「つけ麺」で検索しました。
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幻の行き止まりに現れる一杯 ― 特製蜆昆布水つけ麺(塩)
2025/09訪問
1回
東京駅で〝豚骨の正解〟に出会う──ラーメン横丁「がっとん」の一杯
2025/09訪問
1回
評価の高さに戸惑うも、三層仕立てのスープは一飲の価値あり
2025/09訪問
1回
平日の夜、仕事の疲れを少しだけ引きずりながら、後輩と二人で東京駅の地下を歩いた。構内に漂うスーツの擦れる音、旅立ちと帰還を告げるアナウンス。そんな喧騒の中に、どこか儀式めいた行列を作る場所がある。東京ラーメンストリート——その奥の六厘舎へと足を運ぶ。 この場所を通るのは何度目だろう。思い返せば、季節が変わっても行列の長さは変わらない。例によって、店の前にはざっと三十人ほど。行列というものは退屈だが、ここではそれすらも風景の一部になっている。「まあ、いつも通りだな」と後輩に言いながら列の最後尾に並ぶ。駅の通路を行き交う人々の靴音が、まるで雨音のようにリズムを刻む。 二十分、いや三十分ほどだろうか。ようやく自動券売機の前に辿り着く。メニューのボタンを押す指が、少しだけ高揚する。迷うことなく、つけ麺を選択。食券を差し出すと、店員の手際よい動作であっという間にカウンター席に案内された。厨房からは湯気とともに魚介の香りが漂い、食欲を刺激する。 丼が運ばれてきたのは、それからわずか五分後。器の中には、艶やかな麺が整然と並び、濃厚そうなスープが静かに湯気を立てている。見た目の完成度は申し分ない。まずは麺をそのまま一口。冷水で締められた中太麺はしっかりとコシがあり、噛むたびに弾力を返す。だが——心のどこかで比較してしまう。つい先日訪れた松戸の富田製麺。あの小麦の香り、噛むほどに広がる芳香。その記憶が、六厘舎の麺の印象を少し霞ませてしまう。悪くはない。ただ、何かが一歩届かない。 続いてスープを口に含む。魚粉の香ばしさが広がり、瞬間的に「うまい」と思わせる力がある。けれど、後味に残る甘みが少々強い。自然な甘みというよりも、どこか人工的な、舌の奥にまとわりつくような甘さ。それが気になってしまう。卓上には辛味や酢など、味を調えるための調味料がずらりと並ぶ。もしかすると、店側もこの「甘さ」を自覚しているのかもしれない。客に微調整を委ねる、その余白。 それでも箸は止まらない。つけ汁に麺を潜らせ、ずるりと啜る。最初のうちは夢中で食べ進めた。だが中盤に差し掛かると、やはり松戸の記憶がちらつく。あちらの方が、スープと麺が一体となって押し寄せるような力があった。六厘舎は、どちらかといえば整っている。上品で、秩序だっている。だが、その分、心を打つ“野性味”のようなものが欠けているのかもしれない。 それでも、この店にはこの店の良さがある。食べ進めるうちにスープが冷めてきたときに、店員に温め直しを快く受けてくれた。心も温かくなる。こうした細やかな気配りが、行列が絶えない理由なのだろう。 食べ終えた頃には、外の行列はさらに長く伸びていた。丸の内側には「松戸富田製麺」、そして八重洲側にはこの「六厘舎」。同じ駅の中で、似て非なる二つの名店が競い合っている。その事実が、東京駅という空間を少し特別なものにしているのかもしれない。 総じて言えば、六厘舎のつけ麺は「完成度の高い安心感」に包まれている。奇をてらわず、丁寧で、確実に美味い。だが、心を揺さぶるような衝撃はやや控えめだ。東京駅という舞台においては、それが長所でもあり、弱点でもあるのかもしれない。 店を出ると、後輩が「やっぱり富田の方が好きっすね」と笑う。私も思わず笑って、「まあ、そうかもしれないな」と答えた。再訪はやや難しいかもしれない。
2025/10訪問
1回
麺は標準的で、特筆すべき特徴は感じられません。スープは魚介系で、化学調味料を使っていないのか自然な味わいがしますが、逆にシンプルさが際立ち、やや物足りなさも残ります。煮卵はしっかり味が入っていますが、黄身がややパサつき気味。全体として、丁寧に作られている印象はあるものの、突出した個性やインパクトは感じられませんでした。味の好みは人によって分かれると思いますので、シンプルな魚介スープを求める方には合うかもしれません。あくまで私個人の印象ですが、今回は再訪には至らないと感じました。初めて訪れる方は、魚介系ラーメンの自然な風味を体験したい場合に一度試してみる価値はあると思います。
2025/08訪問
1回
麺屋周郷 ― 新橋の夜を満たす一杯