30回
2025/10 訪問
通常利用外口コミ
この口コミは試食会・プレオープン・レセプション利用など、通常とは異なるサービス利用による口コミです。
食卓の座標
八度目の「彩日」の夜は、岩手銘醸の「奥六」であった。
その名が、かつて奥州から盛岡へと続く大地──“奥六郡”──に由来すると聞いたとき、胸の奥にひとつ、古い風の音が響いた気がした。北上川の伏流水と岩手の米。そこに宿るのは、土地の風土というよりも、時の層が積もった大地の記憶そのものだ。
杯を重ねるうち、二つの銘が心に残った。
「クレセント」は吟ぎんがを用いた特別純米。
月の名のとおり、穏やかな光を帯び、雪解けの水のように澄んだ口あたり。料理の輪郭を静かに支え、食卓にひとつの座標を刻む。
一方、「ホワイトビーチ」は亀の尾と白麹で仕込まれた低アルコールの純米。
柑橘を思わせる酸とほのかな甘みが溶け合い、ピンクグレープフルーツのような清涼な甘酸っぱさが広がる。
どちらの酒も、華やかさを競うものではない。
だが、確かな居場所を持つ食中酒として、静かに料理と呼応する。
米と水、そして北国の風が、今夜の杯の中でひとつの地図を描いていた。
2025/10/29 更新
2025/09 訪問
迷走するいちじく
カルパッチョという料理の名は、ヴェネツィアの画家ヴィットーレ・カルパッチョに由来する。彼の宗教画にしばしば現れる鮮烈な赤。その色を思わせる生肉の皿が、いつしかその名を背負うことになった。
だが、彩日で供されたのは「いちじくのカルパッチョ」である。瑞々しい断面をさらした果実に、すだちの酸と胡椒の黒が散らされる。まるで聖画の片隅に潜む赤と黒の対比を、卓上に再現したかのようで、思わず視線を奪われた。
定義を問うならば、もはやこれはカルパッチョではない。だが、今や「薄く切り、生で供されるもの」がすべてその名を許される時代だ。迷走といえば迷走。しかし、その迷走の果てにこそ、新たな自由が芽吹くのかもしれない。
やがて運ばれたのは、黄金の衣を纏ったアジフライ。光背のように油が輝き、日本酒の杯を呼び寄せる。名を越えた皿もまた、静かな余韻の中で物語となり、今夜の一幕を完成させていた。
2025/10/02 更新
2025/08 訪問
通常利用外口コミ
この口コミは試食会・プレオープン・レセプション利用など、通常とは異なるサービス利用による口コミです。
大地は語る
二か月に一度の「彩日」の日本酒の会も、気がつけば七回目を迎えていた。今日のテーマは福岡・旭菊。卓上に並んだ七本の瓶は、ただの酒ではなく、それぞれが土地の息吹を写しとった小さな風景のように思えた。視線を移すたびに、胸の奥でざわめくものがある。
とりわけ記憶に刻まれたのは「大地」の二種だった。純米吟醸は静かに立ちのぼる香りと、すっと切れる余韻。煮物やお浸しの柔らかな味をすべて引き受け、最後にはきれいに整えてくれる。派手さはない。だが、米の旨味が確かに背骨のように通っているのがわかる。対して特別純米は、名のとおり土の力を思わせる一杯だ。厚みのある旨味がじわじわと広がり、焼き魚や揚げ物と出会えば、互いの輪郭を強調しながらも溶け合っていく。
残る五本もまた、それぞれに表情を持っていた。潔い辛口。ぬる燗にするとふわりとほどける優しさ。あるいは、熟成がもたらす落ち着き。だが、そのどれにも共通していたのは、米と大地への誠実さだった。
旭菊という酒は、華やぎを競うことなく、静かな余韻で飲み手を包み込む。杯を重ねるほどに、土に根を張る力強さがじわりと沁みてくる。──その滋味の確かさが、この夜をひそやかに支えていたのである。
2025/09/12 更新
2025/07 訪問
また会えたね
もう今年は会えないだろう――そう思っていた。DATE SEVEN。東北七蔵による、年に一度の競演。限定という言葉に弱いわけではないが、この酒にはそれ以上の響きがある。先日「ゆうき」でぐい飲みを傾けたとき、「今年はこれで見納めか」と思っていた。それなのに。
ふらりと立ち寄った「彩日」で、女将さんが静かに言った。
「まだ、ラスト1杯ずつだけありますよ」
それだけで、少し背筋が伸びた。ここは常に面白い酒を揃えてはいるが、DATE SEVENのような一本は、滅多に見かけない。狙ったわけでもない、けれど確かに用意されていた一杯。そんな出会いこそが、縁というものなのかもしれない。
この日は珍しくテーブル席。賑わうカウンターを遠目に見ながら、ぐい飲みを口元に運ぶ。香りはひと呼吸分の静けさをまとい、口に含めば、その輪郭が確かに舌に残る。それは記憶の味ではなく、再確認すべき現在の味だった。
今年二度目のDATE SEVEN。それでも「また会えた」と思ってしまうのは、この酒がただの“味”ではなく、“時間”を伴って現れるからだろう。
グラスの底に残ったわずかな琥珀色を見つめながら、私は静かに心の中でつぶやいた。
――また、会えたね。
2025/07/23 更新
2025/06 訪問
飲みもの?飲ませるもの?
カレーは好きだ。飲みの〆のラーメン屋の代わりにカレー屋を選ぶこともある。ただ、カレーを“つまみ”として飲む――そんな発想はこれまで一度も持ったことがなかった。
この日「彩日」の奥から漂ってきた匂いが、足を止めさせた。スパイスの香りではなく、炒めた玉ねぎと小麦粉。華やかではない、けれど妙に落ち着くあの香り。そう、スパイスカレーではなく、家庭の食卓で育ったカレーの記憶。
「今日は“カレーの頭”が出せますよ」と女将さんが言う。頭。つまり、ごはん抜きのルーだけ。たしかに料理としては成立している。だが、これは酒の相手になるのだろうか。半信半疑で頼んでみると、湯気をまとったその一皿が、こともなげにそこにあった。試してみれば、と言わんばかりに。
日本酒では少し気取りすぎる気がして、ハイボールを選んだ。スプーンで少し掬い、口に運び、炭酸で流す。想像よりもずっと、スパイスと甘みが柔らかく跳ねる。塩気が立ちすぎない分、飲み口が軽い。
カレーは食べるもの。そんな固定観念が、スプーン一杯ごとに静かに剥がれていく。「飲むカレー」ではなく「飲ませるカレー」。そんな夜が、ひとつ増えた気がした。
2025/06/19 更新
2025/06 訪問
通常利用外口コミ
この口コミは試食会・プレオープン・レセプション利用など、通常とは異なるサービス利用による口コミです。
終わると言って、また始まる
「黒龍の会で一区切り」──そう聞かされたとき、どこかで納得していたはずだった。区切りの美学、終わりの余韻。だが、人というのは案外あっさりと“続き”に慣れてしまうものらしい。「やっぱりやるらしいですよ」との知らせに、私の予定帳は何食わぬ顔でその日を空けた。今回の銘柄は「作」。三重の名酒であり、私にとっては密かに偏愛する一本でもある。行かない理由が見つからないどころか、行く理由しかない。
会場は、いつもの「彩日」。予定ではスタンダード6種だったが、発注の手違いで5種と、飲食店限定の「和悦」が並ぶことに。ミスというには贅沢すぎる誤算だ。席につくやいなや、隣の客と「どれが一番でした?」という会話が自然と始まり、グラスが進むにつれて言葉の熱量も上がっていく。
私はというと、つい「雅の大吟」に手が伸びる。俗っぽい選択かもしれない。だが、あの香りとキレのある余韻は、どう考えてもこの店の料理に寄り添う一杯だ。煮物にも、揚げ物にも、口内の余白をちょうどよく埋めてくれる。
気づけば、どれだけ飲んだか覚えていない。ただひとつ言えるのは、“やっぱりやる”という選択が、これ以上ないくらい正しかったということだ。終わる終わる詐欺、歓迎である。
2025/06/06 更新
2025/05 訪問
名乗らずとも、鯵
「彩日」で、ことさら“鯵が好き”と伝えた記憶はない。だがその日、カウンターに腰を落ち着けるや否や、女将さんがひと言。「今日はいい鯵が入ってますよ」。その声音に、何かを読み取るまでもなく、私は頷いていた。
供されたアジフライは、見ただけで伝わる質量と熱量。身はふっくらとし、衣は軽やかで、まるで空気をまとったようだった。そして何より驚かされたのは、骨。見事なまでに抜かれていて、まるごとがぶりと頬張れる。そういう心配りが、しっかり2枚分。鯵とは、こんなに堂々とした魚だっただろうか。
ソースはもちろん、タルタルやマヨではない。控えめな小皿に注がれたウスターソースが、淡々と存在している。その酸味と香ばしさが、揚げ物の熱と脂を引き締める。ここで選ぶべきはビールかもしれない。けれど私は、いつものように日本酒を選ぶ。冷えた酒が、余計な言い訳をせず、余韻だけを残して通り過ぎていった。
「ここでも鯵」とは、つまりそういうことだ。名乗らずとも伝わる味があり、語らずとも通じる一皿がある――そう思える店を知っているということが、なぜだか今日は、少し誇らしかった。
2025/06/05 更新
2025/04 訪問
偶然は整然と
もう三十年近くの付き合いになる先輩がいる。同じ職場にいたのは、ほんの短い時間に過ぎない。けれど私にとってその人は、肩書きとしての“先輩”ではなく、この業界で“歩き方”を教えてくれた、いわば師匠のような存在だ。今は千葉に身を置いている。昨年久々に顔を合わせたとき、当時通うようになっていた「彩日」という店を伝えておいた。
この日、名古屋へ転居してから続けていた断捨離にようやく終わりが見え、ひと息つきに「彩日」へ向かった。魚のマリネとアジフライを頼み、日本酒をひと口。ようやく自分の時間に戻ってきたな、と思ったその時だった。
控えめに開いた扉の向こうから現れたのは、まさにその先輩だった。名古屋に移った私と、千葉にいるはずの先輩が、大阪で偶然出会う――そんな舞台を誰が想像するだろう。でも不思議と驚きはなく、「ああ、やっぱりこの人とは、こういう縁なんだな」と、ごく自然に思えた。
話は尽きず、酒は進み、気づけば閉店の時間。翌朝は久しぶりの二日酔いだったけれど、それもまた悪くない。こういう夜があるからこそ、人生の帳尻はうまく合っているのかもしれない。
2025/05/05 更新
2025/03 訪問
通常利用外口コミ
この口コミは試食会・プレオープン・レセプション利用など、通常とは異なるサービス利用による口コミです。
龍を昼に語る
2ヵ月に一度、いつもの「彩日」で開かれる日本酒の会。気がつけば、カレンダーに自然と印をつけているほど、この集まりは私にとって欠かせないものになっていた。今回の主役は、福井の銘酒「黒龍」。名を聞いただけで、心の奥にひとつ、火が灯る。
並んだ酒瓶は、どれも名前に見覚えがあるようで、改めて向き合うと新鮮な気配をまとっている。大吟醸の繊細な気品。クリスタルドラゴンの研ぎ澄まされた透明感。いっちょらいや純吟の奥行き。さかほまれの柔らかさ。そして何より、今夜の記憶に深く残ったのは、九頭龍 純米だった。ぬる燗にしても崩れない輪郭に、どこか懐かしさを感じる。まるで、話をしなくても心を通わせられる旧友のような酒だ。
ところが、このスタイルでの会は今回で一区切りになるらしい。ふと聞かされたその一言が、酒の余韻と混ざって、妙に胸に染みた。終わりがあるからこそ、味わいは深くなる――そういう夜だったのかもしれない。
「黒龍の会」。それはただの催しではなく、ひとつの物語の終章だった。そして、次の章がまた静かに始まる。そう思えるだけで、今夜の一杯が、また少し旨くなった気がした。
2025/04/18 更新
2025/03 訪問
語りかける刺身たち
「彩日」に通い始めた頃、私はよくお刺身を頼んでいた。透き通った切り身が並ぶ皿に、どこか神聖な気配すら感じていたのを思い出す。盛り付けに宿る丁寧さ、包丁の入り方、添えられた薬味の配置。すべてが静かに整い、私を迎えてくれた。
けれど、いつしか私の選ぶ皿は変わっていった。煮物の染み入る温かさや、焼き物の香ばしさに惹かれ、気づけば刺身からは少し距離を置くようになっていた。一人で食べるには、やや量が多いというのもあったかもしれない。
だが、今日に限っては話が違った。不思議と身体が「刺身を」と囁いていた。そして幸運なことに、仕入れも万全だという。私は迷うことなく、五種盛りの二人前を注文した。多少の贅沢が、時には呼吸を整えることもある。
運ばれてきた皿には、白く澄んだ身、艶やかな赤、そして弾むような蛸。ひとつひとつが、それぞれの声でこちらに語りかけてくる。私はそれを受け止めるように箸を運び、冷やの酒を口に含んだ。刺身の余韻と酒の辛みが、静かに体を満たしていく。
今日は「お刺身のある日」。ただそれだけのこと。でも、それがこの夜を確かに特別にしてくれた。
2025/04/10 更新
2025/03 訪問
濃い味が呼ぶ夜
人の味覚というものは、じつに気まぐれだ。季節の移ろい、湿度の違い、あるいは一瞬の心の揺らぎ――それらに呼応するように、舌の欲するものは静かに、しかし確実に変化する。この日、私の体は明確な意思を持っていた。「濃い味が欲しい」と。
なぜだろう。疲れの蓄積か、知らず抱えた苛立ちか。理由はわからない。ただ、味覚だけが妙なほどに鮮明な答えを持っていた。ならば従うほかない。時間も押していたことだし、私は迷わず「彩日」へと向かった。
カウンターに腰を落ち着け、女将さんに「今日は濃い目で」と一言。お造りは今日はパス。代わりに選んだのは、里芋のそぼろ餡掛け。出汁の優しさの中に、どこか芯のある味わいが染み込んでいる。胃が、というより心が静かに緩む。
次いで、厚揚げの豚肉大葉巻。香ばしい脂に、大葉の清涼感がそっと寄り添う。濃いのに重くない。これだよ、と思いながら、酒をひと口。ゆっくりと流れる時間の中で、私は黙ってそれを噛みしめた。
今日は、ただそういう日だった。特別ではない。だが、そんな自分に応える一皿がここにはある。それがあるだけで、人は少し、前を向ける。
2025/03/23 更新
2025/03 訪問
お造りのない夜
店に入ると、女将が申し訳なさそうに笑った。「今日は仕入れに行けなかったんです」。
先日の臨時休業は確定申告のためだった。初めての手続きに全精力を注ぎ込み、今日はもう、仕入れに行く余力がなかったのだろう。その影響で、お造りの盛り合わせはなし。ただし、鯵だけはどうにか手に入ったらしい。
鯵好きの私には、それで十分だった。新鮮な鯵の刺身をひと切れ口に運び、日本酒を一口。脂ののった身が舌の上で溶け、酒の余韻がゆるやかに広がる。
続いて、いつもの定番、「魚のマリネ」と「厚揚げの焼いたん」を頼む。マリネの爽やかな酸味が舌を目覚めさせ、香ばしく焼かれた厚揚げが心地よい温もりを運んでくる。盃を重ねる手が、自然と進む。
締めには「ホタルイカと菜の花のバターソテー」。ほのかな苦味とバターのコクが絡み合い、最後の一杯にふさわしい余韻を残す。
お造りがなくとも、変わらずここは心休まる場所。そう確かめる夜も、悪くない。
2025/03/12 更新
2025/02 訪問
酒宴交渉録 〜要相談の夜〜
職場の送別会を開くことになった。選んだのは馴染みの店「彩日」。貸し切りの宴となるため、料理はコース、飲み物は飲み放題。しかし、値段、内容、貸し切り時間……すべて「要相談」だという。
こうした柔軟な対応こそ、常連であることの証明なのだろう。特に日本酒とワインについては、銘柄を指定して飲み放題メニューに加えてもらうことができた。この時点で、酒好きの期待は高まるばかり。
当日、扉を開けると、店内はいつもとは違った熱気に包まれていた。普段は落ち着いた空間も、この夜ばかりは特別だ。店主の知り合いなのか、ホールにはお手伝いのスタッフが加わり、慌ただしくも楽しげな雰囲気を作り上げている。
次々と運ばれる料理は、店自慢のおばんざいをはじめ、サラダや揚げ物など、目にも楽しいものばかり。そして、それらを肴に日本酒を傾ける。ゆっくりと喉を滑り落ちる酒の余韻に、思わず頬が緩む。
やがて、宴もたけなわとなり、名残惜しさが募る頃には、貸し切り時間の終わりが迫っていた。しかし、ここもまた「要相談」。最後の一杯を手に、送られる者も送る側も、静かに杯を交わし、夜は更けていった。
2025/02/24 更新
2025/02 訪問
酒と肴のハンバーグ
ふと立ち寄った馴染みの店「彩日」で、今日は「おうちハンバーグ」を注文することにした。ふっくらと焼き上げられたハンバーグに、じんわりと染み込んだ肉汁。これだけで十分な満足感を得られるが、さらにおばんざいを二品選んでオーダーする。
一つはスパサラ。マヨネーズの酸味が程よく、ハムの塩気と相まって箸が止まらない。そしてもう一つはチャプチェ。しっかり味の染みた春雨とシャキシャキの野菜が、口の中で混ざり合う。これだけ揃えば、もはや立派な定食だ。
定食といえばご飯だが、今日の主食は日本酒。熱々のハンバーグを頬張り、スパサラをつまみながら、ゆっくりと酒を流し込む。甘みのあるチャプチェがまた、日本酒と絶妙に合うから面白い。
スパサラとチャプチェは、ある意味、ご飯の代わりになっているのかもしれない。ご飯と日本酒のどちらが合うかと問われれば、それはその時々の気分次第。けれど、この組み合わせの妙は、酒飲みならではの楽しみ方だろう。
さて、もう一杯。ハンバーグ定食に、日本酒の余韻を重ねながら。
2025/02/07 更新
2025/01 訪問
通常利用外口コミ
この口コミは試食会・プレオープン・レセプション利用など、通常とは異なるサービス利用による口コミです。
想定外のお酒と封じられた記憶
それは、まるで決められた運命のようだった。2ヵ月に一度訪れる「彩日」の日本酒の会。その夜の主役は、滋賀県の銘酒「七本槍」だった。聞き覚えこそあるものの、これまでじっくり味わったことはない。ならば、この機会にその奥深さを探るしかないではないか──そう思い、静かに杯を手に取った。
最初に口にしたのは「純米80%低精白火入れ」。一般的な日本酒は精米を進めるほど雑味が減り、洗練された味になると言われる。しかし、この酒はあえて精米を控え、米の持つ本来の旨味を極限まで引き出している。芳醇な香りと、どっしりとした飲み口。舌の上で広がる素朴な甘みと深みが、料理との見事な調和を奏でていた。
そして、もうひとつの異彩──「木ノ環(きのわ)」。木樽で熟成されたこの酒は、通常の日本酒とは一線を画している。口に含んだ瞬間、古酒のような円熟した落ち着きが広がり、僅かに香る木のニュアンスが余韻となって残る。この一杯が放つ静かな余韻は、まるで時を超えた記憶の断片のようだった。
やがて、酔いはゆっくりと人々の心を解きほぐし、店内はにぎやかな宴へと変貌していく。美酒と美食、そして語らいの中で、時間の流れすら曖昧になっていく──次に出会う「想定外のお酒」は、いったいどんな表情を見せるのか。すでに、その瞬間が待ち遠しくてならない。
2025/01/29 更新
2025/01 訪問
昭和を知らず、昭和を生きる
自他共に認める酒好きの私に、去年入職した平成生まれの後輩が「ぜひ一緒に飲みに行きたい」と申し出てきた。話を聞くと、彼もなかなかの酒好きらしいが、周りには付き合ってくれる人が少なく、ソロ飲みにはまだ抵抗があるという。それならば、と馴染みの「彩日」へ連れて行くことにした。
暖簾をくぐると、いつもの温かな灯りとだしの香りに包まれる。この匂いだけで、すでに一杯目を飲んだ気分になる。カウンターに腰を落ち着け、おばんざいの盛り合わせを注文。あとは、ざっくりと予算だけ伝えて、料理は店におまかせする。こういう信頼できる店があるというのは、大人になってこそ得られる贅沢だ。
後輩は、酒が進むほどに饒舌になり、テンションが上がる。その振る舞いが、妙に懐かしかった。酒の勢いで語る夢や仕事の話、少し調子に乗りすぎたジョーク。それは、まるで自分が新人の頃の飲み会のようで、昭和の香りを感じさせる。気づけば、酒のピッチは上がり、会計はいつもの倍近くに。こんな価格をこの店で見るのは初めてだった。
だが、それもまた一興。時代が変わっても、酒の場の高揚感は変わらない。杯を重ねるたびに、彼が昭和を知らずに昭和のノリを体現していることが、ますますおかしく思えてくる。ふと、そんなことを思いながら、私は次の一杯を頼んだ。
2025/01/30 更新
2025/01 訪問
小松菜「の」餃子
職場での何気ない会話の中、餃子の話題がふと出た。その瞬間、私の頭に浮かんだのは馴染みの「彩日」。あのお店には確か、餃子があったはずだと思い、仕事帰りにその灯りを目指した。
店内に足を踏み入れると、いつも通りの温かさが迎えてくれる。カウンター越しにメニューボードを眺めるが、餃子の文字はどこにも見当たらない。「今日は餃子、ないんですか?」と恐る恐る尋ねると、女将さんがにっこり微笑んで「ありますよ」と答えてくれた。その言葉に安堵し、迷わずオーダーする。
しばらくして運ばれてきた餃子は、こんがりと焼けた皮が美しく輝いていた。一口頬張ると、餡はキャベツでも白菜でもなく、小松菜。その意外な組み合わせに驚きながらも、しっかりとした味付けが舌を包み込む。そのままで味わえる絶妙な塩加減が、料理としての完成度を物語っていた。気がつけば、湯気立つ餃子とともにお酒が進んでいた。
餃子の余韻を楽しみながら、春巻きや鶏の照り焼きも注文する。どれも一品一品が丁寧に作られ、素材の良さが引き立つ。料理をつまみながら、職場での餃子談義を思い出し、自然と笑みがこぼれる。
「彩日」の餃子は、単なる家庭料理ではなく、一皿に込められた発見と驚きだ。この場所には、いつも小さな幸せがある。そう気づいた時、私の心はそっと温められていた。
2025/01/29 更新
2025/01 訪問
新春酒宴録
人間とは、何かしらの理由を見つけて酒を飲む生き物である。年の瀬には「年末のご挨拶」と称して馴染みの店を訪れた。そして今日も、「年始のご挨拶」という名目で、暖簾をくぐる。
扉を開けると、店内には出汁の香りが満ちていた。カウンターに座るや否や、女将が穏やかに「今年もよろしくお願いしますね」と声をかける。その言葉に、不思議と心が和らぐ。
まずはお造りとともに冷酒を一杯。淡泊な白身魚が、口の中でひんやりと広がる。そして、今日のおばんざいは筑前煮とジャガイモの煮っころがし。じっくり煮含められた根菜は、胃に優しく染みわたる。ここは燗だなと燗酒へスイッチ。
さらに牡蠣フライの文字を見つけ、迷うことなく注文。カリッとした衣の中から溢れ出す濃厚な旨味に、思わず目を細める。
ふと隣を見ると、帰省先から戻った常連が、お土産を皆に振る舞っている。その気遣いに感謝しつつ、一つ頂きながら、年の始まりを改めて実感する。
さて、もう一杯いこうか。今年も、酒とともに良い年にしていこうではないか。
2025/01/31 更新
2024/12 訪問
年の瀬に灯る小さな明かり
年の瀬の夕暮れ、冷たい風が街を包む中、馴染みの「彩日」に向かった。今年最後の挨拶をするためだ。阪急曽根駅を降り、通いなれた道を歩くと、控えめな暖簾の向こうから優しい明かりが漏れていた。その光景だけで、少し背中が伸びる気がした。
店内に足を踏み入れると、カウンターもテーブル席も常連客で賑わい、熱気と笑い声が交差していた。忙しそうな女将さんとご主人に「今年もお世話になりました」と声をかけると、二人とも少し照れたように笑い、「また来年もよろしくお願いします」と返してくださる。その一言が妙に嬉しくて、心がほぐれる。
軽く飲むつもりだった私は、魚のマリネと春菊のごまよごしを注文した。マリネの鮮やかな酸味が舌の上で踊り、春菊の爽やかさと胡麻の香りが絶妙に絡み合う。噛むたびに素材の温かさが伝わってくるようで、ただの料理ではなく、心そのものを届けられている気がした。そんなひとときの中で、この一年の出来事が自然と頭を巡る。
次の予定が控えているため、名残惜しくも席を立つことにした。入れ替わりで店に入ってきた顔見知りの常連さんには、軽い挨拶を交わすだけになったが、また来年、この場所でゆっくり話せるだろうという確信があった。
店を出ると、冷たい風が頬を撫でたが、不思議と寒さを感じなかった。心の中には彩日の味と温もりがしっかりと灯っている。来年もまた、この場所に戻ってくるだろう。そんな確信を胸に、私は静かに次の店へと歩き出した。
2024/12/31 更新
長らく灯を落としていた店が、静かに夜の帳に溶けるように扉を開けた。
家庭の事情による長期休業と聞いていたから、その無事にまず安堵する。けれど、こちらにも事情がある。カロリー制限中なのだ。
そんな折に頼もしいのが、やはりウイスキー。糖質ほぼゼロにして、香りは贅沢。しかも、あの山崎15年のカスクストレングスが、まだ残っていた。琥珀の液体をゆるやかに掲げ、そっと口に含む。厚みのある樽香とドライフルーツの甘み、そして微かなスモークが、時間の層をゆっくりとほどいていく。
料理もいくつか頼んでみた。お造り、里芋と鶏ミンチの煮物。だが、正直どれもこの酒とはかみ合わなかった。けれどそれも、再会という物語の一部。
思い出補正だって、きっと立派な調味料になる。そう思いながら、琥珀をもうひと口、夜の記憶に溶かしていく。