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夜の点数:3.6
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¥3,000~¥3,999 / 1人
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料理・味 3.6
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|サービス 3.4
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|雰囲気 3.4
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|CP 3.1
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|酒・ドリンク 3.1
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[ 料理・味3.6
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| サービス3.4
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| 雰囲気3.4
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| CP3.1
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| 酒・ドリンク3.1 ]
油が語り、肉が応える夜――築地・とんかつはせ川にて
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2026/02/09 更新
平日の仕事終わり、頭の奥に残る資料の行間を振り払うようにタクシーへ滑り込む。行き先は築地。本願寺の裏手にひっそりと息づく一角に、その夜の目的地――とんかつはせ川――はある。喧騒から半歩引いた場所に灯る暖色は、忙殺された心に「今夜は任せていい」と静かに告げてくる。
扉を開けると、店内には外国人観光客の姿がぽつりぽつり。彼らは皆、一様にカツカレーを前にしている。なるほど、初めての日本において、揚げ物とカレーの合流は親しみやすい入口なのだろう。だが、今夜の私は寄り道をしない。席に腰を下ろし、揚げ場に立つ店員さん――所作に無駄のない、油と向き合う人の背中に――「おすすめは?」と声をかける。返ってきたのは迷いのない答えだ。「極上の厚切り、とんかつです」。それで決まった。
まず運ばれてくるのは漬物とお通し。脇役のはずの彼らが、これから始まる主役の到来を静かに整えていく。続いてご飯、味噌汁。白い器が並ぶリズムが、心拍と同期する。最後に現れたメインディッシュは、皿の上で堂々と構え、語る準備ができているようだった。
「この豚は甘みが強いので、まずは塩で」。そう勧められ、岩塩、和がらし、そしてわさびが添えられる。ソースは控えめ。ここでは、味付けは主張しない。肉が主張する。
だが本題に入る前に、あえてキャベツに触れたい。立ち上る青さ。自家製の玉ねぎドレッシングをひと回しすると、瑞々しさが一段階深まる。甘みと酸味の輪郭がくっきりして、口を整えるどころか、これ単体で「一皿」と呼びたくなる完成度だ。主役を待つ時間さえ、楽しい。
そして、箸を入れる。衣は音を立てない。代わりに、油の気配が静かにほどける。断面は淡い桃色から白へ、きめ細かい繊維が重なり合い、脂は透明感を帯びている。まずはそのままでひと口。――甘い。砂糖のそれではない、豚そのものが持つ甘みだ。油が軽やかに舌を滑り、肉汁は決して溢れすぎない。秩序がある。
次に和がらし。鼻に抜ける清涼が、脂の輪郭を鋭く切り取り、旨みだけを前に押し出す。和のわさびでは、辛味が短く弾け、余韻が伸びる。どの組み合わせも正解で、どれもが別の物語を語る。端から食べても、中央に進んでも、油と肉のバランスは揺るがない。厚切りでありながら、重さはない。ここまで肉の旨みを、過不足なく、最後まで保つ料理が他にあるだろうか。少なくとも、今夜の私には思い当たらない。
ふと脳裏をよぎる既視感。そうだ、両国のはせ川。冗談抜きで、同じ名前のあの一軒だ。血統を感じる。だが、これはコピーではない。築地という土地に合わせ、呼吸を合わせ、ここで完成した味だ。本店に劣らず、むしろ別解として堂々と並び立つ。
ご飯は粒立ちがよく、味噌汁は過度に主張しない。脇役たちが役割を理解しているからこそ、主役は存分に輝く。食べ終える頃、胃も心も不思議なほど静かだ。満たされるとは、こういう状態を言うのだろう。
退店の際、店員さんの一礼が背中に届く。態度、所作、距離感。どれもが心地よい。味だけでなく、体験として完成している店は、案外少ない。ここは違う。再訪は不可避だ。次は誰かを連れて来たい。いや、また一人で来るのもいい。油が語り、肉が応える夜を、何度でも確かめたくなるから。