様です。健啖振りに脱帽です。ところで当店、広島時代年に10回も来てませんでしたが、11月か秋には必ず友人と3~4人で訪れていました。言わずと知れた『新そば会』です。天ぷら(小)、とろろ、玉子などオカズ以外はお代わり自由。(お酒は別料金。)おお飯ぐらいの私には食べ甲斐がありました。あの大きなザルが懐かしいです。
2022/03訪問
1回
夜の懇親会はここで、と私が希望しました。東京に戻ったら何時でも行けると思っていたら、コロナで撤退(約2年前)機会を逸してしまいました。大昔(30年位前迄)は結構来ていました。「エッ!私が?で、出来ませんわ。」「やるんだ。思い切って。」箸を持ったMチャンの手を上から抑えて活きエビを熱湯に。断末魔の振動が伝わります。(エビが暴れたらこちらが火傷です。)「ナンマイダー」これで美味しいうどんすきの完成です。仕事の話からプライベートまで、色々話しして懇親を深めました。Mチャンも気を取り直して笑顔が戻りました。
2022/04訪問
1回
忙しいので、お昼は当店で。私はせいろ+天丼、お局様はせいろ+かき揚げを頂きました。このお店、某社の「旨い、安い、早い」をお蕎麦で標榜する製麺会社の運営する上級版お蕎麦屋さんです。普及版は先週お邪魔した農水省等官庁に多い由です。この他にもOEMも行っている大した会社です。何が上級かと云うと、セントラルキッチン(在根津)から半製品の蕎麦(板·固まり)を運んで各店で(包丁で)切って最終製品(お蕎麦)にするのです。最終製品を運ぶより、お蕎麦の表面積が小さく酸化速度(風味劣化)が抑えられると云う理屈です。パフォーマンス効果も期待出来るでしょう。兎に角、ご馳走さまでした。
2022/04訪問
1回
「ホンチャンの役人飯を喰ってみるか。安いぞ。」昨日の事が刺激になったのか、霞が関の官庁食堂に行きたくなりました。迷惑を避け誰でも入れる農水省にしました。鯨も魅力を感じましたが、手軽な蕎麦にしました。チョイ見、学食に毛の生えた様な感じを受けましたが、食べて少しマシな気がしました。(天ぷらそばを頂きました。)一般人も入れるからかと思いました。と、言うのは値段も期待した程安くはありませんでした。私が新入社員時代、官庁食堂の出入りは緩くあちこち行きましたが、もっと安かった(官民格差大)記憶があります。ちょっと違いますが、当時の大手町の某公社の社員食堂は憧れのマト。美味しく安かったです。(ウチの社食は比較不味く高かったのです。)
2022/03訪問
1回
「あんなにお肉食べたら太っちゃうわ。今日もでしょう。」と言うのでお局様について当店に。簡単に直ぐ食べられるお蕎麦屋でした。お局様はかけそばでしたが、さすがにそれでは······と、私はかき揚げそばにしました。卵もと思いましたが、お局様の目を見て止めました。仕事で忙しい時も最適の所を見つけました。ごちそうさまでした。
2022/03訪問
1回
ついでに、良く行ってた地元のスーパーも見せました。近くにイオンが有るのですが大き過ぎて、私には使い勝手が悪いのでした。トンカツでご飯一杯だけだったのでラーメンを食べてしまいました。このお店、元々歩いて2·3分の所に有って移って来た地元のチェーン店です。買い物のついでにたまに食べていました。これも懐かしい味でした。
2022/03訪問
1回
今日は成田山詣でで、早く起きて常磐線に乗って我孫子駅で乗り換え。その時間を利用してワイフを待たせて立食い蕎麦を食べました。しかし、私の当ては唐揚げでなく好みの天ぷら蕎麦でした。大昔は、この店蕎麦屋ではなく駅弁を売っており、ここで買って、蒸気機関車の引く車両か、ディーゼルカーに乗って駅弁を食べながら成田に向かったものでした。その包装紙の絵は、山下清画伯の描いたものでした。そう、一時彼はこのお店の従業員だったのです。そんな事を思い出しながら食べた天ぷら蕎麦の味は特別でした。今は味気ない電車に乗ってただ成田に向かいました。